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 学校に着いたのは昼前、四時間目の終了を告げるチャイムが鳴る前だった。

 桜並木を二人並んで見ていると、気づけば美幸は俺の身体を支えに眠ってしまっていた。昨日の疲れが残っていながら十分な睡眠が取れていなかったのだろう。そう考えると、二人で休憩して学校を遅刻したことをよかったと思えた。

 美幸が起きた時、自分が眠っていたことを恥ずかしそうに慌てていたが、俺はそんな美幸の姿が微笑ましかった。

 紆余曲折あったが、学校の下駄箱に着くと俺たちは上履きに履き替えた。

「じゃあ、またね!」

 階段前に集まると別れを言って美幸が背を向ける。

「あ、ちょっと待て」

 俺はすぐさま駆けていきそうな美幸を呼び止めた。俺の声が届くとすぐさま振り返り、美幸は不思議そうなに首を傾げていた

「ん?どうしたの?」

「もうすぐ昼休みだけど、どうする?どうせならどこかで一緒に食べるか?」

 今朝、俺を起こす前には作ってくれていた美幸の弁当を俺たちは持ってきていた。

 美幸は俺の言葉を聞いて申し訳なさそうに両手を合わせていた。

「あー、ごめんね。昨日、沙希ちゃんと一緒に食べよって約束してるの」

「そっか。先約があるなら仕方ないな。じゃあ楽しんでこいよ」

「うん、ごめんね。次は一緒に食べよう!」

「ああ、じゃあまたな」

「うん、悠人も頑張ってね」

 美幸が手を振って離れていく。遠くなっていく小さな背中を見送ると、俺も自分のクラスへと足を進めた。

 俺が教室に着くとチャイムが鳴り、昼休みの合図が上がった。同時に、俺が開こうとしていた扉の反対から教科担任の教師が出てきた。あちらも俺の存在には気づいたようだが、構わず職員室へと歩いて行った。

 廊下からは授業を終えた生徒や教師がそれぞれの目的のために教室から出てきていた。

 俺も荷物を置くために一度教室へと入る。扉を開けるとクラスメイト達は一瞬反応を示したが、すぐに興味をなくし自身のことに意識を向けた。

 俺も特に気にせず自分の席に荷物を置くと美幸が作ってくれた弁当だけ手に持ち、再び教室から出ようとした。

「ちょいちょい、オレを置いてどこ行くつもりなんだぁ?」

 声を聴いた瞬間、俺の気分がどん底まで下がった。

「……なんのようだよ、仁」

「なんのようも何も、お前遅すぎだろ」

 呆れたような声を出しながら話をしてくる仁。

 さっさと昼食にしたい俺は仁が鬱陶しかったが、無視するのも面倒なので手短に済ますことにした。

「寝坊したんだよ。それだけだ。じゃあな」

「嘘つけ。今まで寝坊なんてしたことねぇヤツが何言ってんだ。だいたい、寝坊する前に美幸ちゃんが起こしてくれるだろ」

 思いの外しつこく聞いてくる仁にうんざりした俺は手っ取り早く終わらせるため一つ提案した。

「……はぁ、なら体育館裏まで来い。そこで説明してやるから」

「はぁ?体育館裏ってオレと喧嘩でもするんか?」

「馬鹿かお前は。そんなことしてなんのメリットがあんだよ。あそこなら静かってだけだ」

 俺は足早に教室を後にして約束通り体育館裏に向かった。仁は昼食を用意がなかったようで嘆いていたが、そんなことは俺には関係ない話だった。



 昼になると早朝に比べて温かさが増し、過ごしやすい気温になっていた。寝転がれる場所があれば心地よい睡魔に揺すられることだろう。

 俺と仁は体育館裏にあるコンクリートの階段に腰を下ろしていた。建物が影となり、周囲一帯は陰鬱な空気が漂っていた。

 仁が昼食を取りに行って遅れてやってくると、俺は簡潔に学校に来るまでのことを説明していった。どうやら仁は今日も俺達のことを待っていたようだが、たまたま違う道を通って来たので気づけなかった。そもそも文句を言うぐらいなら待っていることを仁が俺に伝えておけばいい話なんだが。

