4

 人通りが少ない道を二人して学校のことなどお構いなしに歩き続けていると、道のど真ん中に一匹の黒猫と戯れている同じ制服の中肉中背の男がいた。

 こちらの存在に気付くとその男は軽薄な笑顔を張り付けて手を振ってくる。

「よう、狂人兄妹」

 第一声を聞いた瞬間コイツのことは無視しようと決めた。

 俺たちは手を振り続けている男を無視して横をすり抜けていく。だが、すぐ後ろから近づいてくる足音が耳に入ってきた。

「ちょいちょい、二人そろって無視かよ。ひでぇな」

 軽い口調で不満を訴えてきながら、気付けば自然な動作でそのまま横に軽薄な男が並んで歩いていた。

 俺はこのまま無視し続けたい気持ちもあるが、さらに面倒なことになるのが目に見えている。俺だけならいいが美幸に絡み始めるのは勘弁してほしかった。

 前向きにとはいかないが仕方なく、俺はコイツの相手をすることにした。

「ひどいのはどっちだよ。あんな風に呼ばれたら誰だって話す気がなくなるわ」

「悪かったって。二人の姿を見たらついテンション上がっちゃってさぁ」

 自分の発言に対して全く悪びれる様子を見せず、へらへらと笑って済まそうしていた。その態度に思うところはあったが、コイツ相手に気にしても仕方がないと経験から理解していた。

 俺は何故こんな胡散臭いヤツと知り合いになってしまったのかと少し過去の自分を恨みたくなった。

「それで、なんでまだこんなとこにいるんだよ、仁」

 仁がどこで暮らしているのか知らないし、聞いたこともないが、今まで通学路で邂逅したことは一度もない。そんなヤツが今日に限ってこの場所にいることがずっと気掛かりだった。

「いやいや、それはこっちのセリフだって。もう時間ヤバいでしょ?ここから走ってもギリギリ間に合うか微妙なラインじゃん」

 仁はこちらの質問には答えようとはしなかった。

 普段の言動から素直に話すとは期待はしていなかったが、だからといって一方的に情報を渡すのはフェアじゃない。

 俺は仁に対して適当に対応しようと決めた。

「そんなに気になるならお前だけ走っていけばいいだろう」

「そうは言っても今日は始業式だけでしょ?」

「内申点には関わってくるかもな」

 そういうと仁は驚いた様子で俺に視線を向けた。

「まじかよ……悠人って内申点とか気にしてたのか?」

「お前は俺のことをなんだと思ってるんだ」

「いや、まぁ……」

 仁はそこで口を噤み、俺の横にいる美幸のことを気にしているようだった。

「さすがに目の前で慕ってるお兄さんが貶されるのはどうなのかなって思って」

 その言葉を聞いた瞬間、今度は俺が驚いて仁の方に顔を向けた。

「お前が人を気にするなんてどういう冗談だ?」

「悠人くーん、オレだって人間ですよぉ?そんなこと言われると傷ついちゃうなぁ」

 仁はズボンのポケットから取り出したハンカチを目元に近づけると、わざとらしく涙を拭うような仕草をしていた。

 あまりにも芝居がかった動きに俺は思わず呆れてしまい、意識から仁のことを排除することにした。どうやらまともに会話をする気はないらしい。

 コイツの飄々とした態度からはいつも何を考えているのか分からない部分が多い。決して人当たりが悪いわけではないが、掴みどころがない。学内ではその人当たりの良さから多くの人に好かれていた。

 だが俺はむしろそんな態度を平然として振る舞っている仁とそれに群がる周囲の人間に対して、どこか不気味に感じていた。

 もちろん、人間関係の構築や協調性を培う場でもからその行動は理解できる。だが、そんな当たり前のように上辺だけ取り繕う集団に俺はどうしても馴染めなかった。

 とりとめのない会話をしていると学校に随分と近づいていた。腕時計を見ると時刻は朝礼の時間まで差し迫っていた。確実に遅刻だ。

 そのことを特に気することなく、俺は隣にいる美幸に視線を向けた。相変わらず俺が渡したスケッチブック以外意識が向いていない様子だ。じっくり見ているようで、時折柔らかくなったり、悲しそうにしたりと表情が忙しく変化していた。

