第13話:このうえさらに失うのか、俺は
「えへへ、来ちゃった」
エルマードが、そこに居た。
なぜか薄い毛布のようなものをマントのように体に巻き付け、白い華奢な素足を太腿のあたりまで晒すようにして、裸足で立っていた。
彼の小柄な体では、不釣り合いな大きさに見えるリエンフィールズ
「……お前、なんて格好だ。それに
「ひどいなあ。ボクだって戦えるって、前も言ったじゃない」
彼は微笑むと、排莢して次弾を薬室に装填する。
「フラウヘルトほど、上手じゃないけどね?」
「あいつは狙撃手だ。敵うわけがないだろう」
「そうなんだ、ただの女好きじゃないんだね」
感心するように言うが、そもそもなぜこんなところに、エルマードがいるのだ。顔色も良くないし、息も荒い。
「だって、窓から見えちゃったもん。アインが一人でいるの」
「窓って、お前……」
「だからね? お迎えに行かなきゃって思ったの。みんなアインのこと、すごく尊敬してるみたいだけど、ボクだってアインのこと、大事に思ってるんだよ?」
窓から見えたから、ここに来た、だと?
いや、確かにフラウヘルトたちは、狙撃が俺たちの脱出経路に届く場所に隠れているのだから、そう遠いとは言えない場所だろう。
だが、窓から俺の姿が見えたからといって、どうやってここまで来たんだ?
「えへへ、……内緒、だよ……。それよりアイン、その
「……何をするつもりだ?」
言われるままに貸すと、彼に「アイン、危ないよ?」と部屋を出るように促される。
どうしたんだ? ──そう聞こうとした時だった。
エルマードの表情から一瞬で、それまでの微笑みが消える。
ボウン! ドウン!
「なっ……⁉︎」
突然、彼は黒い箱めがけて、無表情で射撃し始めたのだ。
ハンドベルクによって改造された、爆炎術式を彫り込まれた
「エルマード! やめろ、何をしている!」
「アイン。……そこにある黒い箱が、『ゲベアー』なんだよ……?」
エルマードは、そう言いながらさらに撃ち込んでいく。
ハンドベルクの手製焼夷弾が、部屋をさらに業火で包んでいく……!
……ゲベアー⁉
たしか、王国の連中の言うところの──女性捕虜⁉
じゃ……じゃあ、あの箱の中に、ミルティがいるっていうのか⁉
「や、やめろエルマード! 何を考えている!」
「アイン、ダメだよ……。こんなもの、あったらいけないんだよ……」
部屋が炎で満たされてゆく。
エルマードの弾が当たった箱だろうか。雑に置かれた黒い箱の隅が爆ぜるようにして、中から赤黒い泡が吹きこぼれ始める。
それはジュウジュウと音を立て始め、ひどく生臭く、何かの肉の焼けるような臭いが、鼻を突く──!
「やめろ、やめてくれっ! もしアレが『ゲベアー』だっていうなら、あの箱のどれかに、ミルティが……!」
「アイン……。あの箱のなかにいたとしても、それはもう……『ミルティ』なんかじゃないよ」
「ふざけるな! 俺がどんな思いで──!」
思わず殴り倒す!
だが、エルマードは俺に殴られた頬を押さえようともせず、微笑んでみせて、ゆっくりと立ち上がった。
「……ボクもそう思う。王国のやつら、ふざけてるよね。……王国語じゃなくて、ネーベルラントの古い言葉で、隠語を作るなんてさ」
エルマードは、微笑んでみせた。
あまりにも、痛々しい微笑みだった。
「……知ってる? 古い古い言葉でね、『子宮』って意味だよ。『ゲベアー』は」
「し……子宮?」
頭が追い付かない。
ミルティは確かに女性だ。
だから、子宮──?
