15-暴露【奥山ディア】【チャーリー・ヴァニラ】


「弓削さんの動機だけが見つかりませんでした。矢車社長が殺された事件にも、都『少年』だった頃に彼が起こした交通事故にも関わりがなかったんです。ユーンさんも、二つの事件事故と関わりがないのは事実なんですが、父親との直接的なかかわりがありました。それだけが私の中では不可解なことでした」

「だから私は殺してません」

「そうかもしれませんね。でも、私にとっては皆さんは同じです。何か心の中に闇を抱えて、それを晴らすには都青年の殺害しかないと考えた方々、そう思っています」

失礼な物言いだったが全員押し黙った。無言は肯定にもなってしまうが、否定にもなる。時としてその一部の無言がそこにいなければいけないものになったりする。そこじゃない場所で発生した無言はおかしいのに、と演出に昇華されることもかなりの頻度で起きている。

「弓削さんは驚くほどに関わりがなかった。専門学校でもグラフィックとカメラ。高校でも部活はなく、交友関係も別であった。ユーンさんに渡していた情報は果たして全て本当のことだったんでしょうか」

「嘘は言ってないです」

「けれど真実も言っていないと?」

「揚げ足ですか?」

「揚げ足です」

にこりと笑った萬に不敵な笑みを弓削はにらみつける。この状況はただでさえ好きな人、片思いに終わっている人を亡くしたのに犯人はお前だろ、と侮辱をしている図にしか見えない。

「弓削さんの謎解きはここでおしまいです。これ以上調べることがありませんでした。ご家族も都という少年の話は一度も聞いたことがない、と言っていましたし」

何度目かの同じようなターンをして雪山と吹雪を眺めた。既に運び出されているかちこちになった都の遺体はホテルの中で眠っている。二度と冷めることはない眠りの中で、眠り姫の演劇を完遂するために。眠り続ける。

「奥山ディアさんと、チャーリー・ヴァニラさん。お二人は未来を全て絶たれましたね。私ごときが簡単に話せるような内容でないことは分かっていますが、どうかお許しください」


奥山とヴァニラは高校を卒業する日に交際が始まった。クラスの中に奥山の気持ちを知らない人はいないほど早く付き合え、と周りに言われていた。奥手だと鈍感な本人は気づかず、周りに噂されていることもつゆ知らず。

ヴァニラ自身も何となく気付きながらも面白かったし、好きという気持ちが同じだったから黙って待っていた。卒業しても告白されなかったら自分から言ってやろうと意気込んでいた。

卒業式で一通り知り合いと写真を撮ったりし終わった後にヴァニラは奥山に呼び出されていた。周りの女子からの華やかなメイクで一団を可愛くなったヴァニラを見て奥山は顔を真っ赤にしていた。

「そ、その……似合ってるんじゃないか」

「ありがとう」

ベンチに座って何とも言えない空気が続く。じれったいと思ったヴァニラは口を開きかけた。それよりも前に、奥山が被せてきた。

「俺と付き合ってください!」

差し出された手を握った。涙が浮かんでいる瞳と顔を上げた奥山と目を合わせて微笑む。

「アタシも、ずっとあなたのことが好きだったのよ」

「よっ……よかったあ……ヴァニラちゃんが来た時からずっと、好きだったんだ……俺」

「そんな長い間なのね」

「ヴァニラちゃんはいつから?」

「あなたと同じよ」

ぷしゅうーと音が鳴って風船がしぼむみたいにベンチから崩れ落ちていった。それぞれ打ち上げの予定があったため別れたが彼氏、彼女の関係性になったことが嬉しくてたまらなかった。真っ先にそれをお互いのグループに報告し合った。祝福の言葉を受け違う大学に進学したがお互いの愛が冷めることはなかった。

交際を始めて二年が経った。大学生活にも慣れ、同棲が始まった。奥山もヴァニラも結婚を前提に付き合っていたのでいつかは同棲。そして結婚を夢に見ていた。何より、愛の結晶である子供が欲しかった。