 そんな姿を確認してから昔馴染みの商店街を通りすぎた時だった。今気づいたとばかりに仁が美幸に聞いてきた。

「そういえば、美幸ちゃんは何見てんの?」

 仁は美幸に興味津々と目を輝かせていた。しかし、いつまで経っても美幸から反応は返ってこなかった。

 これ以上美幸の邪魔はさせるわけにはいかない。

「やめとけ。それ見てる間はなにやっても反応は返ってこないぞ」

「は?なにそれ。そんな集中するほどの代物なんか、それ」

「さぁ、俺には分からん」

「なんじゃそりゃ」

 仁は意味不明といったように首を傾げていた。俺は仁に取り合わず、改めて自分が描いたものを横目から確認した。

 特に目を見張るものはない。ただ、描かれているものに統一性を感じられなかった。端的に言えば無茶苦茶だ。形にならず線だけ残っているなど作品とするなら必要でないものまでそのままの状態で放置されていたりする。鉛筆で描かれているからよかったもののこれに色が足されていたとしたらさらに混沌としたものとなっていただろう。

 仁も気になったのか美幸の傍から遠慮なく盗み見ていた。始めこそ楽しそうにしていたが、描かれているものをみた瞬間、眉を顰めた。

「これをずっと見てたってわけ?」

「そうだな」

「子供の落書きで済ますには少し惜しいか?そこんとこどうよ、神童さん」

「……俺に聞くな。その絵に関して俺は何も言わん」

「へぇ、じゃあやっぱり悠人が描いたってこと?」

「やっぱりってなんだよ」

 一体何を根拠にそう思ったのか理解できない。それに加えて俺が幼い頃、神童などと勝手に呼ばれていたものを持ち出されて不愉快だった。俺は絵に対して暗いイメージの方が強く残っている。そもそも美幸が頼むことがなかったらまた絵を描くことはなかっただろう。あの時、どうして美幸はあんなに必死になってせがんできたのだろうか。

「美幸ちゃんが何かするなら大体は、ていうか九割九分悠人が関係してるだろ。基本的に悠人が関わってなかったら関心すら向けないしな、美幸ちゃん」

 仁は聞いたことない声色で誰に聞かせるわけでもなく呟いていた。声に感情が乗っておらず、無機質で冷たいものだった。その姿はどこか異質でまるで仁とは違う誰かが話しているかのように感じてしまうほど、普段見せる印象との乖離が激しかった。

「美幸ちゃんてさ」

 しかし、それも一瞬のことで先程の機械のような無感情のものではなく、普段と変わらない憎たらしいと感じさせる視線が向けられていた。

「悠人がいなかったら、どうなるんだろうな」

「は?」

 突拍子もないことを無遠慮に投げてきた。人のことを軽々しく扱うコイツには人間のことをどう感じているのだろうか。

「縁起でもないこと言うなよ」

「例えばだって!悠人は気にならないのか?俺は気になる。とういうわけで!はい、頭を使って想像して!」

 何故か強く促してきた。何が『というわけ』なのか理解できない。面倒くさいことになったが、反発するのもそれはそれで疲れるので少し付き合って終わりにすることにした。

 とはいえ、俺と美幸が離れることは滅多にない。小さい我が家では部屋も一緒だし、商店街やスーパーに行く時だって華奢な美幸一人では持ちきれないことがあるため荷物持ちとして同行することが多い。それに交友関係が狭い俺は休日は家にいることが多いし、美幸もインドア派で部屋で本を読んだり、料理の勉強しながら過ごすことがほとんどだ。唯一離れてるのはお互いが学校に行ってる間ぐらいしかない。それも今日から同じ場所に通うわけだから以前よりも同じ時間を過ごすことが長くなる。

