中身
外見は日本家屋。
すごく日本家屋だった。
「日本家屋 画像」で調べたら真っ先にこの家の画像が出てくるんじゃないかってくらいに見えた。おそらく離れと繋いでいる幻想的な花が咲き乱れている場所に通っている渡り廊下も見えた。何度ここにやって来ても見たこともない部屋が発見されるだろう。
「広そう!ユウキ!行くよ!」
「よっしゃフウ!着いていくぜ」
「アイツらみたいなのがいるから大学生がバカだと思われるんだよな」
「ふふ、そうかもしれないね。ユウキーフウー走らないでね!あ、ハヤミ。俺も荷物持つよ」
「あ、マジ?ありがと。アイツらこっちに全部任せやがって。ヒナタ悪いな」
「全然。どんな部屋か楽しみだね」
ヒナタは見せてもらった写真は畳敷きの和室って感じのところで広そうだったことをハヤミが伝えると嬉しそうに笑っていた。思わず上品な笑いの出所を疑った。男子大学生だぞ?女ゼロなのにどこから出てくるんだろう、と。旅行に出発するより前に計画会で何度か会って話しているから気まずさはない。だけどルックスの良さと頭の良さにはたじろぐことがある。
「ヒナ!ハヤミ!犬二匹が制御不能だ!早く来い!俺の身が持たない」
「はいはい。行こうか」
「うん」
残りの荷物は後で取りにくればいいから、と車の中に置いておくことにした。今日必要なものは全て持っている。
「いらっしゃいませ。旅路お疲れ様です。お待ちしておりました。お荷物、お持ち致します」
足並み揃えて旅館の中に入った瞬間に女将さんのような人と、その他何人か制服に身を包んだ人が出迎えてくれた。ただの大学生がご丁寧に頭を下げられる経験なんて少ないから驚きながらも荷物を任せた。
「ご予約のオカモト様でよろしいでしょうか」
「はい」
オカモトというのはフウの名字だ。フウが宿も取ってくれた。
「ではお部屋の方ご案内させていただきます」
「はあーい」
いつまでも呑気なフウ。浮足立っているユウキ。慣れない空間にはしゃぐ二人に呆れているハネ。それを見慣れているはずなのに初めてのように面白いらしいヒナタ。天井や壁の装飾を見回すのに忙しいハヤミ。木の板が敷かれている品のある床は意識しないと音を立てて歩くことが出来ない。しっかりしている床を歩く忍者は少しロマンが足りない。
「こちらの離れになります。平屋ですのでお二階の方はございません。ではまずリビングルームの方にご案内させていただきます」
曖昧な返事を各々口に出す。広すぎる場所に、豪華な置物、贅沢な空間の使い方に圧倒されていたからまともな返事が出てこないくらい口も緩む。
「お部屋にも温泉がついておりますし、母屋の方の大浴場もお使いいただけます。玄関を入って、突き当りを右に行ったところが大浴場。こちらは、この廊下をまっすぐ行ったところに露天風呂付きの浴場となっております。大浴場に比べると規模は小さいですが五人程度でしたら余裕を持って入れます」
「すごいな!」
「ねー写真で見るよりも広くてビビる」
「そのほかのお部屋は探検されますか?ご紹介も出来ますが」
「んー探検したいから大丈夫です!ありがとうございました!」
「承知いたしました。お夕飯の時間なんですが最も早い時間で十八時半からのご用意になります。時間帯の希望はございますでしょうか」
「あ、お部屋ですよね」
「そうですね。お部屋の方にご用意いたします」
「どのくらいがいい?」
フウが俺らの方を振り返る。夏だから夜の七時でも日が出ているかもしれない。肝試しは腹ごしらえした後に行くだろうから食休みの時間を考えたら。
「早い方が良くない?」
「そうだよねーじゃあ一番早い時間にしておこっか。十八時半でお願いします!」
