開始
食事が終わったのは午後八時になる頃。美味な食事を味わって食べていると思いのほか時間がかかった。いつもだったらバイトや、その他の用事にかまけているはずの時間帯。食休みに全員が寝っ転がったり、深く腰掛けたりしてリラックスした体勢を取っていた。
「いつくらいに行くうー?」
間延びした声で尋ねたのはスマホを操っているフウだった。
「いつでもー」
「俺もー」
「もうちょっと休みたいー」
「同じく」
いつでも出発できるユウキとハヤミ。ヒナタとハネはまだもう少し休んでいたい。時計を見やったフウはあと一時間ほど休憩をして九時を目安に出発しようと言った。満場一致の賛成によりのんびりとした秒針の進み方さえも遅くなったとさ画するほど永遠に続いてほしい時間が長引くことに。
「ここからトンネルまで離れてないしね」
「ねー、マジなところ十五分くらいで着くよ」
「流石調べてくれてんだ」
「当たり前じゃん?」
このまま眠りについてしまえたらどれだけ楽だろう。体が求める安らぎを恣に。俗世を生きている時のしがらみ全てを忘れて。己しか抱えていないような悩みも何もかも手放して。神様がいるような神殿がある雲の上の世界に似たユートピアまがいの畳の上で意識を飛ばして。夢の世界へ落ちていけたら。
満場一致だった。
必死に意識を保ち続けたのは各々の目的があったからだった。スリルを感じたい。思い出作り。最高なシチュエーションで酒を飲みたいがために。言い出しっぺの法則。単純な興味。それを達成させるため。
「帰ってきたら酒飲もうぜ。飲み直して、枕投げして、そんで寝る」
「フルコースやんなー」
「旅行は詰め込まねえとじゃん?」
「そうだねー。ハネコも暴言以外のまともなこと喋れたんだな」
「俺を何だと思ってんだよ。レポートの評価お前らの中でも総合トップだからな」
無言の時間が続いた。不仲に見える空間だった。
「よし、行くぞ!」
「おー!」
食事の際に職員の人には夜中にちょっと外に出るが気にしなくていいと言っておいている。自由なことをしているのは分かっていたが若気の至りということで大目に見てもらおうと甘えた。
必要最低限の金や、貴重品を身に着けて離れからまだ鍵が閉められておらず、明かりも灯っている母屋を通り扉を出たところでぞくぞくとした前段階の感情が沸き上がる。旅館がある場所も夜が及んでくると真っ暗闇に覆われる。母屋の電気も消してしまったら目が慣れても自分の手も見えないような場所だ。
うねる山道を通ってきたから下の町々の明かりが見えるかもしれないと思ったが落ちてしまうくらい限界まで母屋の裏に回っても見えなかった。
車に乗り込んだ。自分たちの車を見つけるのには苦労がなかった。一台しか停まっていなかったのだから。
「俺行き運転する。だから帰りは別の奴頼んだ」
「ハネコ帰り寄るコンビニで酒買って飲みたいだけでしょ」
「バレたか。行きに運転する対価としては十分だと思うけどな!」
「それもそうだね。ハヤミやユウキで運転してくれる勇者は?」
「あ、俺運転するよ。ここ来るまでにそこまで運転してないし」
「じゃあハヤミ、任せたぞ。事故るなよ」
「フウじゃないので」
行きハネ、帰りハヤミ。運転手が決定して車のエンジンをふかした。アクセルを踏み込み、ライトでしか見えない道を進んでいく。昼間とは全く別の場所を通っている気がした。しかし衛星が間違いのない道を掲示してくれているナビは昼間来た道をとりあえず戻らせていた。
嫌でも感じてしまう不気味さが五人の好奇心を刺激した。藪をつついて蛇を出す。そんな感覚で自ら自分の人間らしさを保つために隠さなければいけない『藪』をつつき、隠さずにいられたら本望。そんな本能を『蛇』として出そうとしている。いわくつきの場所に行くことはつまりはそういうことである。
「これマジのやつな気がするな」
「マジじゃないやつってなんだよ」