 考えてはみるものの、美幸がいないことがどうしても上手くいかなかった。

「どう?」

「……いや、無理だろ。俺がいない美幸を、俺が想像するとか」

「そうか?」

「そりゃそうだろ。俺が見る美幸の姿以外俺は知る由がないだから」

「まぁ、それは一理あるか」

 仁は納得したのかわざとらしく感じさせるぐらい激しく頷いてみせた。

「その質問は俺じゃなくて美幸にするもんだろ」

「確かに」

 俺は仁の変わらない軽い態度にうんざりした。慣れているとはいえ、それでも聞いてきた張本人があっさり話を打ち切るぐらいならもう少し考えて発言をしてほしい。

 仁のスタンスに不満に感じているときだった。じゃあ、と仁が改まった声色で聞いてくる。

「美幸ちゃんがいなくなったら、悠人はどうなんの?」

 たった僅かな言葉だった。それでも、その言葉には俺の思考を砕くに十分以上の破壊力があった。同時に俺は今までのは茶番であり、この問いかけこそ本命であることを悟った。

 きっと仁がいう『いない』はこの世界からいなくなるということだろう。俺は想像するだけでその瞬間に立っていられなくなる程の悪寒を感じた。

 美幸がいない。それは母さんが亡くなった時を想起させる状況だった。俺はその時どうなったのか鮮明に覚えているわけではない。しかし、現在でも当時の傷が癒えてはいないし、もはやこの嘆きはやむことはないようにも感じていた。

 そんな境地の俺が今こうして立っていられるのは他でもない美幸の支えがあってこそだ。

「……おい。さすがに度が過ぎるぞ」

「そうかい?順当にいけばこうなるでしょ」

「だからってそんなふざけたことを聞いてくるな」

「あっはは、悠人はおもしろいねぇ」

 仁が大袈裟な素振りを見せながらおかしそうに笑みを浮かべる。

「自分のときは普段通りだったくせに、美幸ちゃんがいなくなるってなった途端に感情的だな。クラスの奴らが見たらびっくりするだろうな。いつも無気力、無感情な悠人がたった一言で見る影もない」

「……別に無感情っていうわけじゃない」

 ただ心に響くことがないだけで、俺だって人間なんだ。完璧なわけじゃないんだから人並みに傷付くし、泣きたいことだってある。

「だろうね。今の悠人を見るとそれがよくわかる。だから聞きたい」

 語り掛ける仁の眼光は獲物を前にした獣のような鋭さを宿していた。

 一向に引く様子を見せない仁に苛立ちを覚えていた時、唐突に救いの手が差し伸べられた。

「それ以上、悠人を困らせるのやめてくれませんか?仁さん」

 今まで一切反応を見せなかった美幸が仁に牙を剝いた。そんな美幸を震え上がらせるほど冷たい眼差しで仁が見つめる。二人の体格差には絶望的な差がある。

「へぇ、聞かなくていいの?」

「どうしてですか?そんな妄想、わたしが今、ここにいるんですから、先のことなんてどうでもいいことじゃないですか」

 険悪な雰囲気が辺りに立ち込める。体躯だけでみれば子猫とライオンほどの隔たりがあった。

 俺は何度か仁の肉体を見たことがある。その時、服の上からでは分からなかったが、これほど実用的かつバランスが取れた人間を見たことがなかったので、素直に俺は尊敬の念を覚えた。一体どれほどの鍛錬を積んできたのか、俺には想像もつかない領域だった。尊敬と同時に高校生離れした体の作り方に恐怖も覚えた。俺も身体付きは決して悪いわけではないが、もし仁と事を構えることになれば俺は手も足もでないだろう。

 同年代の俺ですら怖気ずく相手に、子猫は勇敢にも立ち向かってみせた。

「……あ、そう」

「なんですか?」

「いやいや、何でもないって。強情だなぁと思ってね」

 雲行きが怪しくなり始め、仲裁に入ろうとした刹那、仁が先に鞘に納めた。未だに恨めがましい視線を向ける美幸に、呆れるような表情を見せた仁は「おぉ。怖い怖い」と声にしながら、居心地が悪く感じたのか一人ですたすたと足早に歩き抜いていった。

 少しづつ離れていく背中を確認しながら俺は美幸に視線を向けた。先程までの堂々とした佇まいが消えゆくと同時に大きく息を吸い、身体のなかにある空気を全て吐き出す勢いで声を零した。

