17-本質と現象

「どうして全員が集まることになったのか。琴音さんが長い間行き続けていたあの交通事故の被害者の会でヴァニラさんと奥山さんと出会いましたね」

事実に頷く。

「ユーンさんが都くんの父親と決別をしに来た時にお二人は知り合いましたね」

事実に頷く。

「ホームレスになっていたところを桑木さんに声をかけられてミカエルさんは知り合いました」

事実に頷く。

「六波羅さん、杉澤さん、郡上さんは言わずもがなの関係性はもちろん。矢車さんも」

事実に頷く。

「奥山さんとヴァニラさんも。そして弓削さんとユーンさん」

事実に頷く。

「どうしてこの全員が集まったのか私は考えました。全員が都くんが真犯人として絡んでいる事件の被害者なのだろうか。間接的だとはいえ大切な人を奪われている。どうして偶然にも会うことが出来たのだろうか」

白々しいにもほどがあるほど大げさに動いて表現する。

「単純な話都くんがいたから出会ったのです。皆さんがどうやって会社のメンバー入りをしたのかに関しては知りません。それに関係がありません。集まった人間が、全員都くんに対して恨みを持っていてもおかしくない、ということが問題なんです。ホテルの職員の方々は楽しそうにしていた、と言っていらっしゃいました。嘘で、そんな笑いは出来ないでしょう」

つまり何が言いたいのか。

「大切に思っている存在だけれど殺害しなければいけなかった」

使命として。義務として。そう思わせたものは何なのか。

「都くんが原因で起こった事件事故で皆さんが抱えられた哀しみは数知れず。ユーンさんや弓削さんが気づいたように。交通事故を起こした時の年齢が小学校中学年。完全犯罪を成し遂げたのはほんの二年前。普通の人間ではないことは皆さん何となくお気づきだったでしょう」

全員は俯いてしまった。気づいていながらも大切に思っていたから周りにバレないようにと思って隠し続けたのだ。必死に、ただひたすらに。

「ただだからと言って殺人は許されない。皆様が犯人であることの証拠にこれをご覧ください」

防犯カメラの映像だった。まず客室の場所が大きく映し出されていた。

「三日目の午前一時十四分です。この時桑木さん、出水さん、琴音さんは飲んでいた、と言いましたよね」

「はい、そうですけど」

「どうしてか二日目にある監視カメラの空白の数分が謎だったんです。三分程度のブラックアウトならまあバグかな、とも思ったんです。念のために連れてきていた画像解析班が切り取って、はめ込んでみたんです。その映像がこちらになります。二日目の午後零時ちょうどあたりです」

別の画面に切り替わり画角は同じ。桑木が琴音を背負って歩いて行く秒数が小数点以下までぴったり当てはまった。切り取ったことの紛れもない事実だった。

「この三分間に皆さんは部屋を一斉に出て、吹雪く外に出たんでしょう?停電はもう少し後に始まるのでね。ちゃんと映ってしまっていた。しかしとりあえず都くんを綺麗に殺害。それから客室に戻り、編集作業をしてそのデータにすり替えた。どうして全員が犯人なのか、まだ分からない人もいるでしょう。全員が怪しくないという状況は全員がいないと作り出せなかったからですよ」

基本的に二人部屋。その二人はずっと一緒に行動していた。都を殺害するとなるとどうしても人が余ってしまう。動機が唯一はっきりしていない弓削がいることで事態はもっと謎に包まれる。一番怪しいのは弓削だけど、弓削には雪を建物に詰め込めるだけの力がない。


全ての本質はこうだった。


リフトの近く、向かい側には地下駐車場が見える小屋の中に都はいた。そして扉がキイと音を立てて開く。都はその音の方向を確認するために首を回す。

「社長?」

「夜中に、それも吹雪いている中呼び出して、すまないね」

「それは全然。面白いものってなんですか?何が見られるんですか?」

「君が、都くんが見てきっと楽しい気持ちになるものだよ。何か分かるかな?」

「こんな人払い的なことをするってことは人にせよ、何か生きているものが苦しんでるところですか?」

都は悪びれることもなく、そう答えた。正しいものがそれであり、隠す必要がなく、至極当然のように。それはおかしくないように。他の人も好きでしょ?という態度で。

「今まで学生のうちは隠していたんだろう?」

「父さんにそう言われたからです」

「なんて言われたんだ?」

「僕の行動はおかしいから。異常だから。死骸とか、歪んでる顔、屈辱を感じている顔を見て楽しいと思うのは俺が嫌いな人と同じくらい嫌われる行動だから。それに成り下がるような行動をしないでくれって」

