第15話:本当の幸せを手にできるように
「なぜって顔をしてるね? ふふ、ボクはね? アインに逢いに来たんだよ。アインと出逢うことが、ボクのお仕事だったの」
……俺と出逢うことが仕事、だと? どういう意味だ?
首をかしげ、肩をすくめてみせて、彼女の出方を探る。
「そのままだよ」
エルマードは、真っすぐ俺を見つめて、どこか見透かすように微笑んだ。
「俺は今、そういう冗談を受け入れる余地がない。もし冗談だったなら、早急に撤回しろ。でなければ──」
「アイン。ボクは真剣に言ってるよ」
「だったらなおさら受け入れ難い。お前はきっと、人の心をもてあそぶのが本当に上手いのだろうな」
「アイン……」
エルマードが、目を見開く。
「ボク、そんなことしないよ……」
「だったら、現実そのものがタチの悪い冗談でできているんだろうな。お前が、それに乗っかっているだけで……!」
「……アイン? ──きゃっ!」
今度こそ、俺は自分を止められなかった。
この期に及んでなお、俺に会いに来た、などという軽口を叩き、それを真剣だ、などとうそぶくことのできるこの口を、俺は許せなかったんだ。
「俺に会いに来ただと? 男の格好をして? 婚約者に死なれてふてくされたクズには同性愛がお似合いだと、あざけるつもりだったのか?」
枯れかかった草の上に、エルマードの小さな体を押し倒す。
信じられないものを見るような、そんな目。エルマードがそんな顔をするのを、俺は初めて見たかもしれない。
「ま、待って……。どうしたの、アインらしくないよ……」
「俺らしくない? 俺らしいってなんだ? お前が知っている『俺らしさ』ってやつが何か、言ってみろよ! 薄汚い裏切者の工作員が!」
「アイン……お願い、やめて……?」
胸倉を掴む俺の手にその小さな手を添えて、悲しげに顔を歪める。
「ぼ、ボクは何をされてもいいの……。でも、こんな……こんな形で、アインのものになりたいわけじゃ……」
「
「アイン……。ボクは、ボクは……こんなこと、望んでなんか……」
「お前は俺より強いんだろう? やめてほしいなら、その強さで抵抗してみせろ!」
口では何とでも言える。目の前の敵兵を、口先ひとつで絡め取るこいつだ。どうせどんな形だろうと、何がどうなろうと、こいつは目的を達成するのだろう。こんな小娘にどうしようもなく絡め取られる無様な俺を、腹の中でせせら笑いながら。
力任せに胸元を引きちぎる。
きゅっと目を閉じ、けれど抵抗するそぶりを見せないエルマード。
「どうした、お前は戦えるんだろう! 強いんだろう! それとも、何だ? こんなちっぽけな小娘を相手に粋がる無様な男を、腹の中で
「ぼ、ボクはそんな……」
言いかけたエルマードは、けれど一瞬目を背け、そして、おそらく痛みに顔をしかめながら、それでもかすかに微笑んでみせたのだ。
「──ううん、いいよ」
微笑みを浮かべるそのまなじりに、月の光にきらめくしずくを浮かべて。
「それで気が済むならボクのこと、アインの好きにして……」
目をきゅっと閉じて、そして、彼女は体から力を抜いた。
それでいて、体は震えている。
これから自分がなされるだろうことを、理解していて、なお、震えているのだ。
それを見てしまってなお、どうにかできるとしたら、そいつは人間じゃない。正真正銘のケダモノだろう。
自分が右手で握りつぶしている小さなふくらみの柔らかさを、その奥に息づくぬくもりを感じて、俺は、みずからの醜さにようやく気が付いたのだ。
「……悪かった。どうかしていた。すまなかった。……話は明日にしよう」
俺は立ち上がると、どうにも整理がつかない気持ちを解消できないまま、沢に降りる。
「ま、待って、アイン!」
「ちょっと頭を冷やしてくる。本当にどうかしていた、すぐ戻る」
俺は彼女の上から身を起こすと、立ち上がった。あえて彼女の方を一切見ずに、沢の方に歩き出す。
「アイン、どこへ行くの? 待ってアイン、ボクは──」
「来ないでくれ、お前がいると俺は、今度こそ……」
「構わないよ! ボク、アインになら何をされたって……!」
「それが嫌だから、ついて来るなと言っているんだ」
まだ何か言いたげなエルマードだったが、それ以上は何も言わずに、足を止めたようだった。俺は無言で、沢に降りる。
沢の水はやけに冷たかった。だが、頭を冷やすにはちょうどいい。
婚約者を失った俺に、まるであつらえ向きとばかりに当てがうように、俺の元にやってきただと?
