5-万の眼


「萬さーん!ちょっと今いいですかー」

「すまん、手が離せない」

「でも緊急なんですよ」

新潟県警の中、刑事の役割を全うしている萬逸作(よろずいっさく)は最近起きた事件について警察署内でさらに詳しく像解析などを使い捜査を進めていた。まだ結果が出ていないため監視カメラの確認作業に追われるばかりだが。

観光地に近い場所にある入居者数が少ないアパートの一室で首つり自殺に見せかけた殺人が起こった。抵抗した痕跡が残っており、事件性が高いと認められた。そして司法解剖の結果待ちをしながら平行作業で他の情報と照合している。監視カメラの映像や、聞き込み調査で積み重なっていく不確かも入り混じる情報。正しいものを見分けていく。

「萬さん、被害者の素性が割れました」

「それは聞くべきだな。言ってみろ」

「はい。名前は当初の調べ通り横山響(よこやまひびき)で間違いありません。一年ほど前までビルの警備会社で派遣スタッフをしていましたが辞め、その後のバイトなども長続きしていなかったようです。周辺で聞き込みをしたところ、周りの住人と関わりもなくゴミを出している姿もそこまで見たことがないようでした。家の中は確かにゴミも多く、人間が住めるような場所では……」

「そうか。分かった。ありがとう」

「いえ。萬さんは?カメラの方に何か映っていましたか?」

「ダメだ。ボロのカメラなのか、レンズが汚れてるのか肝心のアパートの唯一のカメラはほぼ機能してないみたいなもんだった。それに通るのはこのアパートか、近くの家に住んでる人。それかただの通行人だ。人殺しとは思えない」

スペースキーを音を立てて鳴らし椅子の背もたれに体重をかける。画面を追う目は止まり、その目は閉じられた。萬の部下は何か考えているのだろうと思い何も尋ねなかった。近くにあったパイプ椅子を持って来て自分もパソコンの近くに座った。

「息抜きにコンビニでも行きますか?」

「いいな。リフレッシュしよう」

「酒飲むとか言いそう」

「飲んでいいならいくらでも飲むぞ」

「せめて業務終わりにしてください」

「分かってるわ」

遅めの昼休憩を取ることを報告して警察署を出た。

歩いて十分のところにあるコンビニには萬や部下、その同僚たちが昼間はわんさかやって来る。時間帯が遅かったようで同僚は誰もいなかった。いつも買っているサンドイッチにペットボトルの容量重視のコーヒー。美味しいとか。不味いとか。そういうのは全く関係がない。ただ胃の中に入って栄養となればそれでいい。

萬は効率厨。

「観光地近くで事件っすかあー、気分滅入りますよね」

「まーな」

「それに雪も降ってる中、クソ寒いのに駆り出される我々は一体何?」

「国家公務員」

「マジレスは要らないんすよ」

レジで会計を済ませてコンビニの外に出る。雪はもう既に積もるほど降っていた。萬の部下は寒い気候の方の出身の嫁と結婚して、東京からわざわざ移住してきた。部下は寒い季節が嫌いで嫌いで仕方がないようで冬の度に小言を漏らしている。怖い嫁らしい。家ではそんなこと口が裂けても言えないそうだ。

「午後は現場行くんですか?」

「ああ。そうだよ」

「寒い部屋で、亡くなって。せめて暖かい死後の世界があればいいですけど」

「宗教的なもの信じてんのか?」

「そういうわけじゃないっすけど。生前こう、辛かったならせめて来世とかって結構願いません?」

「願わん」

「冷たいお人」

部下のその返事にコンビニの前で飲んでいた熱々のコーヒーを吹き出しそうになる。

「時代劇じゃねえんだから。それに俺が願ったところであるかも分からない世界での安寧なんて変わるか。仕事しろ仕事」

「休憩の定義は仕事から解放されてる時間です。なので今は休憩中です。仕事を強要するのはパワハラです」

「黙れクソガキ」

「やっぱ萬さんって年々口が悪くなりますね」

「初めて会ったの二年前だろ。年々ってなんだよ」

萬は警察になってからずっと新潟で警察としてのキャリアを築き上げてきた。20年近い年月をかけて自分が部下や、バディを持つようになった。新人指導や、教官としての役目を務めることも増えた。初めての部下でもなく、特別相性が合うわけでもない部下のことはたまに名前さえ忘れるほど。

