第14話:俺と出逢うことが仕事、だと?
凹凸の少ないエルマードの白い肌に、赤黒い穴がいくつも開いて、そこから流れ出す血は、間違いなく彼女の命を奪おうとしているだろう。
「ディップ、頼む、早く出てきてくれ……このままじゃ、エルマードが……!」
焦る気持ちが膨らんでくる。
――おれっちは機を見て自分で脱出できるんで! 旦那とは違うんスよ!
……盗賊として鳴らしてきたディップは、俺よりもよほどすばしこく、目端の利く男だ。彼を信じるしかないだろう。
「……ディップ、必ず戻って来いよ……!」
力の抜けた人間というものが意外な重さを発揮するのを、俺は戦場で何度も体験してきた。エルマードの体はやたらと華奢に感じるが、それでもずしりと重く感じられる。
「俺を探しに来て、こんな大怪我を負ったんだぞ、お前は。……まったく、余計なことを、しやがって……!」
悪態をついてみせるが、反応はない。
「……おい、エルマード! 今日だけは許してやるから、俺にちょっかいをかけてみせろ。いつものように『ボク、アインのこと、だーいすき』とか言って、俺の腕に、ぶら下がってみせろよ……!」
背中に負ったエルマードは、しかし返事をしない。呼吸も、あるのかないのか分からない程度になっている。
「おい! エルマード! この自分勝手野郎め! とっとと目を覚まして、自分の脚で走れ! 上官をこき使って楽をしようなんて、許さんぞ!」
まったく反応を見せないエルマードに、不意に涙がこぼれそうになって、必死に歯を食いしばる。
「起きろ……おい、起きろよ! お前、収容所にいたころから付きまとってきやがったよな。女みたいな可愛い顔つきしやがって、いつ他の収容者にケツを掘られるかって、無駄に心配してたんだぞ、こっちは。本当に女だったなんて、そんなこと、ありえるかってんだ……!」
必死に足を動かす。
森の方からドルクたちが駆け寄ってくるのが見えたのが、俺の精神の限界だった。
「まったく、信じられん」
ハンドベルクが、首を振る。
「どういうことなのか、説明が欲しいくらいじゃ」
ハンドベルクが、信じられないといった表情で部屋を出てきた。
「まったくもって信じがたい」
「俺も信じられん。この数カ月、一緒に暮らしてきて、気づかなかった俺も間抜けだと思うけれど……」
「そういう意味じゃない」
そう言って、彼は切り株に腰を下ろす。
「わしは戦場でいろんな傷の応急処置をしてきたが、あんな傷は見たことがない」
「……そっち?」
「そっちとはどういう意味じゃ」
ハンドベルクが、ギョロリと目を向ける。
「あの傷を見たか?」
「弾の傷だろう?」
「それはそうだが、
……そんな馬鹿なことがあるのか?
「それを聞きたいのはわしじゃ。あの小娘、聞かねばならんことが多そうじゃな」
あれから、ディップは戻ってこない。
エルマードの意識も戻らないままだ。
ここ数日、ミルティのことを考える余裕はなかった。
捕虜となってから数カ月、初めてかもしれない。
戻らないディップ、眠り続けるエルマード。
今後どうするのか、悩み続けていた。
──生きる目的が、なくなってしまった。
どうしたらいいのかが、全く分からない。
ミルティを失い、抜け殻のように生きてきて、そして希望を抱き、また絶望だ。
こんなことになるなら、あんな文書なんて見つけなければよかったと思う。
見つけなければ、愛する人を失う絶望を再び味わわされることなどなかったのに。
明かり取りの窓から差し込む月の光の中で、俺はエルマードの穏やかな顔を見つめていた。
静かな寝息を立てている彼女の、ふわふわな金髪を撫でる。
少しくせのある、柔らかな、金色の髪。今は月の青白い光の中だから、銀色に見えているが。
非常に珍しい色だ。貴族という立場上、領内はもちろん、領外からくる客の接待などをしたこともある。
髪の色といえば、多くは褐色だ。たまに紺などの青系の髪の人間もいる。淡い色というと、俺の髪のような銀、灰色、枯草色などはあっても、こんな、目の覚めるような美しい艶をもつ淡い金色というのは、見たことがない。
きっとどこに行っても、注目の的だったのではないだろうか。
「……それにしても、まさか、女の子だったとはなあ」
ずっと、少年だと思っていた。
──いや、心当たりはあったはずだ。
なぜなら、出会ったころから女のようなツラだと思っていたのだから。
「
だが、こいつは男性棟にいたのだ。話がおかしい。
捕虜になった時点で身体検査を受けているはずだから、当然、収容所員たちはこいつが女の子だと分かっていたはずだ。
……では、なぜ?
体は女、心は男な奴だから?
ありえない、そんな配慮などあるものか。
実は捕虜ではなく、寝食に困って勝手に潜り込んできた?
