7-万の重
じゃんじゃかうるさいパチンコ屋では何も成果が得られなかった。目立った顔立ちでもないし、客がたまにふと消えることも珍しくないのでわざわざそれが誰だったのかは把握していないらしい。店側としても犯罪に巻き込まれるのはごめんだから客に深入りはしないそう。ごく一般的な回答で疑う余地はなかった。
「次バーに行ったら、どうするんすか……」
「君は帰っていいぞ。俺はまだ監視カメラを漁らなければいけない。パチンコ屋の親父も監視カメラの映像は提供してくれただろ。それの確認は明日まで悠長に待っていられないからな」
「じゃあ俺も手伝いますよ」
「嫁さんに怒られるぞ。独り身の仕事だ。バーの聞き込みが終わったら帰れ」
「じゃあお言葉に甘えますけど……」
「どうぞどうぞ」
いなくなってくれた方が作業効率が上がるので適当な理由をつけて帰って欲しいと思っていたのは萬の心の中だけの秘密にしておく。
横田の写真を見せても反応が薄いことから考えると常連ではない。デマに踊らされたらしい。パチンコ屋なんて腐るほどあるし、毎日のようにシフトを入れるくらい心を入れ替えるまではどうかは分からないが恐らくそんな頻度ではやって来ていなかったんだろう。
どの店のどの台でもいいから当たれ。そう願いながらたまに当たってしまって抜け出せないサイクルの中で回り続ける。次こそは大当たり。それがパチンコの恐ろしいところ。身を崩壊させるのに容赦がない。
「すいません、警察なんですけどちょっとお聞きしたいことがありまして」
「あー、ちょっと待って。アンター!ちょっと話あるって人が来てるよ!」
フロアの方に大声で呼びかける。たいして上手でもないカラオケが鳴り響いていて萬と部下は耳を塞ぎたくなったが出来る限りの笑顔で耐えた。
酒臭い匂い、立ち込めるタバコの煙、香水の匂い。奥の方ではジャグラーのボタンを強く押したり、当たりが悪かったのかドガンという蹴る音もする。重みのある球に棒を言い角度でぶつけて鳴る小気味いい音も聞こえる。酒瓶の鳴る音はデフォルト。
「はいはい、何のご用で?」
「この男は知っていますか?この店に来たことがあると思うんですけど」
「横田か。何やらかしたんです?金ですか?」
「いえ、金を求めているわけではありません。横田さんがどんな人物だったのかを調べていまして。事件の被害者の可能性があるんです。交友関係を洗っているところでして」
「個々の店の全員が横田のことは知ってるよ。俺はただの店のマスターだから全員と平等にいなきゃいけねえ。いわば中立ってやつだな。他の奴はそうでもねえぜ。気に入ってる奴もいれば、敵対視してる奴もいる。好きなだけここにいていいから聞いてみな。俺は警察とあんまり関わりたくねえんだ」
後ろ暗いことがある証拠のようにタトゥーを見やった部下を叱責する。
そうとも限らない。決して見かけだけで判断するな、と。語気を強めて言った。国家の犬と言われるような存在だから。そんな警察が誰かを特別に卑下する、蔑むなんてことはあってはいけない。
「写真は持ってるか?」
「持ってます」
「あっちのビリヤードの方をお前は見て来い。俺はジャグラーやってる奴の方を行く」
「了解っす」
「行くぞ、うっす」
二手に分かれて呼吸のしづらい空間から今すぐにでも逃げたい気持ちを押し殺して。どうせ意味なんてない。直接的な解決につながる情報なんてないのに、話を聞く意義を持ち続けようと意識して思わなければ容易く落としてしまう。警察になろうと思った理由は何だっけ。誰に憧れたんだっけ。
なんて不純な権力を振り翳す。自分を守る国家権力は天女が纏う羽衣のように儚いもの。
「すいません、警察なんですがちょっとお時間よろしいでしょうか」
「ああん?見て分かんねえのかよ。忙しいに決まってんだろ。ちっ、くそ!」
「すいませんね。横田響さん、こちらの男性のことご存知だったりしませんか?」