つい昨日。ほんの一日前に起きたボロアパートでの殺人事件に駆り出されている。今のところは自殺という判断になっているが、他殺の可能性もある方向で捜査は進んでいた。

畳張りの狭い床には死体の跡がくっくりと残っていた。薬のビンと共に吐瀉物が転がっていた。自殺を試みて失敗したのか、それとも誰かに絞められたのか。どういう背景で犯人と知り合ったのか。

捜査が始まってまだそれほど時間が経っていないから分からないことだらけ。

自殺に見せかけた殺人か。それともただの自殺か。

薬を大量に飲めば死に至ることもある、というのは医学の知識が全くない萬でも分かっていた。萬も自殺だろうと思ってるが断定することは出来ない。

もし口の奥が傷ついていて、強制的に吐かれていたものだったとしたら?

薬はただのハッタリだったら?

死のうと思った理由は何なのか。

それを確定させるためには胃の内容物を調べたり、吐瀉物の中の薬の割合。使われている物質が検出されるかも調べなければいけない。それにはまだ時間がかかる。

簡単に判断することは出来ない

色々な意味で警察は想像力が豊かなことも大事な要素になる。ただその想像はただのかもしれあい、という理想に過ぎない。空想に過ぎないこと。その結末に向けて進めていくことはない。

「なんで萬さんはそれ知ったんですか?」

「んー?交番勤務の知り合いがいてな。近隣住民から変な、匂いが、するって通報があったらしい。時間空いてたら見に行ってくれないかって言われたんだよ」

「そういうのって交番の仕事じゃないですか?どうしてわざわざ萬さんが」

「付き合いってやつだよ。俺はずっとここが管轄だったから世話の一つも焼きたくなるんだよ」

哀愁を香らせてクサいセリフを吐けば部下が分かりやすく顔を歪める。失礼な奴、と思いながらも若干の嘘に気づかれていなければそれでよかった。生まれた場所に愛着があるわけではなく、本当は一刻も早くこの場から離れたい気持ちでいることをわざわざ話すほど弱い男でもなかった。

のそのそと昼ご飯を食べ束の間の温かい空間での休憩時間終える。

そして現場に向かう。車に乗り人込みを避けて走らせる。観光地が近く年中警備に駆り出される警察の姿も多く見かける。分かりやすい警察の服を着ていない萬や、部下は気づかれた相手には敬礼をする。ほとんどの警察とは通り過ぎた。

「人多いっすね。あっちの通りは。年中何やってるんですか?」

「別に、何も。俺行ったことねえもん」

「でも警備とかでは!?」

「それはあるが、文字読めずにマナー違反する外国人に注意したり、国籍問わず道案内とか。今にも事故が起こりそうな場所の交通整理。それに忙しいから何やってるかなんていちいち見ねえよ」

「そういうもんなんすかね……ロマンも何もない」

「そういうもんだよ。慣れろ」

必要な情報さえあればそれでいい。それ以外の情報は知ろうと思って知る必要はない。ただ犯人、被害者の問題解決。民事、刑事問わず何か物事に結び目が出来たらそれが解けるように。解くために情報を集めればいい。ただそれだけの心持なのは今も変わっていない。

「ここか。事件の場所ってのは」

前日にもやって来た場所。木造建築の二階建て。階段の鉄骨はところどころ剥げが目立つ。顔を上に向けた時に二階の右端の部屋に大人が何人も出入りをしているのを見て今にも崩れ落ちそうなアパートを心配する。証拠保管のために捜査が終わり犯人を特定するまでは建ち続けて欲しいと願うばかり。

