第16話:世界は、どこまでも腐っていた

「それにしても、どういう経緯であの収容所に来たんだ?」

「よくわからないけど、ボクね、ずっと、オシュトバーリア第73部隊1番班ってところで働いてたの。お仕事もらって、お仕事ができたら、ご飯もらってた」

「お仕事?」

「うん。……お仕事」

「何をしていたんだ?」

「えっと、……『先生』って人のお話を聞いてね。色々やったり、お手紙を運んだり、よそにお話をしに行ったり……」


 そのままうつむいて、黙り込んでしまった。

 ……『先生』。

 何か、嫌な感じがする。


 ──そうだ。


「エルマード。お前はどうして、ミルティが『どうされたか』を知っていた? 相当の機密情報だと思うが……」


 あの、黒い箱。

 エルマードが撃ち抜いた箱の一つから飛び出した、丸っこい肉の塊。


 甲種合格とされた女性たちは、手足を切り落とされて錬気オドの生産部品の実験体として扱われていた、という話だった。あの場でエルマードに射殺されたクソ野郎の言い分では、ミルティはその中でも特に優秀なひとりだったようだ。

 ──そして、優秀な者はさらに解体されて、実に子宮だけにされて前線で利用される実験の道具にされてしまったかもしれない、という話だった。


 エルマードが教えてくれたことだが、そもそもなぜ、エルマードが知っていたのか。


 そこに思い至って、背筋に冷たいものが走る。

 ──そうだ。エルマードは……!


「……前にボクが、『特甲種』だって話、したよね? 母体候補素体の……」


 ……そう! 彼女は「特甲種」と呼ばれる、ミルティを超える適正持ちだった!

 甲種ですら、非人道的な扱いを受けていた。だとしたら、特甲種などと判定されたエルマードは、いったいどんな目に遭わされてきたというのだろう。


「……苦しいよ、アイン」

「あ……ああ、すまない」


 知らぬ間に、腕に力を込めすぎていたらしい。

 彼女を抱きしめる腕を緩める。


 俺の胸に顔をうずめるようにしていたエルマードが、俺を見上げた。すこしだけ、微笑んでみせる。


「……ボクね? 研究所でアインのことを聞いて、どんなひとなんだろうって思ってたの。やさしいひとだといいなって」


 そして、また俺の胸に顔をうずめてみせる。


「最初はなんだかとっつきにくかったけど、でもやさしいひとだって分かったから、ボク、ホッとしたんだよ?」

「……優しいもクソもあるか。収容所にいたころの俺は、ミルティを失って、なかば自暴自棄になっていたんだぞ」

「でも、口ではあっちへ行けって言ったり、ボクを避けたりしても、ボクを追い払おうとはしなかったでしょ?」

「……別に、そうする理由がなかったからな」


 俺の胸に顔をこすりつけるようにするエルマードに、俺は、そのふわふわの金の頭を、そっとなでる。こいつはこいつで、いろいろ抱えてきたのだ。考えてみれば、収容所でささくれていた俺に、部下たち以上にいつも声をかけてくれていたのが、こいつだった。


 少しだけ体をふるわせたエルマードだが、俺を見上げて嬉しそうに微笑むと、また胸に顔をうずめる。


「……お仕事でアインのところに来たけど、でもね? お仕事関係なしに、ボク、アインのこと……」


 そう言って、また顔をこすりつけてくる。

 まったく、いつも思うが子犬のような奴だ。わざと、そのふわふわの髪の中に指を突き立てるようにして、頭をくしゃくしゃと乱暴になでる。


「やっ……やだアイン、もう……」


 少し頬を膨らませたエルマードが、だがその頬を明らかに染めて、上目遣いに俺を見上げた。


「……アイン、女の子の髪をなでることがどういう意味か、分かってて、ボクの頭、なでてるんだよね……?」


 ……。

 …………。


 ……そうだ!

 これまで弟のようなものだと思っていたからつい手を伸ばしてしまったが、女性の髪をなでるというのは、本来、妻か恋人にしか許されないこと! たとえ親兄弟であったとしても、物心がつくあたりから、男性から女性の髪に触れるのは禁忌だというのに!


 俺は慌てて手を引っ込めると、エルマードから身を離した。そもそも抱きしめている時点でどうかしていた。いくら境遇に同情したからといっても、少年のようにメリハリのない体だといっても、こいつは一応、女だったのだ!


「……す、すまなかった。つい……!」

「ううん、いいよ……」


 エルマードはわずかにこちらに手を伸ばしかけて、そしてその手を、きゅっと胸元で握る。


「ぼ、ボクのほうこそ、ごめんね。アインのこと心配だからって、先にぶしつけなこと、しちゃったから……」

「……いや、お前の髪に触れたのは俺の落ち度だ。済まなかった。その……女性の髪に触れたという無礼を、許してほしい」


 考えてみれば、これまでも何度か彼女の髪をなでていた。……いや、それどころか頭をぶん殴ったりもしたこともあったような……。

 ただ、それは俺だけじゃなく、ほかの連中も同じようなことをしていたはずだ。いや、女だと知らなかったんだし、コイツも黙っていたんだから、仕方ないと言えば仕方がないだろう。


 ……だが、知ってからやってしまった俺は、どうにも言い訳が効かない。とりあえず考えを整理しようと、近くの岩に座った。エルマードも、ぴったりと寄り添うように腰掛ける。


「……それで、エルマード」

「エルって、呼んで?」

「……エル」

「うん、なあに?」


 うれしそうに見上げてくるエルマードに、俺はますます落ち着かなくなる。


「……お前は、今の気持ちはともかくとして、少なくとも最初は、俺の元に派遣されたから来たんだな? いったい、どういう任務だったんだ」

「アインの様子を確かめに来たの。アインに素質があるって分かったから、それを見極めるために」

「素質? 素質とは、何だ?」

「男の人でも、良質の錬素オドを錬成できる素質。女の人には子宮があって、そこが特に効率よく錬素オドを錬成できるけど、男の人はずっと謎だったから……」


 なるほど。つまりエルマードの役割は、俺を実験材料として解剖する価値があるかどうか、見極めるってことだったのか。

 ところが、エルマードはぶんぶんと首を横に振った。


「ち、違うよ! そんなこと、するわけが……!」

「しかし、いずれはそうするつもりだったってことか」

「違うってば!」


 エルマードはうつむき、少しだけためらうようにしてから、「……信じてもらえないかもしれないけど……」と、絞り出すように続けた。


「……あのね? 普通はほら、法術師さんって、魔煌レディアント銀に溜め込んだ魔素マナを使って法術を展開するでしょ? アインみたいに、男の人で、法術を発動できるほど錬素オドを錬成できる人って、とっても貴重なの」

「俺は法術など使えないぞ?」


 俺の言葉に、エルマードはくすりと笑った。


「だって、錬素オドをそのまま法術に転用することなんてできないもの。魔素マナに編み換えなきゃ。でも、それには錬魔変換器コンパイラが必要だし」

「……錬魔変換器コンパイラ?」


 聞き慣れぬ言葉に首をかしげる。エルマードは、「錬素オド魔素マナに置き換える道具、って考えてもらえばいいよ」と微笑んだ。


「でもね? 人間の、特に普通の男の人が錬成できる程度の錬素オドの量じゃ、術の発動どころか、起動中に錬素オドを使い果たして死んじゃう。だから結局、十分に魔素マナを蓄えた魔煌レディアント銀の結晶がいるんだけどね。でも──」


 エルマードは一度、言葉を切る。

 まっすぐに俺を見つめて、そして、続けた。


「アインは錬魔変換器コンパイラさえあれば、単独で、一回くらいなら法術が使えちゃうくらい、錬素オドを錬成できちゃうんだよ? 自分では気づいてないみたいだけど」


 そんな馬鹿な。もしそんな才能があるなら、俺は間違いなく王都に行って、貴族男性の誰もが憧れる魔装騎士──法術を扱うことのできる最精鋭の近衛騎士団──を目指しただろうに!


 そう言うと、エルマードは笑いながら首を横に振った。


「だから、法術に転用できても一回くらいでおしまいだから、その才能だけで法術師になれるわけじゃないんだよ? それに一回でも法術に使っちゃったら、多分、しばらく立てなくなるくらい消耗しちゃうよ?」

「……なんだ、結局は魔素マナを使うしかないのか」

「そうだね。大地に満ちる魔素マナを汲み上げて使うか、十分に魔素マナを蓄えた魔煌レディアント銀から力を抽出するか……結局、十分に法術を使うには、その二択しかないだろうね。アインも、今のままじゃ法術ザウバー火槍バッフェを使うしか、法術もどきの力を行使する方法はないと思うよ?」


 やはり法術を使うというのは、代償がなければ無理なのか──そう考えたが、しかし先ほどのエルマードの言葉を思い出す。


「今のままじゃだめでも、錬魔変換器コンパイラって奴があれば、錬素オドを使って俺も法術を使えるようになるんだな?」

「だから、たとえそれを覚えても、法術を一回使ったらしばらく動けなくなっちゃうんだから、意味がないよって話なの」


 くすくすと笑うエルマードに、俺はふと、気が付く。

 男の俺では、錬成できる量が少ないから、錬素オドを使っての法術は現実的ではない……とするならば、女性は、錬素オドだけである程度の法術を使うことができるということなのだろうか。


 その言葉に、エルマードは目を見開いた。また視線を落とすと、言いにくそうに答える。


「……うん。女の人に法術師が多いのは、それもあってらしいんだけど……。甲種合格の女の人は、とくに錬素オドを錬成できる力が強いっていうことなの。最近、魔素マナが枯れた土地の話って、聞いたことない?」

「……目にしたことは無いが、噂程度には」 

「あれ、魔煌レディアント銀を掘り尽くして、土地が魔素マナを蓄えることができなくなっちゃったってことらしいの」


 法術を使うには、魔素マナは必須だ。しかし、法術は世界の摂理を捻じ曲げるために、一度に多くの魔素マナを消費する。簡単な、着火の法術ひとつとってもだ。複雑な術になればなるほど、消費する魔素マナの量も増える。


 だから、魔素マナを溜め込む性質を持つ魔煌レディアント銀の結晶に魔素マナを溜め、法術を使う際にはそこから魔素マナを汲み出して使うのだ。


 例えばかまどに必須の「着火」の紋章陣カームにだって、その中央に小さな魔煌レディアント銀の結晶が埋め込まれている。そいつが蓄えた魔素マナによって、紋章陣カームが着火の法術を展開できるのだ。


 魔素マナが枯れた土地では、その簡単な着火の法術すらも使えなくなるという話を聞いたことがある。大地に満ちるはずの魔素マナが希薄過ぎて、魔煌レディアント銀が魔素マナを吸収して蓄えることができなくなるからだそうだ。


 ただ奇妙なのは、魔煌レディアント銀を掘り尽くしてしまった土地だけでなく、その周辺の土地も、かなりの広範囲で魔素マナが枯れるという話だ。


 いっぽうで、採掘した魔煌レディアント銀を精製し、魔素マナを蓄えさせ、それを使って誰もが法術的な力を武器として利用できるようにしたのが法術ザウバー火槍バッフェ魔素マナ実包ボルトを使用する歩槍ゲヴェア拳槍ピストールなどだ。


