カムルランギと中院

 僧都そうとでの生活が五年を過ぎた頃、ガジに新たな仕事が与えられた。カムルランギの中院なかいんに物資を送り届ける仕事だった。昔から山を行き来し、並みの僧よりも体力のあるガジだから選ばれたらしい。


「カムルランギに昇った僧は二度と降りてこられないと思ってましたが、そうでもないのですか?」

 書付けどおりにロバに物資を積む手伝いをしながら、ガジは共に仕事を担う僧に尋ねた。イザイという年かさの僧は朗らかに笑って答えた。

奥院おくいんまで昇った僧はめったに降りてこないなあ。しかしカムルランギの道も、歩く者が全くいなくなったら途絶えてしまうからね」


 イザイと共に初めて歩くカムルランギの道は、細く、静かで、果てしのないものだった。


 木々も生えない道は、昼間は強い日差しが注ぎ、夜になれば急激に空気が冷えこむ。生き物の気配も薄く、進むロバたちの足音と自分の息づかいの他に聞こえるのは、乾いた風が空を渡る音だけだった。見通しの良い岩肌の先に淡く雪の残る絶壁がそそり立つ様は、自分がカムルランギの山に迎えられているようにも、拒絶されているようにも見えた。

 六日ほどの旅の後、ガジとイザイはカムルランギの中院へと到達した。



「ガジ、ここにいたか」

 中院なかいんに着いて数日経った午後のこと。ガジがスーチャに口をつけていると、イザイがやや興奮した面持ちで声をかけてきた。


「秋の渡翼わたりの前に、奥院おくいんから大僧正だいそうじょう様のお弟子様が来られたんだ。あちらの支度したくが整ったら挨拶に行こう」

「私もご一緒して良いのですか?」

「ああ。これから何度も会うことがあるだろうし、慣れておいた方が良い」

「分かりました、準備します」

 椀を空にして立ち上がったガジに、イザイは弾んだ声で言った。

「きっと驚くぞ、私も初めてフェルデ様にお会いした時は驚いたからな」

 ガジは首をかしげたが、すぐに手と顔を洗って僧衣の帯を締め直した。


 カムルランギの中院は山の斜面に沿うように建てられている。広く見目良く造られた地上の僧院とは異なり、外と中を何度も出入りするような入り組んだ構造をしていた。細い廊下は薄暗く、初めて訪れたガジには案内がなければ迷ってしまうほどの複雑さだった。


「フェルデ様、ペナンから参りましたイザイでございます」

 ガジを連れて一つの部屋の前までやってきたイザイは改まった声を上げた。ガジにも分かった。そこは今までの部屋よりも手のかけられた、特別な者を泊めるための場所だった。


「どうぞお入りください」

 穏やかな声に促されてイザイと共に部屋に入ったガジは目を見張った。


 部屋の中で座るのは、ガジたちと同じ赤い僧衣と頭布ずきんを付けた若者だった。その肌は色味が薄く、瞳の色は空に似た青色をしている。そして赤い布の背中からは、白く大きな翼がすらりと伸びていた。


 間違いない。あの時の少年だと思った。


「お久しぶりです、イザイ。そちらは?」

 若者はシシトの言葉でそう尋ねてきた。

 ガジが何も言えずにいると、隣に立つイザイが代わりに答えた。

「今年から荷送りの仕事を任されたガジという僧です。今後は彼が中院なかいんを訪れることも増えるかと思います」

「そうですか、よろしくお願いします」


 空色の目がこちらを向く。ガジは小さく息をのむと口を開いた。

「あ、フェルデ様は、……いつから奥院おくいんに?」

「六年前からです」

 ガジはそれを聞き、深く呼吸を整えると懐から布を取り出してフェルデに言った。

「これに、見覚えはありますでしょうか?」

 布を広げ、薄い銀色の鈴を見せる。


 フェルデは目を見開いた。ガジを見上げた顔に、次第に大きな驚きの表情が広がってゆく。

 椅子を立ったフェルデは、不思議そうな顔をするイザイに小さく言った。


「……イザイ。少しだけ、彼と二人だけで話をさせていただいてもよろしいですか?」

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