「かなり、その……」

「ボロいよな」

「そう、っすね……」

萬と部下が到着したことに気づいた見張りとして立っていた男が近づいてくる。

「どうぞ、こちらです」

「どうも」

軋み、凹む階段を昇っていく。体重をかけたら恐らくは折れるであろう鉄の柵も恐ろしい。雪に湿らされた風が吹くたびに建物そのものが揺れている気がした。

まだ死臭が漂う空間に足を踏み入れる。部下はまだ慣れていないようで呼吸が下手になっていた。強烈な匂いにはいつまでも慣れることがない。目の前のおぞましい光景から主人公が消え去っても手を合わせてから捜査に入る。

「部下くん、君は外に出ていてもいいぞ」

「すいません……すぐ戻るんで」

「はは、最初はそんなもんだよ」

交通事故の現場に行った時には思わず涙が出そうになった。新人の頃だったため交通整備や、周りの野次馬を押し留めておく役割しかしなかった。車に押しつぶされて手しか見えていないその人の行方。勇気を出して聞くことも、誰かにとっての残酷さになる。そう考えたら処理が終わってからも口を開くことを躊躇った。

赤ん坊の遺体を見た時には吐き気がした。その場では何とか堪えたが無理やりにでも食べろと言われた食事は喉を通らず、夜になって腹が空いたからと食べたラーメンはトイレの中に消えていった。

そんな自分を励ましたり、こういうこともある、といちいち弱るななんて激励にも思える言葉をくれた人みたいな警察官に萬は憧れていた。人が死んだ現場でも余裕あり気に他人事の面。仕事と割り切った顔が出来ることは、決して才能ではない。強さではない。部下が吐き気を堪えながら外で蹲ってみたりすることは決して弱さではない。

それは強さだと思っていた。

けれど萬は自分の経験値を強さと思えたことはただの一度もなかった。

「司法解剖はまだだしな……これと言った目立った証拠品もありません。髪の毛も、指紋も、私物も、何もかも。完璧ですねえー。響さん」

だいたい目立つ証拠品が残っていないことは珍しくない。髪の毛が落ちないようにパッドキャップや帽子、フードを被ったりするんだろう。結果怪しまれたって自分の痕跡を残さないことだけが目標なんだから。子供の雅スイミングスクールの帰りに被るようなものを被っていても一種のファッションになりそうな現代だ。自分と違う人はじろじろ後期の目で見るのに年齢や、性別。行ってしまえばどうしようもない条件によっては普通じゃん?と思われることもある現代だ。

そんなことはどうでもいくて最終的には殺すという目的さえ果たせればそれでいいわけなのだから。その場に言わせない人にどう思われようと犯人が気にすることもない。

革靴を半透明にしているビニールが鳴る音がする。吐瀉物の名残を踏まないように部屋の中を歩いていく。片付けられた形跡のないシンクの中のや、皿やコップ。おそらく場所は少しだけ変わってしまった靴の位置と数も。何もかも独り身の要素。女の髪の毛が落ちていても、連れ込んでいることは怪しくない。午前中に確認していた監視カメラの映像では確実にこういう人物と言えるだけの交友関係の有無、恋人の有無は何も分からなかった。

「君は、一体誰に殺されてしまったのだろうかね」

マスクをして少しばかり匂いがマシになったプライベート空間で独りごちる。

「黙っているしかないのにね」

死人に口なし。

萬は事件現場、事故現場で多く実感する。警察は許されている権限を使い調べ、犯人を特定する。死体が話してくれるのは解剖医だけ。特別は知識がない人間はあらダを切り開こうと、色が変わっているかさえ分からない。変わっていたとしてそれが何が原因で、どんあことを示しているのかも知るためには報告書やデータに、言葉や説明を書いてもらわなければいけない。

