10-暴露【悪ガキ三銃士】
「それは夫婦間の問題なので私はノータッチです。旦那様の事務所に所属するクリエイターの方で自殺に追い込まれるほど誹謗中傷を受けた方がいらっしゃるので関わりがあると判断しお話褪せていただきました。2人組でクリエイターをやっていた方でした。矢車社長と不仲なのでは?という噂の延長でお前が殺したんじゃないか、というあてのないどころでは無い攻撃に心を病み、自殺を選んだ」
罪悪感は浮かばない。その誹謗中傷を口に出したのは矢車でもなければ、旦那でもなく。たった一つの世間という存在だから。
「亡くなられたのはトマテナというグループのテナさん。本名は、郡上星凪(ぐんじょうせな)。郡上ひろとさんの妹さんですね」
「なんで、知って……」
「警察なので。そのくらいは分かります。星凪さんは矢車さんと何度か面識もあり、お葬式でお二人は出会われましたね。矢車さんが都くんのパラファリアを臣道さんに伝えた。お二人に動機があるということになります」
「でも!俺は内季かもしれないって思ってただけで完全に恨んでたわけじゃない!」
「まだまだいるのでご安心を。星凪さん……いや、トマテナのテナさんと呼びましょうか。生前のクリエイター活動では音楽にも力を入れてらっしゃいましたよね。ふわりとしたソフトで真っ直ぐな歌声は多くの人の心に刺さったことでしょう。私も拝聴させていただきました。『ヒーリズム』や、『どこもかしこもずる賢』などをね」
分かりやすく二人の肩が跳ねる。そこまで調べるとは思っていなかった。
「ボカロPの方は今も名前を変えることなく、活動やお仕事を引き受けていらっしゃったので簡単にたどり着きました。絵師の方は少々手間取りましたが。アカウントを削除されていたので。ファンの方の専用アカウントを徘徊してようやく、でした。六波羅遊昌さん。杉澤瑠衣さん」
郡上はDTMに詳しいことを桑木に買われたが、その知識の源はボーカロイドと歌を作るボカロPの経験だった。
高校生に上がったタイミングでボカロを聞く同級生の数の多さに驚きながら流れるままに聞いた。初めて曲を聞いた時の衝撃はまるで鋭い刃に心臓を撃ち抜かれた感覚。機械の声なのに心に響く。その無機質に宿る感情。
自分もこういう曲を作りたい。
ただそれだけで始めた。コード進行という言葉さえも知らないまま始めた作曲の世界は入れば入るほど面白かった。また友達に流されて始めたバイト代は初音ミクの声に消えていった。学校指定のパソコンがあったことが救いで、無料のDAWソフトをダウンロードしてがむしゃらに曲を作り始めた。そして感覚で初音ミクの声を当てた。
すぐに結果に結びつかずとも楽しいだけの、趣味だけのつもりで始めたことだったから気にしなかった。ボカロPと名乗れるようになりたかったわけでもなく、曲を作りたい。ただそれだけだった。
高校一年生の間は仕事なんてあるわけなく、学校や部活、バイト。一日の用事が全て終わった夜の時間を使って作詞作曲をこなしていた。最初の方は作曲の仕方も分からず混乱するばかりだったので一つひとつ、と思い作詞のみ繰り返していた。その感覚が掴めるようになったのは動く点Pになってから半年の頃だった。
読み返したくもないようなノートをいくつも生み出して、自分でも満足できるだけのものを平均的に作り出せるようになった。
音がなくまだ言葉の段階のストックを持ちながらリスタートしたのは高校一年生の終わり。
その時から欲が出始めた。認められたい。
承認欲求に底がないことに気づき、もっと活動にのめり込むようになった。誰かに自分の書いた曲を聞いてほしい。そう思いながら前かがみの姿勢で走り続けた。
「はあー……そう簡単にはいかねえよな……」
『何?今日は何があったわけ?』
「別に、何があったわけでもないけど」
「現実の厳しさを知った」
『は?』
『病んだ?』
