選りすぐり

小狸

短編

 *


 仕事終わりの夕刻のことである。


 小説の新人賞のサイトを、今日も僕は見に行った。


 五月中に一次選考が発表と記載があったにもかかわらず、六月の中旬にも到達する今、いまだだに更新のないそのサイトに苛立った。


 この編集部はいつもそうだ。簡単に発表を反故にする。


 それに何より、前科があった。


 以前この編集部のツイッターの公式アカウントで、その出版社で執筆する小説家を非難する内容のツイートを、拡散――つまりリツイートしたのである。


 それは運営側のミスであったと、後々公式アカウントから謝罪があったが――それを見て僕は思ったものだった。


 ああ、ここの編集部は、作家をそういう風に扱うのだな、と。


 それからというもの、僕はその編集部が設置している新人賞に応募しなくなった。


 まあ、所詮僕のような作家志望の受精卵以前が一人、応募しなくなったところで、その新人賞はなくなることはないだろう。


 ただ、最後に応募した一作の発表が、五月中だと書かれていたので、僕はずっとそれを待っているのだった。


 仕事の終わり、駅に到着するまでに、一度は、必ずそのサイトを「最新の状態に更新」する。


 しかし六月八日の今日になっても、サイトが更新されることはなかった。


 僕は少しだけ苛立った。


 まあ、こんな令和れいわのストレス社会で、こんな小さなことで苛立っていてどうするのだという話だけれど、苛立つことには苛立つのだった。


 粗雑に扱われることは、慣れている。


 だからこそ、若干ブラック色のある会社でも、僕は仕事に赴くことができていた。特に作家志望の卵以前の存在に配慮する程に、出版社に余裕がある訳ではないだろうことも、重々承知していた。


 しかし――それでも。


 小説に関してだけは、何となく、譲れないものがあるのだった。


 それが何かは分からないし、どうせ自分が一次選考を突破しているとは思えないけれど、気になることは気になるし、時間は守って欲しい、と、そう思う。


 その新人賞は、他の新人賞と比較してやや特殊であり、「日本一尖っている」「厳格な選考を行われる」ことで有名であった。


 尖っている癖に、厳格であることを標榜している癖に、自らが定めた日時すら守れ

 ないとは、これは如何いかがなことかと、遺憾の意を表明しかねない。


 そんな苛立ちを、Bluetoothブルートゥースのイヤホンを付けて何とか無力化した。


 心を落ち着かせるために、良く音楽を聴く。


 流れてきたのは、マーラーの交響曲第五番えいハ短調の第四楽章であった。一つの交響曲内の楽章にしては珍しく、ハープと弦楽合奏によって演奏される楽章だ。マーラーのAdagiettoアダージェットと言えば、いの一番にこの曲が挙がってくるほど、マーラーの楽曲の中では有名な一品である。


 通勤電車に揺られながら、僕はマーラーに身を委ねた。


 その速度と反比例して、電車は加速してゆき、大きな川を素早く通り過ぎてゆく。


 車輪の音が、周囲に鳴動する。


 そんな中で、僕の耳の中では静謐な音楽が流れていて、その二律背反具合が、何だか面白かった。


 演奏は十分程度で終わる――その次に流れてきたのは、同じくマーラーの交響曲第一番の第四楽章であった。確か、『嵐のように運動して』というような発想記号が付いていた気がする(ドイツ語には明るくない)。


 シンバルの一撃で一瞬耳がどうにかなったかと思い、音量を少しだけ下げた。


 その名の如く嵐のような弦楽器のうなりが連続して、その後に管楽器が主旋律を奏でる。


 これも僕のお気に入りの曲であった。


 まあ、そもそもお気に入りの曲しか入れていないプレイリストなのだが。


 家は、駅から十分ほど、平地を歩いたところに位置している。


 歩きながら、小説のサイトをもう一度確認するかどうか迷って――しかし止めておくことにした。


 どうせ更新なんかされていないからである。


 されていたとしても、僕の送った小説が、新人賞を受賞していることはまずないだろう。これでも自己評価の見積もりはきちんとできる方だ。


 自分が天才ではないという自覚は、小説を書き始めた時からずっとある。


 自分は、人間だと。


 それは、日常生活でも同じである。


 両親は不仲で、僕をメール扱いにして二人の仲立ちをさせられていた。


 学校ではいじめを受けており、教員を含め、誰も助けてくれる人はいなかった。


 仕事では、面倒で誰もやらないようなことは、僕に任せろという風潮があるようだった。


 家庭でも、学校でも、仕事でも、どんな場所でも、いつの間にか僕はそういう無理を強いられる傾向にあった。


 だからこそ、気が付いた。


 ああ――そうか。


 自分は、幸せになることはできない人間なのだ、と。


 そう運命づけられた人間なのだ、と。


 ネットの普及した現在である。


 少し画面をタップすれば、他人の幸せそうな投稿や、インスタのストーリーが目に入る。


 楽しそうに笑う写真、友達とどこかでお出かけする投稿――笑ったことなど、一体どれくらいしていないだろうか。


 誰かとどこかに行くことなど、いつからしていないだろうか。


 そんなものを見るたびに、自分とは程遠い、自分には絶対に届かない場所にいる人達なのだなと、そう思うのである。


 そうでも思わなければ、己への劣等感と他者への羨望に、押しつぶされてしまうから。


 家に着いて、疲労困憊こんぱいでぶっ倒れそうになるのを何とか我慢し、シャツを洗濯かごに入れ、シャワーを浴びた。


 自分は、お世辞にも容貌が整っている方ではない。顔自体は醜い部類だと自覚しているし、中肉中背と言うには少々身長が低い。


 故に、せめて清潔であろうという努力は、しているつもりだ。


 まあ、そんなことをしたところで、誰も見てくれないだろうけれど。


 小説でも、仕事でも、過去でも、現在でも、未来でも。


 自分は、選ばれない。


 自分は、幸せになれない。


 これまでも――そして、これからも。


 そして僕は、そんな自分を、認めてしまっている。


 どうしようもない。


 髪の毛を乾かして、七時のニュースを流した。


 遠く離れた県にて、通り魔殺人事件が起こっていたことが報道されていた。


 犯人は就職活動に失敗した成人男性であり、現行犯逮捕された。


「誰でも良かった」


「とにかく人を殺したかった」


 と、供述しているという。


 その記事を目にして。


 僕は。


 どうしてか。


 その男を、うらやましいと思ってしまった。



(了)

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