5
俺と美幸は今日の出来事についてお互い話し合っていると、気づけばほぼ毎日訪れている商店街まで歩いてきていた。ここまで来ると学生の姿は少なくなり、主婦やお年寄りたちが世間話に花を咲かせている。この商店街は古くからあるらしく、顔馴染みであることが多い。だが、街の発展に伴い気が付けば客足が遠くなり始め、かつては人の活気で溢れていたであろうこの場所も、今ではその面影を想像することすらままならない有様だった。
それでも、この商店街に足繫く通うのは、この場所で感じる人の温かさ故にだった。昔から家族で頻繁に来ていたこともあってここの人達は俺たちを温かく迎え入れてくれた。特に美幸は物腰柔らかな振る舞いと小さな見た目が相まって、商店街の人たちから孫のように可愛がられていた。
「お、悠人に美幸じゃねぇか。こんな時間に来るなんて珍しいな」
俺たちが商店街を歩いていると野太い声が聞こえてきた。その方角には半袖を着た大柄な中年男が堂々と待ち構えていた。
「こんにちは、龍次郎さん」
「おう、昼間でも二人で来るとは、相変わらずお前らは仲がいいな」
美幸はおっちゃんに向かって軽い挨拶を交わす。おっちゃんは美幸の姿を見ると、何か納得したらしく頷いていた
「なるほどな。こんな時間からくるなんておかしいと思ったが、美幸が悠人とおんなじ制服ってことは今日から新学期だったのか」
「そうなんですよ!正直、わたしも悠人と一緒に行けるなんて思ってなかったので、未だに現実感が湧かないんですよね」
美幸が苦笑いしながら話していると、おっちゃんはそんな美幸の頭を目一杯に撫でた。
「そんな自分を卑下すんじゃねぇよ。美幸が死ぬ気で頑張って掴んだ未来だろ?だったらもっと自信を持て。過去がどうであれ結果として美幸は悠人とおんなじ高校に受かった。美幸はそれが嬉しい。それだけでいいだろ。制服もよく似合ってるじゃねぇか」
美幸は恥ずかしそうに俯きながら俺のブレザーを摘まんでいた。その姿が幼い頃に見た光景を思い起こし、懐かしんでいるとおっちゃんが俺に目を向けた。
「そういえば悠人、お前はどうだ?新しいクラスでもやっていけそうか?」
「二年も通ってるんだぞ。心配されるようなことは起こらんわ」
「悠人は相変わらず不愛想だなぁ。お前、ろくに友達もいねぇだろ」
「馬鹿にすんなよ。少なくとも一人ぐらいいるわ」
「ほぉ、ならその一人を大事にしろよ。友人が一人いるのと一人もいないには絶対的な差があるからな」
「……あんたが気にすることじゃないだろ」
「そう冷たいこと言うなよ。オレはお前らがガキの頃から知ってんだぞ。それによ、悠人に話せる友達がいなかったら明莉が悲しむだろ?」
おっちゃんとの付き合いは長い。俺が母さんを失った悲しみに暮れていた時期を知っているおっちゃんは、いつも気に掛けてくれていた。大柄な体格でもっと大雑把な性格かと幼い頃は思っていたが、見かけによらず繊細な人だったことに、人にもいろんな人がいるんだなぁと実感させられたことは今でも覚えてる。
「あー、湿っぽくなっちまったな。二人とも、こんな時間に来たってことは昼飯まだだろ?」
「はい。食材を買ってから帰ろうと思っていたので」
「なら、とっとと用事済まして帰りな。サービスしてやるから」
おっちゃんは並べられていた新鮮な魚を俺たちに推してきた。
「今日のは一段と大きくないですか?」
美幸はその中でも一際大きな存在感を放っている魚を指差しながらおっちゃんに聞いてみた。
「ああ、そいつな。見世物として仕入れたんだが、如何せんこのサイズのヤツは見たことがねぇから商品として売るか迷ってんだよ」
「龍次郎さんでも初めてなんですか?」
「まぁな。確かに年々取れる魚のサイズは大きくなって来てるんだが、ここまであるのは初めてだわ」
「でも、それって悪いことなんですか?」
「さぁ、どうだろうな。ただはっきりしてるのは昔みたいな魚が減って、異様に大きい魚が取れるようになってきてることだな」
「うーん、食べるなら大きい方がいいような気がするんですけど、それが商売にどんな影響があるんですか?」
美幸の問いかけにおっちゃんが神妙な面持ちを浮かべた。
「正直、こんなこと初めてだからなぁ。なに食って育ったのかも、そもそもなんでこんな大きいのかも分かってねぇ。分からないことばっかだから人様に提供するには慎重になんだよ」
「あーなるほど。確かに問題が出てから対処するわけにはいきませんからね」
「ま、そういうこったな」
美幸の言う通り、食材となれば最悪の場合死者が出る可能性もある。おっちゃんは立場上慎重にならざるを得ないだろう。
「とりあえずこの魚は観賞用だ。他の奴にしてくれ。ちなみにおすすめはアジだな」
「龍次郎さんが言うなら間違いはないですね。じゃあ、それを三尾ください」
「あいよ」
おっちゃんは爽快な笑顔を浮かべると手慣れた動きで作業をこなしていく。
「ほい、悠人。おまけ付けといたから親父さんと一緒に食えよ」
「……おまけっていうのか、これ」
「え、どうしたの?」
「ほら、これ」
俺はおっちゃんから受け取ったものを美幸に見せる。明らかに頼んだ量よりも多いそれを美幸はじっくり覗き込むと、おかしいことに気づいたのだろう。美幸は驚いた眼差しでおっちゃんに視線を移した。
「えぇ!?いいんですか。おまけにしては多いような気がするんですが……」
「気にすんな。これはオレらからの入学祝いだと思ってくれ」
「……でも」
美幸は受け取ったものとおっちゃんを交互に見比べていた。
おっちゃんはおまけと言ったが、頼んだ分が倍にもなっていれば遠慮もするだろう。どう考えたって過剰だ。だが、おっちゃんは気にした様子を見せることなく美幸に言葉を贈る。
「そんな遠慮すんじゃねぇよ。人からの好意をそう避けんなって。それにこれはオレが勝手にしたくてしてんだよ。お前らはそれを素直に受け取っておけ。それの方がこっちは嬉しいってもんだぞ」
そう言われてしまうと受け取らないわけにはいかない。美幸はそれでも申し訳なさそうに俯いたままだったから、代わりに俺は快くおっちゃんの好意に甘えることにした。
「ありがとな、おっちゃん。ほら、美幸も」
「……そうだね。龍次郎さん、何から何までありがとうございます」
「ああ、美幸はこれからの高校生活、頑張れよ」
「はい」
「だからって無理だけはすんなよ。お前さんは身体が強くないんだからな。困ったら悠人とか親父さんに助けてもらえよ。二人がダメならオレでもいいからな」
頼もしい言葉を受けた美幸は優しく微笑むとおっちゃんに別れを告げる。
「それじゃ、わたし達は行きますね。龍次郎さん、お酒はほどほどにしてくださいよ」
「あーうるさいうるさい。そんなこと言うならとっとと帰りな。ワシは聞きたない」
おっちゃんがそっぽを向いてしまう。美幸はそんな姿を見てつい笑顔を浮かべた。俺はむしろ変わらない姿に呆れていたが何処か心の中でホッとした自分がいた。
俺たちはおっちゃんの店から遠ざかっていく途中、一度振り返るとおっちゃんは手を振ってくれていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます