14.『目覚めてしまった』
僕たちはなにやらとんでもないものを眠りから覚ましてしまったんじゃないかと、そう思うしかなかった。
きっと、全ての歯車が狂った――いや、動き出したのは、あの日だ。
いつも通りだったあの日。
僕はいつも通り、遠目にセシリア様を眺めていたんだ。
いつも通り可憐で、素敵な人だと思った。
周りの皆だってそう思っていたはずだ。
その日常に暗雲が立ち込めたのは、その日の講義が終わってからだった。
クリストフ様がセシリア様の秘密を暴き、糾弾し始めたのだ。
僕は信じられなかった。
あのセシリア様が『呪子』で、世界に嫌われた存在だったなんて。
しかしセシリア様の反応を見るにどうやらそれは事実で、あっという間に彼女は忌み嫌われてしまった。
どうしていいかわからなかった。
『呪子』と関わると、凄惨な死に様が待っているという。
そんな自分の中の常識を鑑みると、とても彼女に近寄ることはできなかった。
ある日のことだ。
その日も、セシリア様に悪意が振りかざされていた。
もはやそれがいつも通りになってしまった日常の一端。
いつもと違ったのは、ソフィアという人の存在だ。
彼女はセシリア様を庇うように立ち、魔力傾向色を調べるスクロールに手を乗せた。
彼女は、魔族だった。
その瞬間、ふたりは討伐対象となった。
もはや仕方のないことだ。
魔族は殺すしかない。
それに与するセシリア様も、今となっては人族の敵だ。
僕は彼女への憧れを断ち切り、指先に魔力を集めた。
■
クリストフ様が殺した。
あの魔族に反撃の余地を許さず、圧倒してみせたのだ。
利き腕を落とされ、胸を切り裂かれ、魔族は死んだ。
確実に、命を奪った。そのはずだった。
「――馬鹿な。致命傷だったはずだ」
なのに、その魔族は立ち上がった。
引き裂かれたはずの肉体は、新品同然だった。
落とされたはずの右腕もしっかりとくっついている。
あるいは傷なんて最初からなかったのかもしれない。
そう思いかけたが、彼女の傍らに転がる古い右腕を見て、魔族という存在の底気味の悪さに震えた。
「――フェイレス」
彼女が一言、そう呟いた瞬間、天井が消えた。
教室から見えるはずのない、鬱陶しいほどに澄み渡った空が、僕たちの額に汗を滲ませていた。
違う。
汗の理由は、焦りや驚きではない。
熱い。まるで焼かれているように、熱いのだ。
学舎が燃え盛っていることに気づくのは、もう少しあとだった。
「――――」
「……うそ」
腹の底まで焼き尽くすような唸り声。
その正体にすぐ気付いたのは、僕を含めても数名しかいなかっただろう。
そしてその存在は、晴天の嵐を思わせる雄大さで、崩れた瓦礫に降り立った。
「ひ、飛龍……」
「……ありえん」
もはや僕たちは、叫び声をあげることすらできなかった。
目の前に現れた『厄災』に、身を縮こませるのが精一杯なのだ。
「――其処な魔族よ! 動くな!」
どこからか、教師たちが現れた。
ふたりを囲む僕たちをさらに囲んで、三十人ほど。
目を疑うしかなかった僕たちの心に、ほんの少しの安堵が生まれる。
この学校の教師は強い。
中には達人級の魔法をいくつも修めた、実戦経験豊富の元衛兵なんかもいる。
僕たちでは手に余るこの場も、彼らならば上手くやるだろう。
三十人もいるのだ。あの魔族がどれだけ強くても、数の力には勝てまい。
飛龍だけは気がかりだが……見たところ、鱗がかなり古い。
もう老体なのだろう。
彼らに勝てない相手ではないはずだ。
「……貴様が魔族だな。身分を偽り、何を得る。望むものがあれば言ってみよ。この場から手を引いてくれるのであれば我々は……」
髭を蓄えた壮年の男性が、率先して前に出る。
そうだ、彼だ。
彼が衛兵の、それもとある地区の衛兵長まで務めたことのある、歴戦の戦士だ。
彼なら何とかしてくれる。
そう希望をかけていたのだが、どうも彼の表情は険しいものだった。
彼に気づいた魔族が、向き合う。
視線が絡んだ途端、壮年の教師の表情はよりいっそう険しくなった。
額に汗が滲み、よく見ると足が細かく震えている。
本当に、彼がそこまで恐れる必要のある相手なのだろうか――そうよぎった瞬間、魔族が動いた。
「――なにを」
彼に向かって、そっと指を伸ばしたのだ。
見つけたから、と言わんばかりに、なんの感情もなく。
「――――」
次の瞬間、彼の頭が弾け飛んだ。
死んだ。
殺されたのだ。
当たり前のように。
ほんの僅かな感情の揺らぎすら感じられない様で。
一方的に。なぶることさえなく。
飛び散った血は、僕の方まで飛んできた。
その温度を確かめたとき、僕はついにこれが現実なんだと悟った。
■
そこからのことは、思い返したくもない。
教師の死を合図に、教室中――学校中に混沌が弾けた。
速やかに避難するよう指示が出たが、ダメだった。
あの魔族は、逃げようとする者から殺すのだ。
