4-2 寒風に揺れる

 まだ、現実ではない気がしている。身の丈に合わないことをしでかしているとおもう。どうしておまえがと、見えない何かから責め立てられている気がして顔を上げられない。でも、それなのに、身体の真ん中がふんわりとあたたかい。

 ウルカは夕方の街を歩いていた。ちらちらと雪花が舞っていた。隣にはジンがいる。そばにずっと、人の気配があるのはひさしぶりで、なんだか嘘みたいだ。

 ジンは、夕飯一緒に食べませんか、食べよう、食べるべきだ、食べなければならない、となぜか強硬に言い張った。さすがにちょっと怖かった。でも、いくら脅しの勢いで誘われたからと言っても、ついてきているのはウルカの意思だ。急に訪ねたらどう考えても迷惑なのに。それに、ちゃんとひとりで生きていくと決めたばかりだったのに。

 「そういえば」

 ジンがおもいだしたように言った。

 「ウルカはどこに行こうとしてたんだ?」

 ウルカは顔を上げた。ジンがこちらを見ていた。柔らかくて、心地よく砕けた空気を醸し出している。呼び方も話し方もあっさりと変わったけれど、その雰囲気は変わらない。

 「えっと」

 ウルカは地面に目を移した。

 「会いたくないから、出かけようとおもった」

 ほかに何も考えつかなかったから、正直にこたえた。

 「あっ、おれに会いたくなかったのか」

 ジンはなるほどとばかりに言った。

 本当は、会いたかった。待っていた。でもそんなのだめだとおもったから、外に出たのだ。今おもうと、昨日のように街で出くわすこともあるから出かけるのも危険だった。きっとどこかで、期待していたのだ。醜くて嫌気がさして、顔が歪む。