専門の知識がある人物の力を借りて成り立たせられている。すみませんで済まない事案のために。

「俺じゃない人の前でなら、貴方様は。響さんは話せるんだろうけど」

「萬、さん……戻りました」

「死にそうな顔してんな。どうせまともな証拠品ないし、もうちょっと詳しくやってから聞き込み行くけど」

「あ、マジっすか……」

「ちょっと現場にも慣れとけ。袋あるんだろ?構えてていいからぐるっと一周するぞ」

「ういす……」

顔面蒼白で一度くらいは吐いたであろう部下の手を引き中に連れ込む。たまには強制的に背中を押すことも大事。そう思いながら萬は日々部下と接する。

「何か落ちてないもんなんですかね……その、髪の毛とか」

「あったとして、なんだよな。畳だし、ボロいアパートってことは大家が一斉に変えるなんてしないだろうし、ガイシャもそこまで金に余裕があったり頓着しているようには見えんし。掃除機もないってことは頻度高くで掃除していない。だから髪の毛だって結構溜まってる。一本一本調べることは難しい。明確に色でも違えば、長さでも違えばいいが。そんなに都合いいこともなしいな」

「そうなんですね。じゃあそういう時って何が手がかりになるんですか?」

「聞き込みもそうだし、交友関係漁るのもそう。現場だったら監視カメラの映像。足跡とかな。ホコリが溜まってるこの空間には見えにくいだろうが足跡があるもんだ」

「入っちゃっていいんですか?」

「ビニール履いてるだろ」

「あ、そっか」

靴のまま上がり込んだ場合靴の形が特定出来ることがある。ビニールを床との間に挟むことで足の裏の形が曖昧になる。

「後は指紋。まさか、バカ正直に残していってるとは思えないけどな」

「絶対ありえないと思いますけど家の中にホースで水とかぶちまけたらもう証拠は一切無くなっちゃうんですか?」

「まあ、理論上はそうだな。血とか流してたら別。水だけじゃ洗い流せないからな」

納得したように頷いた部下をいじめすぎたかもしれないと思って三周目に入りかけていた体を翻して玄関の方に向かう。

「ちょっと休んで、聞き込み行くぞ。大丈夫か?」

「これくらい……耐えてみせます」

「グロ映画でも見漁れよ。意味はないけど」

「ないんですか!それに現実とは違うじゃないですか」

「ドラマの中だけで殺人事件が起こるわけでもないぞ」

言い返せなくなった部下は車の中に乗ってマスクを外した。吐くために用意していた袋の中には空気以外入っておらずその中にゴミを入れた。

「観光地、はいないですよね」

「ああ。ここら辺を漁る。そして君は何故車に乗ったんだい?足を使うぞ」

「すっ、座りたかったんです!」

「そうかいそうかい。おぼっちゃま。少しお休み下さい」

ふざけた口調の萬にキーキー言いながらムキになって時間を空けずに車から降りた。手帳を取り出しやすい場所に移すことはもうルーティンとなっているようだ。成長を指摘することなく歩き出す。

雪を踏みしめる足が音を鳴らす。なんとかなる。捜査の度にいつも思う。お蔵入りになること。時間が経ち、世間にも忘れ去られ人数が減って解決しないことも仕方ない、と思われること。なんでも解決してしまうのはドラマや、映画の中の世界。誰かに作られた事件事故。綺麗な形で終わらないこともある。

事実しか結局はここにはない。それが現実世界。故に虚しさを抱えないように。失敗が起こらないように。なんとかなれ、と祈るのだ。せいぜい部外者としての観点から。かっこよくいえば客観的に見たもので判断をする。それが自分の仕事だとほこりや、やりがいは捨て去って役目をこなしていた。

「聞き込みって、どこ行くんですか?」

「まず横田の元々勤めてた警備会社。派遣ってことは大元があるはずだからそこに行く。あ、やっぱ車乗れ。遠かったわ。あー、でもまた戻ってくるのめんどくせーなー……」

「車で見回ればいいじゃないですか」

「クソ観光地のくせにパトカー停められるところがすくねーんだよ。よし、とりあえずここら辺の聞き込みをしよう。君の腕前とくと拝見。隣の部屋の住民に聞き込みをしたまえ。確か年寄りのレディだからそこまで難しくもないだろ」