チャットの画面に音ともに流れ込んでくるメッセージに気分が少し楽になった。心の声がいつの間にか指に出ていたようだった。
いわゆるネッ友というやつで、『六波羅大胆』という名前で活動していた六波羅にSNSでファンとして初めてダイレクトメッセージを送ってきた人だった。いつの間にか一緒にゲームをしたり、電話で話したり。たいして有名でもない活動者と、忠実なファンから友達になったその人。ただそれだけの関係だった。
六波羅は九州、その人は東京。無理に会おうと言われることもなかった。そこは忠実に関係性をはき違えることなく守っているらしい。
高校卒業まで結局大きな芽は出ず、貯めたバイト代で未公開楽曲を含む七曲が入った初めてのCDをインディーズデビューを謳い文句にネットで限定販売をした。六波羅は手の中に実物が届いた時に、嬉しくて抱きしめて涙を零した。一応完売した。
『おめでとー!』
『俺は立派な古参なので三枚買いましたー!』
『ほい、写真』
送り付けられた写真は確かに三枚だった。SNSにも写真をつけて投稿してくれる人がいるからそれを見回ることも忘れずに、ちょっとだけ有名人になった気に酔う。
「ありがとう!」
「結構ガチで嬉しい」
『今見たら完売だったな。すげえよ!』
「無名から、マイナーボカロPくらいにはなれるかな」
『なれてるなれてる笑』
『超有名ボカロPも近いって笑』
「東京ドーム立つんで?」
「ミクさんと一緒に」
『はいどうぞ、ご勝手に。最前列のチケット寄越せよ』
「気が向いたらやるよ」
にやにや笑いでパソコンを打っている時に母親にドアを開けられ叫び出しそうになったが堪えた。
「何ニヤニヤしてんの。えっちなやつでも見てたわけ?」
「ううううるさいよ!母さん!」
「ははは!父さんに似たのかしらねー」
六波羅の家は世間一般以上に親子の仲がいい。六波羅自身も親のことをうざいと思ったことは思春期や反抗期を抜かせばないに等しかった。ボカロPをやっていることもすでに話しているし、ネッ友の存在も告白済み。
否定をするわけでもなく、事細かに聞いてくるわけでもなかった。適度にやんなさいよ、でその会話は終了。そのふわっとした感じや、わざわざ問い詰めてこようとしない距離感が心に余計な重みを与えなかった。
高校の担任にはもう少し上を目指せる。志は高い方が良いと言われ続けたけれど受かるところに入って、ボカロ楽曲作成を続けることを六波羅は人生の主軸にしたかった。最初の模試からずっと安全圏だった大学にちゃんと入学した。
それからもずっと変わらずボカロPとしての活動を続けていた。徐々にファンが増えていって、コメントや嬉しい評価が増えた。
大学一年生の夏も終わり、秋はまだ始まっていない。そんな暑さにじわじわと汗をかく季節のことだった。
初めて依頼が来た。歌を作ってくれないか、と。自分以外のSNSには疎い六波羅は依頼主のことを全く知らなかった。女性二人でやっているクリエイターらしく、音楽は初めてではなかったらしい。歌ってみた動画がいくつか上がっていて、上手いと評価できるくらいだった。初めての依頼に自分ってすごくなったのでは?の妄想の勢いで返事をした。
『トマテナのテナです。よろしくお願いします!』
から始まるメールでやり取りを重ねて、崩れた敬語になるまでそこまで時間はかからなかった。仮歌を入れた音源を渡して、歌声の音声をミックスしたり、ピッチ補正をしたり。一曲を作るだけでテナこと群上星凪と、六波羅大胆こと六波羅遊昌はリアルの友達よりも打ち解けていた。
「俺この前、トマテナって人たちのテナさん?の方に楽曲提供したんだよね。お初だから緊張したけど、なんとか終わりそう」
誰よりも先に何かが起きたことを報告するようになっていた群上にプロジェクトも終わりかけの頃に連絡した。すると驚きの事実が発覚した。
『テナって俺の妹だわ』
「は?」
「嘘やめい」
「きついて」
「つーかトマテナのファンだったんだな」