それも、あんな小さな、少年のような少女が?
18歳とか言っていたが、もしかしたら本当はもっと年下かもしれない。
──そんなあいつに、俺は今、何をしようとしていた?
彼女が本当に、自分の意志で来たかどうかというのも怪しい。
派遣したのが王立法術研究所というのが、また怪しさ満点だ。
特甲種の母体候補素体ってなんだ?
ミルティは甲種だった。
ということは、エルマードはさらにその上位の存在ということになる。
そのうえ、「
──あいつは、そんなわけの分からないものを背負って、俺の元に来たのだ。
あの年頃だ、本来ならいろいろと夢や希望があっただろうに。それらを全部押し殺して、あきらめて、俺の元に来たのだろう。
何もかも投げ出したくなった。
どうして俺は、軍役など選んでしまったのだろう。
だけど、軍役を選ばなければ、ミルティとは出会えなかった。
俺はただ、ミルティと、ささやかでいいから幸せを掴みたかっただけなのに。
それとも、何か? 神は、人殺しになる道を選んだ俺を罰するために、ミルティとのあんな別れを織り込み済みで、俺と彼女を引き合わせたとでもいうのか?
彼女があんな小さな箱に押し込められる最期を迎えたのは、俺のせいだっていうのか? 俺が、高貴なる者の義務だなんて気取って、軍役に就いたから?
くそぅ……くそっ、くそぉっ! くそったれぇっ!
俺が悪いのか?
俺のせいなのか?
この道を選んだ報いが、あのミルティの最期だったってのか⁉︎
こんな結末なんて望んでなんかいなかった!
零細貴族の五男坊の俺を、生涯の伴侶と認めてくれた彼女を幸せにしたかった、ただそれだけだ!
エルマードも同じだ。
もしも彼女の言葉に嘘偽りがなかったとしたなら、やはり俺の選択が、彼女の生き方を狂わせたということだ。
俺が軍役を選ばなければミルティはあんな目に遭わず、そしてエルマードも、あの小さな成りで、俺の元に来る必要なんてなかったはずなのだ。
ちくしょう……ちくしょう! ちくしょうめぇえええっ‼︎
岩に、拳の形の血がかたどられる。
痛みはなかった。
いや、痛みなんて気にならなかった。
自分を許せなかった。
自分をこんな境遇に放り込んだ全てを呪った。
「アイン! もうやめて!」
不意に、背中に飛びつく者がいた。
振り返るまでもない。
「やめて、アイン! そんなに自分を責めないで! ごめんなさい、ボクがアインを苦しめたんだよね? ごめんなさい、ごめんなさい……!」
「違う……お前は関係ない! お前だって被害者だろう! 女なのに収容所の男性棟に押し込められて……!」
「ううん、違う……違うの! お仕事って言ったけど、ボク、望んでアインのところに来たの!」
その言葉に、俺は思わず、岩に打ち付ける拳の動きを止めた。
望んで、俺の元に来た? ──どういうことだ?
