第22話:絶対の狩猟者たる餓狼がそこに

「ボクね? ずっと一人ぼっちだった」


 日没とともに、部屋が暗くなってゆく。

 エルマードを抱えるようにして、俺たちは、来たるべき行動の瞬間を待っていた。


「ボク、もともとは、この姿なの。お母さんに教えてもらって、人の姿になれるようになったんだよ」

「お母さんにね、絶対に、他の人に知られないようにって言われてた。ヒトはもちろん、獣人さんにも」

「お母さんと二人きりの暮らしだったけど、でも、お母さんがいたから平気だった」

「でも、お母さん、ボクが小さい頃に死んじゃった」

「それからはね、しばらくひとりで生きてたの」


 暗くなっていく部屋の中で、エルマードはポツリポツリと語る。胸が痛くなる、彼女の半生を。


「でも、食べ物を探してあちこち歩いてたとき、どこかの村の近くで倒れてて」

「なんでかな。みんな、ボクに優しくしてくれるの。うれしかった。じっと見てるとね、その人、ボクに食べ物をくれるの。それで、あちこちヒトの街を渡り歩いて、なんとかやってたの」

「そしたらね、いつだったか、ボクを家に入れてくれた人がいたの。食べ物をくれて、床で寝させてくれた」

「そのひと、泥棒だった。ボクに優しくしてくれるひとからスリ取ってる間はよかったけど、そのうち、ボクを連れて家に盗みに入るようになって、しまいには賞金首を狙うようになったの」


 ……賞金首。つまり、エルマードで油断させておいて、そこを狙うということだろうか。


「そのひとはね、ボクを殴るとき以外、指一本、触らなかった。いつも外で女のひとを買ってた。ボク、まだ子供で魅力ないからって、あとで教えてくれたけど」

「ボク、寂しかった。そのひとと一緒にいても、ボクいつも一人で仕事、させられて。持って帰ったお金を渡す時だけ、一言二言かけてくれるけど、あとはお仕事の話しか、してくれなかった。いつも、目も合わせてくれなかった。……だからボク、いつも一人ぼっちだった」


 エルマードが、わずかに身をよじる。背中から包み込むように抱きしめる手に力をこめると、その手に頬を擦り付けるようにして、小さく喉を鳴らした。


「ボクね、聞いてみたの。『ボクのこと、愛してる?』って。お仕事中にね、どこかの家のお母さんが、小さな子に、言ってたのを見たの。愛してるって。だから、聞いてみたの」

「ボク、言われちゃった。『道具を愛するヤツはいるが、道具としてだけだ』って。愛されたきゃ稼いで来いって」


 肩を震わせるエルマード。つらいなら言わなくていい、と言ったのに、彼女は首を振った。「ご主人さまだから、聞いてほしいの」と言って。


「ボク、すごくつらかった。でも、言うこと聞けば大事にしてもらえるって思って、ボク、つらくてもがんばったの」

「でね、そしたらね。いつだったか、どこかの法術師さんに、見つかっちゃって。ボク、一生懸命逃げようとしたけど、捕まっちゃった。あのひとはそのときに──」


 エルマードは、虚ろな笑いを浮かべた。


「──売ったの。ボクを」


 男は何を吹き込んだか、自分だけ逃げおおせたのだという。エルマードを、法術師に銀貨数枚で売って。


「その法術師さんはね? ボクに、法術の可能性を見つけたんだって。理由は分かんないけど、錬素オドの力がすごく強いって。」


 今なら分かるよ、とエルマードは小さく笑ってみせた。


「だって、ボク、こんなだから。普通じゃないの。だって、おとぎ話にしかいない、姿を変えることができる獣人だよ? 月を見て姿を変えるわけじゃないけどね」


 『こんなだから』という言い方に、俺は彼女が胸に抱える悲しみを見たような気がした。一人ぼっち──その言葉の意味が、重くのしかかってきたのだ。俺も、姿を変えることができる獣人なんて、おとぎ話以外では聞いたことがない。


 もちろん、そんな法術も存在しない。光と影を操ることでそこに無い遠くのものを映し出すか、もしくは相手の感覚に働きかけて幻覚を見せる術は存在するという。後者は、特に極めて高度な術らしい。だが、姿そのものを変える法術など、聞いたことがない。


 法術でさえ実現できないことをやってみせる彼女の存在は、あまりにも特異だ。あるいは、法術的な能力をもった一族、ということだろうか。


「ボク、法術師さんのところで、しばらくいろんな勉強をしたの。法術を学ぶためなんだって。字を書くことも、そのときに教わったの。楽しかった。字とか言葉を覚えるたびに、『おまえはよくできる奴だ』ってほめてくれた。……うれしかった」


 いくつかの言葉が理解できるのは、そのときの名残か。泥棒の片棒をただ担がされていたときよりは、きっと充実していたに違いない。誰だって、誰かに認められるというのは、自分の自信に繋がるものだからだ。


