第23話:君が悪鬼必滅の刃というのなら
「な、なんだ今の音は!」
驚く声、廊下の向こうから駆けてくる複数の足音。
……さすがにやりすぎだったと言えるだろう。なにせ木製とはいえ、重い扉を体当たりでぶち破り、反対側の壁に叩きつけてへしゃげさせるほどの衝撃力を発生させたのだから。
「くっ……もう来たか! こういう時くらい、ゆっくりしていろ!」
吐き捨てると、俺は昨日、潜入してきた方に走り出す。
『な、なんだあれは!』
『金色の……
『ど、どこから入った!』
直後に、発法音!
壁を
「ボクは狼だよっ!」
しっぽを床に叩きつけて牙を剥くエルマード。「構うな! 今は脱出が先だ!」とその手を引く。
「だって!」
「お前は、俺の為に生きるんだろう!」
「あっ……うん!」
一言で我に返ってくれてありがたい。若干不満そうだが。
耳元でチューン、と跳弾の音。ひやりとするが、すぐに廊下を曲がって螺旋階段を駆け上る!
金の体がしなやかに壁を蹴るようにして俺を追い越し、「えへへ、先に行くよ!」と階段を先に駆け抜けていったときだった。
「ご主人さま、だめっ!」
彼女の足音が止まったと思った瞬間、上のほうから複数の発法音!
「エル⁉」
「だいじょうぶ……こんなの、痛くなんてないもん……!」
ぞわりと背筋が寒くなる。
痛くない、などと口走るってことは当たったってことだ。……エルマードの奴、被弾しやがった!
「エル! 下がれ!」
「だいじょうぶ、ボク、強いもん! ご主人さま、待ってて!」
「何が『強い』だ! いくら強くても
断続的に続く発法音!
「エル、エル──ッ!」
俺は、またしても失うのか──恐怖にも似た感情に襲われて、俺は必死に階段を駆け上った。
彼女の姿が見えた、そのときだった。
天井に顔を向けるエルマードが、そこにいた。
「あおおおおおおおぉぉぉぉん……!」
続く発法音の中、螺旋階段の中の空気がビリビリと震えるかのような遠吠え!
ギャリッ──石段を削る不快な衝撃音、カンテラの明かりに残像を残してエルマードが消える!
廊下の向こうから「ガッ!」「ギャリッ!」と石の壁を削るような音、『来るなぁっ!』『化け物め!』などの王国語による恐慌状態の悲鳴、そして統制の取れていないバラバラな発法音!
いくら強くとも、中身は傷つきながら生きてきた少女なのだ。
「エル……!」
残りの階段を駆け上り、出入り口の壁に背を預け、そっと廊下をのぞく。
敵の数は、状況は──すばやく目を走らせ、そして俺は、自分の目を疑った。
「……エル?」
「あ、ご主人さま!」
場違いなほど、明るい、エルマードの声。
『がっ……がはっ……ば、化け……モノめ……っ!』
そのエルマードの前で、宙づりになっている男。
それは異様な光景だった。
しっぽをふわりと大きく振り上げながら、片手で、上等兵らしき男の襟元を掴み上げ高々と掲げている、金色のケモノ。
その周りには、すでに地面に倒れてうめいている、王国兵たち。
壁に寄りかかっていた男が、どさり、とその場に崩れ落ち、その男が寄りかかっていた石壁には、まるで鉄の爪でえぐったかのような傷痕が幾つもついてる。
「ご主人さま、やっつけたよ! えへへ、ご主人さまにおケガがなくてよかった!」
駆けつけるまでのわずかな時間にいったい何があったのだろうか。ただ、無邪気に微笑むエルマードの右腕の先に窒息しかけの兵がいる、ということが、改めて彼女の強さを物語る。
だが、そればかりではない。
腕や脚に流れる赤い筋は、被弾した証じゃないか。
……怪我がなくてよかった、どころじゃないだろう。
お前こそどうなんだ。その無邪気な笑顔を見せるお前が、そんなに傷ついて。
エルマードの元に駆け寄ると、何かを感じたように耳を動かしたエルマードが、「ご主人さま、来ちゃだめ!」と短く叫ぶ。掴んでいた男を曲がり角の向こうに投げ飛ばし、そちらに向かって跳躍!
