9
車内では眠気に襲われていたのに、実際には夕暮れを迎えてもわたしの意識はハッキリとしたままだった。日が沈み、気温が下がったことが意識を保つことに影響しているのかは不明だが、眠ることなく悠人と星を見ることが出来そうだった。
「寒くないか、美幸?」
「寒くはないけど、ちょっと狭いかもね……」
そして現在。悠人は防寒として持ってきた毛布を広げ、そのままわたしごと包み込んでいた。閉ざされた空間は外界と隔絶され、わたしの身体を温めてくれた。
「ワンピースだと寒くないのか?」
「寒くないよ。別にそれだけしか着てないわけじゃないから。肌も出てないし」
「確かに、それもそうだな」
そう言った悠人は軽い笑みを浮かべると瞳を頭上へと向けた。わたしもそれに倣うと共に、夜空を燦々と照らす光景がわたし達の目に飛び込んでくる。
「おぉ、これが……」
視界を埋め尽くす星を眺めながら、悠人は言葉にならない声を上げる。
周囲にある光源だけでは煌めく星々を遮ることは出来ない。太陽に隠されていた輝きが今では天を覆い尽くし、その姿を水面にまで届かせていた。
「都会だと見れないもんな、これは」
「どうして都会だと見えなくなるの?」
「それは人が持つ目の性質だな。人の目は明るいと入ってくる光を減らそうとして、逆に暗いと少しでも視界を確保するために小さな光すらも取り込もうとするんだ。今みたいに暗くて光がない場所だと、俺達は遠い場所から光る星々を認識することが出来るけど、都会だと周りの光が強すぎてその姿が見えなくなってしまうんだ」
「へぇ、こんなに堂々と光ってるのに、周りが明るかったら見えなくなるんだ」
「だからあの二人はここまで連れてきたんだろう。それともう一つ、都会が明るいからといって全部が見えなくなるわけじゃないからな。それでもここの景色とじゃ見え方は違うはずだ」
「……そっか。でも別に星だって一人で光ったり消えたりしてるわけじゃないよね?」
「ああ、そうだ。俺達は暗くなってからようやくその輝きを見ることが出来るけど、星自体は変わることなくずっと俺たちのことを照らしてくれてる。俺達はそのことに気づかないだけで、星は現れたり消えたりしてるわけじゃない。美幸の言う通りだな」
悠人は見ることが出来る光景全てをカメラのフィルムに収めるように、目を開き、眼球を動かしながら、その鋭い眼差しで自身の記憶に焼き付けようとしていた。
わたしはこの温もりに包まれながらふと、ある疑問が生まれた。
わたし達を遥か彼方から見守っている星々。彼らは一体いつからそこに存在していたのだろうか。人の一生では想像も出来ない歳月を過ごし、人が空を見上げる以前から幾度も消滅と誕生を繰り返し、今日に至るまで決してその輝きを失わない彼らからすれば、わたし達のことなんて取るに足らない塵芥でしかないのだろうか。たった数十年のわたし達の命に、果たして何が出来るというのだろうか。
「……そういえば悠人に聞いてみたかったことがあるんだけど……」
「お、なんだ?俺は現在進行形で気分がいいから何でも答えてやるぞ」
悠人は目を輝かせながらわたしの顔を見詰めた。その輝きは今なおわたし達の頭上を照らす星々に決して劣るものではなかった。
「……どうして初めて会った時、わたしのことを受け止めてくれたの?」
今までずっと気になっていたこと。それはお母さんに連れられて、初めて世界に足を踏み出した時のことだ。
自分の力では立ち上がることが出来なかったわたしのことを、結果的に悠人とわたしは一緒に倒れることになったけど、その時からわたしのことを気にかけてくれていた。それまでは当然、わたしと悠人の間には何もない。だからあの時、わたし一人が倒れてしまっても仕方がないことなのに、悠人がわざわざ身を挺してまでわたしのことを支えてくれた理由が分からなかった。
「そう言われても困るなぁ」
穏やかな口調で話す悠人。その眼差しはここではない遠くに向けられているように感じた。
「言いたくないなら別にいいよ。昔の話だしね……」
「いや、そういうことじゃない。美幸に言いたくないんじゃなくて、言うことがないんだよ」
「それってどういうこと?別に覚えてないわけじゃないの?」
「ああ、違うぞ。今でもあの日のことは鮮明に覚えてる。あの時は物語に出てくる城みたいな見たこともない場所に来たかと思ったら、中から母さんが女の子を抱えて出てきたんだよ。一応事前に聞いてはいたけど、それでもビックリしたっけな」
「……そうなんだ」
わたしは家族の昔話をしてくれることより、悠人が出会った日のことを今でも覚えてくれていたことに胸が温かくなった。
「あんな小っちゃかったのに、今じゃこうやって一緒に星を見てるなんてなぁ」
「……それはお互い様じゃん。それより聞かせてよ。言うことがないってどういうことなの?」
「そう難しく考えるなよ、美幸。話は簡単でな。要はあの時も今も、こうして一緒にいることに理由なんてないんだ。強いて言うなら俺がそうしたいから。これだけ。打算も善意でもない。そうしたいからそうしてる。単純だろ?」
「……それだけなの?」
「それだけなんだよなぁ。俺と美幸が一緒にいることに俺自身は大層な考えなんて持ち合わせてないぞ。もしかしたら美幸が期待したような答えじゃなかったかもしれないけど、俺はこうして美幸と一緒に同じ景色を見て、こうやって普段とは違う話をするのが好きってだけなんだ。一人じゃつまらないものでも美幸と一緒だとよかったって思えるから、俺は今も昔も一緒に居るんだよ。美幸だってそうだろ?理由なんてもの、俺達は並べようとしたらいくらでも並べることは出来る。でも結局のところ、俺たちはお互いこうしたくてしてるだけでしかない。理由なんてものは後から考えて出来た付加価値。違うか?」
悠人は頭上で輝く星を見ることなく、真っ直ぐな視線をわたしに向けた。
「……そうだね。悠人の言う通りだよ」
「だろ?」
わたしが悠人の言葉に頷くと悠人は得意げな顔をしてみせた。
悠人は当たり前のように言ってのけたけど、わたしには今までそんなことを言ってくれた人は一人もいなかったんだよ。
悠人は当たり前のように言ってくれたことは、わたしがどれだけ手を伸ばしても届かなかったものなんだよ。
でもそんなこと、悠人が知る必要はない。
大切なのはわたし達が今こうして同じものを見て、感じて、そのことに感動していることそのもので、この感動は悠人と一緒に見ることでしか感じることが出来なかったものだ。
そして悠人もわたしと同じように、この瞬間を愛おしく感じてくれているならば、この星の下に生まれた意味があったと、わたしは心の底から言えることだろう。
もしわたしがいることで、悠人が幸福だと言ってくれるなら、この命も捨てたものじゃない。そして、わたしがそう言えるのはやっぱり、悠人がここに居てくれたからだ。
だからどうか、この気持ちが届いてくれることを、いつも傍で見守ってくれている星々に聞いてほしかった。
――ありがとう
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