12.『魔族と呪子』
運命というものが原作のストーリーラインによって定められた未来のことを言うのだとしたら、きっと運命はあるのだろう。
ソフィアは死ぬ。
セシリアも主人公を産んですぐに死ぬ。
最後に笑うのは主人公と、その仲間たち、そして彼らに希望を託した多くの民だけだ。
それは運命と言えるのだろう。
くだらない。
そもそも俺は、その運命を変えるために今生きているのだ。
なあ、わかるだろ、ソフィア。
お前だってそんな結末、望んでいなかっただろ?
なんて、馬鹿馬鹿しい問い掛けだ。
所詮彼女はプログラムの集合体。本当に生きていたわけではない。
あくまでゲームの、フィクションの中だけの存在だ。
だったら、ソフィアの本当の意思が分かる人間がいたとすれば、俺しかいない。
俺なら、分かる。
――そんな運命、クソ喰らえってな。
■
「――し、しろ」
「こ、これ……ま、魔族……」
「――ま、魔族だぁぁああ!」
一瞬の静寂。
そのすぐあと、弾けるように阿鼻叫喚が教室中を包んだ。
自然と、俺を中心に円を描くように人が離れる。
咄嗟に最大限離れるにはそうするしかなかったんだろう。
四方八方、まるで取り囲まれた俺と、その足元で未だ膝をつくセシリア。
瞬きの間に世界が敵に回ってしまったような錯覚すらした。
昨日まで、俺だって普通に振る舞っていたんだけどな。
仲がいいヤツこそひとりもいないが、一応は人間として扱われて。
これがこうも一転するとは、寂しいものだ。
だけど、これがきっと正しい形。
昨日までの俺が、おかしかったのだ。
「……セシリア。俺はもうここにはいられない。すぐにでも姿を隠すけど、一緒にくる?」
「――。ソフィ、ア……あなたは」
俺自身は非力なものだ。
しかしこれでも、俺には頼れる仲間がいる。
マスティマに頼めば、彼ならセシリアのひとりくらいは匿ってくれるだろう。
その場合はセシリアに家を捨てさせることになるが……こんな場所に居続けるのとどっちがマシな暮らしか、それは俺にはわからない。
なんにせよ、今なら。
誰もが呆気に取られ、恐れられている今なら。
逃げ出すことも容易だろう。
――そう思っていたのは、俺の考えの甘さからだ。
この騒ぎの中でもひとり、たったひとりだけは、冷静に大局を見ていた。
「そうはさせまいよ。今この場で貴様らを見失うということは、『呪子』と『魔族』、ふたつの厄災を世に放つことを意味する。ネスラーの名において、到底看過できる事ではないな」
「ク、クリストフ様……! ですが、魔族を相手取るなど……!」
「セシリア・エーベル・リヒトライトはともかく、その魔族の魔法精度は貴様らも知るところであろう。スクロールを持ち出してまで魔法に固執するのであれば、あれが演技とも思えん」
セシリアの持っていた大量のスクロール。
あれが俺のためのものであると、クリストフは当たり前のように看破していた。
まずいな。その通りだ。
俺は魔法をまともに使えない。
スクロールがあれば使えるが、クリストフのあの落ち着きぶりを見れば、なにか対策のやりようがあるのだろう。
「セシリア・エーベル・リヒトライトの中級魔法は厄介だが――こちらは多勢だ。周りを見よ」
「――――」
クリストフのその言葉で、俺たちを取り囲むヤツらは銘々に顔を見合せ始めた。
彼らの表情に自信と、奮い立つ何かが現れていく。
さっきまでは恐れて離れていただけだったはずの距離が、今は俺たちを狩るための陣形に見える。
「しかし、リヒトライトを敵に回すというのは……」
「相手は『魔族』と、それに与する『呪子』だ。殺しても罪には問われん。いや、むしろ褒美が出るほどであろうよ。遠慮はいらぬ」
「な、なるほど……」
「貴様らはこの学舎で何を学んだ? 今こそ、誇りを見せん時であろう! ――【雨穿】」
対話の余地もなく、クリストフが魔法を行使する。
いとも簡単に指先に集められた魔力が、青く形を持って具現化した。
瞬く間に教室の中は雨に晒され、目を開いていることすら困難な雨風が俺たちを襲う。
何をすればいいのか分からないまま、俺は両手を広げてしゃがみこんだ。
