4-4 蔓を手繰る

 ひさしぶりに、いつも寝転んでいる長椅子の収納をのぞいてみることにした。ウルカの長椅子は座る部分が蓋になっていて、中にものをしまうことができるのだ。でも、中を見ようとしたのがあまりに久々すぎて、拗ねていたのかなかなか開いてくれなかった。ぎぎぎ、と嫌がるような音を立てる蓋を、やっとのことで開けた。

 中には、いろいろと日用品が入っている。この半地下の部屋に、以前暮らしていた人が置いていったものだとおもう。ウルカが揃えたわけではない。鍋や皿や、本やかご、毛布など役立ちそうなものがさまざま並んでいた。どれも汚れたり壊れたりしていなくて、ちゃんと使えそうだ。ウルカはとりあえずすべてを取り出して机の上に並べた。そしてまた苦労して蓋をしめると、なんだか達成感が湧いてきた。

 暖炉では、ぱちぱちと炎が弾けている。さっきジンが、下宿からここまでウルカを送り届けて、つけていってくれた。ジンはこれから仕事で、仕事は公示係なんだと教えてくれたけれど、もう知っていた。初めて会ったときにそんなことを言っていたからだ。

 下宿を出るとき、ネイレがまた来てねと言ってくれた。いろいろ話したいこともあるし、と楽しそうに笑っていた。ドゥイルは同じくらいの時間に出勤していて、きれいな会釈をしてくれた。チャミンは黙って、芋と薬草が入った袋を持たせてくれた。

 今日は、長椅子から発掘したものを片付けてから、ヘテヤとディーオの店に行くつもりだ。五日に一度やって来て、必死になって気にかけてくれていたヘテヤとも、しばらく会っていない。今は、ヘテヤにもディーオにも、お礼が言いたかった。それに、ジンの下宿の人たちにも感謝の気持ちを伝えたいから、手土産を用意したい。

 まずは、机の上に並べた日用品たちの整理だ。ウルカはそれらをしかるべきところにおさめていった。そうしていると、呼び鈴が鳴った。すぐに駆け寄って扉を開ける。

「こんにち……は」

 挨拶がしぼんでしまう。そこに立っていたのはディーオだった。今から行こうとおもっていたら、ディーオのほうからやってきた。不機嫌そうな顔のディーオを見上げて唖然としていると突然、腰あたりに突進された。ウルカはあっけなくつり合いを崩して床にしりもちをついた。

「ごめんウルカ!」

 悲鳴を上げたのはヘテヤだった。いつもの黒くて長い外套を着て、頭巾をかぶっている。目を見開き、おろおろとウルカを見下ろしている。

「だいじょうぶ? ごめんね?」

 ウルカは笑ってしまった。ヘテヤが今度はぽかんと口をあける。

「だいじょうぶだよ。びっくりしただけ」

 ウルカが言うと、ヘテヤは目をぱちぱちさせながらうなずいた。小さな手を差し伸べてくれる。ウルカはその手を取って立ち上がった。

「ウルカ、心配だったんだよ」

 ヘテヤはまっすぐにウルカを見て言った。

「もう来なくていいって言ったから、だいじょうぶなんだっておもってたけど、やっぱり心配だったんだよ」

「ごめん」

 ウルカは素直に謝った。

「でもよかった、元気そうだから」

 ヘテヤが顔いっぱいで笑う。ウルカもつられるように口元が緩んでいた。するとヘテヤが伸びあがった。

「ウルカ、笑ってるの?」

 くるんとディーオを振り返る。

「ねえねえディーオ、ウルカやっぱり笑ってるよね!」

 ディーオは興味なさそうに肩をすくめた。

「笑ってるんじゃねえか」

 ヘテヤがぱあっと全身を輝かせる。夏の太陽みたいで、ウルカは目を細めてしまった。

「やっぱり笑ってるよね! ね、笑ってるんだよね!」

 ヘテヤはウルカの手を取って飛び跳ね始める。ウルカはぶんぶんと両手を上下に振り動かされながら、とりあえずうなずいた。

「今はもう笑ってねえぞ。おまえがうるさくてびっくりしてる」

 ディーオがけちをつけた。

「えっ? でもぼく、ウルカが笑ったのたぶん初めて見たよ! うん、初めて見た! ウルカは笑うとかわいいよ! もう一回笑って!」

 ヘテヤが迫ってくる。ウルカはその勢いに気圧されて背中をのけぞらせた。

「え、いや、ヘテヤ」

「あっ! ウルカがぼくのこと呼んだ!」

 ヘテヤは再びディーオのほうを振り返って叫んだ。

「ねえディーオ、今ウルカ呼んだよね? ぼくの名前、言ったよね?」

「言ったんじゃねえの」

 ことさら面倒そうにこたえるディーオに、ヘテヤは大きくうなずいた。

「ね、そうだよね! じゃあウルカ、あれは誰だ! 呼んでみてよ!」

 ヘテヤはウルカを揺さぶりながらディーオをゆびさす。ディーオは顔をしかめている。

「ディーオさん」

 ウルカは揺れながらこたえた。その瞬間、ヘテヤが両手を挙げた。

「やったあ! よかったねディーオ、覚えてもらえてたね!」

 ディーオは無言で歩み寄ってくると、ヘテヤの頭をぐしゃぐしゃとかき回し始めた。

「わあ! やめてよ!」

 ヘテヤは楽しそうな声を上げている。ウルカが半ば呆然とそれを眺めていると、不意にディーオが言った。

「死んでるんじゃねえかとおもったよ、お嬢さん」

「お嬢さん? それってかっこいいねディーオ、どこで覚えたの?」

 無邪気に疑問をぶつけたヘテヤは、髪をさらにめちゃくちゃにされるはめになった。




***




 ウルカは、チャミンが持たせてくれた薬草をさっそく使ってふたりに薬草茶を淹れた。蜂蜜はないけれど。長椅子に座って待っているふたりに器を運んでいくと、ヘテヤは目に星を散らして大喜びしてくれた。ディーオは何やらいぶかしげにウルカを眺めている。