そんなはずもない。
こいつは間違いなく、あの収容所に収容されていたのだ。
──なんのために。
戦争捕虜収容所。
謎の検査と、俺に与えられた「特
女なのに男性棟にいて、いつからか俺にまとわりつくようになったエルマード。
……考えても無駄だ。
答えは一つしかない。
それしかありえない。
――ボクだってアインのこと、大事に思ってるんだよ?
あの時、あの場の言葉がよみがえってくる。
あれは、俺も実験用動物だからということなのだろうか。
だとしたら、彼女は身分を明かせば、きっと攻撃されなかったはずなのだ。
――えへへ、来ちゃった。
なぜ、自分が死にそうな思いまでして、俺の元に来たのか。
人体を貫通する威力を持つ
あの城の兵の弾が、じつは弱装弾だった……というのは考えにくい。現に、彼女が途中で鹵獲してきたらしい
が、仮に弱装弾だったとしても、彼女はこうしていま、命を落とすかもしれない大怪我を負い、眠り続けている。
――ボクは、やるよ。たとえ嫌われても、アインはボクの、大事な人だから……。
やはり、考えるだけ無駄だった。
答えは一つしかない……そのはずなのに、考えれば考えるほど、分からなくなる。
明かり取りの窓から、月の光が差し込んでくる。
「……お前を教えてくれ、お前の全てが知りたい」
その滑らかな白い頬に、指を滑らせる。
ぴくり、と、その喉元が動いた気がした。
「……エルマード、起きたのか?」
だが、返事はない。
ただの反射だったか、と、ため息をつく。
そういえば、なぜ気づかなかったのだろう。
こいつには、喉ぼとけが無いじゃないか。
目立たない、という次元の話ではない。その滑らかな喉に、喉ぼとけがないことを、俺は今さら知った。
結局、俺という人間は、今の今まで、彼女のことを何も知ろうとしなかったのだろう──そう気づかされる。
ミルティのことばかりを考えて、その救出に一緒に立ち向かう仲間のことを、知ろうともしていなかったのだと。
「共に戦う仲間のことを知ろうともしてこなかったなんて……俺は、隊長失格だな」
だが、仲間「だった」、と今は言わざるを得ないだろう。もはや、彼女は仲間とは言えないのが明らかだからだ。今はとにかく、彼女の目的が何だったのかを知らなければならない。
月を見上げる。
天頂からだいぶ傾いた青白い月が、木々の隙間から見える。夜明けまで、もうしばらくといったところか。
「知りたい?」
……心臓が止まるかと思った。
「えへへ、起きちゃった」
エルマードが、薄目を開けていた。
どことなく、白い頬に赤みが差しているように見える。
「……心臓に悪い起き方をするな」
「だって、……あんなこと言われるなんて、思ってなかったもん」
「あんなこと?」
首をかしげると、エルマードは、はにかむように微笑んだ。
「ふふ……『お前を教えてくれ、お前の全てが知りたい』……だったかな?」
「……いつから起きていたんだ、お前」
「ちょっと前……かな? だいすきな人がボクのこと見てるって思ったら、起きれなくなっちゃった」
まっすぐ見つめてくるのは、こいつの癖なのだろうか。というか、なにが「だいすきな人」だ。どこまでも人をおちょくる気なのか。だいたい、俺なら恥ずかしくて、そんなこと、とても正気では言えそうにない。
「……とにかく、目が覚めたなら結構だ。今は寝ておけ。また明日、話を聞く」
俺の言葉に、エルマードは微笑みながら、小さなため息をついた。
「……アイン、ボクの目をしっかり見てよ」
言われて、その瞳をのぞき込む。
綺麗だ、と、素直に思えた。月明かりでは、こいつの透き通るような青紫の瞳の色の全てを知ることは難しいが、それでも、月の光を宿す彼女の瞳、その輝きは、確かに胸を震わせる。吸い込まれるような瞳、まさにその形容がふさわしい。
「なんだ? お前が王国の密偵の蜜壺罠だってことを白状してくれるのか?」
エルマードの真剣な目が、ふっと、柔らかくなる。
諦めたようにため息をついた彼女は、俺から目をそらした。
「……そんなふうに思ってて、それなのにずっとそばに置いてくれてたの?」
「気づいたのはさっきだ。お人好しだとはよく言われてきたが、それを実感させられたよ」
そう言いつつ、彼女が寝られぬように話しかけているのは俺だ。ベッドの脇から立ち上がる。
「……待って、どこへ行くの?」
「そばにいると、言いたいことが溢れそうだ。明日聞くから、俺はちょっと外に出てくる」
離れようとすると、袖を引っ張られた。
「……ボクなら、いいよ? もう、だいじょうぶだから……」
小屋の外では、夜の見張り当番をしているドルクが
「ああ、隊長。どう……」
言いかけたドルクが、俺の後ろをついてきたエルマードを見て、あっと声を上げかける。