 「おれは会おうとおもって急いだ」

 ジンが軽やかに言った。

 「急いでよかった」

 ウルカは外套の胸元を掴んだ。ぎゅっと、絞られたように痛かった。

 冷たい向かい風が押し寄せてくる。白い細かな粒に巻かれる。痺れるほど寒くて、それなのに心臓のあたりは熱い。

 「だいじょうぶ?」

 ジンが気遣ってくれる。ウルカはうなずいた。

 「だいじょうぶ」

 「そうか」

 通り過ぎたとおもった風が、また向かってきた。

 「わあしつこい!」

 ジンが叫ぶ。ウルカはおもわず笑ってしまった。確かにこの季節は、ちょっとくどいくらいに強い風が吹いてくる。

 ジンも笑っていた。ウルカはまだ、その笑顔を見上げることができなかった。

 「もうすぐ着くから」

 ジンが大声を出す。そんなに声を張らなくても聞こえている。

 「ウルカのことは、ほっとけない人だから連れてきたって言うよ」

 冗談めかしてジンは言った。ウルカは立ち止まってしまった。ジンが振り返る。

 「どうした?」

 「帰ります」

 ウルカはできるだけきっぱりと言った。やっぱり、下宿の人たちにもジンにも面倒をかけてしまうし、それにジンに甘えすぎている。これはおかしい。

 「さようなら」

 「じゃあおれも」

 踵を返したウルカのうしろで、ジンがあたりまえのように言った。

 「はあ?」

 ウルカはおもわず声を上げて振り返った。ジンはけろりと平気な顔をしていた。

 「何言ってるの?」

 「えっ? おれも一緒に戻るって」

 ウルカは返す言葉をなくした。あきれ返って何も出てこない。口をぱくぱくと動かし、出まかせも言えないことをおもい知ってあきらめた。

 すると、おどけたような顔をしていたジンが、不意に表情を変えた。

 「今日はだめだ」

 ジンは真剣な目でウルカを見据えていた。何かの予言のような言葉は、なぜかずしりと重かった。おもわず目を見張ると、ジンは静かな口調で続けた。

 「今日は一緒に食べなきゃだめなんだよ」

 またそれか。

 「せっかくここまで来たんだし。おれが無理やり連れて来たって、みんなわかるから。自慢じゃないけど、みんないい人たちだよ」

 ジンはにこりとした。

 「やっぱり自慢かな。みんなどこから生まれてきたのって聞きたくなるぐらいの人たちなんだ」

 行こう、と手招きするジンが眩しかった。ウルカは覚えず、明るいほうへ足を踏み出していた。




***




 ただいま帰りました、とジンが大きな声を響かせる。ウルカはジンのうしろで縮こまっていた。これはいったい、どんな顔をして存在すればいいのだろうか。

 「おかえりなさい!」

 金色の鈴が鳴るような声が聞こえて、奥の部屋からぱたぱたと誰かが出てきた。栗色の髪を高く束ねた、たおやかな女性だった。ウルカよりも少し年上くらいだろうか。明るく輝くような目をしているその人を、素直にきれいだとおもった。

 その女性はいきなり、ジンの鞄を荒っぽく奪いにかかった。ウルカはちょっと驚いた。かわいらしくて上品さを漂わせる彼女の姿からは、想像しにくい動作だったのだ。ジンは笑顔で鞄を死守している。

 「ネイレさん、今日は」

 ジンが言ったとき、ふと女性がウルカのほうを見た。柔らかな光をたたえた青い瞳と視線がつながって、ウルカはどきりとした。ぴんと背筋を伸ばす。

 「あっ、お友達ね!」

 華やいだ声で女性は言った。澄んだ目がきらりと光る。

 「はい。今日はちょっと夕飯食べに来ないかって、誘っちゃいました。ウルカです」

 ジンがさらりと紹介する。誘っちゃいましたではない、友達を誘っちゃうなら先にこの人に連絡するべきだし、わたしみたいなのを連れてくるのは間違ってる。ウルカはいろいろとおもった。そうではあるけれど、女性がなんだかうれしそうに、お友達、と言った声がふわふわと頭の中で響いている。ウルカは身体に力を入れたまま言った。

 「あの、突然お邪魔してすみません、ウルカ・ラミーパと申します、ご迷惑だとは……」

 「そう、おれが無理やり連れてきました」

 ジンが口をはさんだ。ウルカはふるふると首を振った。ついてきたのはウルカだ。

 「ウルカちゃん」

 優しく両肩に触れられた。

 「いらっしゃい。来てくれてうれしいよ。そんなにかしこまらなくていいから。ね?」

 親しげな口調が、とてもあたたかい。

 「わたしはネイレ・リウソムスっていうの。ここのおかみの娘みたいなものかな。よろしくねウルカちゃん」

 ネイレはにっこりと笑った。春の花がひらくみたいだった。

 「よ、よろしくおねがいします……」

 ウルカがつかえながら言うと、ネイレがくすくすと笑った。

 「初めてのところは緊張するかもしれないけど、ここはお城とかじゃないよ。固くならなくていいんだからね」

 「にぎやかだね」

 奥から声が聞こえて、もうひとり女性が出てきた。ネイレと同じ栗色の髪をきっちりとまとめた、落ち着いた雰囲気の人だ。おかみさんだろうか。

 「この人がおかみのチャミンさんだよ」

 ジンが言った。

 「チャミンさん、友達連れてきました。ウルカです」

 ウルカは、今度は大きな声を出すことを試みた。

 「ウルカ・ラミーパと申します! 急にお邪魔してしまってご迷惑」

 「チャミン・ポダだよ。芋しかないけど食べていきなさいね」

 チャミンはウルカの口上を最後まで聞かずにそう言ってくれた。ウルカはもう、半ば気絶したような状態だった。ネイレとチャミンに受け入れてもらえたのだとおもえてしまって、夢を見ているみたいだった。