「あんた、なんかあったのか?」

 ディーオは気味悪そうに言った。

「もしかして死ぬ気なんか?」

 ウルカは恥ずかしくなってうつむいた。今まで不摂生の限りを尽くし、生きているのか死んでいるのかわからない状態でいたやつが、いきなり薬草茶など淹れだしたのだ。その感想はあたりまえだとおもう。

「死ぬ気ではないです」

 ウルカは小さくこたえた。そんな気がないから、今までろくでもない生活をしていたのだし。

「だめだよ死んじゃったら!」

 ヘテヤが拳で机を叩いて怒鳴った。

「ぼくたちがいるんだからね!」

 ディーオが薬草茶をすすって、その感想を述べる前に言った。

「今日はな、もしかしたらあんたが死んでるんじゃないかとおもって来たんだぜ」

 はっとして見ると、ディーオは煩わしいことこの上ないという顔をしていた。

「いきなりもう来なくていいとか言うからさ。ほっとけってことだとおもってほっといたけどよ」

 ヘテヤがディーオをじとりとにらんだ。

「ディーオ、しぬしぬ言ったらだめなんだよ」

「うるせえ。生きてるもんはみんな死ぬんだよ」

「口を縫いつけましょう!」

「おまえのほうが物騒じゃねえか」

「あ、でもディーオ、ディーオはさ、ウルカはだいじょうぶなんだって言ったよね。死んでるんじゃないとか、言ってなかったよね。もうだいじょうぶだから、来なくていいってウルカは言ったんだって、言ったよね?」

 ヘテヤの突然の指摘に、ディーオは器用に片方の眉を動かしてこたえた。

「そう言わねえとおまえ、押しかけるだろ、ここに」

 聞いたヘテヤが悲鳴を上げた。

「嘘ついたの?」

「そうだよ」

「嘘はだめなんだよ!」

「上手に生きてるやつはみんなご立派なほら吹きなんだぜ」

「そんなのへたくそだよ!」

「違うね」

「違わないもん!」

 ヘテヤは強い瞳でディーオを見据えている。ディーオはそれを真っ向から見返していた。ヘテヤが叫んだ。

「だからディーオは、『生きるのがへたくそ』なんだ!」

「そうだよ」

 ディーオはヘテヤの頭をそっと撫でて、それからウルカを見た。

「まあ、生きててよかったよ。あれを最後に死なれたら、寝覚めが悪いからな」

「ディーオのばか!」

「ああはいはいありがとな」

「ばかばかばか! 世界一ばか! すっごくいっぱいびっくりばか!」

 ヘテヤはむきになってディーオをぽかぽか殴っている。ディーオはそれをいなしながら言った。

「五日に一度は来ないと、このうるさいのが押しかけるぜ」

 また泣きそうになって、ウルカは唇をかんだ。そう、わたしはこのふたりの店の金づるだし。

「ありがとうございます」

「やっぱり気味わりい」

 ディーオが笑う。ウルカは長椅子に歩み寄って、ディーオの髪の毛を荒らし始めたヘテヤに声をかけた。

「ねえヘテヤ」

「何!」

 ヘテヤが目をつりあげてウルカを見る。少し打撃を受けながら、ウルカはヘテヤのやわらかそうな髪に手を伸ばした。触れる直前で手が止まる。見えない壁があるみたいに、そこから先に行けなくなる。

 するとヘテヤがウルカの手を掴んだ。怒った顔のまま、ウルカの手を動かして頭を撫でさせた。ヘテヤの髪はおもったとおりにやわらかくて、でも見た目よりも傷んでいることがわかった。

「こうだよウルカ」

 ヘテヤはふくれっ面で言った。

「わかった?」

 ウルカは小さな子供みたいに、こくりとうなずいていた。するとヘテヤが厳かに言った。

「うん、よろしい」

 ウルカはおもわずふきだしてしまった。

「あっほら、ウルカは笑ってるとかわいい」

「ヘテヤはかわいいけど」

「ウルカのほうがかわいい!」

 ヘテヤは目を三角にして言い張った。また怒り出してはいけないので、そうだねとこたえておくことにする。

「おい、かわいいヘテヤ」

 ディーオがヘテヤに薬草茶の器を差し出した。

「これ飲んでみな」

「ウルカが淹れてくれたお茶!」

 ヘテヤは器に飛びついて、顔をうずめるようにしてひとくち飲んだ。ウルカはおもわずじっと見つめた。するとヘテヤが、目を白黒させ始めた。

「えっどうしたのだいじょうぶ?」

 ウルカはあわててヘテヤの背中をさすった。ディーオが押し殺したように笑っている。

「あんたさ、それ、自分で飲んでみたんか?」

「えっ、だってこれは」

「けっこう苦いぜ。なんの薬?」

 それを聞いて、ウルカは悟った。蜂蜜がないからだ。小さな子供には苦すぎたのかもしれない。自分では蜂蜜なしのものを飲んでみなかったので、気が付かなかった。

 ヘテヤは舌を出して、ウルカの服を引っ張りながらこくこくとうなずいている。苦さから人を救うすべは知らなくて、ウルカはひたすらヘテヤにお湯を飲ませた。そうしているとディーオが、おみやげをおもいだしたなどと言って林檎の監獄を取り出した。ウルカはすぐにそれを切り分けて、ヘテヤの口に突っ込んだ。そのあわてぶりをディーオが愉快そうに眺めていたから、あとでふたりでにらみつけてやった。

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