何かあればすぐに自分も出て行けるように真後ろに付き従う。

「すいません、失礼しますー」

「はい、何ですか?」

独特なイントネーションのおばあさんだった。

「昨日からお隣うるさくさせていただいてます。警察なんですが、少々お話伺ってもよろしいでしょうか」

「ああ、横田くんのこと?」

「そうです。何か、こういう人だったとか、事件発生したのは恐らく深夜なんですがその時の声だったり。聞いたものはありませんでしたか?」

「あー、そうさね……」

考えるふりをして腕を組む。家の中を頑なに見せようとしない姿勢からそれなりに自分も問題を抱えていることが分かる。今調べているのは横田の事件。故にこの老婆が何を抱えているのかは問題ではない。

「声は聞こえんかったね。でも、あたしはいつも早く寝るから力にはなれんよ。眠りが浅いからすぐ起きるんだけどねえ。それに横田くんはいつも帰りが遅いから帰ってきたんだ、とも思わんのよ」

「そうですか。横田さんとお話されたことは?」

「何回かね。調味料貸してくれー、言われて貸したことは何度かあるがね。個人的な話をするほど仲は良くないよ。ただの隣人。それ以上でも以下でもない関係じゃ」

「話している時はどんな印象でしたかね。落ち着きがあったとか、大人っぽい。まだ子供らしさが見えるとか」

「常に笑ってたよ。何かを画してんだろうな、と思いながら見てたけど仕事もうまくいってなかったみたいだし、強がりってやつじゃないのかね」

「横田さんはバイトに行かれていましたか?」

「さー、知らんねえ。でも、最近はずっと家にいたみたいだよ。夜寝るのが早い分、早くに起きるが出て行く音も、入る音もせんかった」

いい情報は得られた。そう判断した萬は服を引っ張った。

「わっかりました。ありがとうございます。何かお聞きしたいことが別途あれば伺わせていただくかもしれません」

「いつでも来んさいよ」

好意的な態度だったが聞き込みに慣れていない萬の部下は息を吐き下す。

「いい情報あったんですか?」

「精神的なものがあったかもしれない、っていう重要なことが分かった。よし、次はー……」

手帳を確認する。殴り書きでいつも記録するからたまに解読出来なくなることがある。それも癖だと割り切って情報提供者になるかもしれない協力者に目を合わせるように努力する。

「次は、すぐ近くのスーパーだな。その次は駅前のパチンコ。どんだけバイトしてんだよ……バー?ああ、あそこか」

「分かるんですか?」

「ダーツとビリヤード、スロットがあるバー、って開いてあったからな」

「よく読めますね……」

言いたいことを思い出して手帳を閉じ、階段を降りる。部下が階段を下りきるのを待ってから萬は言った。

「部下くん、読み直しやすいように書くのも重要だが感謝すべき相手というのも忘れないように」

「つ、つまりは……?」

「読みやすさよりも、情報を頂くことの方が重要だ。故に、そんなちみっこい字でたらたら書いて一歩的に話させるのではなくあくまで対話だ。どちらともが一方通行になってはいけない。字が重なってもいいから相手の目を見ることを意識すると心を開いてくれる」

「そうなんですね。勉強になります!」

「うむ。ただでさえ警察は威圧感が強い。そして疑われてはいけない。だから堂々としていたのは褒めるべきだな。よくやった」

「素直に褒めるって、どうしちゃったんですか……!?」

「素直に受け取れよ……」

横田響の住んでいるアパートから歩いて十五分。自転車で通勤していたようだからかかる時間はおよそ五分。ここ最近はバイトにも行っていない。恐らくすでに辞めているんだろう。一番最後のバイトがスーパー。だから最初に出来る限り可能性があるところから向かって行く。

冬の日暮れは暴力的なまでに早い。スーパーから戻ってきたら車で駅前まで行き、適当なところに停めよう。頭の中で工程表を作成し、その通りに動けなかった場合の対処法も考えておく。そこまで大きくないが多くの地元住民が訪れるスーパーなので意識しなくても足がそちらに向かった。

