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 階段を降り、靴を履き替えるために下駄箱を目指す。今回から俺と美幸は食堂方面ではなく正門に集合することになった。初日は問題なかったが、それ以降思った以上に放課後の利用者が多いことが判明し、それなら長居せず直接正門で合流することに方針を切り替えた。待っている間は座れないがそれでも不満を零すことなく美幸は承諾してくれた。こちらとしては苦労を強いる形となるため、美幸の態度に少しすく救われた共に罪悪感を覚えた。

 靴を履き替え正門に向かって歩きながら何故か毎回同行してくる仁に、俺はさっきのことについて話を振った。

「それで本当に星野との約束を守るのか?」

 俺に得がなかった話を勝手に進めた張本人は鼻歌交じりに前を歩いている。

「さぁ、正直どうでもいいけど。悠人こそ、それでいいのか?」

「いいも何も俺はそもそも関わりたくないんだよ。お前が勝手に面倒ごとを持ってきたんだろ」

「そうだけど、悠人も結衣ちゃんを見てたら感じただろ」

「何をだよ」

「おいおい、本気で言ってんのか?」

 仁は疑いの目を向けてくるが、俺にはさっぱり分からなかった。

「熱量だよ。結衣ちゃん、転校してすぐお前が居るって知るとオレに接触してきたんだよ。おそらくクラスメイトに聞いたんだろうな、オレと悠人がよく一緒にいること」

「随分積極的にクラスと関わってたんだな」

「そりゃ転校してきたんだからクラスの情報は集めるだろ。ただそれよりも目を引くのが彼女の行動力だ。俺達が遅刻した初日、自由に行動出来た時間が三十分もなかっただろ。そして放課後。終礼の後に俺たちはさっさと教室を出てったから話しかけれたタイミングは二時間目が終わった後のトイレ休憩の時間だけだ」

 仁の話を聞きながら俺は始業式の記憶を遡った。あの日は三時間目で解散だったし、昼休みもない。それに俺達は午前中で学校が終わるとすぐさま教室を出た。一時間目はいない仁と話せるとしたら二時間目と三時間目の間にあるトイレ休憩の時間しかない。そう考えると確かに行動力があるように思えた。

「唯一動けた時間をオレに話しかけてきたんだ。こりゃ簡単に諦めねぇんだろうなって感じたからさっきまで様子見してたのよ」

「弄んでんのかよ。星野もそんな行動力あるなら直接俺に話しかければいいのにな。わざわざ仁を挟む必要あるか?」

「さぁな、面と向かうのが恥ずかしかったのかもよ」

 仁は適当なことを言っているが、星野と対面したときはそんな気配を感じなかった。それとも外面を取り繕ってただけか。どちらにしても結論を出せるほど決定的なものはない。

 ひとまずこの件には区切りをつけ、俺は本題に戻ることにした。

「で、約束のことは結局どうするつもりなんだ」

「オレは約束を守っても守らなくてもどっちでもいいぞ。どう転んでも面白そうだし。ただ正直、結衣ちゃんの態度を見てるとさっさと片付けた方が楽じゃないか。このまま放置でも構わないけど、このまま何もないっていうのは短絡的すぎると思うぞ」

 堂々とした態度で話す仁だが、その余裕を見せる姿が俺の神経を逆撫でさせた。

「なぁ仁。おかしいと思わないか」

「何が?」

 気の抜けた声で返す仁が今の俺には余計に腹立たしかった。

「そもそも俺と星野には一切関りはなかったのに、どうして俺は選択を迫られるんだ。おかしくないか、仁」

「だから!それについてはオレも悪かったとは思ってるんだって!」

 手を合わせながら頭を下げる仁。だが俺もこいつとの付き合いは長い。

「本音は?」

「このまま放置してご立腹の結衣ちゃんがどんな行動するのか見てみたい」

「……最低だな」

 混じり気なく本心からの発言であるから救いようがない。

「酷いなぁ、悠人。オレは自分に正直なだけだぞ。それにこう見えて悠人を巻き込んだことは美幸ちゃんに悪いって思ってるからな。だからさっき、改めて場を設けることを提案したんだ」