「かしこまりました。夜の間は離れから母屋に繋がる回廊に施錠をしますので、もし母屋へ用事があればあちらの非常用電灯の横のボックスから母屋というラベルの張られた鍵を使ってください。これで以上になります。ごゆっくりおくつろぎくださいませ。何かあればあちらにある電話からフロントまでお電話お願いします。失礼いたします」
荷物を置いてもらってリビングのふすまの前で三つ指をつくお辞儀をされる。焦ったお辞儀を全員が返して、音なくふすまが閉まっていった。
「行くぞ!探検!」
「行こうか!探検!」
「ちょっと…運転組を休ませてくれ…」
「俺は運転したけど元気だぜ!」
「脳筋と引きこもりを一緒にするな、アホ。ハヤミも疲れてるよな?」
「ん?ああ、疲れてるよ。探検はもうちょっと後にして。フウ、温泉まんじゅうあるよ」
「温泉まんじゅう!!」
食べ物に目がない子犬どもが駆け寄ってくる。人数分が並べられて用意されている。そのまんじゅうの一つを手に取ってフウに渡した。この場にいないヒナタを探して首を回すとお茶を入れていた。どうしてこんなにも出来た子なんだろう。嫁に欲しい。
お茶の入れ方は何となくしか覚えていない。小学校の家庭科で淹れさせられた記憶がある。お茶葉の量とか、お湯は最初に湯飲みに入れて量を計るとか。実践は出来そうにない。
「はい、フウ。熱いよ」
「あいあおっ!」
「どういたしまして」
本当に同じ地球という惑星で育ってきたのか疑わしかった。
「なーなー」
「なに?」
「ヒナタってマジで嫁に欲しいよな」
「全く同じこと思ってた」
「そりゃ女の一人や二人、落とすって。俺変な女よりヒナタがいい」
「変な女って。俺も断然ヒナタだわ」
「そこの二人。不純な妄想、俺で繰り広げるのやめてもらえる?」
「地獄耳!」
「絶対そういう話題になるとツッコむじゃん。ヒナタ」
ふわーおな妄想を男友達でするほど飢えていないことをわざわざ釈明する必要もなさそうだった。ネタの一つとして。実際に恋愛対象だとか。恋愛感情があるなんて思っていないだろう。俺もない。特別な感情は。
「友人として、大好きってことよ」
「そうそう」
「いや疑ってないよ。別に」
「そういえばヒナタ!彼女はどうしたんだ?よくこの旅行許したな」
「ああ、別れたよ。束縛すごくて」
「別れ話は平穏に終わったのか?包丁とか出なかったか?」
「微妙に出てきかけたからすぐ逃げて、連絡先消した。そこからはもう連絡ないよ」
変な女よりかはマシな人は、変な女に引っかかっていました。
「意外だった?」
「意外だよ!めちゃくちゃね!」
「ヒナタってそういう所あるよな。ものすごい奴を見つける天才」
「俺だっていい子に出会るなら出会いたいけどさ。やっぱり、そう簡単には見つからないし、そうそういないよね」
アンニュイな雰囲気を醸し出しても全く嫌気がささない。むしろ引き込まれてしまう。危ないことを分かっているのに、思わず足がフラリと向かって行ってしまうような。
「ハネコガチ恋説ってどうなってるの?」
「俺って、罪な男だよ…」
「きめえ」
「ユウキ?お前、素直な物言いはいいんだけどね?」
怒り出す寸前、殴りかかる五秒前だったのでハヤミが温泉まんじゅうでハネの口を塞いだ。むせている間にヒナタにさっきのことを聞こうと思ったハヤミは身を翻してヒナタの横に座った。
「変な奴、見つけるんだね」
自分でもよく分からない聞き方をしてヒナタよりもハヤミの方が怪訝な表情を浮かべた。
「んー、なんて言うんだろう。僕は普通の子として出会うんだけどね」
「ヒナタはメンヘラ、ヤンデレ製造機って呼ばれてるぞ!」
「俺聞いたことなかったあ」