『いやいや笑そんなきもい妄想するかよ。ガチだって』
『写真送ったるよ。ちょい待ってろ』
『今、実家帰って来てんだよ』
信じきれない六波羅はパソコンの画面に張り付いて数分待つ。新しいメッセージの到着に飢えたアユが入れ食いになるみたいに食いついた。
「マジだったんだ…」
『マジよ。マジマジのマジよ』
「可愛いな。妹」
素直な評価をする。いくつか見た動画に必ずあった顔の評価はどれも歯に衣着せない高評価ばかり。世間の見方と六波羅の見方は同じだった。
『だろ?顔は可愛いんだよ』
「トークの感じめちゃくちゃ良い人だけどね」
『猫被ってんだよ』
「殴られろ」
『殴られたわ』
会話が終わって、スマホに表示された同じやり取りのハイライトを眺める。写真を端末内に保存した。
自分の作った歌が、世間の中で人気を確立している人が歌ってくれるんだ。感無量で胸が空っぽになる。腹が空いた時のような不快感が胸のあたりを襲う。
嬉しいが、苦しい。嬉しい、が苦しい。
『いろいろお世話になりました!』
『私の個人チャンネルの方でプレミア公開するので良ければ遊びに来てください!』
『出来れば、動画にコメント残してくれたら嬉しいです!』
どのSNSでもこれでもかって言うくらいに告知をすることは決めていた。すごく嬉しい出来事ならば共有しよう。
言われた通りにコメントを残した。「本人だ!」という山のようにいろんな動画や、歌で見たコメントが自分の吐いた言葉にぶら下がっていく。重みではなく、むしろ風船が結びつけられたみたいに六波羅のテンションは天にも昇る勢いで上がっていった。
それから半年ほど経って、さらにもう一曲『どこもかしこもずる賢』を提供。その時には六波羅大胆は知る人ぞ知る、でいて欲しいと言われるくらいになっていた。自分が言われる側になるとは思ってもいなかったけれどトマテナの力が偉大だったと感謝する。
テナがセカンドワンマンライブを開いてから一か月後にトマテナが所属する事務所の社長が殺された。まさかそんなことが起こるなんて、とテナが連絡をくれた。
まさかそんなことが起こるなんて、という事件はもう一つ発見する。アンチの活性化だった。
・ファーストワンマンの時は社長との写真上げてたのに二回目上げてなくね?不仲?
・元から不仲説あったよね。テナが殺したんじゃない?笑
・テナが言ってた大人っぽくて、仕事できる人苦手っていうのに社長当てはまってるよね。
そしていつの間にかテナは『人殺し』。そんな嫌なブームが出来上がっていた。本人は反応したらさらに疑いを増すだけだから、と取り合わなかった。
殺人なんて起こす理由もないし、不仲と言われるだけの根拠も不確かなものなのに面白そうだと人は飛びつき、ありもしないことをでっち上げた。。動画の更新も、SNSの利用も控えていた。それが今度は逃げ、と言われた。行き場をなくしたテナの慰めになるようにと思って毎日のようにメッセージを星凪にも郡上にも送っていた
毎日帰ってきた返信がなくなり、最悪の想像が頭をよぎった。体調を崩したか何かで返信が出来ないだけ。そう言い聞かせたが誰かの心の傷を抉るような気がして郡上にも連絡が出来なかった。
『六波羅、生きてるか?連絡返せなくてごめんって言おうとしたらお前からも来てなかったわ』
「ごめん、ちょっとスマホもパソコンも見てなかった」
『事務所の発表はまだだけど、お前には言っとくわ』
「なにを?」
すごい人なら当たり前、活動をしていたら耐えるべき。それにも限度があった。
『テナが、星凪が死んじゃった』
ドラマチックで、ノベルチックで、ソングチックな文字の羅列にこんなにも心が動かなかったことはなかった。有名人が歌う死にたい、に共感する人が多く六波羅自身も経験があった。それなのにどうして現実味を帯びてしまうとこんなにも受け入れがたいのか分からなかった。