「でも殺したりしていた。それは正しいよな」

「まあ、否定は出来ないですね。当たり前のような人間。どこにでもいるような人間になれって言われたので僕はこういう口調になったし、友達が出来ました。自分らしさを謳う社会なのにおかしいですよね。偽りの自分じゃないと好かれないなんて」

事務用のくるくる回る椅子に座って桑木を見上げながら、しかし顎は上がって見下す姿勢で口を開き続ける。

「どうしてそれが好きなんだ?本能とか、性癖とかは誰にでもあるものだ。しかし都くんのは」

「『異常』そのくらい分かってます。でもどうして俺ばかりがそう言われるんですか?それって差別じゃないですか?どこにでも人と違うことが好きな人なんてありふれているのに。どうして、俺だけが差別をされるんですか?区別をされて、一線を画せ、と言われるんですか?」

使われた『差別』という単語に桑木や、小屋の外で吹雪に耐えているスタッフの面々は心臓が跳ねた。ギリギリ聞こえる声量の中で都が特に強調した言葉だったからでもあった。警察がいるだけで犯罪の数は目に見えて減るようなこと。

「ミカエルさんがゲイで性自認もよく分かってないからって同じ時間に風呂に入りたくないよね、ってするのは差別ではないんですか?ヴァニラさんが女子とお茶に混ざろうとしたら性別不詳は男と一緒にいろっていうのは?」

「っそれは……」

「差別と配慮を混ぜ合わせてさも善人ぶっている人が多すぎます。嘘つきは罪です。死ぬべきです。嘘つきとして殺されたくないなら、隠すべきです。隠匿は罪じゃない」

「嘘つきの前に、殺人も罪だろう」

「そうですね。粛清、と思っている僕からしたら法律は無意味ですし、不完全です。人をたくさん殺したり、非人道的ことをした人が死刑になることと僕の粛清って同じなんです。行政や、司法がやっているか、個人で僕が勝手にやっているか。それだけの違いです。生きてたって意味がない人が生きていたら可哀想でしょ?」

善人ぶっているわけではない表情が猟奇さを増やした。悪に天罰を下すヒーローや、正義の見方というわけではない。悪を殺す、自分も所詮は悪。それが分かった上での『粛清』と呼ばれた行動は都の中では当たり前だった。

「何が差別で、差別じゃないかは人それぞれだとは思います。分かりやすいラインがないのに明確に線を引く行為を差別と呼ぶならこれは差別ですよね。自分の好きなもの、ことはおかしいから。異常だから。あなたとは関わりません。あなたはおかしいです。なのでそれをやめてください。近づかないでください。それはれっきとした差別です。区別や、配慮の範疇を超えてます」

「でもそれは、犯罪行為も含まれているからで。犬や猫を殺すのは動物愛護法だとか。人を殺せば殺人罪じゃないか。さっきも言ったように」

「僕は今の今まで裁かれていません。バレなければ犯罪じゃない。赤信号だってみんなで渡れば怖くないなんて言葉があるみたいに集団の中に紛れ込んでしまえば隠れることなんて容易いこと。それに罪を犯した人、人たちに犯罪の意識がなければ反省もしない。取り締まったってまた同じことを繰り返す。正義も、大義名分もない人に比べて嗜好の範囲を抜け出して意味がある行動として一般的には違法だったり、罪を犯すという行為をする。どっちが正しいでしょうか」

言われている意味を理解するのはそこまで難しいことではなかった。多数の影に隠れてひっそり、ちゃっかりと人を傷つけたり、見ない振りをする。自分の利益や、不利益を被らないという目的のために。

弓削のいじめがいい例だ。自分が害されたくないから、と自分よりも弱そうなものを標的に定めて純粋無垢を笠に着る。クラス全体でいじめる人、見て見ぬふりをする人。たった一人のターゲット。その構図を作り出すことで誰も彼もがその一人にならないようにと行動をする。それは偏に、自分が傷つけられないようにするため。

教師はどんな理由であれそれを止めなければいけない。生徒は等しく平等に扱うべき。と言っても権力者が背後にいる生徒を優遇してしまうのは仕方がないかもしれない。優遇しても、その他の生徒を蔑ろにすることは認められるはずもない行動だ。

