第二章『運命に縛られる宿命』

15.『2-1』


 ひたひたと足音がした。

 その音を聞いて私は、もうそんな時間かと片目を開ける。


 もう数秒もすれば、あの重い扉が開いて私の休息は終わるだろう。


「――ソフィア様。お時間でございます」

「わかってる」


 私は頬杖をついたままそれに答える。

 それが退屈そうに見えたのか、彼は苦笑いを浮かべた……ように思えた。


 そんなわけないか。人族じゃあるまいし。


「……はぁ」

「どうかなさいましたか?」


 いつもよりほんの少し、私の吐く息が多かったことを察した彼は、遠慮がちにそう聞いてくる。

 迂闊だったと自分を戒め、気が進まないながらも問いへの答えを探す。


「別に。なんでもない」

「失礼いたしました。ところで、彼の魂の方は?」

「……変わらず。呼びかけても反応がない」


 それこそが悩みの種だと、わかっていそうな口ぶりで彼は問う。

 全く、しらじらしい男だ。


「しかし、彼には役に立って貰わねばなりません。ソフィア様を残し身を隠すなど、己の役儀を――」

「――口が過ぎるぞ、マスティマ」

「――っ、大変失礼いたしました、ソフィア様……!」

「……構わない。行け」

「――はっ。寛大な御心に感謝を」


 今一度深く頭を垂れてから、マスティマは去っていった。


 つい言葉が強くなってしまったが、誰にだって言われたくない言葉はある。

 無遠慮に踏み込んでは敵意を植え付ける。

 心は金や力では買えないのだ。


「……そろそろ帰ってこないと、あなたの心が消えてしまうよ」


 心とは得難いものだ。

 いくら願ってもひとつしか手に入らない。


 私の心はここにあるが、彼の心は深く眠ってしまったまま。


 これは、機会だ。

 ひとつの器にふたつの魂。

 そんな機会はまたとない。


 それをみすみす取りこぼして、無駄にしてしまうのだろうか。

 そうなったら私は私の心で生きていくだけだが――、


「……結構悪くないものだと思ってたのに」


 はぁ、と二度目の溜息を漏らす。

 今はマスティマが聞いていないから、遠慮のない溜息だ。


 彼の思惑には気づいている。

 冥気を持たない彼は、力で前に進むことができないから、託そうとしているのだろう。

 彼が最も欲しがるものを持っている、この私に。


 私たちは一心同体。

 考えていることくらい、口にしなくてもわかる。


 なら、私の考えていることも伝わっているはずなのに。


「……心とは得難いもの、か」


 私たちは同一の身体を持ちながら、同一の存在ではない。

 自己を持たねば、あっという間にどちらかに飲み込まれてしまう。


 私は四千年の眠りの中で、いつしか彼に飲み込まれかけていた。

 私は咄嗟に閉じこもったからよかったものの、彼は裸のまま私と混じりあってしまった。


「得難いものを同時にふたつ手に入れた私たちは、運がよかったと言うべきなのかな」


 皮肉を言うなんて随分と人族らしくなったなと、三度目の溜息をつく。


 私は立ち上がり、古ぼけた部屋を後にした。


 

「――『冥王』ソフィア・サタンハルト閣下がお見えになった」

「冥王様……!」


 マスティマの言葉で、数百人の魔族が一斉に頭を垂れる。

 私はそれを見下ろしながら、中央に聳える黒い椅子に座った。


「……『冥王』ソフィア・サタンハルトだ」

「――――」


 銘々に息を呑む気配が場を包む。

 あるいは、それは重圧によるものかもしれない。


 冥力を抑えてるとはいえ、息苦しいことには違いがないだろう。

 慣れろ、などと言うつもりはない。

 その重圧こそが今生きている証だ。


「冥王閣下の御言葉を直に賜ることを、至上の幸甚と知れ! 黙し、頭を垂れ、拝聴せよ!」


 その言葉で、静かな場はさらに静まる。

 マスティマがいるとやりやすい。

 

「……まずは、御苦労だった。お前たちの躍進はマスティマから聞いている。魔族のため、私のため、よく努めてくれた」


 呼応するようにどよめきが生まれた。

 しかしそれが邪魔になることはない。


 私が息を吸い込むと、次の言葉を聞くために一人残らず誰もが口を噤むからだ。


「私たち魔族は迫害されてきた。何故だ? 恐れられているからだ。私たちには力がある。ならば、何故振るわない? 何故堪忍ぶのだ。力があるのなら、恐れるな。振りかざせ。そして、思い知らせればいい。これより魔族の時代が始まるのだと」