「横田あ?ああ、アイツか。酒癖悪いクソ野郎だよ。急に殴り掛かってきやがった。次に会った時に謝られはしたけどアイツは狂ってんだよ。『ジョーカー』って映画見たことあるか?」
「ええ、一応。どんなあらすじでしたっけ?」
「笑っちゃう病気。頭がちょっとイっちゃってんだ。アイツはそれだよ」
精神的な何かを抱えているのもどんぴしゃり。周りの人間がどんな評価をしているのかは切り抜かれた所だけを使われる。犯人にしたい人が犯人になるような情報だけを使う。
「俺に殴りかかって来た時も笑ってやがった。不気味だぜ、アイツは」
「横田さんにいい感情を抱いている人はいました?」
「少なくねえってとこかな。根本が悪い奴じゃねえのは俺も分かってる。ここにいる奴らにとっての便利屋だったんだよな。俺は利用したことねえけど」
「搾取、というか利用をされていたんですか?」
「まあそんなところだ」
大敗を期したジャグラーの目は七が二つとピエロが飛び出してきているマークだった。こちらに向き直ってタバコを指で挟んで息を吐いた。萬は息を止めた。
「主にどんな?」
「金貸したり、女の斡旋。酒飲まされたり、ビリヤードとかで危ない賭け事やったりな。ポリに話していいことかは分かんねえけど」
「それは別途捜査します。横田さんはここにいる時楽しそうでしたか?」
「それには何とも言えねえな。感情を隠すのが上手いから」
「上手いと言っても笑っているだけなんでしょ?」
「笑ってたら基本的には受け入れの姿勢って俺らは馬鹿だから思うわけ。その裏側なんて考えたこともねえよ」
「そう、ですか……ご協力感謝します」
「ん」
ここでも収穫はなしだった。正確にはなしに等しい。その他にも聞いてみたら好意的な印象を持っている人は何らかの形で罪に問えそうなことを横田にさせていた。便利な使い捨ての駒と思っていたようだった。
「どうだった?」
「そこまで。いい印象はやっぱり都合いいっていう感じです。ずっと笑ってるのが気持ち悪い、そう言ってました」
「ふーむ、そうか……マスターと横田響の関係は?どうやって知り合ったんです?」
帰り際に尋ねた。警察と関わりを持ちたくなかろうが質問をされないというわけではない。
「バーの前で倒れてたからちょっと間仕事を世話してやって、家を見つけてやったら懐いちまったんだよ」
「懐いてほしくなかったんですか?」
「まあなにせ、リスカの跡があったからな」
「リスカ、というのかリストカットのことで合ってますか?」
「そうに決まってんだろ!あんまりでけえ声で言うな」
「失礼しました。それでも世話をしたのには理由があったり?」
「少なくとも俺はそこまで薄情な人間じゃねえ。大丈夫か心配する気持ちは残ってんだ。最低限、助けてその後は俺に関わりのないところで死ねって思ってたんだよ。それなのにここに来ては恩を返させてくれって。鶴じゃねえんだから」
自分でするツッコみに部下が笑うのを察知する。しかし萬は表情一つ変えずにさらに質問を畳みかける。
「横田さんが搾取されていたのはご存知でしたか?」
「あー、まあな」
「止めはしなかったんですか?」
「あのなー、俺はただのバーテン。酒を出す以外に能はねえの。正義もなければ、お天道様の下が生きづれえと思うような人間なわけ。アンタらみたいに助けなきゃいけないわけでもねえし、助けたのは店の前で死なれてネットにでも出たら客が減るから。ただそれだけ。勝手にこの店に来続けたのは響の方。自分の家を持つ手伝いだけしてやったらその後なんて俺はきょーみねーの」
灰皿にタバコを押し付けながらいら立った口調で、黄色い歯並びの悪い歯を見せながらそう言う。
「はあ……ありがとうございました。何となく、分かりました。失礼します」
「早く帰ってくれ」
カウンターの中で新しいタバコに火を点けている店主に向かってドアの付近に来たところで口を開いた。
「また来ます」
覆面パトカーの相棒を停めているパーキングに戻る。その車の中で部下と話をする。
「案外腐ってましたね」