「まあ、わざわざ話すもんでもないでしょ。俺は自覚もないし。それよりさ今後どうする?夕ご飯より前に一回風呂行っちゃう?」
詮索されたくないことだというのは話のそらし方ですぐに分かった。強制的に終了、シャットダウン。嫁候補として今後の関係にヒビが入るのは避けなければいけないから他のメンツもそれ以上は話を聞こうとしなかった。
「俺は前も後も。大浴場も、ここのも行くよ」
「ミヤ、ふやけちゃうよ。しわしわのおじいさんになるよ」
「とぅるとぅるの青年になるから。問題はない。時間的にまだゆっくりしてても大丈夫そうだな。各々のタイミングで行けばいいか」
「そうだね。ハネコはもう寝そうだし」
「俺は部屋の、風呂だけでいい、や…みんな行くならついて行くけど…」
「ハネコちゃーん、行く時になったら起こすから寝てていいよー」
「ちゃんはいらねえ。でも寝るわ。後で起こして」
「了解」
庭に突き出している部屋にあるソファをハネコは占領してすぐに寝息を立て始めた。ソファでも余るような小さい体に庇護欲を駆られる、と言っている女の子たちの話を理解できるところもある、と傍目には可愛いだけの猫を眺める。
「ハヤミと俺は遊ぶのは久しぶりかもな」
「一番最初に会ったのっていつだっけ?」
「合コン?」
「え、合コンだっけ?」
「ミヤはユウキくんとトリオの家での宅飲みでお初だよ」
「なんで覚えてんだよ。ユウキってトリオと友達だったんだ」
「トリオの友達の友達だ、俺は。その誘いで行っただけ」
前屈をしながらユウキは質問に答えてくれる。フウは会って話したら友達。初対面の子に印象を根付ける天才だから交友関係の広さが尋常じゃない。ハヤミは何度かフウ繋がりでトリオと遊びに行ったことがあり、金持ちのフウの広い家で宅飲みすることになったことがあった。そこで出会ったのがユウキだった。
トリオは1人で、男で、本名はトウリだ。フウがまた読めなかったらしい。
「ユウキは心霊イケるタイプ?」
「基本イケるな。グロは苦手。急に出てくるタイプとかだったら全然平気。海外のシスタータイプ?も苦手。潜在意識的恐怖があるんだよな」
「何となくわかるわ、『アナベル』とかな」
「そうそう『死霊館』シリーズもめちゃくちゃ怖いよな」
有名なホラー映画で共通点を感じ一気に話が盛り上がる。オールジャンルの映画を観ていてよかった。大学になって関わる人の幅が増えてサブカルチャーの知識の量に感謝した。
「ねぇ!部屋探検してきていい?」
「どうぞご勝手に?」
「ハヤミとヒナタは見なくていいのか?」
「あとでゆっくり見るよ。フウとユウキで見た後にルームツアーしてよ」
「よし分かった!」
足音を立てながらユウキ、フウの二人は廊下に飛び出していく。すごい声量のカウントダウンが聞こえて、全ての部屋のふすまを開け放たれる音も聞こえる。
「えー!こんなに広いの!」
「お前が取っただろー!宿ー!」
「そうだけどさー!」
声がうるさすぎてハネが耳を塞いで唸りながら寝返りを打つ。館内用浴衣の上着をヒナタが被せた。どこにでも売っているような服を着ながらの所作が花を愛でている美しさに匹敵するくらいなのだから浴衣を着たらどうなってしまうのだろうと一人危機感を覚えていたハヤミなのだった。
普通の会話の声がお互いに届かなくなった最奥の部屋にたどり着いた。
「こんなに部屋があるんだなー」
「もう布団敷いてある!」
容赦なく寝っ転がるフウはホテルの布団ならではの匂いに目を細めて深呼吸をする。太陽の匂いでもなく、無機質な感じに近い。そんな匂いに。
「フウは布団の場所決定だな!その真ん中!」
「え、俺ここ確定!?枕投げとか寝落ちするまでしようと思ってたのに」