こちらからは見えないが、男たちの悲鳴と、発法音!
「当たらないもん!」
エルマードの叫び声とともに、石の床を削るギャリッという音が連続する!
『なんなんだ、ヤツは!』
『撃て撃て! 撃ち殺せ!』
『当たれ、当たってくれッ!』
廊下の向こうから聞こえる悲鳴と
──くそっ、彼女にばかり、俺は何をさせているんだ!
意を決して、近くで倒れてうめいてた野郎の股間を蹴り飛ばして沈黙させると、ヘルメットを奪ってかぶった。
「エル!」
廊下の向こうの小部屋では、数人の男がエルマードに対して
『は、化け物めッ!』
逃げ場の少ない小部屋の中で、
だが狭い部屋の中で乱射するなど、自滅行為に近い!
『むやみに撃つな! 跳弾が同士討ちに──ぎゃあっ!』
チューンと鳴り響く、鋭い跳弾の音。
ひらりと舞うように飛び退くエルマード。
跳弾を受けたのか、悲鳴を上げて倒れ伏す男。
弾を撃ち尽くしてもなお、引き金を引き続ける男。
何かの冗談を見ているかのような光景に、俺は言葉が出ない。
だが、冗談でもなんでもないのだ。
エルマードはすでに何カ所も撃たれて傷を負っている。彼女の長い金色の毛皮は、すでにあちこちが真っ赤に染まっていた。ひどいありさまなのが、この距離からも分かる。
それでも彼女は、あの至近距離で撃たれてなお、特に致命傷らしいものを受けた様子も見せずに敵兵の一人を掴み上げ、床に投げ飛ばす。
「エル……!」
彼女のもとに駆けだそうとしたとき、部屋の隅でうずくまっていた男が突然立ち上がった。ふらつく脚で
『こ、この化け物がっ!』
「エル……! くそっ、俺のエルに近づくな! そいつは俺の女なんだよっ!」
俺は走りながら叫ぶ! せめて意識をこちらにそらしたかった。あんな至近距離で、二人同時になど──!
だが、
『ぎゃあっ!』
壁に叩きつけられた男の手から
「抵抗するな! ……エル、無事か!」
「うん、ボクはだいじょうぶだよ、ご主人さま」
血に染まった金色の毛皮が、見るからに痛々しい。だが、エルマードは微笑んでみせる。
……男を掴み上げたままで。
『は、放せ……ぐ、ぎぎっ……!』
エルマードはそのまま、奥の出入り口──城壁通路に繋がる出入り口に向かった。出入り口からは城壁通路が伸び、その先にある
『放せ、この
「ボクは狼だもん!」
言うが早いか、エルマードは出入り口から──
『や、やめろ、やめ──! ひああああああぁぁぁぁ……』
──男を豪快に投げ捨てる!
長く尾を引く悲鳴のあと、意外に小さな水音。
ここからは見えないが、やはり堀があったようだ。
『ば……け、もの……飼い主……貴様……か!』
俺が
「化け物とは失礼な。彼女は俺の大切な女性だ」
「そうだよ! ボクはご主人さまの大切な……え?」
エルマードが目を丸くし、なぜか顔を赤くすると、俺が牽制していた男を掴み上げた。
「ご、ご主人さま! まずお部屋、片付けちゃうね!」
『ま、待て! 待て貴様ら──あれえええぇぇぇぇぇ……』
それから彼女は、部屋でうめいていた男たちを、次から次へと放り出していった。場違いなほど間抜けな悲鳴が次々と外へ消えていっては、盛大な水音が返ってくる。
「……よくやってくれた。エル、痛まないか?」
エルマードが全員を放り出したところで、俺は彼女を抱き寄せた。これぐらいしか、今、彼女にやってやれることがなかったのだ。
「痛み……平気だよ!」
返事だけは元気なエルマードが、もじもじしながら上目遣いに俺を見る。
「そ、それよりご主人さま……。その……ぼ、ボクでいいの……?」
「何がだ」
「ご主人さまの、大切な、その……『女の子』……?」
「当たり前だろう」
もじもじする彼女を、力いっぱい抱きしめる。
「お前は、ずっと俺のそばにいてくれるんだろう?」
「え? ……う、うん!」
しっぽを大きく振ってしがみついてきた彼女の、肩に顎を乗せてきたその頭をくしゃくしゃっと撫でた。三角の耳がぱたぱたとせわしなく動き、嬉しそうに頬を首にすりつけてくる。
撃たれた場所が、きっと痛むはずなのに。
俺のたわいもない言葉だけで、君は……。
「──だからお前は、俺の大切な
「うん……。うれしい……うれしい……!」
その素直な甘えぶりに、俺も思わず応えようとしたとき、城壁通路への出入り口から弾が飛び込んでくる!