「美幸だけじゃなくて俺にも悪いとはならんのか」

「同じようなもんだろ。悠人を心配することと美幸ちゃんを心配することなんて」

 滅茶苦茶なことを言う仁だったが表情は至って真面目だった。

「で、結局どうすんの悠人。放置か、さっさと片付けるか」

 新学期早々、面倒なことが起こり頭を抱えそうになっていると、俺たちは気づけば正門近くまで歩いていた。

「とりあえずこの話はまた今度だ。今は美幸を探そう」

 俺は星野との話を切り上げて目の前のことを優先することにした。言ってしまえば星野のことはどうでもいい。それより美幸を見つけることの方が重要事項だった。

 仁も俺の考えを理解しているのか辺りに目を配らせていた。まだ一年生が入学して日が浅いためか、部活や同好会の勧誘で人が多く見られた。

 俺はこの人混みが落ち着かず、気持ちが焦りだす。

 人が目立つ場所から校舎の隅。あらゆる場所に目を向け、血眼になって美幸を探した。仁は抜けがないように俺たちが通り過ぎた場所を重点に見渡してくれた。

 幸いなことに美幸はすぐ見つけることができた。正門の傍にある大きな桜。それが日陰になっている場所で一人で静かに佇み、時間を気にしながらどこか遠くを眺めていた。風が吹き抜け美しい髪と花びらが舞い踊る。