「そう、子宮……。
「なん……だっ、て……?」
エルマードは、その力のない微笑みを貼り付けたまま、さらに射撃──黒い箱が、さらに炎上する。
「最近ね、
『アレはいい女だ。私の要求の全てに忠実に応える、最高のオンナだ!』
さっきのクソ野郎の言葉がよみがえる。
あれは、ミルティの肉体を好きに嬲った、下衆な言葉だと思い込んでいた。
だが、エルマードの言葉が本当だとしたら……
ミルティは、
研究者の要求に忠実に応える、
──最高の、実験素材……⁉
「アインのだいすきな人もね……。ここにいても、もう、王国軍のために
エルマードが遊底を動かし、排莢して次弾を装填する。
「だからもう……
生き終わらせる……その言葉に、はらわたがよじれそうな痛みを感じる。
息が詰まる。
呼吸できない。
「……だめだ、やめてくれ……ミルティは……それでも、生きて……」
「ボクは、やるよ。たとえ嫌われても、アインは、ボクの、大事な人だから……」
「やめろ……やめてくれ……!」
エルマードが、哀しげに微笑みながら、引き金に指を掛ける。
「……やめてくれ! お願いだ!」
その目の前で、爆音と共に、箱の一つが弾け飛ぶ。中から丸っこい肉の塊が、赤黒い液体とともにぶちまけられた。
「うわああああああああああああっ!」
その肉塊が身をよじらせたような気がして、俺はエルマードを殴り飛ばした。燃え盛る炎の中に飛び込み、それに駆け寄る。
炎に炙られ、髪が、指が、喉が、焼けてゆく。
生臭いニオイを放ちながらジュウジュウと焼けていく肉塊を抱き抱えようとした、その時だった。
「エルマード、何やってんだ! てめぇ、旦那を死なせるつもりか!」
ディップの声だった。後ろから羽交締めにされ、後ろに引きずられる。
「放せ! ミルティが、ミルティが焼けてしまう……!」
「旦那! 訳のわからないことを言ってんじゃないスよ!」
俺は、ディップによって部屋から引きずり出された。
焼けた喉で、息苦しい。指先が熱い。
「クソッ、だいたい、なんでテメェがここにいるんだ! テメェは後方支援だろ、どっから湧いてきた!」
「ディップ、お前まで、なぜ……」
「旦那がいつまで経っても降りてこないからじゃないスか!」
そう言って、ようやく様子を見に来たらしい王国兵を
「へっ、随分遅いもんだ。よっぽどここの上官は人望がなかったんスかね、ウチの旦那と違って!」
ディップはそう言うと、通路奥の窓を指さした。
「旦那、こっちはもうダメだ! すぐに兵が来ちまう! 突き当たりの窓から飛び降りるっスよ!」
「飛び降りるって──」
「兵の詰所みたいなところの目の前っスからね、まともな脱出口の候補にはならなかったんスよ!」
「それを薦めるということは──」
「今はもう、まともな脱出をしている場合じゃないってことっスよ!」
脱出……
脱出?
どこか非現実的に感じる言葉。
ミルティはそこにいる。
彼女を置いてなど、行けるはずがない……
「いや、俺は、ミルティと……」
「旦那! この部屋に女なんていないっスよ! そんなこと言ってる場合じゃないんスよ! おれっちたちは旦那を信じて、ここまで来たんスから!」
そう言って、ディップは俺の背中を平手でぶっ叩くと、エルマードを抱きかかえて俺に押し付ける。
その時に気づいた。エルマードの奴、粗末な毛布の下に隠した華奢な体のあちこちから、血を流していることに。
俺のところに来るまでに撃たれたに違いない、それも、何発も……。
「早く! おれっちが抑えている間に! ちっとばかり高いスけど、下は草が厚くて柔らかいっスから!」
言い終わる前に一斉に弾が撃ち込まれ、ディップが柱の影に身を潜める。この音はブレン
クソッ、こっちにもラインメタルの
「援護する!」
「そんなのいらねえスから! 早く行くんスよ、旦那! そのクソチビは任せますから! 旦那は隊長でしょう! 頼ンましたからね!」
「ディップ、お前は……!」
「おれっちは機を見て自分で脱出できるんで! 旦那とは違うんスよ!」
「だから! 旦那はさっさと飛び降りるんスよ、今すぐ!」
「……すまない、先に行く! あとでたんまり、酒を奢るからな!」
俺はポケットの
「約束っスよ! おれっち遠慮しないっスから!」
「任せておけ!」
身長の三倍以上はあろうかという落差の地面に向かって飛び降りるのは、さすがに勇気が必要だった。一人ならともかく、今は意識を失ったエルマードを抱えているのだから。
で、やっぱりろくでもないことになった。地面は分厚い草に覆われ、やや傾斜のついた湿った地面は着地と同時にずるりと滑る。エルマードを抱えたまま尻餅をついた俺は、奴の下敷きになるように着地する羽目になった。もちろん支え切れるはずもなく、エルマードを放り出してしまっていた。
しばらく咳き込んでから、俺は慌てて横たわるエルマードに駆け寄る。変な奴だが、それでも俺のために無茶をした人間を、放っておくなんてできなかった。
「エルマー、ド……?」
俺は、言葉を失った。
うつ伏せに倒れているエルマードの体は、覆っていた粗末な毛布がはだけて、少女と見紛うばかりの小柄な体のほとんどを晒していた。
そして、その白磁を思わせる滑らかな白い肌に、幾つもの穴が開いていた。腕や肩、背中、脇腹など、あちこちから血を流している。
明らかに
ひょっとして、俺たちが脱出する際にやたらと兵の集まりが遅かったり少なかったりしたのは、コイツが侵入することで、警備の連中を混乱させたからじゃなかろうか。
もしそうなら、俺はこいつの独断専行に助けられたことになる……!
「……クソッ! おい、エルマード! お前、勝手に来ておいて勝手にくたばるようなこと、するなよ!」
たった今、愛しい人を失ったばかりだったのに、このうえさらに仲間を失うのか、俺は……!
上の方からは、激しい発法音が鳴り止まない。ディップも、なかなか機会を見出せないようだ。
ぐずぐずしてはいられない。ディップが脱出してきたら、すぐさま行動できなければならないのだ。
エルマードを抱えるために抱き起こそうとして、俺は、自分の間抜けさにようやく気がついた。
「エルマード、お前……!」
仰向けに転がったエルマードは、
見紛うとかそうレベルではなく、
誰が見ても、
間違いなく、
少女だった。
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