7.『灼けるほど鮮やかな彼女』


 その人は、まっすぐに俺を見ていた。

 別に力強いわけでも、鋭いわけでもないのに、その眼光に射止められた俺は身動きひとつ取れなくなっている。


 灼けるほど鮮やかな髪と同じ色の瞳。

 この世界では多様な色の髪や瞳が見られるが、赤というのは珍しい。


 そういう意味では白髪に金瞳のソフィアも珍しい(というかラスボスのキャラデザ的な意味で唯一無二)が、それと同じくらい見かけない色だ。


 どこにいても目立ちそうな彼女に今の今まで気づかなかったのは、自分の視野がどれだけ狭くなっていたかを理解させる。


「? どうしたの、ぼーっとして」

「あぁ、いや……なんでもないよ」

「そう? じゃ、目を閉じてみて」


 この魔法学校に入学して二日。

 思えば、生徒と会話をするのはこれが初めてだ。

 周りは早くもコミュニティを形成しつつある中、俺は避けられていたのだろうか。


 まぁ実際、俺だけ明らかに浮いてるしな……。

 今度仕立て屋にでも行っていい感じの衣装を見繕ってもらおうかな。


 さて。

 そんな怪しいヤツにも臆することなく話しかけてくれたこの人に促されて、俺は目を閉じた。


 当たり前だが、何も見えない。

 真っ暗の中に、隙間からあたたかな陽の光を感じる。

 穏やかで、ぽかぽかだ。気持ちいい。


 でも、それだけだ。

 魔力なんて感じられない。


「目を閉じたって……」

「いいから、そのまま頭空っぽにしてみて。それで、じっと集中するの。そしたら身体中をじんわりと巡っているものに気がつくでしょ?」


 じっと集中。集中。

 何も考えるな。身体の内側にだけ意識を集めるんだ。


 魔力の流れ。

 それがどんなものかはわからない。

 身体の中の何かに気がついたとして、それが本当に魔力なのかすらもわからないだろう。


 だけど、すっと沈んだ精神の奥に、なにやら赤い光を見つけた。

 小さな珠だ。ぼんやりと赤く照る、ほんの小さな珠。


 手を伸ばしても届かなくて、追いかけても足りなくて、どうしようもなくもどかしくなった時、もっと深く沈んでいけば近づくことに気づいた。


 意識を閉じ込めて、深く沈む。

 もっともっと、沈んでいく。


 あと少しで手が届きそうになって、必死に手を伸ばして、やっと触れられると思った瞬間――、


「――――」


 力強く腕を掴まれた感触で、俺の意識は現実に戻された。


「え――え? あれ、俺……」

「だ、大丈夫? あなた、抜け殻みたいな目をして、どこかここじゃない場所に行っちゃうんじゃないかと思った」


 さらりと風が通り抜けて、自分が学舎の外に立っていることを思い出す。

 すると、さっきまでの暗い場所はすでに遠くに消えていることに気づいた。

 なんだったんだ、今の。


 不思議な感覚だった。

 俺の意思とは関係なく、ただ暗闇に落ちていくような感覚。


 なんとなく、戻ってこられてよかった気がする。

 そう思いながら視線を落とした。

 ソフィアの身体だ。


 俺の見知った身体ではないし、まだまだ付き合いは浅いが、今の俺の現実と言っていいもの。

 ほっと息を吐いたのち、俺の腕から伸びるもうひとつの腕に目がいった。

 この子が止めてくれたのだろう。


「――ありがとう。なんか、ちょっとぼーっとしてた」

「え? あ、うん、どういたしまして! 今のって、どうしたの?」

「わかんないけど……」


 よく似ているように見えても、ここはもう俺の常識が通用しない世界だ。

 変なことをして、取り返しがつかなくなる可能性だってゼロじゃない。


 気をつけなくちゃな。どう気をつければいいのかはよくわからないが。


「たぶん、もう大丈夫」

「そっか。それならよかった」


 さて、無事に戻ってこられた俺だが、残念なことに当初の課題はなんら解決していない。

 魔法どうやって出すの。


 彼女の言うとおりにしたら何やらヤバそうなことになったし。


「目をつぶると、あなたにとってよくないことが起こるの?」

「うーん、どうなんだろう。……うん、たぶんそう」

「そっか……」


 そう言うと、彼女は黙り込んでしまった。

 顎に手を当てて、何かを考えているような様子だ。


 もしかして俺のために色々考えてくれているのだろうか。

 さっき初めて話したばかりの得体も知れないヤツにそんな優しさを向けられるなんて、出来た人だなぁ。