「まあな。あーいうところでまともな人間がいる方が珍しいってもんだ。合法違法ごちゃまぜの賭け事やら、もしかしたら薬もあるかもしれねえし」
「日本も案外治安が悪いんですね」
「治安を悪くするだけの人間と、そこまで追い詰める要因が多いってことだ。銃やら帯刀が許されてないだけ日本はまだましだよ」
「……うっす」
「警察署まで戻ったらお前は帰りな」
「了解っす」
きらびやかでもない通りで人が殺されるのを見るのは朝帰り、吐き気を堪えながら電柱から電柱へと飛び移る虫のような社会人だけだ。恐らくは。酔いつぶれる寸前の人間が写真を撮るという行動。
そもそも人間の死体を。死体じゃなくとも見ず知らずの人間を写真に撮ってそれをSNSに投稿するというネットリテラシーの欠片もない行動に出るだろうか。
そこまで理性を飛ばしてしまうだろうか。
あそこ付近のカメラも漁らなければいけないな。そう思い何日間連続で思うことになるか分からない長くなりそうな夜の予感をハンドルを握る力に込めた。
警察署に着いてから自動販売機で買った缶コーヒーを片手にパソコンに向かい合っていた。目の限界を出来るだけ遅らせるためにブルーライトカットの眼鏡をかけていた。
「あ、萬さん。お先に失礼します。明日からちゃんとヘルプ入るんで!もっと頑張ります!」
「んー、お疲れー。また明日なー」
手をひらひらと振る漫画の中でしか許されなそうなあいさつで部下と別れた。翌日の仕事は一体何になるのか。監視カメラを漁るだけの地獄のような生活が始まるのだろうか。事件の度に思う。監視カメラって肖像権違反じゃないのか、って。子供じみた理論だと思えば思うほど笑ってしまう。
防犯の為だったら罪を犯していいのか。お互い様だが。実際その防犯カメラというものがなければ犯罪を解決するためには不確かになっていく人の記憶だけが頼りになる。そうなったらいよいよ未解決事件が数を増す。税金泥棒の名も受け入れざるを得なくなる。
「さーて、いったい誰が犯人なんでしょうね」
恨みを買っている感じも下が、笑っているのが気持ち悪いというだけで殺すような人間とは初対面だったが思えなかった。技とぶつかってすみません、と言えば気を付けろ、で終わる会話を出来るだけの理性は持ち合わせて生きているようだし。
夜中に一人で作業することも慣れた。むしろその方が効率がいい。効率求めることだけが全てではなかったがこの時代ショートカットや、コスパ、タイムパフォーマンス。何かにつけてパフォーマンスを求められる。真実を導き出す警察官が踊ってみればいいのか。
現代への反発心は留まることを知らない。
警察署内でやるより、家でやろうと思い車の中に移動した。重たいリュックの中のパソコンや資料やデータ。仕事において必要なもの以外は入っていない。夢とか、希望とか、愛とかは入っていない。
警察全員が仕事をなくした世界になったら幸せになるのか考えることがある。たまに漫画や、映画や、ドラマなどで自分の存在が必要とされないことは素晴らしいことなんだよ。平和になることなんだよ。そんなこと言っている主人公を助ける役を見ると現実世界に適用されるのを考えてしまう。
現実世界でドラマのようなことが起きてもドラマチックと言われるのは普通に生きていたらあり得ないことだから。
ドラマチックに自分が職を失った未来を思案する夜は基本的に新しい事件が起きた時。自分の置かれた状況と、積み上げてきたもの。隠してきたことがひどく重く感じた時。出来れば平和な世界であることを望みたかったが自分や他人が生まれてきてしまった以上、干渉が起こり、感情が怒り、罪が発生する。
「どうにも、納得がいかんっちゅーか」
スペースキーを押して映像を止めた。
「誰が犯人だっていいのにな」
罠にはまったソイツを保護してから期間限定の定義『家』まで送り届けた。
【続く】
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