交響詩篇エウレカセブン ハイエボリューション

 三部作の第一部がなんだかなあな第一印象だったので放置していた本作について、ふと思い立ってネトフリで観ることにしたのが今週(とは、2023年9月の第4週)の話。特に期待はしていなかった上に、なぜか二作目の「ANEMONE」を観たつもりになっていて、それを飛ばして三作目「EUREKA」を観てしまった(それに気付いたので二作目は追って観た)。


 にもかかわらず、結論から言えば劇場で観たらよかったなあと後悔するくらいには好ましい、印象深い、何より荒々しくラディカルな三作だった。


 もっとも、一作目の時点ではその全貌が見えてこない。というか三作目まで観たところで部分的にしか見えてこない。かつ、第一印象があまりに良くない。そういう瑕疵が本作にはあるのだが……(そして何より、この「第一印象が良くない」という印象は各作品ごとについても、もしかしたら意図的にか、反復されているのだが……)それを差し引いても、つまり「頑張って一作目は耐えてくれ」という念押しの上ででも、人に勧めたくなる作品だ。その際に「TV版から通して追ってもらうことになる」というまた別のハードルが立ち上がってきてしまうのはもう見ないふりをするしかない。


 何がそんなによかったのか。


 平たく言ってしまえば、「その尺で収まるわけがないだろうという内容を無理やり詰め込むにあたり、参照可能な過去作品は自作多作問わず容赦なく材料として使う」ということをやってしまっている。それもかなり露骨にやっている。露骨にエヴァだったり露骨にゴジラだったり露骨にガンダムだったり……。そしてその並列の中に「露骨にエウレカセブンだったり」がある。並べてしまっている。


「しまっている」という表現をここで重ねて使ったのは、それが単に成功しているとは言い難いからだ。それらはむしろ、パクリであると反発を招きかねないくらいの露骨さで行われている。そしてTV版エウレカセブンの映像については、しかしほぼ無編集の4:3比率の画面のままで挿入されることでくらいの違和感を演出している。ここに意図がないと考えるのは不自然だ。


 ならどういう意図が考えられるか?

 もっともシンプルにはこうだと思う。


 本作は創作において先行作品をナマで、直に参照することを肯定しようとしている。そしてその上で新しい世界を作ることが可能であると示そうとしている。


 このような意図があるとすれば、おれはこれを全肯定したいと思った。だからこの作品のことを多分、かなり特別に愛することになるだろうと思う。そういう予感がしている。


 ここまでが結論。

 この作品が好ましかったということと、その理由。


 それを踏まえて、いくつか触れておきたいポイントがぽつんぽつんとある。


 ひとつは、この作品において「人物作画の雰囲気が変わる」タイミング(全体を通して露骨に挿入されるTV版の映像や、ANEMONEにおける「露骨な」3DCGのアニメーションや、EUREKAで「露骨に」キャラクターデザイナーが交代したこと)はそのまま「この世界とは別の世界」や「この世界が変わってしまったこと」を示しているだろうということ。これについて、なんの意図もないのだとしたらおれはおそらくこの作品を嫌っていたのだが、そうではないことはEUREKAのラストシーンにおいてはっきり示されている。この露骨な、一見してクオリティコントロールの失敗に見える事態が実のところ一貫したストーリーテリングの中で意味をなしてくるものだったということが。


 さらにひとつ。EUREKAにおける「親」となるエウレカの描き方が個人的にとても好ましいものであったということを挙げておきたい。観ながら連想したのは東浩紀「観光客の哲学」に書かれるような事態--ある子供が偶然に生まれ、時に偶然に死んでしまうこともあるそれに愛情を持って接するうちに必然の存在としての家族に変わる、というものだ。因みにこの事態を語るにあたり、著者は血縁関係に限っていない。偶然性の出会いと、関係性の継続による必然性の獲得、そこから生じる「まるで親子かのような」何事かの継承の関係について語っている。


 だとすれば。先ほど、「本作は創作において先行作品をナマで、直に参照することを肯定しようとしている。そしてその上で新しい世界を作ることが可能であると示そうとしている」と書いたのだったが、このことがエウレカ-アイリスの親子関係の描写と重なる形で描かれているように思えてくる。


 ところで、その直接的に「〇〇みたい」な描写群も、そうでないシーンも、アニメーション自体のクオリティは抜群に良かったという話も触れておいた方がいいだろう。元よりお家芸のハイスピード空中戦闘描写はもちろん、特に際立っていたのはANEMONEのジブリ的に氾濫するガリバー(マスコット動物的なアレ)、EUREKAのあらゆるシーンでのライティングの印象深さ、などだ。単に作画のリッチさを賞賛したいわけではく、そもそも画面のリッチさとチープさの対比に際立った意味が持たせられている本作においては、そのコントラストの明瞭さこそ賞賛に値するだろう。素晴らしいシーンが特別素晴らしいからこそ、露骨な「素材」がより強く違和感を放つ。


 もうひとつ。いなくなってしまったレントンを甦らせようと世界を作り直し続けるエウレカの「創作」活動とそこからの解放について、知る範囲で近い作品を参照するなら大暮維人/舞城王太郎「バイオーグ・トリニティ」を挙げることになる。ある喪失を避けるために永遠に喪失を反復してしまうという、ある種の閉塞した現実逃避のモチーフからの解放について、親-子の関係は伴わない同作では三角関係のモチーフを用いてループを外部にこじ開ける。比較しながら併せて触れると面白いと思う。


 最後にEUREKAの主題歌がめちゃくちゃ良かったという話をして終わる。kojikojiの透きとおった声はあまりにもこの物語の締めくくりに相応しい、というのはもちろんそうなのだけど、なにより新人の起用だったというところがいい。その理由はすでに書いたので繰り返さない。しかし、そういうことで言えば一作目の主題歌が二世アーティストの起用だったこともそこに意図があったように思えてくる。本作にはTV版からずっと引き継がれているサンプリングの手法と、それを延長した一貫した思想がある。そしてそれはありとあらゆる手段で、作中に作外に、時にメタに示され続けている。


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