「小学校の移動教室でやる肝試しとかさ。あれは確実に先生じゃん?変な噂あったりする場所もあるけど」
「あーね」
「ユウキとか何気にめちゃくちゃ泣いてそう」
「俺それやったことないんだよね」
多くの小学生経験者は体験する教師の恐怖のツボを理解している暴力的な驚かし方。別の小学校を修了してきた人間の集まりでもどうしてか同じ体験をしたように話が合うけどユウキは記憶の中を探ってもその映像は流れなかった。
「なんで?」
「男子がすげえ荒れてた代でさ。お化けとか、そういうのじゃない喧嘩とかで怪我人が出そうだったから移動教室自体は行ったけど中止になったんだ。その代わり校長チョイスの意味分かんねえ怖い話」
「それは災難だね。だからホラー映画?」
「繋がりが謎だろ。ホラー映画は何となくの興味だけ。小学校は関係ない」
茶化したヒナタの意図は上手く伝わらず、真剣な返答を送り出したユウキ。場がしらけるわけでもなく別の話題に移っていった。
「なあどんなところなんだったけ。誰か説明してくれよ。もう文明の名残は見えねえけど、スマホ繋がるなら調べて俺にお聞かせくだせえよ」
「急にどうしたハネコ。もう酔ってんのか?フウ、スクショしてなかった?」
「したしたーちょい待ちー」
一切の明かりがない道を走る車内は真っ暗で。その中でのスマホは一番の光源になる。二列目の右側に座っているフウはmを細めてスマホを操作する。その隣に座っているユウキも窓の外に顔を向けたけれど窓に反射するフウのスマホの画面が眩しくて行き場のない視線を泳がせていた。
その後ろに座っているヒナタも目を細めていたけれど興味津々な姿勢で画面の明るさが最も低くても昼間の太陽と同じくらいの画面を見た。
「えっと、昔々……」
「昔話形式で教えてくれんの。親切だな」
「崇めなー。昔々咢珠村というひっそりとした村がありました。そこは特別な神様を祀っていました。山に宿る神様がいる、と信じていました。他のサイトには村を作った人が一番最初に神様の一部?みたいなの発見したって書いてるところもあった。しかし、文明の発展のために咢珠村のある、咢珠山にトンネルを掘る計画が進みました」
「ほうほう」
「神聖な山に穴を開けたら村に危機が訪れる、と思った村人たちは長い間反抗していましたが半強制的に工事が始まってしまいました。村人たちはどれだけ反抗しているのかを知らせてやろうと思い、全員で死ぬことを選びました。とな」
「中々に怖い話だよな」
「その怨念が今もトンネルに宿ってる的なことなんだよね?フウ」
「そーうだね。そう言われてるね」
「怨念が宿るって結構ありきたりだよね」
笑いながら言ったヒナタの頬をフウはスマホを膝の上に置き両手で挟む。
「そういうことは言うもんじゃないっすよー、ヒナタくうーん」
「へーへー」
反省している素振りはないヒナタ。フウもまさか本気で言ったわけでもなか咎める気持ちはなかった。そう周りは思っていたのでスキンシップとして受け入れられた。
「それ以外になんかあんの?」
「ハネコちゃんは興味津々ですね」
「おめえもふざけてんじゃねえか。タブー的なことだよ。火事で死んでって場所なら火気厳禁とかたまにあるだろ。タバコ吸っちゃいけないとか」
「んー、書いてないね。あ、切れた。結構いろいろ見漁ったけど書いてなかったと思うよ。でもタバコ吸わない、とか酒飲まないとあ。そういうことはデフォでタブーにしておけば間違いはないんじゃない?」
ついに使えなくなったスマホの電源を切る。
することもない。話すこともない。けれど決して薄情じゃない居心地のいい無言が作り出された。
街の明かりは見えないし、文明とはどんどん遠ざかっていくし。ここが本当に三重県なのかも分からない場所を走る。いつの間にか世界の果てにでも続いていそうな道だった。どこまでも続く山の手線のようなこと。
