16.『そのままで』
クロイ地方、エリオット山。
その一角に私たちが根城とする城がある。
城、といっても人族の想像するような城館とは程遠い。
山の内側をくり貫いて、辛うじて我々が居住出来る程度の穴を作った。
さしずめ、私たちは穴に詰められた貉だ。
私はそんなジメジメした空間が嫌になった時、こうして山頂まで登る。
ここの空気は薄いけれど、澄んでいて、綺麗だと思う。
辺り一帯は暗闇、なにも見えやしない。
それでも、あの場所よりは美しいはずだ。
「……この世界は美しい」
「――随分と恭謙なことを仰いますね」
背後から声が降りかかる。
さして驚きはないが、歓迎する気分でもなかった。
「……お前はどこへでも現れるな」
「無論、どこまでもお供致します」
褒めたわけではないのだが。
私の嫌味に気付かないのか、気付いた上で無視しているのか。恐らく後者だろう。
とにかく、従者としてはよく出来ている。
個人的な感情を考慮すれば、こういう所は好きになれないが。
もちろん、態々好きになる必要も理由もない。
私の後ろにいればそれでいい。
「ソフィア様は、この腐れた世界を美しいと?」
「そうだ。腐れた世界こそ、美しい」
「見渡す限り美しい、常世の国のような世界だったとしたら?」
「お前は、いくら希えど手に入らぬ理想郷に、心の底から手を伸ばすというのか? 思考を止めれば魔族とて死ぬぞ」
それっきり、マスティマからの返答は途切れた。
しばらく真っ暗な空の果てを眺める。
この世界は広い。
美しいばかりじゃない。
ただ、それも含めて、私はこの世界への愛を持っている。
理想郷でもなんでもない、澱んだ世界への愛を。
「ただ……」
「ただ?」
「……この世界が理想郷であったなら、私はこの世界を好きになっていなかったかもしれないな」
薄ぼんやりと空が白む。
今まで見えなかったものが見えるようになっていく。
「――夜が明けるぞ」
尚更、私はこの世界を美しいと思った。
■
ハルリオという街は遠い。
歩いていけば半年以上はかかる道程だろう。
もちろん、そんな無意味な真似はしない。
私がフェイレスの鱗の手入れをしていると、後ろから声がかかった。
「あ、あのっ、お待たせしましたっ!」
「うん。じゃあ、行こうか」
そう言って振り向いて、動きが止まる。
私の想定していた光景と違ったからだ。
「……それは?」
「向こう数ヶ月分の! 必需品ですっ!」
両手いっぱいに荷物を抱えるニノン。
その多さといったら、彼女の顔が見えないくらいだ。
食料、衣服、化粧品。
枕に、書物、あれは……土人形だろうか。
「そっ、それでは、参りま、しょう! よいしょ!」
「……。ニノン」
「はっ、はいっ!」
「そんなに荷物はいらない」
その言葉に衝撃を受けたのか、ニノンはぼろぼろと荷物をこぼした。
「そ、そんな……! 食料と衣服は必要として、長旅となれば娯楽も必要でしょうし、私実は枕を変えると寝られなくて……確かにこれで何ヶ月も歩くのは大変だなぁと思いましたが、どうすれば……」
「食料と衣服は現地で調達すればいい。娯楽はいらない。遊びに行くわけじゃない。枕だけ持っていけ。あと」
歩いていくつもりだったのか。
その荷物で。
どう考えても無理だ。
姿は人族と似通っているが、彼女も魔族である以上、その力は人族のそれとは比べ物にならない。
それでも魔族の中で非力な部類に入るニノンの体力では、その大荷物を運び切るのは困難だろう。
そもそも、その必要すらない。
私はフェイレスに飛び乗り、彼女に手を差し伸べた。
「ほら、乗って」
「な――フェイレス様に!? 私が乗るんですか!?」
「不服か?」
「まままままさか! きょ、恐縮しちゃいますよぅ!」
あたふた、という表現はこういう時のためにあるのだなと悟った。
遠慮というのは人族の文化だが、この場合は本気で萎縮しているのだろうと分かる。
押し問答になるとも思えないが、長引いても煩わしい。
私はフェイレスから飛び降り、ニノンの首根っこをひっ捕らえて、ひょいと持ち上げ再び彼に飛び乗った。
「わわわっ……!」
「掴まって。振り落とされないように」
「はっ、はいぃ!」
「いや私にじゃなくて、フェイレスに……まぁいいか。行くよ、フェイレス」
「――――」
私が合図を送ると、彼は大きく翼をはためかせ、家屋すら吹き飛ばすような暴風が吹き荒れる。
あっという間に地面は遠くなり、空が近くなった。
ここからハルリオまでは、数刻といったところだ。
■
「わぁっ! 見てください! 町ですよ、町! 小さいなぁ、フェイレス様が踏み潰したらあっという間に壊れちゃうんだろうなぁ」
「冥王様、冥王様!」
「どうした」
「あれって、火牛の群れですよね? ぷぷぷ、群れても魔族には手も足も出ないのに滑稽ですね!」
「見てください見てください! 私たち、雲の上にいますよ! わぁ〜、ふかふかの毛布みたい!」
「ニノン」
「はいっ!」
「少し黙れ」
「ええっ!?」
あまりにも騒がしい。
マスティマもお喋りだが、ニノンにおいてはそれとも違う、もっと子供的な好奇心だ。
最初のうちは仕方なく言わせておいたが、力強くしがみつかれながら耳元ではしゃがれると少し五月蝿い。
不思議と不快ではなかったが、いらぬ気疲れをするのは無用だ。
私は手のひらでニノンの顔面を押し退けた。
「ああっ! 落ちたらどうするんですか!? この魔殺し!」
「お前誰に口を聞いているんだ? それに、必要とあらば人族であろうが魔族であろうが殺すのみだ」
「この殺生が本当に必要かどうか、今一度ご再考願えませんか!?」
ニノンという魔族については詳しく知らなかった。
最近、諜報群にて躍進を遂げている魔族がいる、優秀な者だとマスティマからは聞いていたが、恐らくそれが彼女のことだろう。
が、本当にそうだろうか。
この落ち着きのない子供のような魔族が、人族の群れに紛れて諜報活動を果たすことができるのだろうか。
できるのだろうな。
できるから群の長なのだ。
どちらにせよ、この旅で私は目にするだろう。
彼女が有用か、そうでないか。
群の長を決めるのは群ごとの内情と、マスティマの判断が主だ。
私が直に決めているわけではないが、能のない者が紛れ込まぬよう目を光らせるのも私の務め。
もし彼女がそうであった場合、然るべき対応をする必要がある。
しかし、打算を抜きにするのなら――、
「……ふっ」
「――――」
「どうした?」
「いえ、その……」
「言ってみろ」
「今、お笑いになられたのかな、と……」
「何を言っているんだお前。下らぬことを口走る暇があったら周囲の警戒でもしていろ。空とて魔獣がいないとも限らぬのだぞ」
「あっ! 冥王様が言えって言ったのに!」
――打算を抜きにするのなら、別にこのままでもいいだろう。
そう思った。
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