「ボク、ずっとひとりぼっちだったから。アインのこと、知りたかった。アインのことを知って……
「なぜだ」
「だって、そうすれば、……ボク、ひとりぼっちじゃなくなるでしょ?」
「……何を言っている。お前の明るさなら、誰にだって受け入れられるだろうに。それこそ、敵兵だってお前には油断してしまうくらいだ」
「それは……」
エルマードは、一度うつむき、瞬時ためらうそぶりを見せ、そして何かを言おうとして、けれどまたうつむいてしまった。
「……なんだ。何を言おうとした」
「え、えっと……」
しばらくためらったあと、エルマードは、俺の目をまっすぐに見た。
「アインは、ボクの目を見ても、なんとも思わないの?」
……なんとも思わないわけがない。
ずっと思ってきた。
そう──
「……前も言ったろう。綺麗な目をしていると」
途端に大きく息を吸い込むエルマード。月明かりの中でも、みるみる顔色が変わっていくのが分かる。
「ぼ、ぼ、ボクは、その……そ、そんなこと、聞きたいんじゃなくて!」
「じゃあなんだ。男にこんなことを言うのは変だと思っていたからあえて言わなかったが、大きくて可愛らしい目つきだとは思うぞ?」
だから、ちゃんと女性らしい振る舞いをすれば、ひとりぼっちどころか、きっと引く手あまただろうに。そう言うと、ますます顔を赤くして、うつむいてしまった。
「……だって、紫だよ?」
「綺麗じゃないか。淡い青紫の瞳なんて、少なくとも俺は見たことがない。金色の髪といい、本当に珍しくて、そして綺麗だと思う」
「なな、なにを言ってるのさ! アイン、ボクだよ? 目、腐ってない⁉」
ひどくうろたえるエルマードを見て、俺は逆に気分が落ち着いてきた。自分が激情に駆られていても、相手の状態によっては、かえって自分が落ち着くと聞いたことがある。そんな状態だったのかもしれない。
あれほど己の選択を、世の不条理を呪っていたはずなのに、いつの間にか、エルマードを観察している自分がいた。俺は別に嘘をついているわけではないのに、やたらと慌てて俺のことを否定しようとするエルマードの姿を、もっと見たいと思ってしまうのだ。
「あ、アインも知ってるでしょう? 紫の瞳は不吉だって! 不幸を呼ぶって! アイン、それをきれいだなんて、おかしいよ!」
「紫じゃない、青紫だ」
「たいして変わらないじゃないか!」
「違うぞ? 綺麗さは青紫の方が上だ」
「うう~~~~っ! ひ、ひきょうだよアイン!」
なぜか涙目になってしまったエルマードが、ぽかぽかと背中を叩いてくる。
「あ、アインだって、紫の目の
双子は縁起が悪いとか、紫の目は不吉だとか、いわゆる「生まれ」に対しての不吉とされる
「確かに知っているが、だからなんだ? 俺は思ったままに俺の印象を伝えただけだろう。お前の方が理不尽じゃないか?」
「う、う、うう~~~~っ! あ、アインは本当に、本当にずるいよ! ひきょうだよ! そんなこと、ボク、言われたことなかったのに!」
「何が狡くて卑怯なんだ。言ってみろ」
「そ、そういうのが、ずるくてひきょうなんだよっ! もう、もう知らないよ! 心配して損したよ、アイン一人で、勝手におぼれてればいいんだよ!」
ついにはしゃがみこんで泣き出してしまったエルマードに、俺はたとえようもない感情が湧いてくる。
ミルティには決して湧き起らなかった感情だ。
「あ、アイン……? え、な、なに?」
彼女の、ふわふわのくせっ毛が鼻に少々くすぐったい。
「あ、アイン? ……ボクを、からかってるの……?」
「しばらく黙っていろ」
「え? ……んむ──」
彼女の小柄な体は、華奢なようでいて、でも意外なほど引き締まっている──
そんな気がした。
「……ボク、初めてだったんだよ?」
「そうか」
「そうか、じゃないよ。責任取ってくれる?」
「何の責任をだ」
「初めてを捧げた責任だよ」
「そんなもの、取れるか」
ぶっきらぼうに返すと、エルマードは頬を膨らませた。
「ひどい、ボクの心をもてあそんだだけだって言うの?」
「何が心をもてあそんだ、だ。人聞きの悪いことを」
「だってそうじゃない!」
エルマードは、つんとそっぽを向いてみせる。ああ、エルマードは確かにこういう奴だった。人の心をもてあそぶ、小悪魔のような奴。
「こ、小悪魔ってなにさ! だ、だって……男の人に抱かれたの、初めてだったんだもん!」
「文字通りに抱きしめただけだろう。本当に誤解を招くような言い方をする奴だ」
「ほんとに初めてだったんだもん!」
「そういうセリフはな、せめて口づけを交わしたとか、それらしいことをされてから言え」