一度も会ったことがない人で、住んでいる惑星が同じなだけの。それだけの共通点で、文字とWi-Fiがあれば繋がれてしまうこの世界に万歳と思っていたいのに今きっと辛いだろう郡上を慰めに行けないことが恨めしかった。
「どうして」
その言葉の残酷さも、本当は知りたくないことも。自分が一番分かっているのに聞かずにはいられなかった。
『自殺だった。撮影場所にしてたトマテナの家でトマちゃんが死んでるの見つけて、俺に連絡くれて』
「今、電話できる?」
『出来るよ』
電話が郡上の方からかかってきた。ワンコールが鳴り終えるよりも前に飛び出した。
『六波羅あ……』
「本当なの?テナさんが亡くなったって」
『そんな嘘吐くかよ……マジだったよ。見たから……』
「うん、そうだよな。ごめん」
『六波羅はっ、悪くねえよ……』
どこにでもあるような言葉で慰めることが出来ないケースもあるから苦しさを抱えて死にたくなる。けれどどこにでもあるような言葉を吐くことしか出来ない六波羅は自分に死ねばいいと思った。見てるだけならいじめと一緒。止めるだけの社会的な権限も、事実を突き止める警察的な国家権力も持ち合わせていない六波羅はそれしか出来ないせいぜい部外者だった。
「お二人の苦しみは想像を絶するものだったでしょう。実の妹が亡くなり、お仕事繋がりだったとはいえ親交のあった方が亡くなったこと想像出来ないほどの心の痛みを抱えたでしょう」
作られた悲痛そうな表情で作りものっぽい言葉を口に出す。
「詳しくは存じ上げませんが、イラストもミュージックビデオによっては必要ですよね。ボカロPである六波羅さんの作った曲二つにイラストと動画を担当された方がこの場にいらっしゃいますね?」
窓の外の吹雪に向けていた顔の角度を変えることなく瞳だけを萬の方向へ動かした。その柔軟な瞳の正直者は杉澤だった。
「会おうという約束を取り付けたことはありましたか?」
「服の採寸の関係で会ったことはあります。その時に細部の話し合いもしました」
杉澤は一番最初に六波羅が提供した『ヒーリズム』のミュージックビデオのイラスト、動画を担当した。その時の絵や、服飾関係の仕事の依頼を受け付ける名前とカルティンブラでの名前が変わっていたからバレないと思っていた。しかし警察はそこまで生温い捜査をしているわけではなかったようでさも当たり前のように本人に質問が飛んできた。
「お仕事が終わった後に交流はありましたか?」
「はい。友達くらいにはなっていたので一緒に遊びに行ったことが何度かあります」
「それはそれは親しい関係性ですね。亡くなったことを聞いた時はものすごくショックだったことでしょう」
「そうですね」
聞き方に腹が立ち貧乏ゆすりで錆びた鉄パイプの椅子が音を鳴らす。それに気づいた杉澤は音を立てないように、自分の心の中の不満を外に逃がした。
学生時代の杉澤は荒れていた。自分の好きなものを好きと外に出せず、荒波は強さを増すばかり。ついに抑えきれなくなったそれは性格を荒げることで中和するしかなかった。性悪な人間なのだから、性悪の本性を現している時が心穏やかに荒れることが出来た。
結果付き合う友達が野蛮になり、親を泣かせ、同級背には怖がられる。結局は薄っぺらい友情であることを知っていても、いい子のふりをして自分の中の曲げてはいけない大切なことをへし折るよりは荒れた大地で荒れた自分を抱えて呼吸をする方が楽だった。
「まだそんなの好きなの?子供っぽい」
「プリキュアとかいつの話?もうとっくに卒業したっしょ」
「フリルとかだっさー。誰が着るの?」
自分の好きな服はおかしい。着たい服は自分には似合わない。
それを自覚するたびに少しずつ、死にたくなった。しんどさを感じている心に蓋をして、自分は最初からそんなものに興味はありませんでした風を吹かせてスケッチブックも、お裁縫セットもクローゼットの奥底にしまうのが正しいんだと思い込もうとしていた。
「瑠衣、お父さんとお母さんで考えたんだけど」