 視界に飛び込んできた幻想的な光景は物語の世界を切り取ったように見えたが、俺達に気がつくと美幸は表情を緩めながら小走りに駆け寄ってきた。

「遅いよー悠人」

「悪い。ちょっと面倒なことになってな」

 俺は仁に視線を向けるがどこ吹く風な顔で口笛を吹いていた。それを見た美幸も誰のせいなのか理解したようだった。

「もう、仁さん。悠人を困らせないでくださいよ」

「オレもこんなに早いなんて思わなかったんだって。本当ならもっと穏便に済ませたかったよ」

「わたしには何があったか分かりませんが、ならせめて先に悠人には事情を伝えておいてくださいよ。どうせまたコソコソやってたんじゃないですか?」

 美幸は俺が不利益を被ったことに仁を責める。仁も俺ではなく美幸に言われると強気には出れないようで、美幸の目を見て反論の言葉も漏らさなかった。

「悠人は大丈夫そうなの?なにか変なことに巻き込まれてない?」

 心配そうに顔を覗き込んでくる美幸。

「ああ、大丈夫。すぐ終わらせるつもりだから心配するな。美幸の方も待ってる間大丈夫だったか?仁みたいなヤツに絡まれたりとか」

「おい」

 俺の物言いに突っかかってきそうな仁だったが、無視して美幸の話に耳を傾けた。

「うん、何もなかったよ。さっきまで沙希ちゃんと一緒だったんだけど、先輩に呼ばれたらしくて悠人たちが来る前に部活に行っちゃったよ」

 寂しそうな笑みを浮かべて美幸がさっきまでの状況を教えてくれた。

 いつも傍に居る沙希ちゃんが見えなかったから何事かと思っていたが、どうやら俺たちが来るまでは一緒にいたらしい。

 おそらく美幸が一人にならないよう俺が合流まで待っているつもりだったのだろう。沙希ちゃんの思いやりが胸に染み入った。

「そうか。沙希ちゃんはもう部活に入ったのか」

「うん。柔道部らしいよ。これで仁さんをぶっ飛ばすぞー、て意気込んでたよ」

 美幸が小さな拳を作ると俺の腹に軽く触れた。どうやら柔道のつもりらしいが、力を込めてない美幸では俺の身体に被害はなかった。

「オレを倒すだとぉ。随分生意気な口を叩くなぁ、沙希ちゃんは」

 指の関節を鳴らし、挑発するような仕草をする仁。

「分かってると思うが、仁。沙希ちゃんに絶対手を出すなよ。お前が本気でやれば死人が出るからな」

「冗談に決まってるだろ。そんなことしたら後で何されるか分からんしな」

 仁ならやりかねないから一応忠告だけはしておく。

 俺たちが話をしている間も絶え間なく人の出入りが続いている。気のせいかもしれないが周囲に人が集まってきているようにも感じた。

「美幸、沙希ちゃんは戻ってくるとか言ってたか?」

「ううん。悠人が来たら帰っちゃっていいだって。部活で遅くなるのかな」

「なら沙希ちゃんに甘えることにして、俺たちは帰るか」

「そうだね。早く帰って夕飯の準備しなくちゃだし」

 俺が歩き出すと美幸も遅れることなく追いかけてきた。

「おーい、オレのこと忘れてねぇよな?」

 後ろから仁の声が聞こえたが、聞く必要もない。俺と美幸は帰宅への道のりを歩み始めた。


 家に着き、夕飯を食べ終えた俺たちは部屋で自分の時間を過ごしていた。俺と美幸のペンが紙の擦る音を奏でる。

「そういえば美幸ってなんで日記をつけ始めたんだ?」

 美幸の横顔を描きながら以前から気になっていたことを聞いてみる。

「日記はね、最初はお母さんがしてたんだって」

「そうなのか?」

「うん、とはいっても学生の頃だけらしいけどね」

「……知らなかった」

 そもそも母さんは学生時代の話はあまり話したがらなかった。唯一父さんと出会ったのが学生の頃という話しか聞いたことがない。俺には話してくれなかったのに美幸には話していたのか。

 俺は手を止めていた美幸にそのまま聞いてみることにした。

「他になにか母さんは話してたりしてたか?」

「うーん、わたしもそれぐらいしか聞いたことないかな」

「……そうか」

 俺はもう少し母さんの学生時代に興味があったが、知らないなら美幸も話しようがない。

「お母さんもあんまりいい思い出はなかったんだろうね。話してくれた時も楽しそうには見えなかったよ」

「なるほどな。ならどういう経緯で美幸に日記の話をしてくれたんだ?」

 これなら覚えてると思ったかが、美幸は気まずそうな表情をしていた。

「いやぁ、たぶんお母さんは教えてくれてたと思うんだけど、わたしが小さい頃の話だから忘れちゃった」

「そんな前なのか。むしろよく日記の話は覚えてたな」

「印象的だったからね、そこだけは覚えてるの。お母さん、学生の時は嫌なことがあったりしたら日記に全部吐き出してたんだって。誰にも言えないけど自分の中に気持ちを溜め込むのもよくないって。だから自分の気持ちを文字にしてたらしいよ。そうすることで自分を見つめ直すことができる、てお母さんが教えてくれたの」

「美幸は嫌なことがあるから日記をつけ始めたのか?」

「ううん、そんなことじゃないよ。わたしは確認のためかな」

「確認?」

「うん。わたしってあの時嬉しかったんだ、とかそういう自分の気持ちを思い出すためにつけてるの。ほら、わたし忘れっぽいでしょ?だからこうして日記に自分が感じたことを書き留めておくの。そしたら見返した時に自分の感情を思い出せるでしょ。それって大事なことじゃない?」

「さあな、俺にはそれが大事なことかは分からないが、そうやって自分の感情を大切にするのは素敵なことだと思うぞ」

「……うん、ありがと。悠人がそう言ってくれると嬉しくなっちゃうね」

 美幸は日記の縁をなぞりながら呟く。母さんのことは分からなかったが、美幸がどういう思いで日記をつけていたの知ることができて少し嬉しかった。

 そのことを悟られないように俺は再び絵を描き進めた。ただ一度盗み見ると、美幸は何も言わず俺の姿を見詰めながら微笑んでいた。

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