「こ、怖かったぁ!」

 屈強な男に引かなかった外面はどこに行ったのか、そこにはいつもと変わらない美幸の姿があった。

「やっぱり怖いよな、あいつ」

「そーだねー。わたしなんてどう抗っても男の人の前じゃ無力だしね。相手が仁さんならどう頑張ったって勝てないよ」

 美幸は笑いながら話し続ける。

「あの人、普段はそんなことないのにいざって時になると妙に圧があるよね」

「まぁ、大人顔負けなぐらいしっかりした身体してるからな」

 どうやら小さい頃は海外にいたらしく、その時から身体づくりをしていたらしい。

「でも、悪い人じゃないよね」

「そうか?」

「そうだよ。今もこうして二人にしてくれたでしょ?」

「いや、あれは単に居心地が悪かっただけだろ」

「ふふっ、それはあるかもね。でも、仁さんってすごいよ」

「確かに。熊とも戦えそうだもんな」

「さすがに仁さんでも勝てないと思うけど……そうじゃなくてさ。場を読む空気っていうか、あの人って絶対ある一定のライン以上は踏み込んでこないんだよね」

「……さっきは思いっきり踏み越えてきた気がするけど」

「あれはわたしを試すためにわざと悠人を煽るように言っただけだよ」

 僅かに怒気を滲ませながら美幸は教えてくれた。

「試すってなにを?ていうか二人ってそんな仲よかったっけ?」

「それは乙女の秘密かなぁ。またいつか教えてあげるよ」

 そう言って笑顔を向けた美幸は小走りに学校までの道のりを進んでいく。どうやら今は教えてくれるつもりはないらしい。一体どこで二人は仲を深めたのか。学年は違うし、出会うタイミングなんて数えるほどしかないはずなのに。

 俺はそんな二人の関係性に疑問を感じたが、結論を下すには情報が足りないと判断し、あまり深く考えないようにした。いつかその時になれば教えてくれるらしいから、それまで待っていよう。

 俺は少し離れた美幸に追いつけるように、少し離れた小さな背中に向かって足を早めた。



 学校に着くころには町が起き始める時刻を過ぎ、普段の賑わいを取り戻す頃だった。本来ならば同じ学生で溢れているはずの道は閑散としており、俺たち三人しか学生の姿は見当たらない。

 あの後、仁は曲がり角を進んだバス停のベンチに平然と座って待ち構えていた。その頃には数刻前にあった会話のことなどなかったかのように接する仁に、呆れを通り越して感心すら覚えた。

「んじゃ、ここまでだね」

 美幸が名残惜しそうな表情を浮かべていた。学年が違う俺たちと美幸は階が違う。昇降口を抜けた先の廊下で俺たちは別れることになる。

「ああ、また放課後に。気をつけてな」

「もぅ、大丈夫だって。心配しすぎだよ」

「……そう言われてもな」

 美幸も理解しているのかこれ以上強くは主張してこなかった。

「大丈夫だよ。さっき見たら沙希ちゃんも一緒だったから。それじゃ、またね」

 手を振って離れていく小さな背中を見送る。寂しげな姿が、人影を感じない廊下を歩いていく。俺の中から不安の気配は立ち消えてはくれなかった。

 同じように美幸を見ていた仁がぽつりと呟く。

「相変わらずちっこい身体してんなぁ」

「本人に言うなよ。気にしてないらしいけど、それでも言われると傷つくことだってあるだろ」

「はいはい、わかってるって」

 しつこいと言わんばかりに仁は軽くあしらう。

「そんなことより、やっぱ大変な思いしそうだよな、美幸ちゃん」

「仁もそう思うか?」

「そらなぁ。ただでさえちっこい身体なのにあの肌だしな」

「肌?」

 俺は意味がわからなかった。身体が小さいのは理解できる。実際、周囲は平均よりも劣る人間に対して残酷な仕打ちをする人種が一定数存在する。むしろ、俺の周囲では俺や仁みたいに他人と比べない連中は稀にしか見ない。その中でも実際に他人を庇う者などごく一握りしかいない。そんな集団の中に飛び込むとはどれほどの勇気が必要なことだろう。いくら沙希ちゃんがいるからと言ってもただ一人の女の子だ。心配にならないなど無理な話だ。