「婚姻届けをもらってきましたよ。俺は」

「アタシは嬉しい報告があるよ」

「え、なになに?」

本人は自覚がないらしいが奥山はヴァニラとヴァニラ以外で態度が相当違う。

「これがさしている意味が分かりますか?」

妊娠検査薬だった。反応は、陽性。つまり、ヴァニラのお腹の中には新しい命が宿っているということだった。

「本当……?」

「何で嘘言うの」

「嬉しすぎて現実か分かんないんだよ!よかったー!」

「無事に生まれて来てね。ベイビーちゃん」

「ってか何をしてるの!早くあったかい格好して、家事も俺がやるからヴァニラちゃんはもう、ゆっくりしてて」

「太っちゃうよ」

「ベイビーの栄養になるので問題はありません!」

慌ただしく動き始めるパパになる人を見ながら、かけられた上着を握って、もう片方の手でまだ膨らんでいない腹をさすった。

「でも適度な運動は必要だからするよ」

「俺が着いていくので、出来ればおとなしくしていてください……」

「ははははっ、パパにもうこんなに愛されてるよ!ベイビー!」

肌寒い冬が終わってもこもこになるまで着せられていた服も一枚一枚脱いでいくことになった。生命が芽吹く春よりも少し後に生まれてくる予定のベイビーは着実に育っていた。

検診の度に死んじゃっていたらどうしよう、と泣いたり。検診が終わればハイになって元気な笑顔に見せたり。付き合ってから家族同士の交流も多々あったので会ったり、食事をするだけなら緊張はしなかった。けれど結婚と共にヴァニラの妊娠をお互いの両親に報告した時は流石に全日緊張しっぱなしだった。

めったに涙を見せたことがなかった奥山の父親が涙を隠しながらヴァニラにありがとうと言っているのを見てむずかゆい気持ちになったりした。その帰り道歩きながら崩れ落ちて泣いてしまってヴァニラの手が温かく奥山の頭を撫でた。人目も気にせず抱きしめた。

ヴァニラの両親もハイテンションで喜んでくれた。奥山一家よりも気が早くてベビー服選びはもちろん、自転車まで見ていた。そんな簡単に乗れるようにならないのに、とヴァニラは笑いながら言っていた。

「パパさん、教えてね。ちゃんと。自転車の乗り方とか」

「あったりまえだよ。全部、教える。ただ料理は、君にお願いしようかな……」

「んふふ。出来ないことはお互いに支え合って行こうね」

あんかけ焼きそばみたいだった。二人は中華料理は好きではない。でも何故か多くの人に共通して伝わり、笑いになるあんかけ焼きそばの冷めない具合。最初にその文化を知った時にヴァニラは相当驚いたけど、食べてみてこれは冷めないと皆の言っていることに納得した記憶があった。

それ以来冷めないものをあんかけだ、と呟くようになった。それをすぐ横でいつも聞いている奥山が吹き出して笑うまでがお決まりになっていた。

車を買った。小さい車だったけれどベイビーが一人増えても、もう一人増えても大丈夫なくらいの広さだった。中古車で金銭面に余裕があるわけでもない二人の限界の贅沢だった。奥山は家族になったヴァニラや、ベイビーを支えるために大学を中退して就職した。

幸いなことにいい上司や、いい環境に恵まれ家族のことを優先的に考えられる状態が続いていた。

幸せは長く続かない。それは漫画の中の話だったり、現実世界でも起こったりする。不規則が規則的に世界を取り巻く現実という名のリアルは思っているよりも容赦がなく人間の前に壁を立ちはだからせる。


ドガン


生易しい音ではない重低音が響く。体に遅れて衝撃もやって来る。ブロックのかかったシートベルトに体が押し付けられて呼吸が一瞬止まる。かと思えば脳みそや、視界がぐるぐると反転を繰り返す。隣の席に座っているヴァニラの様子を確認することは出来なかった。ただ緩やかに走っている時に起きた出来事だったので繋いでいた手が離れたことくらいしか記憶に残っていなかった。