「それはするだろ。寝落ちかは知らんがするだろ」
「ならいいや。ユウキも寝てみなって。マジで気持ちいい。ハネコもここで寝ればいいのにね」
誘い込まれて布団の上に寝る。天井の照明の光の強さもちょうどよく目に優しい光だった。最初の眩しい数秒が終わると木目がはっきりと見えてどことなく人の顔に見えて、それがおかしくて笑った。
足を伸ばして腰を手で支えて上に向かって体で塔を作った。
「東京タワーじゃん!なつー」
「体柔らかいうちにやっとかないとだしな!」
「何言ってんのー!」
どちらが高さを出せるかを競っていると視界の端が動く気配がして人類の脅威ゴキブリかと思って目を動かす。廊下のドアを挟む別の部屋へと繋がっている二つのふすまのうちの左側に人影が見えて少し開いていたのがひとりでに閉まった。
「うっわあ!!」
「何っ?何っ!?」
「いやっ、今っ、あそこに人がいて……それで勝手に閉まったんだよ……」
「人?ヒナタくんとか、ミヤじゃないの?」
「違う……白かった……」
「白い。車で爆睡したのがまだ残ってるんじゃないの?顔でも洗いに行こうよ」
信じないフウの笑う顔の奥のふすまを確認したがぴっちりと閉まっていて動いている様子も、隙間もなくなっていた。でもユウキは確かに見た、と信じていた。霊感が特別あるとか、霊そのものを信じているわけではなかったがいる、と自分の本能が言っていたから。
「何?まだいるの?」
目線の先をカエデと共有する。フウが立ち上がってふすまの方へ歩いて行く。凹みに手をかけてすぱんと小気味いい音を立てて一気に開け放った。
「何もないじゃないですかー?ユウキくん」
「でも、確かに、いたんだよ……」
「モノホンがいるかはトンネルに賭けましょうや。旅館自体にも噂自体はあるしさ」
「言い回しが時々じじくさい」
「うるせ」
廊下に繋がるドアの隣。開けたままにされているふすまの中を見たけれどごく普通の布団置き場だった。使わないマクラや、布団、シーツの類が不必要なしわが発生しないよう重ねて置かれていた。何かの痕があったりするわけでもない。ただの部屋。
何もないことを確認した布団が敷かれている部屋と廊下を挟んで繋がる布団置き場ではない方の大きいふすまを開けた。そこはただの畳張りの大きい部屋だった。
「ここでご飯食べるのかな?」
「リビングって言ってなかったか?」
「覚えてないや」
「俺もだ」
ふと妙な気配がしたユウキは部屋の隅を見て息を飲む。
「フウ、あのギターってさ」
「ギター?」
指さした方のギターをフウも確認する。体が一度揺れてそのまま動かなくなる。
「あれは、確か……であって欲しいけど布団置いてたところにもあったよね……」
フウの言った通りどこにでもありそうなギターが一つと、もう一つマーブルのような独特な色味のギターがギター置きにきちんと置かれていたのを脇目にその部屋の探検を終わらせていた。二人とも違う中学校だったが音楽の時間に触ったことがあるくらいのギター経験だったのでわざわざ触れもしなかった。
「いやいや、やっぱそんなことないよな。ちょっと見に行こうぜ」
「あ、うん。行ってみよう」
ぴっちり閉めたはずの扉は閉まったまま。それを開けることにも意識を消費して中を覗く。
「あるね。あるね」
「俺見とくから、ちょっとあっちの部屋見に行ってくれない?」
「おう、分かった」
ユウキが隣の部屋に向かった時にフウはくしゃみをしてしまった。目が飛び出さないように本能でmを瞑ってしまい、その間の状況の変化には気づけなかった。
「え……」
ギターが一本なくなっていた。独特な模様のギターの方が。
「ユウキくんユウキくんユウキくん!おかしいって!おかしいよ!」