驚いて彼女を抱きすくめるようにして外を見ると、
何人も堀に向けて放り投げたのだ、反応としては当然だろう。
ぶ厚い木の扉を急いで閉めてかんぬきを下ろすと、改めてさっき拾った
遊底を引いて空の薬莢を排出し、スムーズに動くのを確認する。よし、大丈夫そうだ。床に落ちているへし折れた
ケモノの姿であっても、手の形はヒトと同じ。
しなやかで繊細な指の形も、そのぬくもりも。
ならば、短い付き合いになろうと君と生きる。
腹に何を抱えていようと、今は君を信じたい。
君の無邪気な笑顔を、心から守ってやりたい。
その甘さが、いつか、俺を滅ぼすとしてもだ。
だからこそ必ず「ゲベアー計画」をぶっ潰す。
計画が潰れれば、彼女は自由になるのだから。
エルマードの強さは、彼女と共に走ることで心底思い知らされた。
彼女を守るなど、心底おこがましい発想だった。
彼女の肉体の強靭さは、やはり恐るべきものだったのだ。
さっき食らった
「『
妙に楽しげに宣言すると、床、壁、天井を蹴って、変幻自在に飛び掛かる!
「あおおおおおおぉぉんっ!」
遠吠えのような
なんなら──
「あおんっ! あおおおおぉぉんっ!」
今、体当たりした奴を踏み台にして、地に足をつけることなく方向転換すらしてみせるのだ!
『うわああっ! 化け物!』
『た、弾が当たらないっ!』
『誰か奴を止め……ヒッ!』
『死ね、化け──ぐぼっ⁉』
王国兵たちは恐慌状態だった。統制もとれずにてんでばらばらに撃ったりしては、体当たりでまとめて吹き飛ばされていく!
『ええい、ネーベルラントの
『む、無理です隊長! あんな動き、弾なんて当たりませんよ! こっちが体当たりを食らうばかりで……!』
『体当たりだと? 当たらなければどうということはない! いくら化け物でも、ヤツはたかが一匹! こっちはまだ十人以上もいるんだぞ! 一斉に撃てば当たる!』
将校らしき男が、横倒しにした机やら何やらの障害物の陰に隠れるようにして、その前に押し出した兵士たちを叱咤する。兵士たちがほんの少しだけ哀れになるが、こちらだって命を賭けた潜入から帰らなければ、情報を持ち帰れないのだ。押し通らせてもらう!
「それにしてもさっきから化け物、化け物って。あの金色の毛並みとしなやかな肢体の美しさが理解できないのか」
壁の端から身を乗り出して威嚇射撃! エルマードだけではない攻撃者の存在にいまさら気づいたらしい。さらに慌てふためく奴らの隙を突いて、エルマードが壁を蹴って突進する!
いちいち吠えながら体当たりをするため、不意打ちにならないことに苦笑する。本人はそのほうが興が乗るのかもしれないが。
だが、その咆哮がかえって兵士たちに恐怖を巻き起こすのだろうか。混乱に陥った兵士たちは、なすすべもなく制圧されていく。勢いというのはかくも恐ろしく、また素晴らしい!