「すいません、店長の方はいらっしゃいますか?」

「いますけど、そのどちら様で」

「こういう者でして。少しお話を伺いたいことがあるんです」

「っ……分かりました!こちらへどうぞ」

驚いた表情をしながらも寒々しい野菜売り場を通り抜けてバックヤードに通された。ノートか何かを見ている店長を顔を上げなかった。

「店長、警察の方がいらっしゃってます」

「は?え、あ、どうも、こんにちは……」

「はい、こんにちは。突然申し訳ありません。こちらでアルバイトをされていた横田響さんのことは覚えていらっしゃいますか?」

「横田、響……?ああ!響くんですね。覚えてますよ」

「働きぶりとか、どんな感じの方でしたか?」

「いつもにこにこしていていい子でした。仕事を覚えるのはちょっと遅かったですけど、大きな失敗もしないし真面目でいい子という印象でした」

いつもにこにこ笑っている。似たような情報が二つ以上あればそれは真実に近い。そう思うようにしていた。部下に注意した通り、自分は癖でやっている目を合わせるようにして話を聞き、メモを取る。それをそのまま目の前で見せてやる。ハンドも言葉で注意をするよりも、一度見せたり、背中を見せることで学んでくれる。そう思いたい。

「金銭面でトラブルがあるような話は聞いたことがありましたか?」

「いえ。でもかなりお金には困っているようでした。元はギャンブルをやっていたけど、もう足を洗ってちゃんと働き始めるためにこのスーパーを選んだと面接で話していました」

「ほうほう……ギャンブル、ですか」

「一日で十万円近くをパチンコに溶かすこともあったよようでした」

「それは横田さん本人が言っていた?」

「そうですね。自分でも言っていましたし、知り合いという方と話しているのを見ましてそんな内容なことを話していた気がします」

しっかりした受け答えにちゃんと職員のことを見ている店長なのだろうと思い、それをメモしておく。

「アルバイトを辞めた理由について何か聞いていますか?」

「いえ。家庭の都合。一身上の都合で、としか」

「悩みを抱えているとか、辛い、と漏らしていたことは?」

「ないです。抱えていても言えない子だったんだと思います」

その路線で調べを進めようと脳内で話を終わりに向かわせていく。

「ありがとうございます。横田さんの履歴書はありますか?」

「どうだったかな……一か月以上前のことですし……」

ふくよかな店長が汗を拭きながら監視カメラの映像などがリアルタイムで映し出されているパソコンと業務に関する情報を司っているであろうパソコンが乗っている机の上の棚を開いた。ファイルを漁りながら横田横田……と呟いている。

「あ、ありました!横田響、これになります」

「コピーさせていただけますか?」

「もちろんです。コピーしてきますね」

「わざわざすいません。ありがとうございます」

数分後走って戻って来た店長の手に二枚の紙が握られていた。

「コピーになります」

「ありがとうございます。またお聞きしたいことがあれば伺わせていただくかもしれません。その際はご了承ください」

「もちろん、いつでもどうぞ。ご協力できることであればなんなりと。その、聞いても大丈夫か分からないんですけど響くんになにがあったんでしょうか」

「ご自宅で亡くなっているのを発見しまして……その捜査中です」

「そんな……そうなんですね……響くんはみんなに気に入られている子だったので、どうかよろしくお願いします」

涙の影も見えるその声と、ハゲが始まりかけている後頭部が見えるくらいの礼を受け萬と部下はスーパーを後にした。

「すんなり話してくれるもんなんすね」

「人によるがな。さっきも言った通り警察は存在だけで威圧する。だから下手に出るんだ。最初は。それで心を許してもらったらディープな話題に入ってみたりする。それが鉄則、って訳でもないな」

夜はまだ見えない空もボロいアパートに歩きで戻る頃にはオレンジ色になっていた。聞き込み調査をしなければいけない場所は夜が本番のところしか残っていない。多くの情報を聞ける可能性が高くなったので行動計画省は間違っていなかったな、と一人満足をして腕を組みながら歩いた。

都合がいいことにしか揺るがない萬の眼は基本たいていのことはごまかせない。曖昧刑事だ。


【続く】

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