萬もそう言った。警察は特定の誰かを卑下してはならない。優遇することはあっても、差し伸べかけた手を寸前で引き上げ嘲笑する権利はない。

分かりやすく被害を受けているのにそれを無視した。大多数を守ったのは、大多数に味方をしたのは子供とは言え束になって襲い掛かられたら教師だろうと精神や肉体に被害を受けるかもしれないと危惧したからだ。

利益のために奔走するのは決して悪いことではないが、周りの人を突き飛ばしながら進んでいく。なりふり構わず走ることを『多くの人がやっているから』という不確かな不特定多数と徒党を組んで良しとする。

都の中では自分の利害とそれが一致したのだ。

自分は人が苦しんでいる顔を見たい。それを見るためには人を傷つけたり、嫌がる行為をする。ならば、その行為を厚意として向けることを許される相手に向けよう。そう思考回路は完結した。

「欲望を我慢すればするだけ感情は大きくなる。その分の反動も大きくなる。じゃあ適当に殺しても大丈夫そうなものを、殺しても大丈夫そうな時に殺す方がよくないですか?」

子供が空がどうして青いのかを聞く顔で、赤色の鮮血の美しさや、苦痛に顔を歪め噴き出している時の生き物が美しいと認められないのか。美しいはずのものを作り出している自分の手がどうして汚れていると、切り落とすべきだと思われるのかの理由を尋ねた。

桑木は怒りではなく、落胆を覚えた。都の内部をここまで捻じれさせた世間も、気づけなかった自分も。止められなかったことも。その始まりも。何もかも。

桑木の中で都はとても大切な存在だった。結婚もしておらず、子供もいない桑木にとって都は子供のような存在。そしてそれは会社のスタッフ全員が同じだった。琴音や出水にとっては下の子、弟のような存在。残虐なことを好いていると知ってもユーンは日本語で優しく話しかけてくれたところも忘れれられない。

ヴァニラ、ミカエルは先ほど都が口に出した通りまだ差別意識が完全に消えたわけではない社会で後期の視線にさらされることもあったけれど何の偏見もないような顔をして、行動にも嘘じゃないソレが現れていたから自然と心を許していた。杉澤は年齢が近い方で共通の趣味もあり、病みやすい面もサポートしてくれたから簡単に信用が出来ない性格だったがだんだんと仕事にも手を出せるようになったきっかけとして大事に思っていた。

奥山にとっての都は弟子だった。分からないことを素直に聞いて、自分だけの技にしようと磨く真っ直ぐな姿勢は誰が見たって応援したくなった。郡上、六波羅の音楽コンビとカラオケに行くことも多くて、プライベートでは一番関わりが深かった。親友の関係性になるのにはそこまで苦労はいらなかった。スタッフの中で都が一番慕っていたのは臣道で兄のように頼っていた。頼られることが嬉しかった臣道の中で言わずもがな大切な存在へと昇格していた。

残虐性を知りながらも弓削がユーン以外にバレていないと信じて隠し続けたのは友達以上の感情を抱いていたからだ。恋愛的な好き、将来を見据えた付き合いをしていきたい。そう思うくらいには都のことを大切に思っていた。

全員の共通意識の中である程度『普通』として捉えている枠に誰かの反対理論を押し留めておくことは出来ない。普通のように振舞えてもいつかはボロが出る。その時孤立に追いやられ、寂れて忘れ去られるまで誰も関わってこようとしない。

もしそうなれば、都の母親が死んだ時のような喪失感を再び味わうことになる。都の心に闇を作った原因の事故、事件。闇に快感を覚える回路を生み出したのは周りの存在だ。母親を死に追いやったのはカルティンブラで関わった桑木たちではないにしろ周りが理由だ。だから救いも、周りであるべきだ。

共生することが難しいこともあるように。

人と人が交わって生まれる影響が必ずしも優しいものでないように。

そうだった時、易しい解決方法があるわけではないように。

「……そうか」

「納得されないことは分かってるけど、理解されずとも否定されるべきではない理論だと僕は思うんです」

「そうかもしれないな。都くん、君は美しく人が死ぬ姿が見たいのか?」

「人が死ぬ姿が美しいんです。それも苦しみながら死んでいくのが特に。死んじゃったらもう面白くないけど。永久に保存されるその表情を歪められないのは惜しまれることだけど。それ以上に呼吸をしていない状態が美しい。生命活動って醜いんですよ。ご飯食べたり、話したり、風呂に入ったり、用を足したり。それをしない状況は何よりも綺麗だと思います」