 俺達は雑談をしながら腹も満たした後、何をするわけでもなくこの場に留まっていた。

「それにしてもお前ら、ホント仲いいな」

 食事を終えた後の沈黙を破ったのは仁の唐突な問いかけだった。俺は質問の意味を理解したが、再び仁に聞き返す。

「なんのことだ?」

「おいおい、とぼけんのか?今日だって美幸ちゃんと二人で仲良く遅刻してきたんだろ。それに聞いてみたら、遅れてきた理由は桜を見に行っただけときた」

「それがどうした?美幸が見に行きたいって言うから、それに付き合っただけだろ。お前の方こそ、昨日は沙希ちゃんと仲良く出来たのか?喧嘩なんてしてたら美幸が悲しむぞ」

「喧嘩なんてするわけないって。昨日は仲良くお話しただけだぞ。いや、そもそもオレのことはいいんだよ。それよりお前、本気で言ってんのか?」

「なにがだよ。おかしなことなんて言ってねぇだろ」

 話をはぐらかそうとしていたが、すぐに仁が元の話に軌道修正する。

「悠人からしたらそうかもな。だがな、オレから言わしてみればお前と美幸ちゃんの距離感はおかしいぞ」

「だから何がおかしいんだって聞いてんだよ」

 何度も繰り返しおかしいと言ってくる仁に対して怒気を込めながら詰め寄ると、仁は俺のことを意に介さず変わらない態度で話し続けた。

「お前たち二人を見てるとな、ただの兄妹とは思えないんだわ。ぶっちゃけ男女の仲って言われた方が納得がいくぐらいだぞ」

「そんなの知るかよ。俺たちにとってはこれが普通で、何年も一緒に暮らしてきてんだよ。それを外野のお前がとやかく言ってきてんじゃねぇよ」

 俺の心を逆撫でするような言葉の数々に、思わず感情的な声を上げてしまっていた。

 そんな姿を、面白いもの見るような表情で仁がじっとりと見ていた。やがて手を横に振りながら否定するかのように仁は口を開き始める。今は仁が浮かべる表情、芝居がかった仕草、軽々しい声。仁から感じ取れるありとあらゆるものが、俺の心を乱してきた。

「いやいや、別にとやかく言うつもりはないんだよねー。オレからしたら、二人がどんな関係性で何をしてようと好きにすればいいって思ってるし」

「だったら!」

 のらりくらりとした言葉を続ける仁の口を遮るように、俺は仁に詰め寄ろうとした。しかし、仁が俺のことに目もくれず別の場所に視線を逸らすと、何かを見つけたのか先程まで見せていた表情を消した。

「悠人、静かにしろ」

 声を抑えながら話す仁の姿に、思わず俺の威勢を剝がされてしまう。何事かと仁の視線を追いかけると、日差しを遮られている俺達とは反対側に一組の男女が立ち並んでいた。この場所からは距離があるため正確に捉えることは出来ないが、女子の方はセミロングの髪で印象的で、男子の方はすらっとしたシルエットが特徴的だったが、何処か落ち着きがないように思えた。

「あれは……あー、宮本だな。てことは……相手の女子は…はぁ、やっぱりな。相変わらず見境ないな、あいつ」

 馬鹿にしたような口調で仁がぼやく。

 心当たりがありそうな仁に先程の苛立ちをぶつけるように聞いてみる。

「なんだ仁、知り合いか?」

「いや、全然。ていうか知らんのか、悠人。宮本と言えば手当たり次第女子に告白することで有名だぜ?」

「へぇ」

 然程興味のないことだったこともあり、淡泊な反応しか出てこなかった。

「相変わらずだな。これからあいつらどうなるか気にならんのか」

「別に関係ないし。強いて言えば、そんなヤツに目を付けられた女子が、不運から無事切り抜けれることを祈ってる」

「効果なさそうな祈りなことで」

「知ったこっちゃないな」

 俺は視線を外すと食堂がある方角に目を向けた。だがそこに食堂があるわけもなく、視界を埋めるのは人間など霞んでしまうほど大きな体育館の壁だった。仁は俺の様子に呆れた眼差しを向けてきたが、すぐさま男女がいる場所に戻した。

 しばらくすると、仁も興味を失ったのか再び声を掛けてくる。

「宮本、どうやら振られたらっぽいな。容姿だけなら悪くないんだけどな、あいつ。まぁ今まで関りがあったわけじゃないんだから当然っちゃ当然の結果だな」

「終わったのか?」

 時間が空いたことで俺の気持ちも落ち着きを取り戻し始めていた。

「ああ、宮本のやつ、すぐ断られてたわ。ま、自業自得か」

「随分と辛辣だな」

「いや、ただの事実だろ。宮本のことはクラスメイトに聞いたのかもな。それに女子の方も決断が早かったし、多分だけど女子は宮本じゃなくても断ってるな」

「恋愛に興味ないだけかもしれないぞ?」

「いや、それはないな。というより本命がいるからだろうね」

 情報元は分からないが、どうやら仁には女子の方について知っているようだった。交友関係が広い仁なら他にもいろいろ知っていそうだが、わざわざ聞くことでもない。

 この場やることもなくなり、俺はそろそろ教室に戻ろうと腰を上げようとしたところに仁が問いかけてきた。

「悠人ってさ、もしかして女に興味ない?」

「いきなり何言い出してんだ」

 脈絡ない仁の発言に思わず反応してしまった。何を馬鹿なことを言い出したのかと仁の表情を見てみるが至って真剣な顔を浮かべていた。

「いや、今まで周りの女子たちに対して何の反応も見せたことがなかったから、もしかしたらって思ったんだけど。よくよく考えてみたら、女子に限った話じゃなかったな」

 何か言い返そうかとも一瞬考えたが、下らない話に加えて仁が勝手に一人で納得しているのを見ると相手をするだけ無駄のように思えた。

 俺は一人納得した様子の仁を置いて教室に戻り、次の授業に備えることにした。

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