意識が消えた。

目を覚ましたのは無機質な匂いと色が特徴の天井の下だった。口元に妙な感覚がして、全身が激しく痛んだ。周りで人が慌ただしく動いていた。首が動けないように固定をされていたけれどどうにかしてヴァニラの様子を知りたかった。

(悲鳴を上げていたんだ)

(きっと痛い思いをしたんだ)

(早く話したい)

涙を流しても気づかれたのはもっと後になってから。涙が渇いてからだった。

「大丈夫ですか!?」

「らいじょ、ぶ……です……」

「どこか痛いところありますか?」

「ぜんしん……」

かちゃかちゃと器具を動かしている看護師に聞く。

「ヴァニラちゃ、んは……つ、妻は……?」

「奥さん?金髪の女性ですか?」

「お、そらく……」

「お腹に強い衝撃が加わって、赤ちゃんの方は……」

目の前が真っ暗になった。

「それと、割れたフロントガラスの破片がお腹に刺さって子宮を傷つけてしまって」

叫びたくなった。けれど奥山は堪えた。人間として最低限のプライドを守るためでもあったが、自分以外の命を抱えていて何よりも守りたい存在が簡単に奪われ、二度と作り出せなくなってしまったヴァニラは今何を思っているだろう。奥山でさえ胸が張り裂けそうなくらいに、掻きむしって痛みを中和したいくらいなのに。

ヴァニラの心の中は喪失感なんてものじゃないだろう。

奥山が歩けるようになってからヴァニラの元に毎日のようにお見舞いに行った。ヴァニラは奥山に会うたびに涙を流してごめんね、と何度も謝った。奥山に対しても、そうだったがお腹の中のベイビーに向けてだった。守れなくてごめん、と。

「大丈夫、ヴァニラちゃん。大丈夫。幸せはまた作ればいいよ。どんな形でも、一緒にいたら幸せになるから」

そう抱きしめた奥山の体もいつも震えていた。

退院してもヴァニラの精神状態はよくならなかった。ニュースで子供の話題をするたびに叫んで自分を傷つける。ただの少子化問題。赤ちゃん用品の画期的なアイデア。子供の名前ランキング。それら全てがヴァニラは受け入れられなかった。

思い描いていた未来を一緒に生きられなくなってしまっただけではなく、死ぬまで自分と血の繋がりのある子供を持てない。守れなかった母親。そんなレッテルが常に自分を縛り付けて放してくれなかった。

そのせいでニュースを見られなくなった。子供という単語をみるのは平気になったけれど、その話題は聞くのは心が絶えられなかった。

「ヴァニラちゃーん、今日はケーキ買って来たよ。駅の前で限定販売してたんだー」

「君に似合いそうな服があったから買っちゃった」

外に出られない日々が続いていたけれど奥山の献身的なサポートで日常生活を送れるようになった。

それから桑木に出会った。それよりも前に被害者の会で琴音に出会っていたけれど。桑木にだけは交通事故でどんな被害に遭ったのかを話していた。

「子供の話をするとヴァニラちゃんは精神が不安定になるんです。だから女性って枠組みにしないでください。一緒に行動するなら俺とがいいです。女性同士になったらいつそういう話が出るか分かりませんし……」

「分かった。そうしよう。ヴァニラくんはいいのか?」

「いいって言ってました。あ、あと結婚してることも、伏せて欲しいです」

「君たちの自由だ。私は言うことを強要しないよ。見せたいところを見せればいいし、言えないことは言えないままでいい」

カルティンブラのビジュアル担当は性別不詳。それが当たり前になっていった。ヴァニラは複雑な気持ちを抱えながらも奥山がいればそれでいい、と自分自身に納得できるようになった。

名前を変えたことは未だに悔やみが残っている。


【続く】

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