何より、と人差し指を立てて言葉を続ける。

「棺の中に花が添えられていく様が美しい」

「惨殺死体か、綺麗な死体か。という質問だったら?君はどっちを選ぶ?」

「まあ、綺麗な死体ですよね」

この瞬間、周りの捻じ曲がった救世主たちの心は一つに固まった。

「だから僕は出来れば土葬が良いんです。骨になっちゃったらもっともっと面白くないじゃないですか。骨になるんでしたっけ?ならないんでしたっけ?まあ、どっちでもいいんですけど。あ、それにいつも内季くんだったのに珍しいですね。僕のことを名字で呼ぶなんて」

「君は、気づいているのか?」

「何がですか?面白いものなんて用意されていないことですか?それとも、社長が僕に対して何かをしようと思っていることですか?もう説教が意味を為さないことに気づいて、関係性を破棄しようとしていることですか?」

「全部気づいてるんだな」

「人が離れていくのは慣れっこなので」

慣れる前に気づけていたらもしかしたら道は変わっていたのかもしれない。それは幸せな思い込み。

もっと早くに気づけていたら。もっと早くに対処法があれば。もっと早くに、殺していたら。この世に被害者は増えなかっただろう。そう思うと全員が、自分を責めていた。

「都くん、最後の質問をさせてくれ。どうして矢車社長を殺した?」

「米塚さんとご縁がなかったからです」

全てのきっかけは都内季という一人の少年と、一人の青年だった。その少年と青年と、被害者が関わることもなければ更なる被害者も。少年が青年になった時に殺される羽目に。慈悲殺として正当性を主張されて命を奪われることもなかったはずなのに。

一人の少年が、赤ん坊として誕生しなければ。

起きてしまった悲劇が起こらなかったのに。

そうやって誕生を疎まれることもなかったのに。

一人に慣れてしまうこともなかったのに。

止まない後悔と保護者の懺悔が生まれた理由が明かされる。

「それは、どういうことだ?」

「米塚さんは矢車社長の事務所に所属してた誰だったかな……アーティストか何かのファンだったんですよ。家庭教師も結局はバイト。すねかじりのまま生きていくのが何となく嫌だなって思ったらしい米塚さんがその事務所にマネージャー的な存在になれたらって感覚で応募したんです」

「都くんと未来はどんな関わりがあったんだ?」

「あまり他人と関わらせたくなかった父がつけてくれた家庭教師が米塚さんでした」

「それから傷つけよう、と思った意図が分からないんだが」

「傷つけようなんて思ってないですよ。ご縁がなかったって言った通り米塚さんはその面接かな?に落ちちゃったんです。仕方ないよね、って悔しそうな顔をしてたんです。嗚呼なんか虚しい人間だな。って」

面接に落ちることは珍しいことではないし、マネージャー業ともなれば経験が必須になる。一番最初の経験をどこで積むのかは別にしても経験がないただの家庭教師のバイトをしていた人間を雇おうとは思わないだろう。十年ほど前で規模も大きくないとしても雇用する人を見極めるのは社長の権利だ。

バイトや、就職。その他の試験や、合格点や確かなハードルがあるもの。超せなかっただけで虚しい人間、と思われる。都の理解出来ない感性に触れるたび常識の範囲内の思考しか持っていない桑木は黙って聞いているしか出来ない。

「虚しい人間がする絶望の表情って確かに綺麗なんですよ。でもそれ以上に哀れだなって思ったんです。子供ながらに」

「だから?」

「生きていても仕方がない人間。だから僕がその命に意味を持たせようと思って。テレビに出たいっていうのが夢な馬鹿みたいな小学生いるじゃないですか。どうやって出たいのか、それを考えてない奴を僕は馬鹿だと思ってるんですけど。でもそれって分かりやすい『承認』じゃないですか」

ーじゃないですか?と納得は至極当然の事象として進んでいく話に食らいつきながら無言で続きを促した。

「矢車社長にも承認されず、美しい表情にしか取り柄のない虚しい人間。それに意味を与える。つまりは『承認』させる。米塚未来という一人の人間が生きていることを。それが過去形になったとしても。数年で、数か月で忘れ去られたとしても。そのために大きな事故でも起こしてその犯罪者として認識され、否定的な『承認』をされて生涯に幕を引けばいい。そう思いました」

到底納得は出来ない理論を、高尚なこととして語る都は狂っている。その形容が当てはまりすぎた。出来れば狂っていないで欲しかった。桑木は自分や、他のスタッフの手でねじ曲がってしまっているものを正しい方向へと。ある程度普通を装って生活出来るくらいに曲げられたら。

