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生まれて初めて自分がやりたいことを見つけたわたしは、まず悠人に対して何ができるのかを、気持ちを新たにして再び考えることにした。
運動も勉強もわたしに比べて難なくこなしてしまう悠人に、わざわざわたしが手を貸す必要もない。むしろわたしの方が悠人の助けを必要とすることが多かった。
そんなわたしにできることがあるのかを四六時中考えていた時、新たな視点をくれたのがお母さんの何気ない言葉だった。
「悠人は好きな女の子とかいるの?」
「いや、別にいないけど。母さんは我が子の色恋沙汰に興味でもあるのか?」
悠人がこの話題に触れた時、わたしは聞きたいけど聞きたくない。そんな感情を抱いた。それが一体どういったものかまでは分からなかった。
「そりゃあねぇ、お母さんとしては子供の将来が気になるのよぉ。それに女の子はそういう話が好きだからねー」
「……女の子って呼ばれるような年でもないだろ」
「失礼だなぁ。わたしはいつだってうら若き乙女だしぃ。それにわたし、言うほど年老いて見えるかな。これでも商店街の人たちはわたしと美幸が姉妹みたいだって言ってくれる人もいるのにね」
「社交辞令だって」
「そんなことないよ。ねぇ、美幸」
「……どうでしょうね」
「ほら、美幸だってこう言ってるじゃねぇかよ」
「ええ!?嘘でしょ!」
「現実を見ろよ、母さん」
「やだよー。わたしはそんなことないって思うし。輝夜くんもそう思うよね?」
「ああ、明莉は変わらず可愛いし、他の女なんて眼中にもないな」
「ほらぁ、輝夜くんはこう言ってくれてるもんね」
「父さんに聞いたらそうなるだろ……。もう聞き飽きたから」
「軽く流さないでよー。こういう些細なことが人生で大切なものだったりするんだからね、悠人。んで、それより結局どうなの?好きな人、できた?」
お母さんの言葉が無性にわたしの何かをざわつかせる。衝動的に自分の耳を天使にも悪魔にでも塞いでもらいたかった。
「そんな人、いるわけないだろ」
聞き慣れた声がわたしの耳に届く。
その瞬間、さっきまで感じていたものがいつの間にか消え去り、無意識の内に深く息を吐いていた。
「へぇ、いないんだ。先生が悠人はクラスの人気者って言うから、てっきりそういう人もいるのかなって思ったんだけどね」
「確かに周りに人は多いかもしれないけど、多いからってその全員が友達ってわけでもないぞ。その中にはどんな人間かも分からないヤツだっているんだし。そもそも俺と一緒にいるのは俺と仲良くしたいんじゃなくてその中にいる誰かと遊びたいだけかもしれないしな。他人からしたら人気者に見えるかもしれないけど、そんなの俺が望んだことでもない。まぁ人が多いからこそ出来ることもあるから一概に悪いことばかりでもないけど、だからってその中にいる全員のことが好きなわけでもないしな」
「そっかぁ。お母さんとしてはわたし達みたいに素敵な人と出会って、恋をして、幸せになってほしいけどなぁ。それに悠人の結婚式に母親として出席してみたいしね」
「それは未来の俺に任せるとしよう。少なくとも今のところは恋人もお嫁さんも存在しないな。それに今だって十分幸せだし。仲が良すぎる両親に、大切な妹までいるんだぞ。そもそも結婚することが幸せとも限らないしな」
どうでもよさそうに吐き捨てた悠人。そんな悠人に向かって、お母さんが軽い口調で告げる。
「じゃあいっそのこと美幸と結婚したら?」
「……いきなり何言い出してんだ。俺と美幸は兄妹だぞ。無理に決まってるだろ」
呆れたような声が悠人から零れ落ちる。それでもお母さんは表情を変えたりせず、平常通りに見えた。
「なんで?」
「そんなの誰もが知ってることだろ。そういう決まりがあることなんて。誰がそんなことを許してくれると思ってんだ」
「わかってるけどさぁ。でも、それこそ誰の許しが必要なの?別に二人の子供を作れとか言ってるわけでもないんだし。悠人も美幸のこと好きでしょ?」
「好きだとしても結婚するってなると話は別だろ」
「一緒でしょ?好きだから結婚するんじゃん。お互い好きなのに結婚しちゃいけないなんて意味わかんないし。美幸だって悠人のこと好きでしょ?」
真っ直ぐな眼差しがわたしに注がれる。でもわたしにはお母さんの言葉に返事をする余裕なんてなかった。
「ほら、美幸だって困ってるじゃねぇかよ。もうこんな話は終わりだ」
「えぇ~。わたしは悠人の結婚式が見たいだけなのに。美幸だったら悠人のこと安心して任せられるのになぁ」
「結婚云々は俺が大きくなってからにしてくれ。まだガキの俺にそんなこと言われても困るだけだし」
「はーい。じゃあその時になったらまた同じこと聞くからね。覚悟しろよ~」
「はいはい」
気づけば終わっていた何気ない会話だったが、わたしにはこれ以上ないくらい魅力的なアイデアに思えた。
何者にもなれないわたしが悠人のお嫁さんになる。
それはきっと想像もできないくらい幸せなことのように思えた。
わたしは悠人と出会ってから今まで一度もお兄ちゃんなんて呼んだことはない。悠人がわたしの兄であるという意識はあるけど、どうしても悠人のことをお兄ちゃんと呼ぶことを無意識の内に心が拒否していた。
そこにはわたしを妹としてだけでなく、一人の女の子として見てほしい。そんな願望もあったんだろう。
実際、お母さんが言う前から悠人の恋人やお嫁さんになることを何度も夢見てきた。でもそのことを強く願うことと同じぐらい何度も諦めを飲み込んできた。
だってその幻想はわたしだけじゃ叶わないことだって分かってたから。
わたしだけが幸せじゃ意味がない。そう思えばこの気持ちを押し込めておける気がしていた。
それでも諦めきれなかった願いと向き合っていた時、お母さんと悠人の会話で別の選択肢を見つけた。
この家に来てから当たり前のようになっていた『妹』。
悠人のお嫁さんというのは極端なことを言えば誰にでもなることができる。もちろん前提条件があるしそう簡単になれはしないけど、可能性が皆無というわけでもない。
しかし妹はそうじゃない。
悠人が妹になってほしいと言ってなれるものでもないし、他人が妹になりたいと言ってなれるものでもない。
悠人にとって妹というのはわたし以外に存在しない。
妹として悠人と関わることができるのはこの世でわたししかいないんだ。
そのことに気づいたはわたしは、いま一度自分と悠人の関係について振り返ってみた。
果たして、わたしは妹らしく振る舞えてるのか。
わたしじゃなくても悠人に同じような想いに触れさせることはできたんじゃないのか。
今までしてきたことにわたしである必要性はあったのか。
お母さんの言葉から妹ということがどういうことなのか気づくことができた。
恋人でもお嫁さんでもない。
わたしだからこそ、悠人と関わることができる妹という特別な立場。
今まで悠人が差し伸べてくれた手をただ掴むことしかしてこなかったけど、そんなのはわたしじゃなくてもできる。
妹ということにもっと自覚的であるべきだった。そうすれば、わたしは悠人に対して『妹』という他の人にはない感情を与えてあげられる。
それこそ、わたしが悠人にできる唯一のことのように思えてならなかった。
そのためにもわたしは『妹らしさ』を身に着ける。
わたしはお母さんを横目に、新たな目標に向けて歩き出した。
この時のわたしは『妹らしさ』なんていう、今にして思えば笑っちゃうようなこと、本気で考えてたんだよね。
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