「――――」

「お前たちの王は誰だ?」

「……『冥王』、ソフィア・サタンハルト閣下」

「――閣下」

「――閣下!」

「そうだ。私が誓おう。我々にのみ、未来がある」

「――!」


 割れんばかりに沸き立つ。

 単純なものだ。力にしか誇りのない者は操りやすい。

 これが人族だったら、こうはいかないだろう。


 十分に彼らの士気を高めたあと、私は腕を上げてみせる。

 それを合図に場は静まり、彼らは再び私の言葉を待っていた。


「マスティマ」

「――はっ。群長の中で報告のある者はいるか?」

「わ、私から報告がございます」

「前に出よ。名を名乗れ」


 マスティマが促すと、ひとりの魔族が前に出る。

 肩まで下げた黒髪、不安げな黒瞳。

 実に人族と似通った姿をしているその魔族は、恐る恐る口を開いた。


「ち、諜報群長、ニノンでございます!」

「ニノン。報告を聞こう」


 私が声をかけると、彼女はビクリと肩を震わせてから、涙目で報告を始める。


「こ、これより遥か東、ハルリオという街に、二十名程度の魔族を発見しましたっ! 彼らは奴隷として売り出されているようです!」

「ふむ……」

「二十名。少数ですね。腕の立つ者に行かせますか?」


 マスティマの言う通り、私が出向くには価値の薄い情報だ。

 いつもなら頷くところだが、少し気がかりなことがあった。


「ニノン」

「はっ、はいっ!」

「お前、マスティマに何かされたか?」


 ちらとマスティマの顔を窺う。

 心外な、と不服そうな顔を――している錯覚をした。

 近頃は妙な錯覚が多い。


 私はマスティマから視線を外し、改めて目の前のニノンに向き直る。

 彼女は両手を出しながら慌て、相も変わらず涙目を浮かべていた。


「めめめめ滅相もございません! マスティマ様には大変便宜を図っていただいておりますっ!」

「そうか。ならば何故怯える?」

「お、怯えてなどおりませぬっ! それはもう全く、ほんとうに!」

「貴様、冥王閣下の御言葉を否定するのか?」

「あわわわわ、けっ、決してそのような……!」

「やめろ、マスティマ。虐めてやるな」


 私が一瞥をくれると、マスティマは頭を垂れ、言葉を止めた。

 忠誠心は信用できるが、信頼するには暴走が多いのもまた事実だ。


「私には震えているように見えるぞ、お前」

「そっ、それは……冥王様と直接お話できるのが夢みたいで……」


 震えながら、目を潤ませながら、頬を紅潮させている。

 器用なものだ。


 ともかく、嘘はないらしい。

 私を一度も直接見た事がなかった者でもこの忠誠心か。

 これも私の威厳――と言ってしまえれば格好も付くが、マスティマの手腕だろう。

 罪を被せかけたことは、これらの功績で差し引いてもらうことにする。


「冥王様は……お噂よりも寛大で、慈悲深く、素晴らしい御方です……!」

「そうか。お前の尽力に感謝するぞ」

「勿体なきお言葉……!」


 ニノンは感激したように、さらに深く深く頭を垂れた。


 ともかく、伝えるべきこと、聞くべきことはもうない。

 これで話は終わり、私の判断に基づいてマスティマが指示を出すところだが、今日の私の気分は違った。


「それでは、兵郡から数名、ハルリオなる街に――」

「……いや、待て」

「はっ」


 顎に手を当てる。

 これから私が下す判断は、どう言い繕っても気まぐれでしかない。

 ないが、そういう気分ならば仕方がない。

 彼らには私の声にどうやったってついてきてもらうだけだ。


「ハルリオには、ニノン、マスティマと私で向かう」

「――ッ!?」


 今日一番のどよめきが生まれる。


「まさか……冥王様が直々に……」

「ハルリオという人族の街にはそれほどの価値が……」

「いや、囚われた魔族の仲間の方に……」


 敬意は十分に感じるが、彼らはこうして感情を抑えることができないから、マスティマの指揮も完璧とはいえない。

 私が人族なら苦笑いしているところだ。


 しかし、何より劇的な反応を見せたのはニノンの方で、


「そ、そんな……夢みたい……」


 ついには涙を流し始めるほどに嬉しいらしい。

 ただの気まぐれというのは言わない方がいいだろう。


「無論、地の果て、天の果てまでお供致します。しかし私は冥王閣下やそこのニノンほど諜報には長けておりません。風貌が人族とは違いすぎますゆえ」

「そうか。……そうだな。ならば街へは私とニノンで行く。マスティマは残り、務めを果たせ」

「――御意のままに」

「はわわわわ……」


 私が次にやるべき事は決まった。

 少々早計だったかとも考えたが、さして問題はない。

 マスティマがいれば彼らの統率は取れるし、私が向かえば話も早い。

 

 何より、ずっとこの場所にいると息が詰まるのだ。

 私は私で、休息の延長を楽しませてもらおう。


「ニノン。出立は明日だ。今宵のうちに準備を済ませておけ」

「しょ、承知致しました……!」


 そう言って私は立ち上がり、背を向け、ふと振り向くと、見慣れた光景が目に入る。

 数百の魔族。この場にいる全ての者が私の眷属だ。

 

 頂点に立つというのは肩の凝るものだ。そう考えながら、私はその場を後にした。

 

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