 それに仁が言うにはどうやら肌も関係があるらしい。

「悠人は見慣れてるからなんとも思わんかもしれんけど、美幸ちゃんの肌ってめっちゃ綺麗で色白だろ」

「そうだな」

「オレだけじゃなくて、歪んだ感性を持ってなかったらみんなに可愛いって思われるぐらいには容姿がいいんだよ」

「仁はそんな風に思ってたのか」

「お前にとっては当たり前になってるから、見ても何も思わねぇんだろ」

 仁がため息をつき、俺に忠告するかのように言い放つ。

「いいか、よく考えてみろ。自分より劣るヤツが自分にはない魅力を持ってるんだぞ」

「だからなんだよ。それなら美幸にはない魅力がそいつにはあるかもしれねぇだろ」

「……はぁ、そう思うだろ。だが人間なんてもんはそう単純じゃない。自分の事を棚上げにして、平気で他者を傷つける。分かってても自分の感情がままならないことぐらい、悠人は身をもって経験してるだろ?」

「……そうだな」

仁の言葉に同意するとほんの少しだけ仁が皮肉めいた笑顔を浮かべていた。

「ほんっと、嫌になるよな」

「なにがだよ」

「例えばさ、神様なんてもんが存在したら、なんでこんな欠陥だらけな存在を作ったんだろうな」

「お前、神様なんか信じてんの?」

「なわけねぇだろ。もし存在したらオレが真っ先に殺しに行く」

「物騒だな」

「いいだろう、別に。それよりさっきの質問、悠人はどう思うよ?」

「さあな。俺に神の考えなんて分かるわけもないだろ」

「……いやお前、考える前から興味なくなってたじゃん」

 あからさまな態度な俺の姿を見て仕方ないと諦めたのか、それ以上聞いてくることはなかった。

「もし人間が完璧だったら醜い争いも理不尽な悪意もなかったかもしれないのにな」

「確かにそうかもな」

「だろ」

「けど、そんな世界つまらないぞ。完璧ってことは一人で完結してるんだ。そこに他人が入る必要がない。どんな美しい言葉もどれだけ素晴らしい感動もない世界だ。俺はそんなのはごめんだ」

 そう。俺たちは欠陥だらけで不完全だからこそ、この世界の美しさや素晴らしさに気づくことが出来る。俺たちは弱いからこそ誰かと共に歩いていくことが出来る。きっとそれは何よりも代えがたい素晴らしいもののはずだと、俺は信じてる。

 答えるつもりはなかったのに、俺は思わず言葉を続けていた。仁の話をこのまま終わらせるには少し虚しく思えてしまったから。

俺の返答がお気に召したのか仁は満足げな表情を浮かべていた。

「いいねぇ。やっぱりそうじゃなきゃな」

「なに言ってんだ」

「いや、全員が同じような考えを持ってるなんてわけないんだから、世の中には完璧の方がいいっていう人もいるだろ?」

 仁が言わんとしているのは理解できる。誰だって傷つきたくないし間違いたくない。その思いが強ければ強いほど完璧という存在は魅力的に見えるものだ。

俺はまだ続く仁の話に耳を傾ける。

「それでもやっぱり、オレも完璧は望まないな」

「完璧はダメか」

 そう聞いてみると仁は首を振った。

「そんなことはないさ。ただ完璧なものほどおもしろくない。その一点のみが、オレが許容できない要因だな」

「完璧はおもしろくない、か……」

「そうそう。地獄までの道は面白おかしく踏み鳴らす。これがオレのポリシーだからな」

「天国じゃなくていいのか?」

「オレみたいなヤツは地獄のがお似合いなんだよ」

 そう言うと仁は美幸が消えていった場所から視線を外し、階段に向かって歩き始めた。

 地獄までの道は面白おかしく踏み鳴らす。そう語った仁の行動理念は普段のアイツの言動と違って、俺はどうにも嫌いにはなれなかった。

「ほら、オレらも突っ立ってないで行こうぜ。どうやら今日は転校生が来るらしいぞ」

「あっそ」

「いや、反応うっす。うちの学校じゃ珍しいっていうのに」

「俺には関係ないからな」

 冷たい言葉だが仁も同意見なのかへらへらと笑っていた。

「まぁ、とりあえず行こうぜ。いつまでもここにいたって仕方がねぇしよ」

「そうだな」

 俺は少し振り返り、美幸が消えていった先を見つめた。楽しいことばかり待ち受けているわけではない美幸の未来だが、俺はこれからの美幸の人生がどうか祝福で満ちていることをただただ祈り続けていた。

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