13.『ソフィア・サタンハルト』


 気づけば黒い場所にいた。

 瞬きをして、そのまま二度と目が開かなかったような感覚。

 俺を包むのは闇と静寂だ。


「今度こそ、死んだのか……」


 あっけなかった。

 転生してからまだ二月と経っていない。


 死ぬ時はあっという間だ。

 俺は上手くやれなかった。

 せっかくの機会を無駄にして、今度こそ本当におしまいだ。


 しかし、たった一ヶ月とちょっとの人生でも、心残りはある。

 まず、最高のエンディングに辿り着けなかった。

 決めたのにな。腹を括ったのに。


 そしてなにより。


「エリシア……」


 彼女は、無事だろうか。

 無事と信じたいが……どれだけ楽観視しても、彼女があそこから巻き返せる手を持っていたとは考えにくい。


 死なせてしまったのか。俺が。

 誰よりも大切な人を。


 文句を言いたい気持ちもある。

 なんのための転生だよ、と。


 ラスボスに生まれ落ちたのなら、ラスボスに相応しい力を持たねば意味がない。

 ガワだけラスボスでも、中身が追いついていなければただの人間だ。


 それとも、やりようはあったのだろうか。

 俺が本気になって修行していれば、ソフィアと同等の力を身につける手段があったのではないか。

 だとしたら、いきなり学校に行くルートは失敗か。


 ……虚しい。やるせない。

 やり切れない思いでいっぱいだ。


 今さらなにを思ったって、もうセシリアは救えない。

 救えないのだ。俺のせいで。


「俺の、馬鹿野郎……」


 沈んでいく。

 深く深く、沈んでいく。



 どれくらい時間が経っただろう。

 この場所に時間の概念があるのかはわからないが、ふと意識が返った時。


 目の前に、赤い珠が浮かんでいた。


「これは……」


 以前も見た事がある。

 あの時は、セシリアに引き戻してもらったんだっけ。


 今はあの時よりも近く、大きくなって、目の前にふわふわと浮かんでいる。


 藁にもすがる思い、とでも言うのか。

 あれだけ触れることを躊躇したこの珠に、今は触れたくてたまらなかった。


 触れたらどうなるのか。取り返しのつかないことになるのではないか。

 そんなことを考えながら、振り切る。


 どうせもう、取り返しはつかないのだ。

 ならば、この先を見てみてもいいだろう。


 そう言い聞かせ、その珠にゆっくりと触れる。

 途端、世界が弾けて、眩い白が俺を包んだ。



 一転して、真っ白の空間。

 視線を落とすと、見慣れた俺の身体があった。

 前世としては最後の記憶となる、あの日のまんまの服装で。


「これ――ソフィアじゃない……俺の身体……」

 

「遅かったね。来ないのかと思った」


 真後ろで声がして、肩が跳ねる。

 咄嗟に振り向くと、この二ヶ月でやっと見慣れ始めてきた俺の身体がそこにあった。


「お、俺……?」

「そ。私はあなた。あなたは私。魂は違うけど」


 違う。

 俺じゃない。

 この口調。気だるげな目つき。

 内面を全く透かさない表情。


 覚えがある。いや。

 知っている。よく知っている。


 まさに、俺が狂おしいほど求めていた存在。

 それに、他ならなかった。


「……ソフィア」

「あなたもね」


 涙が出そうだった。

 やるせなさや、感動、無力さへの怒りで、俺の情緒はぐちゃぐちゃだ。


 もし本当にソフィアに会えたら何を言うべきか。何を聞くべきか。

 そんなこと、そりゃ妄想したことはある。


 だけど、今一番言いたかったのはやっぱり文句だった。


「なんだよ、なんだよ……! 終わってから現れやがって……! なにが『冥王』だ! 救いたかったただひとりの人も救えない! なんの役にも立てない! こんな思いをするなら、あんたになんかなりたくなかった!」


 力が欲しかった。大切な人を守れる、圧倒的な力が。

 ソフィアの形をした俺には、それがなかった。

 いくら覚悟を決めても、その覚悟に魂がついていかなかった。


「……あなたには『冥気』がないもの」

「『冥気』!? そんなものがないと魔法のひとつも使えないのかよ! それに、マスティマは言ったんだ。俺の中には確かに冥気があるって。時が来れば使えるようになるって……。あの時! エリシアが血を流している時に使えないのなら! そんなの存在しないのと一緒じゃないか!」