だが、彼はそれ以上は何も言わなかった。しばらくエルマードを見つめたあと、何も言わずに、ふらふらと小屋の中に入っていく。
俺が出てきたことで、見張りの交代だと思ったのだろうか。疲れていたのかもしれない。
「……まあ、いいか。エルマード、話を聞かせてくれるんだな?」
「アインが胸にとどめておいてくれるなら、……ボク、なんだって話すよ」
「そんなことは内容次第だ」
「じゃあ、言えない」
まあ、そうくるだろうな、とは思っていた。
「そうか。じゃあ、拷問にかけてでも口を割らせるだけだ」
「ボク、強いよ?」
「そうか。まあ、敵兵だらけのあの城で、単騎で俺の元に駆けつけたお前だ。相当に強いんだろうな」
俺は小さく笑ってみせると、あらためてエルマードの顔を見た。
俺をまっすぐ見上げるエルマードは、いつになく真剣だった。
「……どうして、なんだろう。アイン、ボクの目を見ても、なんとも思わないの?」
「珍しい色だな、とは思うぞ?」
「……それだけ?」
「なんだ、お前の目は魔眼だとでも言いたいのか?」
そう笑うと、エルマードはうつむいてしまった。
「……で、答える気は無いんだな?」
「……アインは、何を聞きたいの?」
うつむいたまま、かすかに肩を震わせるようにしているエルマード。俺は倒木に腰掛けると、両手を広げてみせた。
「全部」
「……女の子の秘密を全部知ろうなんて、欲の深い人だね」
「認めたな。お前、やっぱり女だったんだな」
俺の言葉に、エルマードはため息をついてみせると、俺の隣に腰を下ろした。
上目遣いに俺を見上げると、少し、すねたような顔をしてみせる。
「何をいまさら。傷の手当てをしてあるんだから、ボクが女の子だってこと、もうみんな知ってるんでしょ?」
「まあな」
「……ボクが寝てる間に、へんなこと、した?」
「変なこと? ハンドベルクが弾の摘出くらいはしたが」
「ウソ。こんな男所帯だもん、寝てる間にいろいろしたんでしょ」
「するか、バカ」
「……ふふ、言ってみただけ」
エルマードが、そっと肩を寄せてくる。
「ねえ、アイン」
「……なんだ」
「アインは、ボクの、何を知りたいの?」
「さっきも言っただろう。全部を教えろ」
「知ってどうするの?」
「知ってから考えるさ」
うつむき、考えるようなしぐさをしたエルマードは、そっと顔を上げて微笑んだ。
「全部話したら、ボクのこと、どうするの? 用済みだろうから、殺す?」
「全部話すなら、悪いようにはしない」
「悪いようにはしないって、アインにとって? ボクにとって?」
「話すのか? 話さないのか? 聞かれたことに答えろ」
エルマードは少し頬を膨らませてみせたが、すぐに俺の肩に、頬を預けるようにして身を寄せた。
「しかたないなあ。でも恥ずかしいから、アインだけに知っておいてほしいことは、みんなには内緒にしてくれる?」
「恥ずかしい?」
「生理の周期とか……いたっ、どうしておでこ、叩くの?」
「くだらないことを言うからだ」
「ひどい、とっても大事なことなのに」
「そんなことを知りたいんじゃない。お前の行動と、その目的だ」
「アインのこと、好きだから……いたっ、またぶった」
「からかうんじゃない。そういう冗談は、今、一番不愉快だ」
今この場で絞め殺したいくらいにな、とあえて無感動に言ってみせると、彼女は俺が何を言わんとしたか、理解したらしい。顔を歪めてうつむき、かすれる声で、ごめんなさい、とつぶやいた。
「謝る必要はない。嘘を言わず、俺が求める情報を、正確に寄こせばそれでいい」
「うん……」
逆上しかけた胸の内を、なんとか鎮める。静かに息を吐くと、改めて聞いた。
「お前は、王国の工作員か何かだな?」
「違うよ」
即答されて、俺はおもわずエルマードを二度見した。
そんな馬鹿な。俺を監視するための工作員か密偵、それがお前じゃないのか?
「だから違うよ」
「……だったら、王国の誰かに、個人的に雇われたということか?」
「だから違うってば」
エルマードは、どこまで本気か分からない笑顔で言った。
「ボクはね、ネーベルラント王立法術研究所から派遣された、特甲種の母体候補素体──
今度こそ俺は、言葉を失った。
ネーベルラント王立法術研究所?
なぜ本国の、それも王立法術研究所が、
王国側の捕虜収容所にこいつを派遣したんだ?
「なぜって顔をしてるね? ふふ、ボクはね? アインに逢いに来たんだよ。アインと出逢うことが、ボクのお仕事だったの」
……俺と出逢うことが仕事、だと? どういう意味だ?
「そのままだよ」
エルマードは、真っすぐ俺を見つめて、微笑んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます