第17話:というわけで、エルマード改め

「力を貸せって言われても、ボク、何をすればいいの?」


 エルマードが、小首をかしげるように俺を見上げる。こうしてみると、子犬のような小動物的愛らしさが、こいつにはずっとあったような気がする。考えてみれば、どうしてこいつを少年だと思えてきたのだろう。収容所の男性棟にいたから男、という思い込みのせいだろうか。


「……戦争のために女性を犠牲にして、それでいいと思っている奴らをまとめてぶっ潰す。それを手伝ってくれればいいのさ」

「でも、たとえ『ゲベアー』計画が進んだって、アインはなにも困らないんじゃないかな? だってアインは、種馬になれって言われてるだけなんだから」

「困るさ」


 俺は立ち上がると、拳を握りしめる。

 俺の手から零れ落ちてしまった、大切な人の命。


 何の因果か、俺を慕ってくれているらしいエルマードだって、そもそもその犠牲者だ。


「エルマードの言う『ゲベアー計画』って奴が生きている限り、これからも女たちが犠牲になり続けるということだろう?」

「それは……」


 エルマードが、目をそらす。


「それにこれはミルティの仇討ちみたいなものだ。一番の仇はあの赤い軍服の将校だが、奴も広く捉えればただの下っ端だろう」

「え……?」


 エルマードが、目を丸くする。


「あの人、ライヴァ・デ・リアジュートさまだよ?」

「ライヴァ・デ・リアジュート? そいつがどんな奴か……」


 驚いた。エルマードはいったい、何をどこまで知っているというのだろう!


「エル、知っているか?」

「え、アイン、知らないの? お貴族さまでしょ?」


 ぐさっと胸に刺さる。さすがエルマードだ、無邪気に人の胸をえぐってくる。


「……俺の家は、領地持ちとはいえ弱小貴族、その五男坊だからな。なかなか領地の外に出て、他領の貴族と親交を深める機会がなかったんだよ」


 そうなんだ、と、妙に真剣にうなずく彼女に、「だから、知っていることがあるなら教えてくれ」と聞く。


「えっと……。とっても有名な人。王国でも有数の勢力を誇るインシディウス辺境伯に仕える、最有力の騎士さまだよ?」


 インシディウス辺境伯の最有力の騎士──そこまで言われて、やっと思い至った。そういえばそんな奴がいた。

 確か王国でも有数の手練てだれ──そんな話を聞いたことがある。ネーベルラントで言うところの、王直属の近衛騎士にして法術師でもある最強の戦士たち──「魔装騎士」と同等の実力を持ちながら、インシディウス辺境伯への忠誠が厚く、王国アルヴォインの王室付き近衛騎士の道を一言で断ったのだとか。


「そうか、あいつが……」


 騎士なら騎士らしく、新型の法術ザウバー火槍バッフェなんて飛び道具じゃなくて鉄の槍で勝負をかけてこい──と思ったが、考えてみれば俺だって歩槍ゲヴェアで戦っていた。他人にどうこう言えないな。くそっ。


「義の騎士としても有名だけど……。ボクが知る限り、敵には容赦しないし、目的のためには手段を選ばない怖さがあるから、あんまり、義の人には見えない気がする……かな」

「それは立場の問題だろう。少なくとも奴にとって俺は敵なのだから、当然俺を生かしておく義理はない。これがもう少し昔なら、奴の捕虜という形で、逆に客人待遇を得られただろうけどな」


 強くて誇り高い騎士をも一撃で殺す飛び道具、法術ザウバー火槍バッフェ──個人が、下手をすれば数人まとめてあっさり命を奪うことを可能にした歩槍ゲヴェアなんてものが戦場を支配するようになってから、人質を取って身代金、なんて牧歌的なことは言っていられなくなった。


 もはや騎士物語なんてものは過去の遺物であり、戦場は一人の英雄の剣ではなく、雑多な平民の歩槍ゲヴェアが支配する。それが現実だった。


「──逆にいえばそんな時代だからこそ、強く、主君への忠義に厚いライヴァみたいな奴は、王国やインシディウス辺境伯の領民たちにとっては、守護神のような頼もしい存在なんだろうな」


 俺の言葉に、エルマードは意外そうな顔をした。


「……アインの敵だよ? どうしてそんな、褒めれるの?」

「俺だって貴族の端くれだ。それぞれの立場が、人を『そうせざるを得なくなる』という境地に追い込むことくらいあるってこと、理解はできるつもりだ」

「あんなに、婚約者さんのことで必死になってたのに何を今さら……あいたっ!」

「いい度胸だ。人が気にしていることをえぐるとどうなるか、分かって言っているんだよな?」


 拳を頭に乗せたまま座り直し、ぐりぐりとやってみせると、「やあんっ!」と悲鳴を上げながら身をよじる。


「だ、だってあんなに無茶して……! ボクが飛び込んでなかったら、どうなってたか分かんないくせに……いたっ! また叩いて……ぐりぐり、やめて! 髪は女の命なんだよ!」

「お前はオンナじゃない。エルマードというナマモノだ。今までだって、大して気にしてこなかっただろう」

「ひどいっ! だ、だって今までは男の子のふり、してきたんだもん! ほんとはきれいにしてたかったもん! アインだって、ボクがきれいでいてほしくないの? ボク、アインのお嫁さん候補なんだよ!」

「そんな減らず口を叩けるならまだまだ叩いても大丈夫だな」


 平手で頭をわしわしと鷲掴みにしてやる。郷里では兄たちによくやられていたから、なんだか自分が兄貴になった気分だ。やめてー、と身をよじるエルマードだが、その割には俺の手を払おうとすることもない。


「ぼ、ボク、やっぱりアインのこと嫌いになっちゃうから!」

「まだ言うか。まあいい、好きにしろ。むしろその方が扱いやすくていい」

「ちょっとそれどういう意味……いたっ! ボク、馬鹿になっちゃう!」

「こういう意味だ、ナマモノ」

「だ、だから髪をくしゃくしゃにしないでよっ! ほんとにボク、アインのこと嫌いになっちゃうよ!」

「だから好きにしろと言っているだろう」

「ううっ……! ほんとに、ほんとに嫌いになっちゃうよ……?」

「分かった。じゃあ俺のほうから先に嫌いになってやろう。それなら問題ないな」


 俺は立ち上がると、月を見上げた。


「だ、だめっ! そんなのだめ! アインに嫌われちゃったら、ボクはじゃあ、どうすればいいのさ!」

「俺を嫌えばいいだろう? 俺は別に好き嫌い関係なく、使えるものを使うだけだ。遠慮なく嫌ってくれ」

「うう~っ……! アインのいじわる……! ボクがアインのこと、嫌いになんてなれないって分かってて言ってるんでしょ……!」

「そんなこと知るか。お前のことだ、どうせまたヘラっと笑って素知らぬ顔で相棒面でも始めるんだろう?」


 軽く叩いた口に、みるみるエルマードの顔が歪んでいく。


「……ボク、アインのこと、本気で、……本気で、好きになったんだよ? どうしてそんな、ひどいこと、言うの……?」

「口づけもしていない関係で、そんなことを言われてもな」

「じゃ、じゃあして! 口づけして! 今すぐして! ボク、身も心もアインのものになるから!」

「いらん」

「ひどいっ!」


 ぽこぽこと叩いてくるエルマードの頭をぽんぽんとなでてやると、「ま、また髪、触った!」と髪を押さえるが、もともとややくせ毛でふわふわの髪だ、押さえきれるはずもない。


「……まあいいさ。やる気と忠誠心は分かったから、しばらく付き合ってやるよ」

「しばらくじゃなくて! 末永くお願いしますっ! 死が二人を分かつまで!」

「なんだ、やっぱりすぐお別れじゃないか。じゃ、俺がこの世を退場するまで、もうしばらくよろしくな」

「もうっ! アインはボクが死なせないもん、絶対に!」


 エルマードの奴め、こんな安い芝居で俺の気晴らしに付き合ってくれているつもりなのだろうか。俺が、婚約者を失ったことを気にしているなどと、いまだに女々しいことを言ったものだから、きっとそうなのだろう。


 俺は今度こそミルティを失った。

 当初の目的は、完全に失われた。

 もう一度、虚無に囚われかけた。


 だが、俺からミルティを奪った連中に対して、目にもの見せることくらいはできるはずだ。この命を使い果たす、そのときまで。

 そう思うことができるようにしてくれたエルマードには、一応、感謝だな。


「エル」

「んう?」


 俺を見上げたエルマードの頭を、わしわしとなでる。うらめしげに自分の頭を掴む手を見上げる彼女だが、どこかうれしそうにも見えるのは、俺の気のせいだろうか。


「もう、やめてって言ってるのに……いくらボクがアインの──」

「王国とネーベルラントのどちらに、俺を売っていた?」


 その瞬間の彼女の目を、俺はきっと忘れられないだろう。

 それまでの無邪気な顔から、凍りついていくように感情が失せていく彼女を。

 それは小鳥を狩る猛禽のような眼──無感動に、ただ獲物を狩る眼のような。


 だが、あえて素知らぬ顔で続ける。


「それとも、両方か?」


 重ねた俺の問いに、エルマードは感情を取り戻したかのように、どこかひきつった笑みを浮かべた。


「……や、やだなあ。ボクがアインのこと、売るはずないでしょ? 何度も言うけど、ボク、アインのお嫁さんになるために来たのに」


 目の前にいるのは、いつもの無邪気なエルマード。


「……そうか。すまない。少々疑心暗鬼になりすぎていたかもしれない」

「う、うん、いいよ。アインの気持ちがそれで晴れるなら、ボクは……」


 そう言ってはにかむように微笑んでみせる。

 先のあの背筋が凍りつくような眼は、俺の気の迷いが生んだ幻影であるかのような錯覚を覚える。

 だが、あれは決して俺の錯覚ではなかった。それは間違いない。

 ゆえに、その微笑みを、愛らしい表情を、もはや俺は額面通りに受け取ることはできなかった。


 やはり彼女は何かを腹に抱えている。だが、あくまでも彼女がシラを切り通すというつもりだというなら、こっちもかえってやりやすい。少なくとも、彼女の腹の内の邪魔になるまでは、俺の命を即座に奪うようなことはしないだろう。


 それでいい。使えるものは何だって使ってやろうじゃないか。それがたとえ、諸刃の剣でも。


「じゃあ、改めて聞くが、力を貸してくれるんだな?」

「アインのためなら、なんだってするよ」

「……その言葉、信じるぞ?」

「うん! えへへ、まかせて!」


 改めて頭をぐしぐしと乱暴になでる。

 「もう!」と言いながら、でも、嬉しそうなエルマードだった。




「……というわけで、エルマード改めエルマードだったナマモノだ。ナマモノと呼んでやってくれ、以上」

「ちょ、ちょっとアイン! なにそれ、ひどいよ! ボクのこと、ちゃんと紹介したいからって言ってたじゃない!」

「分かりやした隊長」

「よろしくな、ナマモノ」


 ロストリンクスとノーガンの即答に、「ちょっとちょっと! せめてちゃんと名前で呼んでよっ!」とエルマード。


「しっかりやれよナマモノ」

「おぬしら、容赦ないのう。まあ、気にせず頑張れナマモノちゃんや」


 ドルクとハンドベルクも、容赦ない。

 

「みんなひどいなあ。僕は女の子の味方だからね、ナマモノちゃん」

「味方っていいながら結局ナマモノって呼んでるじゃん!」


 からかうように笑ったフラウヘルトに、エルマードが頬を膨らませる。

 もう少しこの可愛らしい顔を見ていたいとも思ったが、この辺りが引き際だろう。命のやり取りをする俺たちの中で、こいつが異分子であることを明示できた。


 下手をすれば国に立ち向かう──そんな馬鹿げた行為に心中させることはない。エルマードだって、利用されているだけなのだ。

 彼女が握っていた情報は、簡単には得難い貴重なものが多かった。それを、今度は利用させてもらう。彼女を利用できるだけ利用したあとに死ぬのは、俺たち軍属だけで十分だ。


 ──いや、死ぬのは俺だけでいい。なにせ「女たちのため」なんて大言壮語を吐いたが、結局は俺個人の報復感情を満たすためにすぎないのだから。



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