3-日暮れ
「おー、笑ってる笑ってる」
「レディの話を盗み聞きなんてよくないよ。出水くん」
「これは不可抗力ですよね!?」
「興味があるのは事実だろー、すけべー」
「臣道さん!?風評被害ですよ。世間一般の立派なすけべの皆様方に」
「立派なすけべって何?」
単純な疑問だろうその質問に笑い転げた臣道を見て、質問した張本人のヴァニラも笑う。雪の中のヴァニラがあまりにも可愛らしいと疲労のあまり寝落ち寸前の奥山の厳しい牽制も今は緩んでいる。
「意味なんかねーよ!がははは!」
「臣道サンの言うことは基本意味ないネ」
「ミカエル、それはひどくないか?ひどいぞ」
「でも事実ね」
「事実だね」
「事実らろー」
「事実だな」
一斉攻撃に普段からふざけている自分と同じ担当のはずの出水に軽い裸絞めをかける。ギブギブと言いながら腕を叩くまで続けた。体格がいいことは重々承知の上でなので万が一にも傷つけることはないように酔っていても配慮は忘れない。
「俺らが集まって話すことと言っても……」
「確かに、無いな。君たちの愛社テストでもするかい?」
「答えられる自信ないよ」
「ミカエルさんと同じく」
「ヴァニラちゃんと同じく」
「ディアさんと同じく」
「出水くん、どう思う?この会社」
「仲良しの証拠っすよ。多分」
ただ全員、ふざけていてもカルティンブラが嫌いとは言わないのだ。全員の帰る場所で、出発地点の家のような場所。兄華があってもカルティンブラに戻れば誰かがいて、そこなら誰かが慰めてくれる。正当に自分のことを叱ってくれる。そういう大切な場所はエンタメには使ってはいけない。それは暗黙の了解であり、不快な事項なので満たさないように。
会社は何か目的があって興す人が多い。それに賛同した人がその中でメンバーとなり、支え合っていく。規模が小さいからこそ生み出されたものがあった。規模が小さいなりの良さは色々なところになった。
「お酒とか買いに行かないのね?」
「女性陣が行くらしい。頼もう」
「レディファーストっていう概念はないんだな。この会社は」
「奥山くんはヴァニラくんしか優先しないだろう」
「レディファーストじゃないんですよ。奥山さんのはヴァニラファーストなんですよ」
「悪いか?」
何が悪いのか一切分からない顔は本気だ。ヴァニラのことになると奥山はふざけない。スタッフがカルティンブラのことでふざけても『嫌い』とは言わないようにそのくらい大切に思っている証拠だった。
奥山はヴァニラに過保護で、ものすごく甘い。結婚していることは周りには隠している。深い理由もなかったが出来るだけ当事者間に留めておきたい、と社長である桑木以外は知らない。付き合ってすらいないと思っている周りはお節介を焼きたくて仕方がない。お節介を焼くと奥山の牽制や、威嚇、警戒がすごいので二人の関係性は二人のペースで進んでいっている。
ヴァニラもこれ以上ないくらい鈍感で奥山の過保護に気付いていない。ここまで盛大に言葉にしても奥山の守りたいという気持ちは高校生の頃からの関わりが理由だろうと思っている。奥山は泣いたらしい。
ここまで来ると結婚という関係性も不十分なのではないか、と全員が心配している。結婚していることを知らないのにもう少し上の関係性を作り出そう、と日々話し合っている。恐らくもう少し仕事をした方がいい。
「何か頼むものあったら俺送っとくっすよ」
「酒」
「酒豪キター。ビールっすねー。それはまーここの自販機も使えばいいし重くないくらいお願いしましょうか」
「頼んだ。ミカエル、長い夜になりそうだな」
「だね」
見合わせてニヤつくおじさんズ予備軍。桑木が最年長で、ミカエルと臣道は桑木と比べればおじさんではない。
「じじくさい」
「ディアさーん?俺ディアさんにだけは言われたくないんだけどー?」
「十歳以上年下なのにいじめるんだな」
「十歳って。誤差だろ」
「誤差だね」
「思ってもいないこと言わなくていいですって。それに俺は臣道さんみたいによっこいしょ、って言って座らないしミカエルみたいにくしゃみの余韻が長くない」
「納得出来て草」
男子組最年少は言わずもがな都だが、都と出水の間に六波羅と郡上がいる。しかしこの場での最年少は出水なので若者らしさを全力で出していく。
「出水くんもそろそろ三十の大台に乗るけどね」
「来年六十の人に言われたくないんですけど」
「アンチエイジングの出水くんとは違うからね」
「三十になった瞬間人は急に老いるってどっかで聞いたんですよ」
「俺らくらいになると誕生日とか忘れるから。大丈夫。そうなったら何歳でもいいやーってなるなる」
「千ちゃんは年取っても絶対に可愛さは残るわよ」
カルティンブラのビジュアル担当のヴァニラに微笑まれながら言われた出水の頬はぽっと染まる。不埒な気配を察した奥山が飛び起きて出水を見る。
「何もしてないです。何もしてないです。変な気持ちは抱いてないです。同じ土俵にディアさんがいるのにヴァニラさんにうかつに恋とかできないですし」
「分かってんならいいんだよ」
「若いっていいねー」
「恋だねー」
「おっ、三角関係?」
悪ノリが始まって天使の笑い声と悪魔の睨みに板挟みの出水が死んだふりをした。
「死体は置いといて。どうよ、みんな。最近の仕事は。ミカエルはだいぶ自分でやり取りも出来るようになったしな。厄介な奴とかいないか?」
「いないね。でもたまに、漢字じゃなくていい文字まで、漢字にしてくる人いる。それは流石日本人だ、と思う」
「一応褒めはするんすね。そういう時どうするんすか?」
「臣道呼ぶ」
「呼ばれる」
物理的にしんどーう!!という怒号が響くのは日常茶飯事です。日本に来て十年以上になるミカエルはまだ漢字だけが苦手だった。『生』という漢字の読み方が多くて日常生活の中で使う回数がかなりトップに食い込んでくるのに嫌いだ、と言いながらちゃんと何かと関連付けて覚えるのはミカエルの真面目な証拠。
「それで言ったら聞いてくださいよー、前クライアントと会ってきたんですけど若いって思われたのか見下されて。学歴厨なのか知りませんけどめちゃくちゃマウント取ってくるし」
「出水くんは高卒か?」
「専門中退っすー。大企業の腰巾着のくせしてこの野郎ー!って思ってたんすけどやんわりと反抗するだけの語彙がないこともやっぱり事実で困るんすよねー」
「アタシ呼びなさいよ。そしたら舌戦で負かすわ」
「ディアさんとヴァニラさんって喧嘩とかすんの?」
「する。俺が百負ける。勝ったことない」
思わぬ告白と、美人の裏の顔を見て新たな発見にフレーメン現象のような反応をする。強烈なインパクトあるものを見た時に咄嗟に固まってしまう。そんな感じ。
ズザザ
スノボに乗っている都がターンをしようとしてスピード制御が出来なくなり足だけが進んでしまって背中を盛大に打って転んだ。
「はははっ!内季ー大丈夫かー?」
「大丈夫ですー」
「スノボは初体験か?」
「いや……初めてです」
「初めてなんかい!」
「スピードが出過ぎる時は大体腰引けてんのよ。どっちかに体重が寄り過ぎたらスピード制御出来るもんも出来なくなるから。重心の位置意識してみ」
都と同じスノボに乗っている六波羅が丁寧に教えていく。何となくコツを掴んだのか一回だけターンが出来たが、連続してやろうとすると盛大に回転するくらい転んだ。
「ちょっと見せてください」
「お、いいよー」
何度か回転を見せる六波羅。それを見て座ったまま考える。出来そうと思った瞬間に立ち上がり後ろにいた郡上に雪をかけられる。スキーに乗っているからストップの時に故意的にかけられた。
「内季ごっめーん!」
「わざとですよねー!もー!」
「頑張ってやってみな。出来るよ」
「はい」
見て覚えた都はすんなり出来るようになった。本人が一番驚いていた。
「すごいすごい!出来てるじゃん!」
「六波羅さんが見せてくれたからですよ」
「俺ってばやるー!このまま下まで行こうか!」
「疲れてねえか?大丈夫か?」
「大丈夫!」
「お前の心配はしてねえよ。内季は?」
「ひどいよな、あいつ。おかしいよな。扱いひどいよな」
強要する六波羅。大丈夫と答えた都。置いてってそのまま進んでいった郡上。
「あー!置いていくなよ!内季行くぞ!」
「はいっ!」
スキーの速度に迫る勢いで進んでいく。都は転ばずに追い付くことが出来た。六波羅に、だが。郡上は先に下で着いて誰かと話していた。カルティンブラのスタッフ以外ありえないが。
「杉澤じゃん。何してんの?」
「見ての通り滑りに来たんだけど」
「女性陣勢ぞろいで。一緒に滑る?京ちゃーん」
「ユーンさんに教えてもらうので」
「郡上フラれてやんの」
杉澤が茶化した。
「しょうがねえな。環さん、俺とどうっすか?」
「誰彼構わず誘うな馬鹿野郎」
スキーなので比較的両足が自由。しかしわざわざスキーを外して跪き琴音に手を差し出した。ダンスの申し込みのようだった。
「妃美さんと滑るから……ごめん……」
「行かないでー!環さーん!」
「寸劇を出来るくらい人がいなくていいわねー」
「琴音さん罪な女ネ」
矢車姐さんは笑った。矢車は万年スキー派閥。弓削はスノボの達人のユーンに教えてもらって始めた。幼少期に何度かスキー場に行ったらしいが記憶はない。琴音はスキー、杉澤はスノボをある程度滑れるくらい。
「杉澤は矢車さんたちと?」
「そうだけど」
「ふーん、まあ俺は都に教えないとだし」
「私そっち行って教えてやってもいいけど」
「マジ?じゃあ頼もうかな」
「何甘酸っぱい劇繰り広げてんだよ!」
スキーを嵌め直した郡上が間に割り込んでくる。腐れ縁が過ぎてお互いを恋愛対象に見られないのは当たり前で杉澤にも六波羅にもそんな気持ちはなかった。こういうやり取りをするとツッコミ役の郡上が入ってきて面白くなるから隙あらば作り出す。郡上杉澤六波羅はそれなりに関わりが深く、裸で寝ても何も起きない自信があるらしい。六波羅と郡上の場合。
「みんなでリフト行きましょう。晩ご飯精一杯楽しむために滑り通すわよ」
鬼のような練習が始まったのだった。
疲れる体を引きずって夕食の時間の一時間半ほど前には切り上げた。風呂に入ったり、着替えたり。それなりにやることがあるので直前まで滑っていた組は急いでホテルの中に戻った。
「じゃあまた後で」
「うん!」
その挨拶だけは忘れずに。
初日の夕ご飯は豪華だった。宴会用の畳敷きの広間を予約して、日本料理が運ばれる。三泊四日の旅の初日は移動でほぼ埋まり、気づかない間に体力はどんどんと減っていたのに六波羅郡上都は底を見ない振りしてはしゃぎ過ぎた。その結果三人は今にも寝落ちしそうになるくらい。体力の分け方を間違えた。
二日目は夜は外に食べに行くことも、ホテルの中で食べることもせず各々部屋で過ごすことになっている。三日目は咲塚スキー場から出て観光地まで車を走らせる予定だ。朝から見回り、夜までかかる計算になっているためホテルの外で夕飯は済ませる。
家で食べるズボラ飯に雰囲気料金がプラスされてさらにおいしくなる魔法をかけられているカップラーメンは既に買い込まれている。足りなくなり次第また買いに行けばいい。ないなら最悪食べなくてもいいじゃない、というルーズな考え方をしている人ばかりなので目先の。目の前の光輝く刺身だけを見ている。
まるで最後の晩餐の様に。向かい合っていたが。上座には桑木。その近くを琴音、出水で固める。桑木と向かい合っている出水の隣にはミカエル。桑木の隣の琴音のさらに隣は臣道。そこからは年功序列もほぼ形を為さず仲のいい人たち同士で隣同士になったり、向かい合ったりしている。
二メートルほど先の相手に話しかけるのは酔っぱらった後になるだろうが。
「それでは無事、ホテルに着きましたこと社員旅行が無事始まったことを祝して!」
乾杯の音頭の少し後に乾杯の怒号と、コップが掲げられる影。その後に近くの人とコップを当て合う音。
無礼講の概念を超越した楽しみ方で宴会は進んでいく。頬が落ちるようなごちそうに、いくら食べてもゼロカロリーの魔法の呪文。
明日スキーするし。
それだけで胃の内容量は広がるし、刺身の造りや国産牛のすき焼きは胃の中に流れ込むようにして入ってくる。セブンティーンアイスがあることを目ざとい杉澤、弓削は早々に気づいているのでそれを食べようという約束の罪悪感は何もなくなる。気にしながら食べるのは失礼というもの。
今この時を全力で楽しみ、疲れたのなら眠る。疲れていなくても眠る。食べたい時に食べる。自分の好きなようにいる。その道中出来る限り迷惑をかけないように。明らかに間違っている行為をしないのはもちろんのこと、もしも善意が誰かの中で悪意に変わってしまったら素直に謝れるように。
出水と同じ年齢の息子がいた桑木は親のような立場になって何度もこれらを言う。何度も聞いて暗唱できるくらい覚えているが実際大切なことだと多くの人が分かっているので聞き流す回数はだんだんと増えながらも脳には届いている。耳から脳に少しお邪魔して、それから耳を出ていく。馬耳東風というわけではない。
「それじゃあおやすみー」
「はーい」
「瑠衣たちどこ行くの?」
「アイス食べに」
「太るぞ」
「デレカシーない男は嫌われるぞー」
「環!」
急な出現に驚かれて心外、という顔をする琴音。
「瑠衣ちゃんに、京ちゃんはアイス食べに行くのねー」
「琴音さんも来ますか?」
「行く行くー、先輩が奢っちゃる」
「やったー!」
「ありがとうございます」
眠そうな顔をしているユーンと、付き添いの矢車はエレベーターに乗って一足先に酔っ払いの波から逃れることに成功した。これから部屋に帰ってまた飲み始めるであろう男に呆れながら杉澤、弓削。そして琴音はエントランスの自販機ブースに向かって行った。
「ヴァニラ、落としたよ」
「ああ、ありがとう。ミカエル」
「ハンカチ、可愛いね」
「自分で刺繍してみたのよ」
「すごい!上手!」
「だろう?俺の嫁さんは手先が器用なんだぞ」
割り込んできた奥山に苦笑いのミカエル。既に結婚している二人の輪の中に入ろうとも思っていないのに。未だに奥山はヴァニラを守りすぎている。
「出水さん、後で部屋行っていいっすかー」
「いいけど社長いるよ」
「お邪魔なら臣道くんたちのところに行くが?」
「むしろいてくれなきゃっす!お願いしまーす!酒持っていくんで!」
「おう、大歓迎よ!」
各々夜の予定が出来たところで一度上に行ったエレベーターが戻って来た。もう一つは今現在電力を消費しないように使っていないそうだ。
四階のボタンを押してそれぞれの客室に入って行った。
アイスを食べながら三度目の往復に入っているエレベーターに乗り込んだ。
【続く】
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