 戦争によって、これまでとは比較にならないほどの魔煌レディアント銀が、大量に使い捨てにされるようになり、どの国も採掘に躍起になっている。


 だが、もしエルマードの言う通りだったとしたら。

 戦争のために魔煌レディアント銀を使い捨て続けていれば、いずれ魔煌レディアント銀を掘り尽くした国から順に、法術を使うことができない土地が広がっていくことになる。


 魔素マナが枯れてしまった土地では、法術を使うために魔煌レディアント銀に魔素マナを溜めようとしても、溜めることもできないか、もしくは途方もなく時間がかかるようになるに違いない。それでは、法術を使うことは極めて困難になるだろう。


 着火の法術すら使えなくなるほど魔素マナが枯れた街はどうなるのか。

 そんな不便な街は衰退していくはずだ。そしてそんな街が増えた国は力を失い、滅びていくだろう。


「……それで、アルヴォイン王国の連中は……女の体を、戦争に利用することを思いついたということなのか?」


 たとえ魔素マナが枯れたとしても、女を法術用の魔素マナ生産装置として利用することで、いつでも兵器を運用できるように……!


「……まあ、うん。間違ってはいない、と思う……」

「ミルティはそのために、人としての尊厳を奪われたっていうのか?」

「……そう、だね」


 戦争を続ければ、魔煌レディアント銀を今後も大量に採掘し続ける必要があるだろう。そうすれば、土地がどんどん魔素マナ|枯れを起こし、法術的に不毛な土地が増えていくに違いない。それは、永久的に不便になる土地を、国内に広げていくことに他ならない。


 それでも、戦争を続けるというのか、王国アルヴォインは。

 自国内が荒廃したとしても。


「なんて奴らだ……王国の連中め、人の心はないのか!」


 戦争捕虜となった女たちの尊厳を奪い取って法術を使うための道具にする──王国の連中のやり口には反吐が出る。この戦いの裏で起きていることに、改めて怒りがふつふつと沸き起こってきた。

 なるほど。捕虜になったころには死んだ方がマシだとすら思ったこともあったが、まだこの命にも使い道があるかもしれないな。


「……アイン? なんだか、目が怖いよ……?」

「そうか? だが、俺だって実験材料にされかけていたんだろう? 俺は決めた。力を貸してくれ、エルマード。そんな非道なことを考えた奴らをぶっ潰す!」


 俺が尋ねると、エルマードはためらいがちに俺を見上げ、そして、かすれる声で言った。


「……アイン、あのね……? アインは、きっと、実験には使われても、材料にはされないと思うよ? ……ボクと、同じで」

「エルマードと同じ? どういうことだ?」


 エルマードは、急に頬を赤らめ、うつむく。しばらくもじもじとしていたが、うつむいたまま、続けた。


「だって、アインは、選ばれたんだもの。ボク、アインの様子を監視して、アインに覚醒の兆候が見られれば……」

「覚醒?」

「うん」


 そういえば、例の赤い軍服の将校が、そんなようなことを言っていたような気がする。覚醒できない出来損ない──そう判断されて、俺は始末されかけたんだった。


「ボクはね、あなたを監視して、あなたの力の覚醒を促して、それであなたが力を発揮できることを見届けたら、あなたの子を身籠るの。『特甲種』の役目として……」

「なん……だって?」

「ボクはね、オシュトバーリア第73部隊1番班所属の、特甲種・母体候補素体。あなたの子を産むために、あなたの元に来たんだよ? ボクに子供を産ませるのが、あなたに与えられた役目なの」


 ──なぜ気づかなかった。

 俺は月に向かって吠えたくてならなかった。


 東方関門軍オシュトバーリア──俺たちの祖国ネーベルラントの部隊じゃないか。

 なぜそこに所属していたエルマードが、敵の手に落ちた市庁舎を流用した捕虜収容所にやってくることができて、敵の実験内容を把握しているんだ。


 簡単だ。

 つながっているんだ、祖国も、王国も。おそらくは、ヴェスプッチ合衆国も。


 世界は、どこまでも腐っていた。醜悪な腐臭を撒き散らしていた。

 そのことに、いま、やっと気づかされたのだ。



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