「ギターの出現とかはなかったけど」
「俺がくしゃみしてる間にそのギターがどっか行っちゃったんだよ!一個?一本だけ!」
「そんなバナナ……」
「マジだって!この部屋でユウキくんが見た何かしらが扉を閉めたのも事実かも知れないね」
「お、信じる気になったか」
開けっ放しのふすまの中に頑なに入ろうとしないフウを笑いながら外に向けていた首を内側に回した。置かれていたギターはフウが切羽詰まった表情で伝えたことと同じだった。
ギターは一本しか残っていなかった。
「この旅館、絶対に何かあるっ……」
かっこつけたユウキは言った。
「ふはははははっ」
「あははははっ」
無理やりにでも笑った。状況的には恐怖以外の何物でもなかったけれどそれを信じていたって何にもならない。人間の目に映る何かの力が働いていると信じようとしていた。しかし脳内は危険信号の赤いブザーが鳴り響いていた。二人とも同じだったけれどこれから肝試しや、寝るという試練が立ちはだかっている。
心落ち着かないのにそれらのイベントは楽しめない。どうにか忘れようと必死だった。
笑い終わってから何の合図もなく二人はその場を離れようと動き出した。真っ先に廊下に出て奥のリビングから人間の笑い声がすることに安心した。それから近くの扉に入った。
「露天風呂は案外あのリビング?から近いみたいだね」
「そうだな」
「まだ夢うつつ?」
「夢じゃない」
「座敷童見たって人もいるし、座敷童もそこまで悪いことはしないんじゃないの?知らんけど。何か来たら南阿弥陀仏って唱えたらいいし」
「それ効くのか?」
疑り深く尋ねるユウキの顔にフウはわざと不機嫌そうな顔を作って言った。
「不信心な野郎だなあ。信じる者は救われるって言うでしょ」
「それはキリスト教だろ」
「田舎によくある黒い紙に金色の文字のやつだね」
同じことを想像していたことに顔を見合わせて笑う。絶大な効果がある思い込みはユウキもカエデも人生の中で世話になったことがいくつもある。宗教や、推し活もそういうものだ。目に見えないもの、手に届かないもの、に救われた。きっと救ってくれる。そう信じて信じる。そしてこれは救いだと思い込む。思い込みの連鎖が誰かの命運を握っていたりする。
脱衣所の中にあったトイレのドアの近くの洗面台の手をかけたフウは止まった。覗き込んだ顔の神妙な面持ちにカエデの過去にも思い当たる心霊現象があったのか、とユウキは身構えた。
口を開く前の呼吸の動作に一気に心臓のビートが高まる。
「顔、洗っとく?」
「おっまえ…ふざけるなよ。驚いただろ」
「笑わないと!だってお化けは心が弱ってたら来るんだよ?」
「だとしても。俺結構ガチで怖かったんだぜ」
「どっち?一番最初のか、ギターか、今のか」
「両方!」
にやにやと口元を緩ませながら聞く姿にイラついてフウのことをユウキはどついた。盛大によろけるふりをしてカエデはどつき返した。それを繰り返しながらも前に進み浴場に入って行く。
「ひっれえ」
「広いねー」
この空間だけで下手な銭湯や温泉よりも広い。そのくらいの広さで、室内の温泉も三つの種類があった。部屋についている温泉にしては相当豪華だった。何より二人が目を付けたのは、サウナだった。
「サウナあるじゃん!」
「マジか!この宿最高だな!」
「取った俺に感謝をしたまえ」
「フウ様ありがとうございますー」
「よろしい」
露天風呂は全員で入る時のお楽しみに取っておくことになった。
「ハネコはガチ寝?」
「うん。ご飯まで寝かせておいてあげよう」
「えー、部屋は?」
「ハネコ起きたらね」
「肝試しした後もどうせ起きてるだろ?」
子供のように拗ねる戦術にはもう騙されないぞ、とハヤミは顔を背ける。高校生の時にはその顔に幾度となく騙された女子もしくは男子を見てきた。ハヤミも騙されたことがあるからフウの顔の破壊力を知っている。フウの顔や、言葉や、表情には人を惹きつける不思議な力がある。
手の平の上で転がされていると分かりながらもついついフウの望む通りに、欲しいままに貢いでしまう。そう考えるとヒナタよりもフウの方がメンヘラ製造機なのかもしれない、と勝手に思った。フウのそういう浮ついた噂は何気に聞いたことがないな、とも思っていた。
「あ、俺風呂入ってきていい?」
「どっち?大浴場ならいいぜ」
「なんで?」
「俺とフウで部屋探検に行った時に露天風呂だけは見てないんだ。皆で夜に入る時にファーストミーティングにしようってなって」
「そうなん?じゃあ俺大浴場の方行くわ。一緒に行く人いる?」
「俺行こうかな」
名乗りあげたヒナタ以外の三人を置き去りにし母屋の方の大浴場へと歩いていった。小さい迷路みたいな離れを抜けて母屋の方へ入っていく。その時通った渡り廊下は空中に浮いていて、下の花が美しく咲き誇っているのを見て二人とも思わず顔が緩んだ。
「なんていう花なんだろう。見たことは絶対ある花なのに」
「水仙じゃないかな」
「白とかそういうイメージだからちょっとだけ意外かも。黄色もあるんだな」
「確かじゃないけどね。下が池っぽくなってるの結構エモいね」
「ヒナタってエモいとか使うんだ」
感じた疑問をそのまま口に出したハヤミにあからさまな表情を作ったヒナタ。
「俺だってれっきとした現代人ですーZ世代ですー」
「これはこれは失礼しました!」
声を上げても誰にも何も言われない。無意識のうちに気にする誰かさえいない気がした。
大浴場にも人はいなかった。ハヤミたちが入るタイミングで旅館の職員の人が出てきた。服を脱いでる間に誰かが水を使っている音がした。けれど誰の服もカゴに入っていない。
「職員の人が掃除してるのかな。入っちゃダメな時間とかは言われてないよね」
ハヤミの疑問を察したヒナタが会話を始めた。
「そのはずだけど……」
「まあ気にせず入ろうよ」
ヒナタの後に続いてタオルを持って中に入っていく。
誰かが使っていた気配すらない、桶まで綺麗に整頓されている。蒸し暑いはずの浴室内に清涼な風が吹いた気がした。背筋を凍らせる嫌な風が。
「ヒナタは心霊っていけるタイプの口?」
「まあ映画とは見ないけど信じてはないかな。会ったことないし、それより人間の方が怖いし。だから怖くないと言えば怖くないかも。ハヤミは?ユウキと話してたじゃん。映画とか。どうなの?」
「映画は普通にいける。それと現実で起こるのってちょっと違うくね?まあいっか。温泉の邪魔さえされなければそこにいらっしゃっても」
強がりが見えるハヤミが面白かったのか笑ったヒナタを叩き、体を洗う前のお湯をかけるゾーンで体を流す。温泉独特の硫黄の匂いが鼻に通ってハヤミはそれだけで幸せな気分になる。
「温泉好きなんだね」
「うん。めっちゃ好き。人間って裸で生まれるわけじゃん。裸の状態が気持ち悪いわけないし、暖かいお湯ってどうしてこんなに体を弛緩させてくれるんだろうね。そこが一番好きだわ」
「そうなんだ。家でも湯船入るの?」
「家は微妙かな。彼女が早く入ってよってうるさいのなんの」
髪の毛を洗うために手にシャンプーを出して盛大に出してしまったことに困ったように笑いながらハヤミは話していく。
「別に良くね?って思うんだけどアイツが言ってることも一理あるって言うかさ」
「俺同棲するような彼女いたことないけど楽しいだけじゃないんだね」