きょとんとしたエルマードは、目を丸くし、そして急にもじもじとし始めると、上目遣いに俺を見た。
「……アインは、ボク相手に、……そ、そういうこと、したくなる?」
「もっと女らしい体型になったら、どうしようもない何かの気の迷いに、そういう気分になることも、可能性としては否定できないような気もするかもしれないな」
「ひ、ひどいっ!」
抗議するエルマードだが、こんなちんちくりんの少女に
そう、ミルティには抱き得なかった感情──
もう少しで取り返せたはずだったミルティを失って、生きる目的を失った。
──そのはずだった。
だが、放っておけない存在が、すぐそばにいた。
すねてみせているはずなのに、俺の腕の中にすっぽりとおさまったまま、振り払おうとする仕草すらすることのない彼女。
「……俺と一緒に、来るか?」
「……ボク、ずっと、アインと一緒にいるつもりだったもん」
ぼそぼそとつぶやくエルマードに、俺は苦笑を禁じ得ない。
「ずっとは困るな、せめて数年先までにしてくれ」
「やっぱり、ボクをもてあそぶつもりなんだね⁉」
「……お前が独り立ちするまでだと言ってるんだ」
「ぼ、ボクもう、ちゃんと独り立ちしてるもん!」
「……だったら今の話は聞かなかったことに──」
「ぼ、ボクもう少しだけ、独り立ちはやめとく!」
彼女の吐く息が、温かい。
こうしたぬくもりを感じたのは、いつ以来だろう。
「エルマード。もう一度聞くが、もうしばらくだけ、俺と一緒に来るか?」
「……ほんとに、そばにいて、いいの?」
もぞもぞと体を動かして、彼女が俺の方に向き直る。
月明かりの中、目の前の彼女の瞳が、やけに大きく感じられる。
吸い込まれそうな、美しい瞳。
この瞳に見つめられると、たしかになにか、彼女の求めるままに心奪われそうな、そんな気がしてしまう。彼女の言うことをほいほい聞いて、機密区画まで案内してしまった王国兵の気持ちが、なんとなく、分かる気がした。
「……仕方がないだろう。放っておくのも忍びないからな」
「捨て犬を見つけたような言い方、しないでよ」
「似たようなものだろう」
「ぼ、ボクは捨て犬じゃないもん! 一匹狼だもん!」
「あぁはいはい。群れからはぐれた迷い犬だな」
「お・お・か・み!」
「分かった分かった」
改めて、彼女を抱きしめる。
「あ、アイン……?」
「……もうしばらく、こうされていろ」
俺の言葉に、戸惑ってみせるエルマード。だがしばらく無言で抱きしめていると、そっと、その腕を俺の背中に回してきた。
「……アインの背中、おっきいんだね。ボク、手が届かないよ……」
「おまえがちっこいだけだ」
「そ、そんなこと……!」
それで妙に笑えてきた俺に、エルマードが一言二言、文句を言ってきた。
──が、結局そのまま、二人でしばらく、抱き合っていた。
「……ねえ、アイン」
「なんだ」
「……ボク、ほんとに、そばにいていいの?」
「しばらくの間だけな。子供は心配をするな」
「ボク、子供じゃないもん」
「そう言い張る奴は子供だ」
「ほんとに子供じゃないもん」
「分かった分かった、お前は子供じゃない」
「なんだか言い方が雑!」
彼女の抗議は、だが妙に愛らしく感じられる。
まったく、こういうところが小悪魔だというんだ。
「エルマード、お前は──」
「──エル、って、呼んで?」
彼女が、真っすぐに俺を見つめてきた。
その、月の光を宿す美しい瞳で。
「ボク、アインのことが好き。……ううん、今夜こそ、本当に好きになったの」
「……エルマード、俺は──」
「ボク、待つから。アインの気持ち、落ち着いたらでいいの。ボクの目をきれいって言ってくれたアインのこと、ボク信じたいの。ボクが子供だからって言うなら、ボクのこと大人って認めてくれるまでがんばる。だから……」
そう言って、エルマードは、背中に回してきている腕に、力を込めてきた。
「……だから、ボクを、おそばに置いて……?」
そう言って、しゃくりあげる。
「……エルマード、俺はお前のことを、とてもそういう目では見られない」
「うん……今はそれでいいから。ボクの気持ちを、知ってもらうだけでいいから」
その、いじらしい言葉に、胸が熱くなってくる。
幸薄い道を歩んできたと思われるこの少女が、本当の幸せを手にできるようにしてやりたい。
それが、大人としての仕事ではなかろうか。
「エルマード……」
「……エルって、呼んで?」
俺は少々ためらいつつ、彼女の望む愛称で呼んで、改めて華奢な体を抱きしめた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます