再会

 イザイが去った部屋の中で、先に声をかけたのはフェルデの方だった。

「……あの時の、飴の方ですね」

 頷いたガジは改めてフェルデを見た。


 六年前に見た時よりもずいぶん背が伸びていた。それでもガジの方が少し高いだろうか。声に少年の頃の高さはなくなっていたが、しっとりとした柔らかさを残していた。


「どうして、あなたが奥院おくいんの僧に?」

「この見た目では、カムルランギを降りて生きるのは難しいだろうと、大僧正だいそうじょう様が。それで、僧として修行を続けていました」

「天の国には帰らなかったのですか?」


 ガジが不思議そうに首をかしげると、フェルデは軽く目を伏せて言った。

「……間に合わなかったのです。あの日、カムルランギのいただきにたどり着いた時にはもう、シャラークへの道は閉ざされていました」

「それなら、次の渡翼わたりの日でも」

「シャラークには習わしがあります。『地の国の食物を口にせし者、汚れし身にて、天の門を二度とくぐるべからず』と」


 その言葉を聞いた瞬間、ガジの顔からと血の気が引いた。あの日、自分が彼に渡したものを思い出したのだ。

「飴のせい、ですか?」


 ガジの手から銀色の鈴がすべり落ちた。

 彼は帰らなかったのではなく、帰れなくなったのだ。自分が渡したあの飴のせいで。


「申し訳ありません、私のせいで、そんな……!」

 両膝をついたガジは、床に額をこすりつけるように頭を下げた。

 罪悪感が深く胸に刺さった。六年間、彼はどれほど嘆き、自分を恨んだことだろう。そう思うと伏せた顔を上げることができなかった。


 平身したガジの側にフェルデが寄る。僧衣をさばく静かな衣擦れの音がガジの耳に届いた。

「大丈夫、大丈夫ですよ、ガジ」

 囁くような声と共に、温かな手がガジの背中に触れた。


渡翼わたりの日は三月みつきに一度、間に合わなかった時点で私の命運は決まっていました。カムルランギのいただきで自ら命を絶つか、餓死するかのどちらかです。けれど私は、……他でもない貴方の優しさに救われた」


 ガジの背をゆるりとなでながら、フェルデが懐かしむような声音で言った。

「貴方のくれた飴は、甘かった。地の国の優しさはこんなにも甘くこころよいものなのかと思いました。だから私は、地の国ここで生きてゆく道を選べたのです」


 ガジがそっと顔を上げる。

 視線の先に、春の空色が揺れていた。


「あの時、私を助けてくれてありがとう。また貴方に会いたいと、お礼を言いたいとずっと思っていました」

 その言葉を聞き、強くつむったガジの目から熱い滴がこぼれ落ちた。



 少し外に出ませんか、とフェルデが言った。

 ガジを連れ、フェルデは慣れた足取りで中院なかいんを歩く。岩壁に張り出すように設けられた物見台に出ると、吹きつける風が二人の赤い僧衣を揺らした。


「……シャラークは、本当はこちらの人々が思っているような清廉せいれんな国ではありません」


 険しい山々に囲まれた空を仰いだフェルデが、ふと小さく呟いた。

「高官たちは利権を奪い合い、民は絶えず不満を抱え、地の国を汚れたものと見下すその考え方は数々の因習にとらわれています」

 淡々と故郷を語るフェルデに、ガジは何と言って良いかも分からず、ただその言葉に耳を傾けた。

「ですが、いずれ変わる時は来ると思います。百年後か、二百年後か。シャラークの民たちが地の国と交流を望む日は必ず訪れるはずです」


 白い翼がぴんと伸びる。ガジを振り向いた瞳には静かな決意が湛えられていた。


「その時のために、私は自分にできることを行ってゆくつもりです。後の世の人々がいさかいなく共に生きられるように。それが天の国シャラークに生まれ地の国シシトかえる私の、魂に刻まれた使命なのだと思います」


「魂の……」

「ガジも、手伝ってはくれませんか?」

 そう言って、微笑んだフェルデは軽く両腕を広げた。

「私はカムルランギの奥院おくいんしかこの国を知りません。広く地の国シシトの習俗を知る、信頼できる方の助けが必要なのです」


 フェルデの視線を受けたガジは、ふと僧衣の胸元を押さえた。懐にしまったはずの澄んだ鈴の響きが、なぜか耳の奥ではっきりと聴こえた気がした。

 そうか、とガジは思った。


(私の魂に刻まれた使命はきっと、この人の助けになることだったのだ)


「喜んで、お手伝い致します」

「ありがとう、ガジ」

 僧衣から腕を伸ばすと、ガジはフェルデと静かな抱擁ほうようを交わした。

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