「あおおおおおおぉぉぉん!」
『た、弾は当たってるはずだろ! なんで、なんで死なない──ぐぶッ⁉』
一人、また一人と、エルマードの手で、王国兵が宙を舞う。彼女が自身を「強い」と評した理由がよく分かる。獣人の姿となった彼女は、確かに強いのだ。
しかもこの狭い空間は、彼女にとって床も壁も天井も、すべてを利用して三次元的に跳び回れる格好の戦場だった。
王国兵たちが身を隠し、その命を守るはずだった分厚い石壁は、エルマードが大暴れするに最適な環境を提供していた。
『撃て、撃ちまくれ! さっさと射殺しろ!』
そのときだった。
エルマードは兵士たちを、障害物を飛び越え、障害物の陰で叫んでいた将校を容易く捕らえて掴み上げる!
『お、おまえら! 何をしている、さっさとこいつを撃たんかっ!』
言われたエルマードが、兵たちのほうに将校をぶら下げる。
『撃つなら撃っていいよ? ボク、多分当たっても平気だし』
流暢なアルヴォイン王国語で言い放ったエルマードに、兵士たちがおそるおそる
『ヒィッ! や、やめろ! 私に当たったらどうするんだ!』
『陰に隠れて命令するばっかりのお前。お前みたいなひと、ボク、一番嫌い』
そう言って彼女がガバっと口を大きく開けてみせると、『ヒィィィッ!』と叫んだ将校の股間から、だらだらと液体が流れ落ちてくる。
『汚いなあ。ボクを相手に逃げなかった兵隊さんたちの方が、よっぽど立派だよ』
エルマードはあきれたように言うと、腕を大きく振り上げた。
『お前はいった……い、な……に、者──ウボァー……!』
悲鳴の緒をなびかせるように、やはり堀に向かって落ちていく将校。
『ば、ば、化け、物……っ!』
「動くな!」
俺が
「助けて! 食べないで!」
残った五、六人の兵士は、すっかり戦意を喪失して床にへたり込んでいた。それにしても、どいつもこいつもエルマードのことを化け物と呼びやがって。
たしかに、腕一本で太った将校を軽々とつかみ上げ、こともなげに外に放り投げるさまを目の前で見せつけられたら、そう思いたくもなるかもしれない。だが彼女だって、人の姿の時は小柄で可愛らしい女の子なのだ。
その彼女に、『食べないでくれ』だと?
捕らえたネーベルラントの女性の四肢を切り落として箱詰めにしたり、解剖して子宮だけ取り出して
不快すぎて射殺しようかと思ったが、こんな下っ端の連中が、そんな研究に直接関係していたとも思えない。胸がざわざわするものの、さっきの将校と同じように堀に飛び込んでもらおうかと思ったが、エルマードは頬を膨らませてこう言った。
「ボク、ひとなんて食べないもん。武器を置いて逃げてくれるなら何もしないよ」
おい、それは──言いかけたが、兵士たちはがくがくとうなずくと、倒れている兵士たちを引きずるようにして全力で逃げて行ってしまった。
仲間を見捨てないだけ、まだマシな連中だったのかもしれない。
「……エル、行くぞ!」
「うん!」
エルマードがうれしそうにうなずいて飛びついてくる。
「ご主人さま、ボク、お役に立ってる?」
「ああ、十分すぎるほどにな。ありがとう、エル」
「えへへ、よかった! ボク、今すっごく楽しい!」
しっぽをぶんぶんと振り回しながら、にへらっ、と笑ったエルマードに、思わず聞き返してしまった。
「……楽しい?」
「だって、ご主人さま、ほめてくれるもん。大好きな人のお役に立てるのも、『ありがとう』って言ってもらえるのも、こんなに楽しいことだったんだね!」
俺はそれに対して、何も言えなかった。「……行くぞ」と促すと、「うん!」と、頬を紅潮させたまま、共に走り出すエルマード。
愛らしいと思う。
こんなに慕ってくれる彼女のことを。
だが、対峙した王国兵たちはみな、彼女を化け物と罵り恐怖する。彼女の圧倒的な力の前に、打ちひしがれていく。
もしかすると俺は、
おとぎ話にある、鞘から抜くと災いを呼び、血をすすり、かわりに主に力を与えながら最後には持ち主をも滅ぼすという、悪夢の魔剣を。
……いいさ。
たとえ己をも滅ぼす諸刃の剣でも、君が悪鬼必滅の刃というのなら、俺はその使い手になろうじゃないか。
君の想いに応えることができるまで、神は俺を生かしちゃくれないだろうが。
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