「そりゃね。本質的に違う二人が常に一緒にいるようになるわけだから嫌なところも見えるし、嫌なところは見られるし。良いとこばっかじゃないんですよ」
「お察しです」
分かりやすい溜息を吐いても嫌な顔するどころか面白そうに笑うヒナタにハヤミはどんなことでも話してしまいそうな気がした。
「その彼女さんと離れるの寂しくないの?と言っても、一日二日だけだけど」
「そうね……息抜きも必要じゃん?それに今多分倦怠期ってやつでさ」
「おやおや、ご無沙汰ですか!」
「心理的距離だけな!ぎこちないとかは、別にないけど。俺が一方的にちょっと今は一緒にいたくない気分なんだよな。離れて、また会ったらなんか変わるかもしれないし」
「そういうもん?」
「そういうもん」
全身まで洗い終わって、さっそく各々好きな風呂に入ることにした。ハヤミは熱々の風呂が好きで、そこで我慢耐久をするのがハヤミなりの温泉の楽しみ方。古き良きの銭湯はマグマのようなお湯があったりしてその楽しさに味を占めたのだ。
まさに極楽という顔をしているハヤミを横目に、入るのに躊躇わないくらいの適度な温度の温泉に浸かっていた。運転していないけれど車に揺られ続けた体はぎしぎしと固まっている。
「俺露天風呂行ってくるね」
「あー、俺も行くわー」
ヒナタが中の温泉巡りを終えて、外に行こうとした。それにハヤミは着いていこうと立ち上がった。ずっとマグマの中にいたから顔がだいぶ赤くなっていた。
「顔かなり赤いけど」
「マジ?ちょっと体冷やそうかな」
「行ってらっしゃい。俺先に外いるね。壺風呂あったから入りたい」
「いいな。俺も行くから!」
「分かってるって」
何故か焦っているハヤミに過保護気質を悟る。安心すると浮気するのが男、不安になると浮気するのが女。という常套句はハヤミと彼女には当てはまらないことを知った。ハヤミは彼女のことを不安にさせるようには思えなかった。
室内の湯気に曇っている露天風呂と繋ぐ扉を開けた。綺麗に切り刻まれている新緑の枝葉から吹く風に体が触られる。恐らくアダムとイブがいたならば、こんな感じだったんだろう、と思いをはせる。推しの類の偶像も何も信じていないし、応援していないヒナタはその偉大なるお二方がいたことを信じているわけではないが。
室内から見えた壺の中に入る風呂を見つけて歩いて行く。入ると水が一気に溢れて、水が地面を叩く。狭い空間に足を曲げて入ると落ち着く。
さらに奥には立って歩きながら楽しめる温泉と、大きい四角と丸型の温泉が一つずつあった。四角の温泉は天井に藤棚で光がさえぎられていた。夏の今は緑メインの藤棚だった。
「ヒナタ?誰と話してたの?」
「え?何言ってるの?誰もいなかったよ」
「嘘だろ。だってお前のところに誰か立ってたし、奥の方の風呂に行ったんかな」
「いやいやいやいやいや。マジで誰も来てないって。俺はずっとここに一人だったよ」
「俺はじゃあ何見たんだろう」
怪訝そうに体ごと傾げるハヤミは気にしたら負けと思ったのかそれ以上質問することはなく隣の壺風呂に入った。
「いいですなあー……」
「まさに極楽、ってやつですなあー……」
乗るヒナタ。
「俺人生で一回はこういう贅沢が出来るホテルっつーか旅館に来たかったんだよなー」
「叶ったね。フウってさ、お金持ちなの?ここもフウが見つけて、取ってくれたわけでしょ?割り勘にするとして、一人あたりもだいぶ安くなってるみたいだし」
「あー、確かに金持ちって噂はあるけど詳しくは知らないな。高校時代も超絶普通のお猿だったし。身に着けるものも、遊びとかも」
「へえ、変なこと聞いてごめん。確かにお猿だね」
「キーキー甲高い声で鳴くのよ。それも男子校だしさ。女の目なんてないから取り繕いもしない」