「それでね? 法術のこと、そろそろ使えるようになるための訓練、始めようかってころだったんだけど……法術師さん、死んじゃった」

「ボクのこと、研究材料にしたかったひとたちが来たの。法術師さん、ボクのこと逃がそうとしてくれた。でも、そのとき殺されちゃった。イヤなこともあったけど、ときどき美味しいもの食べさせてくれて、勉強、ちゃんと覚えたらほめてくれたりもしたから、嫌いじゃなかったんだけどね」


 淡々と、あくまでも淡々と語るエルマード。だが、そのあまりにも酷薄な運命を聞いていて、胸の痛みが止まらない。神々の中に、たとえひとはしらだけでも、彼女に憐れみの情を投げかけようと思う神はいなかったのだろうか。


「ボク、いろいろ調べられて、『特甲種』って言われて。白服のひとたち、みんなびっくりして。それで、東方関門軍オシュトバーリア第73部隊1番班に入れられたの」

「すごくいい暮らしをさせてもらっちゃった。朝からね、ミルクと焼いたパンが出てくるんだよ。知ってる? 代用パンじゃないパンって、黒くてちょっと酸っぱいけど、豆とか木の味とかがしないの。たまにね、チーズだって出たんだよ! 法術師さんのところでは豆の塩スープしか食べたことなかったし、すごく幸せだった」


 朝から、ミルクと、おそらくライ麦パン。たまにチーズ。それを『すごくいい暮らし』と評するエルマードに、胸の痛みが加速する。それまでに、どれだけ過酷な生活をしてきたというのだ。


「ボクたち特甲種はいろんな実験をされたけど、いつまでも大事にされてた。ほかの甲種の子たちは、順番にいなくなっていったのに。今なら分かるけど、甲種のみんなは、箱に詰められていったんだろうね」

「でも、少しだけ仲良くなれたツヴィーもドーリィも、結局、連れて行かれちゃった。甲種の子は入れ替わりに入って来るけど、1番班──特甲種は、ほとんど補充がなくて……最後にはボクだけになっちゃった」

「きっとボクも、ツヴィーとかドーリィとか、ほかの甲種の子たちと一緒で、どこかに連れて行かれるって思ってた。でも、急に、ボクには別のお仕事ができたの。それが──」


 困ったような微笑みを浮かべて、エルマードが振り返る。


「特別な男の人の仔を産むことだったの。ご主人さまは、特別な人なんだよ?」

「……そんなことを言われても、俺のどこが、としか答えようがないんだがな」


 俺の言葉に目を細めるエルマード。


「ボクも分かんない。でも、ボク、ご主人さまにあえてよかったって思ってる」

「どうしてだ?」

「だってご主人さま、ボクのチカラ──」


 言いかけた口を押えた彼女は、うつむいたあと、ちらりと俺を見てから、恐る恐るといった様子で、話を続けた。


「……ボクのこと、収容所でかばってくれたときのこと、覚えてる?」

「さあな。忘れた」

「もう……」


 エルマードが苦笑いしてみせる。犬のような顔をしていても、そのあたりは目つきや口元の様子で、なんとなくわかる。動物の犬と違って、表情は豊かだ。やはり「ひと」だからだろう。


「ボクが収容所の人に叩かれそうになったとき、先に殴り倒されてたのに、それでもボクの前に立って、ボクを守ろうとしてくれたでしょ? ボク、すごく、すごくうれしかったの」

「忘れた」

「他にも、さりげなくボクのこと待ってくれたり、そばに居させてくれたり……。『ちぎり固め』のことだけじゃないの、好きになったのは」

「……エル。俺はそんな、お前のことだけを考えてきたわけじゃない。むしろ──」


 ──むしろ、お前のことをそんなに強く意識してきたことはなかった──そう言おうとしたが、エルマードが微笑んで頬を擦り付けてきたため、言いそびれてしまった。


「そうやって偉ぶったりしないところが、ボク、大好き。……ご主人さま、ホントはお貴族さまなんでしょ?」

「前にも話したが、形ばかりの弱小貴族の出身というだけだ。それも、ほとんど何も継承権を持たない五男坊だ」

「えへへ、それにしたってすごいよ。ボクのご主人さまは、お貴族さまなんだから」

「……いい加減、その『ご主人さま』っての、やめてくれないか? 俺はそんな呼ばれ方をする柄じゃない」


 勘弁してくれ、と言ったのに、エルマードはくすくすと笑って、ペロリと頬を舐めてくる。


「ご主人さまはご主人さまだよ?」

「……だから、アインと呼べと」

「二人っきりの時くらい、ご主人さまって呼ばせてよ。人前では、アインさまって呼ぶから」

「逆じゃないか?」

「じゃあ、ご主人さまはみんなの前で、ボクに『ご主人さま』って呼ばれたいの? ボクは全然かまわないというか、ボクはご主人さまのものですってみんなに知ってもらえるから、その方がうれしいけど」