神様のお遊びで作り出された哀れみを覚えよ、なんていう命令みたいな暗闇だった。そんな命令があるのかないのかは全員の知るところではなかったけれど。
終わりなき道が続きそうなところで薄暗いが仄暗く光っている申し訳程度の照明が見えた。トンネルの中は比較的明るそうだった。比較対象が真っ暗闇なところがいい味を出している。
「とりあえず車で向こう側まで行くか?」
「そうだね。それでもう一回戻ってこようよ。それで、歩きで往復してこっち側から通り抜けた方にあるコンビニ行こう」
「向こうに抜けてもコンビニって行ける、よな。何でもない」
「何のためのトンネルだよ。山ぶち抜いてんだからそのくらい出来るだろ」
ハネが速度を落として進めていった。
「うっわー、落書きがここまでないって逆にすごいな……」
「めっちゃ不気味じゃね?」
「心霊スポットだし当たり前でしょー」
誰かが来る気配もないので車をどれだけゆっくり進めても誰にもなにも言われない。
プァ
「何っ誰?」
「そこまでビビんな。俺だよ。腕当たった」
「驚かせんなよー」
「悪い悪い。レディたちはクラクションの音が怖いんだな」
「レディですってー?」
お嬢様が登場したところでトンネルの半分あたりを通過した。普通トンネルには落書きがあるものだと思っていた。
「俺さ調べた時にあったと、思うんだけど。地元の小学校?一体どこかは分からんけど。がトンネルのどっかに絵を描いたみたいな」
「説明はあったんかね。無理やりトンネル作られて、それに反抗しようと思って宗教的な観点から死んじゃいましたって」
「それは分かんないけど。普通結構広くやるもんじゃない?入ってきた方にはなかったし、ここまでもなかったし」
「出口だけとか?」
「どっちも出口で入口じゃん?」
言っていることにも一理あってよく目を凝らして見たけれどどこにもそんな絵は見つからなかった。時間と、道のりだけが後ろになっていく。結局出たところにもその絵はなかった。
「本当に絵があったはずなの?」
「うん。そう言われてたし、写真もあったよ。その写真保存してるもん」
スマホのフォルダから写真を探す。すぐに見つけてフウが見せた画面には確かに咢珠トンネル開通記念に絵を描きました!というファンシーな安っぽいフォントのテロップが書かれていた。その前には小学生に見える子供が多く座っていた。他にも何枚かあるようで作業中の写真もあった。
「絶対ここじゃん」
「何でないんだろうね」
「酸性雨?」
「入り口だけになるくね?広く描いてるのにどこにもその絵はないよ」
車を一度停めた。入ってきた五人にとっての入り口は遠くにあった。
「これ別のトンネルとかそう言うわけじゃないよな」
ハンドルから手を離し、サイドブレーキをかけたハネが会話に参加する。
「咢珠って書いてあるもん。ほら、あそこにもあるし」
「絵は見た感じ描かれてるし。小学校がわざわざそんな嘘書く必要もないし」
考えても分からないことだったため絵の件に関しては最初から知らなかったことにした。何も知らない一般人がドラマを見てもアドリブかどうか分からないように。嘘かも知れない。でも本当かもしれない。真実は分からない。
「トンネルが出来たのって何年も前だよな。そんな時代にコラ画像なんか、作れるか?ここまでの」
素朴な疑問が平らな水面に波紋を広げた。
「ヒヤってすること言わないよ。咢珠トンネルじゃなかったのかもしれないね、で終わろう?」
「うん、それがいいよー。俺もう歩きたくないよー」
「歩くんだよ。言い出しっぺ」
「ガチの場所じゃん。怖いじゃん!」
「怖いからやる意味があるんだろ!男の度胸試しだ!」
「その考え方古いよ……」
胸を拳で叩いたユウキにげんなりした態度、表情、声色で反抗する。
行きよりスピードが上がっていたのは恐怖と、興味と、虚勢と、虚偽のお絵かき奉仕の報告があったからだった。
