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田崎家は何処にでもある普通の、ある程度収入のある中流家庭で、秋人は幼い頃から特に不自由を感じることもなく育ってきた。工場機器や医療機器を手掛ける大手製造メーカーの営業部で働く父こと
待望の冬が生まれたのは秋人が四歳の誕生日を迎えた二ヶ月と二日後、十一月二十六日。だが、その日のことを秋人はよく覚えていない。ただ母が冬子を連れて家に戻ってきたとき、確かに妹の誕生を喜んでいたと記憶している。それから秋人が八歳になるまではよく家の中や公園なんかで一緒に遊んでいた。
そして秋人が八歳、小学三年生の時だ——冬子はまだ幼稚園だった。あの頃から学校の友達と遊ぶようになり、妹とは段々遊ばなくなった。誕生日に父にプレイステーション3を買ってもらった記憶はあるが、それを妹と一緒にやった記憶はなかった。それに事あるごとにお兄ちゃんお兄ちゃんと呼びかけられるのが少々うざったく思うようになっていた。
秋人が中学三年生の時、妹は小学六年生。この頃になると今(冬子が自殺する直前まで)の兄妹の関係性が築かれ始める。冬子の気が強くなり、化粧気を覚えてくる。そのことで母と冬子がよく揉めて、秋人は高校受験のために学校の図書室や図書館等の家以外の場所で勉強するようになり、そもそも顔を合わせる機会すら減っていった。その甲斐あって秋人は公立の難関進学校に入学できたのだが。冬子が中学生に上がるといよいよ全く話さなくなる。家の中で聞く冬子の声はもっぱら母の怒号とセットだった。
秋人が高校を卒業して、合格した国立大の近くに引っ越す日。つまり一年前。これが最後の記憶になる。その日、妹は家にいなかった。冬子は秋人とは違う市立高校に入学した。成績はさほど悪くなかったのだが所謂ギャルに傾倒している節があったため内申に響いたんだろうと父から聞いている。家にももう滅多にいることはなくなっており、最後に顔を合わせたのは前日の夜。トイレに行こうとしたら偶然にも鉢合わせた。もう深夜を回って、冬子は上下とも灰色のスウェット姿で髪を下ろして、化粧気のない素っぴんだった。秋人は無言で彼女を先に通す。もうこの頃には色々と互いの境界が解っているので余計な言葉も、沸き立つ感情も無いに等しい。喧嘩は滅多に、そもそも喧嘩なんか幼い頃から数えても片手で足りる。が、逆に兄妹仲を確かめられるような思いでもなかった。冬子はこちらと目が合うなり丸い瞳をわざと細くする。そうこれだ。強い目。いつから始まったことだろうか。少なくとも秋人が高校に入ってから既にこの目をするようになっていた。憎しみを向けられる覚えなんてないのに。その目を秋人にくれて冬子は先へ行く。が、トイレに入ろうとドアノブを握った矢先、冬子は振り向いて秋人に訊いた。
「明日引っ越すの?」
久々に聞いた。ぶっきらぼうな感じでツンと針に刺されたみたいな感触があった。秋人は壁に寄りかかってスマホを見ようとしていたため、急に問いかけられて「え? そ、そうだよ」と上ずって答える。冬子は悲しみも怒りもなく真顔でウンウンと頷き、秋人にしばらく目を合わせてからいった。
「じゃあ、バイバイ」
おう。短く答えると妹はトイレに入って、出るときは何もいわなかった。その後は何もなく、朝になったら冬子はすでに外出していて、両親にさよならを告げる瞬間にも彼女はいなかった。あれが極短いが冬子との最後だ。
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