想像に易い映像を脳内に思い浮かべて頬を緩めた。
それから他愛もない会話をしてからサウナで整った。そして温泉を出て、牛乳の自販機でヒナタはコーヒー牛乳、ハヤミはフルーツ牛乳を飲んでベンチで休んでから離れに戻った。夕食、そして肝試しが待つ離れへ。
「おかえり」
「あ、ハネコ起きたんだ」
「おう、ばっちりよ」
移動の車もほとんど寝ていて、旅館に来てからも見回らずに寝ていたハネはようやく脳が活動を開始したらしい。つやつやとした表情で温泉から整って帰ってきた二人を出迎えた。今度はフウとユウきが昼寝をしているようで。
「凹凸が合うトリオだな……」
「一人あふれるね。それ」
「あ、確かに」
「ヒナタって必ず突っ込むよなー」
「癖?」
「なんで自分が分かんねえんだよ」
スマホから顔を上げたハネは目の前に座る二人を見てからもう一度スマホに目を落とした。
「温泉どんなんだった?」
「こっちのを見てないから何とも言えないけどめちゃくちゃよかったよ。広かったし。露天風呂も何個かあっていい感じ。サウナもあったから整って来たし」
「へー夜行くか」
「みんなでもう一回行こうぜ」
「お前らもう一回行くんだな」
「当たり前だろ。温泉なんて何回入ってもいいんだよ。凝り固まった体をほぐしてくれるし」
「じじいかよ。お前の話聞く限り死後硬直なんじゃねえの」
「死後硬直て」
呆れながら笑って言うヒナタ。
ハネスマホで何をしているのかを聞くとスマホの画面を見せてくれた。
「咢珠トンネルの近くのマップ。コンビニとかで夜の飲み物とか買いたいだろ?」
夜の飲み物。
その怪しい響きが酒を匂わせていることはすぐに気づく。にやり、と顔を見合わせて机の置かれた地図が表示されているスマホを覗き込んだ。
「で、実際のところある感じ?コンビニ。ってかなんで今調べてんの」
「あるけど、めんどくさいかもしれないな。トンネルのところが圏外だったらやべえだろ」
「ありえそうなところが怖いね。現代人っていやーね」
「きもい。んで……」
「友人に暴言を吐き、その後当たり前のように話を続けるその強靭なメンタル尊敬するわ」
「どうも。話を聞け」
「んー……行きに買っても問題はなさそうだけど、距離的にこっちのコンビニ通って夜のドライブしながら帰るのもいいかもなって思うんだよね」
「あー、魅力的だね。どっちも」
「ドライブ出来るか?」
「コンビニの方行ったらいろいろありそうじゃない?」
案外近くにコンビニがあるよう、と思いきやまさか二つしかない。田舎差を実感し、需要に合わせた選択を迫られる。行きに買って、肝試しでスリルを楽しんだ後に部活終わりの爽快感に似た感情を味わえる予定にするか。それとも緊張のあまり乾ききった喉を抱えて、コンビニにたどり着いて安心感に浸りながら渇きを潤すか。
どちらの選択も三人にとって決めがたかった。
先に買ってしまえば温くなるかもしれない。後に買うとなるとドライブの時間でまったりとしてしまい開放感がなくなるかもしれない。
「おし、決められない。せーので言おう」
「せーのって可愛いね。ハネコ」
「うっせえ。一が先に買う。二が、後に買う。せーの!」
「ちょちょ、まだ決められてないんだけど」
「二」
「二!」
「んー、二!」
満場一致で肝試し後に買うことになった。ヒナタが言ったドライブも楽しめそうという提案にハヤミは引っ張られた。ハネは行き運転すると自分から言う代わりに帰りの車では一足先に酒にありつきたい、と言う策略含めたら後者を選択しようと思ったのだった。
【続く】
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