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 でもわたしは自分に一体何ができるのかと、果てしない無力に打ちひしがれ、嘆くことになった。

 あの日からわたしは悠人が好きだということを自覚したが、今まで無自覚だったことにも気づくことになった。

「母さん、これ見てくれよ」

「母さん、俺も料理の手伝いぐらい出来るぞ」

 悠人が口を開けば一言目には『母さん』の言葉。

 わたしには向けられたことがない表情を見せる悠人はすごく素敵に輝いてて、その表情を一人で独占しているお母さんのことが羨ましくて妬んだ。

 わたしだって悠人とあんな風に話してほしいし、聞いてほしかった。

 知らない感情と向き合いたくない醜い感情がお母さんと悠人を見てると湧き上がってくることに動揺して、逃げ出したくて仕方がなかった。

 わたしには悠人に何もしてあげられないし、与えられない思うと胸が張り裂けてしまいそうだった。

 自分がこんなにも汚くて、卑しい人間だったことを知った。

 お父さんもお母さんも、悠人だってこんな感情を見せたことはない。

 そのことに気づいた時、わたしはここの子供じゃないという疎外感を感じてしまった。

 お母さんがわたしを迎え入れてくれて、悠人はわたしのことを「家族だ」って言ってくれていたのに、わたしにはその資格がない。

 屋敷に居た頃では知り得なかったたくさんの素敵な感情をくれた温かなこの人たちは、わたしには眩しすぎて一緒の存在には思えなかった。

「相変わらず、美幸は軽いなぁ」

 二人が楽しそうに話す姿を見ていると不意に後ろから大きな腕に持ち上げられた。

「なんだ、美幸。二人の姿をじっと見て、何を考えてるんだ?」

 軽々とわたしを持ち上げたのはお父さんだった。わたしを太ももの上に乗せると後ろから両手が伸びてきて、わたしの前でおさまりよさそうにしていた。

 大きな身体には体温だけでなく、どこから湧いてきたのか分からない安心感があった。

 お父さんに包まれながら、わたしはそれでも二人のことが目から離れなかった。

「あの中に混ざりたいのか?」

 わたしはお父さんの言葉に小さく頷いた。

「それはまた、難しいことをおっしゃりますなぁ、お姫様。あの二人、特に悠人だな。二人は一緒に過ごすことが多いからいろいろと思うことがあるんだろ。いいことも悪いことも全部ひっくるめてな。悠人の方は俺が家に居ない間、明莉を助けるてくれてるから、気づいたらあんな風にべったりだ。悠人は明莉の身体が弱いことをよく知ってるからな。心配する気持ちもあるんだろ。そんな中を割って入るのはなかなか難しいだろうな」

 お父さんは冗談交じりではあったが、わたしに優しく教えてくれた。

「どうすればいいですか?わたしもあんな風に、悠人と話せるようになりたいです」

「うーん、そうだなぁ」

 お父さんはいつも陰ながらわたしたちのことを見守ってくれているが、困っていたらそっと助けてくれた。こういう部分はどこか悠人と似ているな、とも感じていた。

「俺から言わしてもらうとな」

 お父さんが一つ前置きして、わたしの頭を優しく撫でてきた。力加減は全然違うがその手付きはよく悠人がわたしを撫でてくれる感触とそっくりだった。

 わたしは後ろにいるお父さんの顔を見上げた。

「美幸と悠人。二人が一緒の時も割って入るのは難しいぞ」

 予想だにしていなかった言葉に思わず首を傾げた。お父さんが言った言葉の意味が分からなかった。

「俺が言ってる意味、分からないだろ?」

 素直にお父さんの言葉に頷いた。

「気づいてなかったのかもしれないけど、美幸にしか見せない悠人の表情っていうのがあるんだよ。悠人は美幸にやたら優しいのに俺には当たりが強い。そのことは美幸も理解してるだろ?そして俺も悠人にこんな話はしないし、美幸にしかこうやって膝の上に乗っけることはしない」

 お父さんの言葉がじわじわと、わたしの不安を溶かしていってくれる。悠人とお母さんを見ていた時に感じたざわめきが、今はゆっくりと温もりと静けさに包まれていった。

「つまり、その相手にしか見せない表情っていうのがあるんだよ。俺なんて悠人が怒ってる姿ばっかりで笑顔はこうして眺めてる時ぐらいしか見れない。それでもこうやって遠くから見てるだけで満たされるものもあるんだよ」

 今度はポンと頭を優しく叩かれた。

「だから美幸もそういう表情を見つけてみるといい。そうすることで、相手のことをもっと分かるようになって、相手の魅力に気づくことができる。大丈夫だ、悠人は美幸のこと、愛してくれてるから。長い間、お前たちを見てきた父さんが言うんだ。だから安心して、美幸は今まで通り生きていけばいいんだ」

 わたしの気持ちに寄り添いながら、お父さんがたくさん言葉をくれた。

 挫けそうになっていたわたしを奮い立たせてくれた温もりの数々。

 それを受け取る度に、わたしはこの人がお父さんでよかったと、心から思えて仕方がなかった。

 わたしはこの気持ちを伝えたくて、お父さんの大きな胸の中で息をした。硬い胸元には刺激的なニオイを感じたが、わたしの心を安心させてくれた。

「あっ!悠人、見てよ!輝夜くんと美幸がいいことしてるよ」

 遠くからお母さんの声ともう一つ、悠人の足音が近づいてくるのを感じた。

「おい、美幸を泣かせるようなことしてねぇだろうな」

「してねぇよ。この父親がそんなことするように見えるか?」

「加減をしらないようには見えるな。いいから早く――」

「わたしも混ぜてぇぇ!!」

 喧嘩腰の二人の間を割って入るようにお母さんが勢いよくお父さんの胸元に飛び込んできた。

「ちょっ!母さん!」

 お父さんの前にいた悠人ごとお母さんが飛び込んできたので、わたしは押しつぶされそうになった。

「なにやってんだよ、母さん!美幸がいるのにあぶねぇだろうがぁ!」

「輝夜くん!なにわたしを差し置いて美幸を抱きしめてるの!!そこはわたしの場所でしょうがぁ!!!」

「えぇ!?いや、だってそれは美幸が――」

「言い訳なんて聞きたくありませーん。いいから早くぎゅってして」

「話を聞けよ、母さん!!」

 悠人がわたしを抱き寄せて、衝撃から身を守ってくれた。いつもの感触に思わずぎゅっと悠人の身体に縋りついていた。

 その間にお父さんはお母さんに詰め寄られていた。大人同士でふざけ合っている中、悠人はそんな二人に文句を言い続けていた。

 家族全員が団子のように固まっている光景にわたしは笑みを零した。

 まだ完全に納得してはいない。

 母さんのことを羨ましい気持ちもある。

 それでもわたしは、わたしにできることをしていこうと、そう思えることができた。

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