転校生

1

 その後俺たちは午前中に外出をして疲れたこともあって、午後からは家で過ごした。病院行った翌日は予定はなく、何をするわけでもなく家の中で時間を潰した。俺は絵を描き、美幸は本を読む。美幸が本を読むのをやめると俺も腕を止め、一緒に勉強をした。主に美幸が分からない部分を俺が教えるという生徒と教師のような関係だったが、問題を解けて喜んでいる美幸を眺めているとこっちまで嬉しい気持ちになった。

 父さんに会うことはあまりなかったが、俺と美幸は充実した休日を送ることができた。

 そして現在、週明けの初日。長かった授業が終わり、教師の退出を合図に教室から出ていく者、帰るために荷物をまとめる者、その場で友人と談笑を始める者で別れた。

 授業内容は教科書に記されているため、教師が何を言っていたのかは覚えていない。教師に面白さなど求めていないが教材に載っている内容を伝えるだけなら、わざわざ耳を傾けるものではない。俺は授業中の大半を窓の外に視線を向け、体育をしている学生を漠然と眺めて過ごした。

 ようやく実りのない時間が過ぎた今、俺は美幸と合流するために席を立った。そのまま待ち合わせ場所に足を進めようとしていると、仁がクラスの女子と話し込んいるのが視界に映った。

 仁は飄々とした態度を見せているが、見慣れない女子の方はどうやら穏やかじゃない様子だった。その女子は落ち着いた声で話しているため何を言っているのかは分からないが、表情だけだと仁を問い詰め、抗議しているように見えた。

 俺は珍しい光景に一度足を止めたかが、そもそも俺とは関係ないことだと思い、教室から出ることにした。扉を開き階段に向かう途中、仁の静止の声が聞こえ、反射的に思わず振り返った。そこにはさっきまで仁と対面していた女子が目の前に立っていた。

「あの、櫻井くん、ですよね。私のこと、覚えていますか?」

 仁と話してた時は気が強いのかと思っていたが、声を聞いてみると優しそうな印象を受けた。それに他の言葉も気にかかる。

「そうだけど、以前会ったことあるか?」

 一応確認のために聞いてみるが、そもそも同学年の顔と名前が一致する人物なんて片手で済むほどしかいない。聞いたところで目の前の人物に心当たりがないため、少なくとも高校に入ってからの可能性は低いだろう。

「やっぱり覚えてませんよね、私のことなんて。たかが二年間同じクラスだったってだけですから当然といえば当然ですか……」

 何やら思い入れがあったのか俺が知らないことを感じると悲しそうに俯いた。俺としては美幸を待たせるわけにもいかないから、目前の女子の対応に困っていた。

「あ、すみません、挨拶が遅れました。星野結衣です。櫻井くんとは小学一二年生まで同じだったんですけど、その後親の都合で引っ越してしまいまして。今年からまた戻ってきてここに転校してきました。櫻井くんが一緒で初めはビックリしましたよ」

 捲し立てて話す目の前の女子は星野結衣と名乗った。おそらく仁が言っていた転校生は彼女のことだろう。小学校は一緒らしいが名前を言われても俺の記憶に照合する人物はいなかった。

 星野が自己紹介を終えた頃、荷物を持った仁が慌てて合流してきた。

「はぁ、人の話を聞かんな、この娘は」

 悪態をつく仁だったが星野はそんな仁に厳しい視線を向けた。

「だってあなたに頼んでも何もしてくれなかったじゃないですか」

「次頼んだら快く引き受けたかもしれないよ?」

「それ、前回もそう言ってましたよね。週末の間にもしかしたらって期待してたけどなんの音沙汰もありませんでしたし」

「そうなんだ。可哀そうにね、結衣ちゃん」

 真っ向から喧嘩を売る発言をする仁に非難めいた眼差しを向ける星野。だが仁にそんな視線を平然と受けとめ、薄く笑みを浮かべていた。

「用事はなんだ。挨拶だけならもう行っていいか。人を待たせてるんだ」

 苛立ちを込めた声で言うと星野は仁を視界から外し、再び俺と向かい合った。

「すみません、約束があるなんて知らずに。ちなみに相手を聞いても?」

「聞いてどうする。別に関係ないだろ」

「いえ、少し気になってしまっただけなので、気にしないで下さい」

 しつこく絡んでくる星野を面倒に感じていたが、仁との話を聞いてるとさっさと済ましてしまった方が楽だと考えた。

「妹だ」

「……妹さんなんていたんですね」

 驚いたように声を上げる星野。

「それより用事は」

「あ、そうでした。すぐ終わりますから」

 そういうと星野は俺の手元に視線を落とした。しかしその先には学校指定の鞄一つを右手に持っているだけだ。

 それだけ確認した星野は問い詰めるような眼差しで俺を見詰めた。

「絵は、もうやめてしまったんですか?」

 その言葉にはただの疑問以外にも多くの感情が籠っているように感じた。

「そうだ。それがどうした」

 俺はそれらを全て諸共両断した。それを聞くと星野は怒りとも悲しみとも言えない曖昧な表情を浮かべては消していった。

「いえ、先週美術部に行ってみたら櫻井くんの名前がなかったのが気になりまして」

 一言聞いただけでは納得しきれないのか星野は今にも突っかかってきそうな気迫があった。

「はーい、二人共そこまで」

 俺と星野にある空気にそぐわない、間抜けな声を仁が上げた。俺と星野は仁に視線を注ぐ。

「結衣ちゃんも焦がれてた悠人に会えて興奮するのはいいけど、本当にこのままでいいの?」

「なにが言いたいんですか?」

「いやいや、そんな睨まないでよ。ただこのまま話し続けても悠人の結衣ちゃんに対する印象が悪化するだけだよ。ただでさえ他人の相手をしたくない悠人なのに、美幸ちゃんを待たせてるんだから、今の悠人からしたら最悪の状況なわけ」

 何故仁が美幸と待ち合わせしているのか問い詰めたい気持ちもあるが、俺の言いたいことを全て仁が吐き出してくれた。

 俺は手間が省けたと思っていると、星野は俺と仁を交互に視線を泳がせていた。

「こうなったのはオレの責任でもある。だから今度ちゃんとした場を設けるから、それで手打ちってことにしてくれるかな?」

「本当ですか?」

「もちろん。任せてくれ」

 今まで一歩も引く姿を見せなかった星野が仁の言葉にようやく食い下がった。

「そういうことでしたら、分かりました。私も頭を冷やす必要がありそうですね」

 そういうと満面の笑みを浮かべた星野。

「では、櫻井君。また今度会えるのを楽しみにしています」

 星野はその言葉を残して再び教室の中へと戻っていった。

 俺は仁を睨みつけた。

「おい、なに勝手に約束してんだよ。俺は一言もいいなんて言った覚えはないんだが」

「分かってるって。でもこうでもしないとあの娘、放してくれなそうじゃん。それに今日も美幸ちゃんと約束してるんでしょ。なら俺達もとっとと行こうぜ」

 人の意見を聞かず、言い分を全て先回りして潰されてしまった。仁の思惑通りで癪だが、あのままだと美幸を待たせていたかもしれない。

 俺は一度言葉を飲み込み、これ以上面倒ごとが起こらないように教室から離れることにした。


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