 「あともうひとり、ドゥイルくんっていう人がいるんだけどね、まだ帰ってないの」

 ネイレが教えてくれた。

 「そうか、じゃあウルカ、とりあえず中に」

 ジンが言ったとき、うしろで戸が開く音がした。

 「噂をすれば」

 チャミンがおかしそうに言う。

 振り返ると、ジンより少し背の高い男性がすらりと立っていた。切れ長の目をして、静謐な雰囲気をまとっている。玄関に集合している面々を見ても、その人は少しも動じなかった。

 「帰りました」

 「おかえりドゥイルくん」

 ネイレが言って、ドゥイルというらしいその人の鞄も狙いにいく。するとドゥイルは、ネイレが鞄を掴む直前にひょいと持ち上げた。

 「あっひどい! 届かない!」

 ネイレが伸びあがりながら叫ぶ。ドゥイルはほのかに口元を緩めている。その表情がなんとも言えず優しくて、ウルカはジンの言うとおりなのだなとおもった。

 「ずるいぞドゥイル、正々堂々と勝負しろ」

 ジンがよくわからない文句を言っても、ドゥイルはすましていた。

 「ドゥイルくん!」

 ネイレがまっすぐドゥイルを見上げると、ドゥイルは急に目を泳がせてあらぬ方向を見た。

 「今日はジンくんのお友達が来てくれてるんだよ。ほら、ウルカちゃん」

 ネイレに手招きされる。ウルカはネイレの横に並んで、ドゥイルにも挨拶した。

 「ウルカ・ラミーパと申します。今日は急にお邪魔していて」

 ウルカが言いかけると、ドゥイルはすっと片手を上げた。おもわず黙ってしまう。ドゥイルは淡々と言った。

 「ドゥイル・ムルゴです。ジンがお世話になっています。声も態度も大きい不束者ですが今後とも」

 「おいドゥイル?」

 ジンがあいだに割り込んできた。

 「そんなことわざわざ言わなくても、もうとっくにばれてるよ。いらないいらない」

 「そうだね。ジンには会った瞬間わかるでしょうね」

 チャミンが断じた。ネイレがこらえきれないというふうに笑い出す。ドゥイルはそうですねと心から納得しているようだ。そんな様子を見ていると、ウルカも笑ってしまった。

 「みんなありがとう」

 ジンはやけくそのように言った。

 「わかってくれててうれしいな!」

 我慢しようとしたのに、ネイレと目が合うとまた笑えてしまった。ひとしきり笑ったあと、なんだか力が抜けた。こんなに笑ったのは、誰かと笑ったのは、いつぶりだろう。

 「じゃあ、みんな揃ったし夕飯にしようか」

 チャミンが言った。

 「芋しかないんだけどね! おいしいとはおもうから」

 そう言うネイレに背中を押してもらって、ウルカは奥の部屋に招き入れられた。

 四人掛けの食卓があって、天火と暖炉が備えつけられた部屋だった。暖炉に燃える火は、ウルカの部屋よりも明るい色をしているように見える。きれいに端切れを縫い合わせた目隠しがかかった小さな窓があって、窓辺に薬草が干してある。壁には、愛らしい動物をかたどった小さなぬいぐるみがいくつか飾られていた。

 「ウルカはここに座って」

 ジンが椅子を引いてくれる。

 「えっ、あの」

 ウルカはなんだか混乱していた。やっぱり現実じゃないみたいだ。こんなことが本当に自分に起こっていいとはおもえない。

 「椅子の数は気にしなくていいよ。ドゥイルが持ってきてくれる」

 なかなか返事ができずにいると、ジンは言ってくれた。そういえばドゥイルがいなくなっている。そこへ、どこからか椅子を持ったドゥイルが現れた。

 「おうありがとう」

 ジンが椅子を受け取っている。

 「二階に部屋があるんだよ」

 ネイレが楽しそうに微笑みながら教えてくれた。

 「そうなんですか」

 ウルカはなんとか笑って見せた。

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