「『冥気』は私の力の根幹。冥気があればなんでもできるけど、ないと何もできない。……マスティマは、あなたを通して私を見ていたんだよ」


 俺を通して、ソフィアを――。

 

 つまり、どういうことだ。

 俺の解釈が間違っていなければ。

 今ソフィアが言った言葉が真実なら。


 間違っていてほしかった。

 でも、そうとしか解釈できなかった。


「俺は、絶対に魔法を使えなかったってことか……?」

「……そう」

「どれだけ努力をしても、どんな選択をしても、エリシアは……救えなかったってことなのか……?」


 ソフィアは何も答えなかった。

 ただ、いつも通りの無表情でそこに立っていた。


 俺が絶句していると、しばらくしてソフィアが口を開く。


「聞いて」

「うるさい! なんなんだよ、もう! 無駄にこの世界に来させられて! 無駄に死んで! もうほっといてくれよ!」

「聞いて」

「やめてくれ! もう、もう俺はなにも――」

「――いいから聞いて!」


 鼓膜がピリピリと震えた。

 叫び声――誰の?

 俺じゃない。


 じゃあ、まさか――ソフィアが?

 作中で感情らしい感情を全くと言っていいほど見せなかったあのソフィアが、叫び声を……?


 呆気に取られた俺は、自然と口を噤んでいた。

 その様子を見て、無表情のソフィアは話を続ける。


「あなたはまだ死んでない。魂と肉体は、今も離れずに染み付いてる」

「――っ、死んで、ない……?」

「でももうすぐ死ぬ。死んだら終わり。私も死ぬ。私とあなたは一心同体。だから」


 ソフィアが力強く一歩踏みしめる。

 頭一個分以上も小さいソフィアに見上げられた俺は、その目の奥に確かな意思を感じた。

 それがどんな意思なのかまでは、察することができなかったが。


「――あなたの身体を私に貸して。私ならその傷を治せる」

「身体を、貸す……? そんなの、どうやって……」

「私の魂が結びつかないのは、あなたの魂と上手く重なってないから。――覚悟を決めて。本当の意味で、私と一緒になる覚悟」


 ソフィアと一緒になる覚悟。

 曖昧な言葉だが、すんなりと理解できた。


 今までの俺は、どこか『ソフィア』と『俺』を別に考えていた。

 俺の感覚からすると当たり前の話だ。

 前世で生きた時間の方が圧倒的に長いし、彼女はゲーム内のキャラクターであるという前提がある。


 だけど。もうとっくに、違かったんだ。

 俺は――『俺』であり、『ソフィア』だ。

 同一の存在。この世界で『冥王』として君臨する、支配者だ。


「俺は――『私』は、ソフィア。『冥王』ソフィア・サタンハルト」


 ストンと胸の中に落ちた音を聞いて、私は再び闇の中に沈んでいった。

 深く、深く。



「ソフィ、ア……」

「ふん。魔族が人族の、それも呪子を庇うとはな。滑稽な事だ。喜ぶといい、すぐに同じ場所に送ってやる」

「――っ、ぁぁあ!」


 女は無我夢中に魔法を撃つ。

 もう教室ごと、学舎ごと、世界ごと焼いてしまえ。そう思いながら。


「――【雨霧】」


 しかし、その思いは届かない。

 いとも簡単に打ち消され、目の前の男、親友の仇にすら届かない。

 それでも目に涙を溜めながら、無我夢中で撃つ。撃ち続ける。


「――ぁぁぁぁああああ!!」

「――おい、あれ……」


 対峙する学徒たちは、違和感に気づく。

 その違和感は一瞬で疑念に変わり、驚愕に染まる。


「――馬鹿な。致命傷だったはずだ」

「う、腕が……! 生えて……」


 ゆっくりと立ち上がる白髪の少女。

 失ったはずの右腕が再生し、傷はみるみるうちに全てふさがっていった。


「そ、ソフィ――」

「――――」


 その眼光に射止められたものは、本能的な恐怖に震え上がった。

 明らかに異質だった。

 今まで見てきた彼女の姿が、なにかの冗談だったかのように。


「ソフィア、だよね……?」


 ただ一人を除いて、誰も声を発することができない。

 腰を抜かし、涙を浮かべる者もいた。


「――フェイレス」


 ただ一言、白髪の少女が呟いた瞬間、学舎は燃え盛り、瓦礫となった。

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