車を停めて全員が降り立った場所はいかにも、という雰囲気を着くなり醸し出していた。その雰囲気だけで体が謎の重圧に押しつぶされそうだった。その重みは全員が感じているようで本物のナニカに出会えるかもしれないことに不謹慎な気分の高揚も押し寄せていた。
実際に目の前にすると車の中から見るよりも実物が大きく見えた。それに禍々しさが増した。
「真っ直ぐ進んでみようか」
「先陣切る勇気すげえよ……俺やっぱヒナタ嫁候補にするわ」
「候補ならいいよ。嫁にはならないけど」
「婿ならおっけー?」
「そろそろ怒るよ」
努めてするいつも通りの会話の中に腐心んところがあってもいつもより乱雑に笑いのツボに押し当てる。笑いのツボを自分で浅くしておく。変な緊張で流れ落ちる汗が口の中に入ってユウキは口元を拭った。
「車降りてすぐは涼しかったよな……」
「そう、だね。トンネルの中って筒だし、準密閉空間みたいなところあるよね。高速にあるみたいな長いやつは車も多いし歓喜もしっかりしてそうだけど」
「ここまで短かったら空気も滞るか」
「んー。変な音聞こえるとかもないし、結構平和なんかなー」
「噂、だしねーせいぜい」
暑さに息を漏らしながらかなり軽い足取りで進んでいく。
「そっ、そこまでトンネルの中暗くないねー」
「ね。どこから電力とか通ってんだか。ご苦労なこった」
「ちょっと待って」
「ん?」
急に立ち止まったユウキ。良からぬものが聞こえている。見えている。そんな口調だった。二列になり、前にはフウとハネ。後列にはハヤミユウキヒナタと並んでいた。
「なんか聞こえない?」
「え?何の音?」
「声、みたいな」
「え……」
耳に手を当てるユウキは音が聞こえる方を探して前の二人を追い越す。トンネルの壁の方に耳を当てて指をさし、手でこまねく。
「わあ!」
「うおお!」
「何っ!?」
驚いたハネとフウを笑うユウキ。
「音なんて聞こえてないよ。安心しろって。ロッテコアラのマーチだよ」
「何言ってんだお前。次やったらお前だけ置いてくからな。ハヤミ、こいつ乗せんなよ」
「あれ?ハヤミビビっちゃった?」
「うん。だからお前、次やったらガチでここで一晩明かせよ」
「ごめんって!絶対やる人いるじゃん。やってみたかったんだって。肝試しとか人生で初めてだし」
車の中で聞いたエピソードがあるので中々に無下に出来ない反省方法だった。次同じことをやったら即置いてけぼり、という脅しのもと最悪な空気になることはなかった。
なめるように見回しながら進んで終わりがようやく見えてきた。
「ふー!行きしゅうりょーう!」
「まあまあな解この距離を戻らないとっていうのが、ちょっとね……」
「それな……中は暑いし……」
「トンネルの外出ると急に涼しくなるな!」
「うわ、本当だ!涼しいな」
山のマイナスイオンを精一杯身に受けてラジオ体操の深呼吸を数回繰り返す。落ち着きがなく、深呼吸を強制的に終わらせたアドレナリンに全身を犯されているハヤミは見回った。
「ここなんか、上に行けそうじゃない?」
「お、マジじゃん」
「え、えー、そっち行くのー?俺そろそろ帰りたいー」
「じゃあ先車戻ってろよ。すぐ戻るから」
ハネや、ユウキはもうすでに乗り気だった。
「分かったってー!行くよー!」
「やーい、怖がりー」
「やーい、ってリアルで言う人見たことないよー!」
山道を登っていく。人工的な丸太が埋め込まれている山道だったので登りやすかった。肉体の感覚的には高校生のころと比べて老いてきた感覚があったがそれなりにまだ現役という自負があった。出来る限りのスピードで、木に隠されたトンネルが見えなくなるくらいまで登る。
開けた場所には十五分ほどで着いた。
【続く】
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