「じゃあ、こうしよっか。はい」


 そう言って、彼女は俺に右手を差し出した。

 手のひら側を上にして、まるで俺に手を差し伸べているようだ。


 とりあえず俺はその手を握ってみた。

 あったかい。お日様みたいな手だ。


「違うよ!」

「え?」


 違うらしい。

 正直俺も薄々違うんじゃないかと思ってた。

 でもせっかくなので握らせていただいた。

 すべすべだった。


「違うっていうか、ほら、手首の方を握ってみて?」

「手首?」


 衝撃の事実。

 いきなり不躾にもその手を握りしめた俺だったが、半分くらいは合ってたらしい。


 言われるがまま手首を握ると、彼女はそのまま例の初級魔法を発動させた。


「――【灯火】」

「おぉ……」


 ぼんやりと素朴な灯りが、明るい昼の空をさらに照らす。

 目の前で行使された魔法は、やっぱり俺の知るゲーム上での体験よりも感動的なものだった。


 風のよそぐ匂い。日差しが目を刺すほのかな痛み。

 人の体温。そして、魔法。


 ゲームにはなかった『現実味』に、俺の心は改めて奪われていく。


 そして――、


「これは……なるほど」


 彼女の手首。

 脈のほかにもうひとつ、彼女を伝う流れがあることに気づく。


 どくどくと、ゆっくりと、だけど確かに巡っている。

 なるほど、これが魔力か。


「どう? 感じた?」

「うん、しっかりと」


 視線を交わして、もうこれ以上言葉はいらないとばかりに、俺たちは笑みをこぼした。


 確かにあるのだ。

 目を閉じずとも、魔力は俺の中に。


 彼女が見本を見せてくれたから、あとはその感覚を忘れないように、探すだけ。

 彼女の手首で見つけたソレを、今度は俺の手首から見つければいい。


 ぎゅっと自分の手首を掴む。

 真っ先に感じるのは脈だ。

 きっとこの世界では魔力も脈と同じように、生きている証なのだろう。


 だから、必ずある。

 魔力、魔力――。

 

「全然わかんない」

「えぇ!? おかしいなぁ、絶対にあるはずなんだけど……」


 全然わかんなかった。

 彼女の手首からはすぐに感じられたモノが。

 俺にあると思えなかった。


 もしかして、俺が転生体だからだろうか。

 この世界で生まれ育った人間であれば生まれつき自然に感じられる魔力の流れを、前世の記憶が邪魔をして感じ取れないのではないか。


 絶対音感は五歳までにトレーニングを始めないと決して身につかないと聞いたことがある。

 言語もそうだ。大人になってからでは身につきづらい。


 魔力の扱いがそれと同じようなものであれば。

 俺は四千歳だ。おしまいだ。


「俺って一生魔法使えないのかな……」

「そ、そんなに落ち込まなくても大丈夫! 絶対できるようになるって! そのための学校なんだから!」

「あぁ、うん、ありがと……」


 空返事を投げながら、俺は落胆していた。

 そりゃそうだ。

 せっかく憧れの世界――剣と魔法の世界で、ラスボスとして生を受けることができたのに。


 魔法が使えないとか。

 なんのための転生だよ。


 いやいや、諦めるにはまだ早い。

 鍛錬だ。

 ひょっとしたら、卒業するまでにはひとつくらい魔法が使えるようになっているかもしれない。


 そのペースじゃ除名だろうけど……。


「はぁ……」

「ね、ねぇ。名前、教えて?」


 その言葉に思わず落とした視線を持ち上げて、改めてその人と目を合わせる。

 そうだ。俺は名乗ってすらいなかった。

 この人の名前だって知らない。


 不甲斐ない俺だけど、この人に見限られないうちは仲良くしたいものだ。


「俺は、ソフィア――ソフィアです。よろしくお願いします」

「ソフィアね。綺麗な名前……」


 その言葉に応えることはせず、俺は彼女の言葉を待つ。


 あぁ、まただ。

 この人には不思議な力がある。

 頭の奥を痺れさせるような、そんな魔力が。

 

 見つめた深紅の瞳は、どこまでも深く澄んでいた。

 やがて薄い唇が震えて、彼女は言葉を紡ぐ。


「――私はセシリア。よろしくね、ソフィア」


 これが、ソフィアとセシリア――壮絶な運命を抱えるふたりの出会いだった。

 

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