他の教室、学年の者でも容赦はない。
すでに何人もの教師が殺され、多くの学友が飛龍に踏み潰された。
「……何故だ。何故こうなった? 私はどこで違えたというのだ」
僕が身を縮こまらせて震えていると、同じように瓦礫の影で、ぶつぶつと呟く男が目に入った。
「……クリストフ様」
「私は間違っていない。間違っているのはあの魔族の、冗談のような能力だ。そうだ、そう思うだろう?」
現実から逃避するような言葉。
僕だってどうしてこうなったのかはわからない。
でも、ただひとつだけ確かなことがあった。
「クリストフ様。僕たちは間違えたのです」
「何だと……?」
「クリストフ様は、何故セシリア様を追い詰めたのですか?」
どの口が、と思われることを言っている。
自分だって同じだ。セシリア様を追い詰めた者の一人だ。
棚に上げてるのはわかってる。
それでも、その自覚があるからこそ、言える。
「何故だと? 奴は『呪子』だ。それ以上に理由が必要か!?」
「本当に、それが理由ですか?」
「私は頂点に立たねばならん。このようなくだらぬ群れの中でも、むしろだからこそ、他者よりも優れていると証明できなければ、父上にどう顔向けできる!」
「だから、弱みを調べさせ、蹴落としたのですか?」
「そうだ! それが貴族であると、貴様も理解していよう!」
「僕は貴族じゃないので、わかりません。ただ……」
場違いな会話から視線を外し、惨劇に目を向ける。
今なお人が死に、学び舎はもはや瓦礫になっている。
その中心にいるのは、魔族。
ソフィア。
彼女に向かって、何十もの魔法が放たれている。
彼女には人知を超えた力があり、瀕死の状態からでも一瞬で回復する治癒能力、それもそのうちのひとつだろう。
どんな傷を受けても、彼女には関係がない。
ならば彼らの魔法を全て無視し、反撃のみに集中してもいいはず。
なのに、彼女はそれをしない。
四方八方から降り注ぐ魔法の流星を全て受け流し、相殺し、守っている。
その理由は彼女の足元にあった。
彼女の足元で、ずっと怯えたように蹲っている存在。
エリシア様のことを、ずっと彼女は守っているのだ。
「……僕たちは、やりすぎたんですよ」
「……なに?」
「彼女を『呪子』と暴き、失墜させたのなら、そこで満足するべきだった。しかし、欲をかいてしまった。彼女を貶め、なじり、自尊心と優越性を誇示するための道具に使ってしまった」
「……」
「だから、目覚めさせてしまったんです。彼女の中に眠る悪魔を」
それっきり、クリストフ様とは目が合わなかった。
虚ろな目で、やっぱりぶつぶつと呟いている。
僕は目を瞑り、立ち上がった。
きっと彼と会話をするのはこれが最後だろう。
ここにいては殺される。
逃げようとしても殺される。
だけど、動かなくてはいけない。
ほんの少しでも、自分の意思で前に進まなくてはいけない。
それが責任というものだから。
「さてと……お父様、お母様。息子の無事を祈っていてください」
そうして僕は走り出す。
目指すは東門。
遥か遠くの故郷に、ほんの少しだけでも一番近い門。
そこまで走って、この場所から出られたら、きっと家族に会いに行こう。
少しだけ強くなれたこと、大きくなれたこと。
それから、失敗したこと。
全部報告したあとは、三人で美味しいスープを食べよう。
お母様の作るスープは少し薄くて、優しい味がする。
お父様はそれに文句を言いながら、おかわりをするんだ。
そんな温かい情景をまた見よう。
楽しみだ。
■
誰もいなくなった学舎。
いや、もはや瓦礫と言った方がいいだろうか。
その瓦礫の中、ひとりの少女が膝をついている。
意識があるのか、ないのか。
心はここにあるのか、ないのか。
定かでないほどに虚ろな目は、覗き込んだ黄金色の瞳と目が合うと、反応を見せる。
「…………」
「――――」
深紅の瞳は、ただ怯えるように震えていた。
大きく見開いて、震えていた。
それを確認すると、白髪の少女は無表情のまま、彼女から視線を逸らす。
「……フェイレス」
「――――」
「……久しぶりだね。大きくなったな」
白髪の少女はぺたぺたと飛龍に触ると、ひょいと飛び乗った。
「……ぁ」
深紅の瞳をなおも揺らし続ける彼女の、喉から絞られたように飛び出た声。
ほんの僅かな振動に、白髪の少女が気づいていたかはわからない。
「……じゃあ、行こうか」
「――――」
だけど二人の視線はもう絡まないまま、白髪の少女は遠い空に飛び立っていった。
深紅の少女は、それを震えた瞳で見つめている。
いつまでも、いつまでも。
――――――――――――――――――
【後書き】
第一章終わりです!
次章から主人公・ソフィアのラスボスムーブも加速しますので、どうぞお楽しみに!
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