「……そうきたか」


 答えに詰まる俺を見て、何が楽しいのか、妙にうれしそうに頬を首筋にこすりつけてくる。


「えへへ、ご主人さまのにおい……いいにおい……」

「嘘をつけ。長いこと、水浴びもろくにできていないんだからな」

「いいにおいだよ? 大好きなひとのにおいは、大好きだもん。ボクにもいっぱいつけて、ボクがご主人さまのものになったんだって、みんなに教えてあげるの」

「そういう問題じゃない、というかやめろ。変な誤解を広めようとするな」

「誤解じゃないからいいもん。ボク、ご主人さまのものになったんだから」

「だからその『ご主人さま』をやめろと」

「えへへ、ご主人さま、ボクのご主人さま♪」


 うれしそうに顔を舐めてくるエルマード。この姿になってから、やたらと馴れ馴れしい。今だって、ふかふかのしっぽを俺に絡めて、俺の耳の後ろあたりのにおいをすんすんとかいでは、うっとりと目を細めている。

 ……いや、馴れ馴れしいのは元々か。大胆に開き直ったというべきだな。


「……分かった分かった。もういい、好きにしろ。だが、お前はお前だ。俺のものとか、そういう考えは……」

「ボク、決めたもん。ボクのこと、こうして受け入れてくれたご主人さまのために生きるって。ずっとずっと、おそばにいるって」


 思わずため息がもれる。

 不快ではない。むしろ愛らしいとすら思う。このふかふかな毛並みの抱き心地も悪くない……どころではない。

 うれしそうに頬を首筋にすりつけてくる彼女は、どこからどう見ても、体格が人間で俺とほぼ同じ背丈の、大型犬。あの小柄な少女が、だ。


 獣人族ベスティリングの女性の情の深さは有名だ。よっぽどのことがなければ、一度思い定めた相手と添い遂げようとするという。


 ──まったく、どうしてこうなった。


 苦笑しながら頭をなでてやると、彼女はうれしそうに目を細めた。




「お腹、すいたね」

「そのためにも脱出だ。エル、お前の言う強さ、見せてもらうぞ」

「うん、任せて。ボク、ご主人さまのお役に立つから」


 暗闇の中で、エルマードの目に、明かり取りの窓から差し込むわずかな月の光が映る。

 その鋭い眼光は、まさに狼──絶対の狩猟者たる餓狼がそこにいた。


「まず、あの鍵を破壊する。それは任せていいんだな?」

「うん。多分、だいじょうぶ」

「そのあとは、来た道を逆順にたどるだけだ。鍵を壊す時の音にもよるが、警備の連中がいるはず。そいつらの排除が急務になる」

「だいじょうぶだってば。ボク、ホントに強いんだよ?」

「お前はそうかもしれないが、俺は一発でも急所に当たったらあの世行きだからな」

「ご主人さまのことは、ボクが守るもん」

「女の子に守られる騎士なんて、さまにならない。少しは格好をつけさせてくれよ」

「……えへへ、この姿でもご主人さま、ボクのこと、女の子だって思ってくれてるんだ?」

「当たり前だろう。大切な仲間だ」

「……うん、今はそれでいいよ。ボク、がんばるから」


 淡い金色の毛皮が、ぶわっと逆立つ。


「いいか、鍵を壊せばいいんだからな?」

「うん、分かってる」


 その瞬間だった。

 石の床が削れるギャリッという耳障りな鋭い音と共に、黄金の砲弾がドアに向かって放たれる!

 もう、そう形容するしかなかった。


 ドアを開けるために鍵を壊す──確かに俺は、そう目論んだ。

 俺自身は拳槍ピストールの弾を取り出し、薬莢の中の魔煌レディアント銀をかき集め、爆破しようと考えた。


 それが、金色の獣人となったエルマードが「多分、できるよ」と言ったから、彼女に任せてみることにしたのだ。

 鍵のシリンダーを握り潰すか引き裂くか、そんな方法だと思っていた。


「えへへ、開いたよ?」


 凄まじい破壊音とともに、もうもうと上がる埃の向こう、吹き飛んだ扉の上で、金色の獣はゆらりと立ち上がる。


 俺は、とっさに言葉が出なかった。

 ──体当たりで「ドアを破壊」することで「鍵を壊す」結果なんて、いったい誰が予想するだろうか!


「んー、ちょっとやりすぎたかな?」

「ちょっとじゃない、だいぶやりすぎだ!」

「だって……ご主人さまにかっこいいとこ、見せたかったんだもん」


 俺は手を顔に当ててうめく。


「格好いいところを見せたいって、男児かお前は。お前の体当たり、迫撃戦槌ヴェルファーの直撃弾かと思ったぞ」


 空から飛来し炸裂する迫撃法弾の脅威を思い出す。戦場では、何度死にそうな目に遭ってきたことか。


「まったく、『野獣ベスティオカノン』といったところだな、この威力は」

「『野獣ベスティオカノン』? なにそれ、かっこいい!」


 埃の向こうから手を伸ばして笑うエルマード。恐ろしい力を秘めた狩人の無邪気な笑顔に、俺は苦笑しながら手を伸ばす。


「……さあ、帰るぞ!」

「うん、ご主人さま!」



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