こういう含んだ言われ方は大体何か問題が起きた時。気まずい空気にどうしてもなる時。
「服飾関係の高校に行ってみない?」
どう反抗しようかの文言を考えていたら、予想もしない角度からのマシュマロの提供に杉澤は目を見開いて驚いた。両親は面と向かって自分の服の趣味や、作ることに賛同してくれたことは最近なかった。最後の記憶はおおよそ小学校中学年。手芸クラブに入った時くらい。
願ってもいない道が未来に向かって開かれた。心が躍り出しそうなくらい嬉しいと感じた。
「でも瑠衣。子供みたいなフリフリの服を作るのはやめなさい。ね?」
「そうだ。お前もいい年した大人だ。ちゃんと自分の身の丈や、年齢に合った服を作るようにしなさい」
「それだったら父さんも母さんも、応援してあげるから」
一気に目の前が暗くなり、一瞬でも信用しようと思った自分が馬鹿だったと悔やんだ。信用していないわけではない。子供として頼らなければいけない時には便利さを享受する。でもそれは最低限。おやすみ、なんて言わない。いただききます、なんて言わない。親しき仲じゃないから礼儀もいらない。杉澤の中で両親とはそういう相手だった。
元はと言えば中学校に上がった時に趣味を馬鹿にされた、と泣きついた時が原因だ。その時両親に言われたことが今でも心の奥深くの方に刺さり続けていた。
『中学生の女の子はそんなの好きじゃないわ。みんなそうよ』
みんなそうよ。
みんなって他に誰?と聞けばはぐらかされた。
傷は塞がることを知らずに、そのままの現状維持だった。しかし何の利益ももたらさない親の自己満足で気まぐれな干渉によって張り裂けてしまった。
「どうだ?瑠衣」
してやったりの表情が実にうざかった。
「ううん。普通の高校に行くよ」
高校を卒業して専門学校に入ることは約束させた。いつかの未来それさえ誤魔化されたら本当に嫌いになってしまいそうだから三年間の間に自分でも忘れられるように祈りながら。
親の安心した表情が見事なまでにうざかった。
専門学校に入ったはいいがブランクを取り戻すのに時間がかかった。思ったようないい作品が生まれず、展示される時はいつも端の方だった。もっとすごくならなければ、と思う反面。自分の実力ってこんなもんだったのか、と誰かに馬鹿にされるのも納得がいった。
打ちのめされるより、逆境であることに燃えていた。
それでも、
「辛いもんは辛いよ」
スケッチブックにたまる構想はお蔵入りになるものばかり。全てを形にしたいけれど時間がない。課題だけをやっていればいいわけじゃないし、技を磨くためにも時間が必要。分からないことは本や、教科書。ネットを見るしかないし、その時間も決して削ることは出来ない。
言い訳せずに淡々と頑張ったって、個人で作ったものを不定期に投稿しているSNSのフォロワー数は一向伸びず、三桁後半止まり。誰の目に留まることもない。そう思いながらも打ちのめされないように、けれど必死に。痛みを噛み締めながら努力を続けた。
四桁の大台に乗り、入学式の後、次の春がやって来た。
スケッチをデジタルイラストに書き直して、十字の顔はっきと描いた絵を投稿すると一気にフォロワー数が増加した。自分の目を疑うほどに。そして仕事の依頼が舞い込んできた。今も変わらず受けているアバターで配信をしたり、歌ったりするクリエイターの立ち絵や、肉付けと呼ばれる作業。
世界の広さを知った時に学び始めたことがだんだんと仕事になり始めていった。イラストは片足だけ浸かる程度だったのが、いつの間にか半身浴。二年生の冬を迎えるころには目しか出ていないくらいにどっぷりと浸かり込んでいた。
絵を描くことが楽しくなり、それが仕事になることが杉澤は夢のようだった。でもどこか、これじゃない感があった。自分が好きなのはお洋服で、それも可愛らしいフリルがついて、派手なリボンで飾られるようなもの。それを作って、作って、作って……
それからどうなる?