せめて。
せめてセシリアだけは、守らなくちゃ――。
「――【炎光芒】」
「――――」
眩い紅が教室を包む。
目を開けた時、すでに雨は止んでいた。
セシリアだ。
一瞬の判断で最適な魔法を使い、雨を蒸発させたらしい。
俺はその魔法の応酬を、わけも分からず見ていることしかできない。
「――ソフィア。ここは私がなんとかする。逃げて」
「っ、そんなこと!」
「……ごめん。ちょっと強がっちゃった。多分なんとかはできない。長くもたないと思うから、お願い。急いで逃げて」
そう告げるセシリアと目は合わない。
彼女は瞬きもせず、じっとクリストフの出方を窺っている。
その額には汗が滲んでいて、察した。
俺は足でまといだ。
せめてセシリアが持ってきてくれたスクロールがあれば、と手を伸ばそうとして、気づく。
スクロールに使用される材料は特殊な素材とはいえ、その性質は紙によく似ている。
セシリアが俺のために用意してくれたスクロールは、さっきの豪雨でふやけ、やぶれてしまっていた。
魔族のくせに。
ラスボスのくせに。
俺は彼女の邪魔しかできない。
どうしても助けたい相手を助ける手段を、俺は持たない。
腹を括っても、心を変えても、実力が追いつかないのなら意味はない。
だからって、彼女たちの戦いをただ見ていることも、できなかった。
■
「――【牙紅盾】!」
「――【風刃】」
「――【風刃】」
「――【風刃】」
「――【炎迴波】!」
「――【風刃】」
「――【風刃】」
「――【風刃】」
傍から見ても、セシリアの扱う魔法は凄まじいものだった。
被害の大きさを考えてか、最初は様子を見ながら控えめに撃っていた魔法も、正面からかき消されるとわかってからは遠慮がなくなっていった。
火事と見紛うほどの火炎が教室を包み、対するクラスメイトたちは講義で習った初級魔法でそれに対抗する。
本来であれば決して敵うはずのない力量差。
それを無理矢理に埋めるのは圧倒的な数の暴力と、
「――【蒼穹霧】」
クリストフの存在だ。
彼だけは、たったひとりでエリシアの実力と拮抗している。
彼とエリシアの魔法が1:1である以上、この戦いは続けば続くほどエリシアが不利になっていく。
生傷が増え、血が吹き出す。
「……はぁ、はぁ」
「流石の貴様も限界が近いらしい。安心しろ、一思いに楽にしてやる。――【流牢刃】」
負ける。
エリシアが負けてしまう。
負けるとどうなる?
殺されるのか? そこまでする必要は無いはずだ。
――いや。
もとより、彼らはエリシアを殺すつもりで魔法を放っているのだろう。
あまりにも掛け離れた実力差がそれを許さないだけで、なにか歯車が噛み合ってしまったらあっという間にエリシアは死ぬ。
死んでしまう。
あのエリシアが。
いなくなってしまう。
途端に、その最悪の未来が現実味を帯びて襲い来る。
嫌だ。
エリシアが死ぬなんて嫌だ。
「――う、ぁぁぁあああ!!」
「――ぇ」
咄嗟に、衣服の下に隠し持っていたスクロールに手をかざす。
小さな突風を引き起こすだけの、【青嵐】という魔法。
わかってる。悪あがきだ。
なにかあった時のために常に隠し持っていたが、今のこの場においては何の意味もないような弱すぎる魔法。
むしろエリシアの邪魔にすらなりかねなくて、今の今まで使えなかった。
だけどそんなのはもう、俺の頭にない。
必死だった。
とにかく、とめどなく襲う魔法の群れからエリシアを少しでも遠ざけるために。
一秒でも、エリシアを長く生きさせるために。
俺は小さな突風を纏いながら、わけもわからずセシリアを突き飛ばした。
触れた身体は細くて、柔らかくて、あっという間に姿勢を崩していく。
あんなに頼もしくて強いエリシアでも、こうやって押されたら簡単に突き飛ばされちゃうくらい、ひとりの女の子なんだなと改めて思った。
そして呆気に取られたような表情で突き飛ばされる彼女の表情と、宙を舞う俺の右腕が、最後に見た光景だった。
暗闇に、沈んでいく。
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