手を差し伸べられるだけの、修復の余地があると思える隙間を話している間中ずっと探していた。それはもうどこにもなかった。これ以上話していたとして、見つかることがないと分かってしまっていた。

「矢車社長は、米塚未来さんとどう関係しているんだ?」

「ああ、そうでした。それを聞いてたんでしたね。うっかりしてました。米塚さんは僕の中でも大切な人、だったんです。人に敬遠されるタイプの人間である僕がわざと見せないところをほじくり返してくるわけでもなく。すごく好きな人だったんです。すごく好きな人、大切な人に美しい表情をさせてくれた人に対しては感謝の意を示すべきだし、何かをしてあげるべきと思ったんです」

「都くんなりの感謝の示し方が、殺害だったのか?」

「殺害というより、ラッピングとか。デコレーション?メイクでも何でも。僕の中ではそういう認識です。他者との齟齬が生まれることは分かりますけど。大切な人の表情を彩ってくれた人だからお礼をしないと。同じく、綺麗な表情にしてあげないと。そう思ったんです。ただそれだけです」


それだけ


言い切った。当然のことだが殺人はそれだけです。自分は正当な恋だと思ってやりました。そうだとしても罪が軽減されることはない。今まで逃げきっていた分の罪も加算されるだろう。

けれど全ては今この瞬間に清算される。お釣りも、過不足も何も発生しない。

殺意ではない。

そう言った都と同じことを返すだけ。お返しという概念に従うだけ。都と同じく殺意ではなく。殺害でもなく。行き過ぎたお節介のようなもの。

面接を落とされて落胆している表情を美しいと思うのと同時に、どうしようもないくらいに虚しい人間だ。救いようのない人間だ、と思ったのと同じ。これ以上都が生きていても、捕まるまで犯罪を繰り返す。犯罪と思わないまま自分も他人も容赦なく『傷つける』という言葉の持つ意味で救いとして人を殴る。これ以上都は生きていたって仕方ない、と泣く泣く判断した。

矢車に都が送った最上級のひねくれを持った感謝の形と同じ。人間として崇高な考えを教えてくれた都に対する感謝の気持ちとして命を奪うという行為を決めた。


「差別と配慮を同じにするな」


普通の通りを大手を振って闊歩している差別用語も誰かにとってはエンターテイメント。誰かにとっては爆弾。スタッフも差別をされたとは覚えていながら、誰かにしてしまうかもしれない可能性は忘れて人に優しくするふりをしていた。そんな心当たりがあった。

歪みがあるからこそ。それを悪いと思っていないからこそ。人に刺さった優しさは都の中でデフォルトの装備だった。そう装備で敵でも味方でもない自分のことを守ってくれた真っ直ぐ見えた逆蜃気楼の気遣いに


『ありがとう』


だから死んでね。


それだけ。


「どうして、何年も経って矢車社長を殺したんだ?」

「準備が出来てなかったからです。米塚さんの車に水を混ぜ込んだのは簡単に出来ること。ねっどで車のブレーキを効かなくする方法を調べたら一発出てくるし。水なんて誰でも、どこにでもあるから手に入る。殺人ともなるとそうはいかないじゃないですか。証拠を隠したり、いろいろ。しなきゃいけないことがあるから」

だから殺したのか、そう聞くと頷いた。その結果今の今までバレていない完全犯罪を都は成し遂げた。惨い方法で殺害され、証拠が残っていると思いきやそこでは何も見つからなかった。

調べたとして、考えたとして。実行出来るだけの度胸や、読んだり見たりした結果理解出来る知能があったことが最大の神様が与えたミスなのかもしれない。

護身用にどこでも売っている小さな催涙スプレーを桑木は都の目に噴射した。椅子から転げ落ち目を引っ掻きながらうめき声をあげるが桑木は近寄りもせずに傍観している。吹雪の中かなりの時間待たされて体力の限界、忍耐の際限が試されていた他のスタッフは解放感にあふれる表情で中に入ってきた。

「誰がっ、入って来たんですかね!足音的にスタッフ全員とか?僕をどうしようって言うんですか?」

「内季」

「京?」

「ごめん。好きだよ」

幼少期からの合気道の技を使い都の意識を強制的に切り離した。床に寝っ転がって、呑気に呼吸をしている都をさっきまで座っていた事務椅子に座らせて腕を組んでその上に頭を乗せた。地下駐車場が見える窓に向けた角度で。分かりやすく言うと内季の母が死んでいった場所を向く角度で。弓削が寝息を立てている都の横に置いたのは都の一眼レフだった。


【続く】

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