作り続けた先で来がどうなるのか。どこで金が発生して、何が対価になって、求められるものは何か。分かりやすく認められていないものを仕事になんて出来るはずもなく、ただの夢物語であることを悟るのが大人になるということ。それをようやく納得出来た。
「あたしは、せいぜいあたし」
SNSのアカウントの自己紹介の欄に長々と書いていたいろんなこと引き受けます。服作れます。イラスト書けます。動画作れます。結構なんでも出来ます。のアピールを消してその一言だけを書いた。
つまりは残りは実力で判断して、どうぞ。
学校の課題はそこそこに片づけて、その他はネットに費やして。けれど廃人にならないようには気を付けて。
もういいやって投げ出そうとしている時に初めて瑠衣のところにやって来た全身コーデの依頼には心が動いた。ファーストワンマンライブをするのだけどその時の衣装を作って欲しい。
「あ、『ヒーリズム』の人じゃん」
メールのやり取りをして実物に満足して頂けたようで何より、と納品を終えてからの動向のチェックはしていなかった相手からの急なメール。しかし杉澤が諦めの中、待ち望んでいたもの。きっかけさえあればまた好きになれそう、と大人になってからも好きでいたいと望むくらいには大切に思っていたソレの引き金を引いてくれるお願い事。
二つ返事で引き受けた。テーマも、メールの内容も読み終えることなく返信を書き始めていた。
一つはアイドルのようなフリルの広がる可愛いワンピース。もう一つはヒーロー役のヒロインが着る衣装という具体的なテーマではなかった。杉澤が作るその服を見てみたい、と。
「めんどくさいカスタマーだな」
そんな苦言を漏らしたけどネット上の相手には聞こえない。活字で全てを判断する。その愚かさを嫌う節もあるけれど本音を気づかれる可能性がある対面よりかは怖くない。
「採寸のために一度お会いしたいです、っと」
ウエストや、胸囲の計り方まで教わる。誰もがマネキンのようなモデルを超越した体系ではないから実際に服を作るとなると採寸をしなければ不格好になる。
「返信はや。もちろん、ってか。はー、どんな人なんだろ」
いい人だといいな。
ありきたりな感想と、脳内広がるあり得ない服の広がり方をするフレアスカート。阿吽の呼吸のアンマッチに杉澤は笑う。採寸の日までにいくつかのイメージを渡す約束もしていたのでそれ用のラフ画を描いていった。
「テナさん、ねえ……」
無意味は呟きはただの呟きとしてネットの海に溺れるわけでもなく、レースの海に溺れていった。
そして採寸も、入金も、裁断も、終了し実物お披露目会となった。ライブのリハーサルの日に渡しに行くことになっていた。
「ありがとうございます!完成度すごい!私が思ってたのと全く一緒です。これ着て、ライブ精一杯頑張ります」
「そんなに喜んでもらえてあたしも嬉しいです。頑張ってください」
当日、杉澤が作った衣装を着ている彼女の笑顔はひいき目なしに誰よりも輝いていた。『ヒーリズム』を歌っている時は黒ベースの体のラインが全て隠れるタイプのオーバーサイズの衣装。ターンをする度にふわりと浮く衣は天から舞い降りてきた天使のようだった。現実味を増やすと煙幕の中からヒーローが助けに来た、ような。
杉澤の中でテナこと星凪は紛れも無く救世主だった。自分の好きなことをちゃんと、嫌いにさせてくれた。
何故か気持ち悪かった。自分の作った衣装を着てSNSに投下された服が評価されることが。想像するだけで気持ち悪くなった。かっこいい、可愛い。めっちゃこだわりを感じる、とか。
理由をちゃんと知りたいと思いながらも好きでいたら杉澤自身が辛いだけの趣味をもう一度拾い上げることになるかもしれないと思うと『まだ』知らなくていい気がした。忘れたころに、思い出させて欲しいと未来の自分に向けて明日には忘れる約束を取り付けた。
ライブが終わって楽屋に入る。
「あ!衣装、本当にありがとうございました!衣装がなかったら歌も何も完成しなかったです」
「歌も、ダンスもすごかったです。あたしはこれ以上服作らないって決めました。最初で最後のフルコーデの仕事がテナさんで良かったです」
「え……どうしてやめちゃうんですか?」
「理由は、あんまりないですね。絵に転向しようかなって」
「プライベートで作るのもやめちゃいますか?」
……ちゃう。消極的な捉え方を示すそれ。子猫みたいな表情で自分のことを見上げるテナにイラつきが湧き上がってきた、けれどそれを隠して告げた。
「まだ何も決まってないです。でももう一部だとしても服を作るのを受けるのはやめようと思います」
「あ、あの!」
「はい?」
帰ろうとした背中にアイドルボイスの声で呼び止められた。
「私は勝手にその、友達だと思ってるんですけど」
「あたしも思ってますけど?」
「このまま友達として一緒に遊びに行ったりしてくれますか?私、トマ以外の友達が本当にいなくて」
慌てながら言い訳をするその姿が面白くて星凪の肩を叩く。必死に搾って作り上げられたスタイルであることが肩から分かるその体型になんの感情を抱くこともなく、抱きしめた。心の底から嬉しかったからだ。
自分・杉澤のことを惜しいと思って欲しかった。一部が失われることに痛そうな顔をして欲しかったのだ。醜い欲望、汚れた承認欲求であることは重々承知の上だったからこそ隠していた。
だからギャルになって、爪も伸ばして、邪魔くさい髪の毛を巻いて、スカートを短く折った。お揃いとハブ。その対比を上手く見分けることで化け物の住処の中で餌にならずに済む。
「こんなあたしでいいんだね、テナは」
「外面だけでも私に優しい人がいいんです」
「その人の見分け方やめた方がいいでしょ」
「そうですか?」
すう、と呼吸をするシーンも組み込まれたストップが上手く使われた楽譜みたいだった。
「今まで結構平和だったけどね。自分に向けられる悪意を見ないようにしてるんだよね」
敬語辞やめない?と言わなくても何となくで察して路線変更した星凪が善人側に立って今までを生きてきた人であることを実感する。悪の方に降り立った時も善人であることを忘れずにいたことが手に取るように分かる。太陽のように、鈴のようにころころ転がるように眩しいまでに笑う。その笑顔に杉澤は芯が温かくなるのを感じた。
星凪と一緒にいたら好きなことを嫌いにしてくれてありがとう、という皮肉を取り消し、出来るだけの厚かましさを持てたかもしれないのに、と後悔しても遅いことを悔やんでやまなかった。
「私のこと嫌いな人に目を向けるより、さっきみたいに抱きしめてくれるような人に時間を割きたい。私は」
「あたしがテナこと騙そうとしてたら?」
「その時はその時。起きてないことは考えない主義だから」
その大雑把さに杉澤は友達に大して抱くことのないタイブの愛情を抱いていた。対面で会った時に交わした言葉は、履歴を消してしまえばもう見ることは出来ないそんな文字よりも遥かに重く杉澤に影響を残した。
かつて経験したことがない胸の高鳴りに驚いていた。何が起きているのか分からない。
恋と知るのは破くために数年ぶりに引っ張り出したスケッチブックに書かれていた漫画だった。絵も下手で、コマ割りもセオリーなにもない書き方で描かれていた少女漫画だった。叶える気もなければその感情自体不完全なものだから杉澤は認めなかった。そして友達という関係値でこれ以上ないほど満足していた。
殺されるまでは。
世間に殺されるまでは。
たかが一度衣装を作って、数曲のミュージックビデオのイラストを担当しただけ。ネットがなければ繋がりの一つも保てない関係値であることを恨んだのは葬式の時だった。遺体を見送ることも出来なかった。痛い、に気づくことも出来なかった。ニュースで流れて来たのを見て、テレビの前で涙を流しただけ。
【続く】
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