第12話:最高なのは当然だ、彼女は俺の

 凄惨な解体部屋を出た俺たちだが、完全に当てが外れてしまった。この先、どうしたらいいか──すぐには考えがまとまらない。だが、とにかく、今は脱出するしかない。


 ただ、潜入前に装甲馬車が盛んに出入りしていたということは、まだ撤収作業が完全ではないのだろう。この部屋はもう空っぽのようだが、まだ女性を全員移送できていないということも考えられる。もしかしたら、ミルティがまだそこにいるかもしれないのだ。


「それは分かるが、今は脱出したほうがいいじゃろう。さっきの仕掛けは爆裂術式と爆炎術式の混合の上に燃素フロギストンをたんまり撒いておいたからしばらくは燃え続けるじゃろうが、それが敵襲ではないことも、いずれは露呈する」

「ハンドベルクの言うとおりです。ここはもう、脱出しやしょう」


 ハンドベルクとロストリンクスに促され、俺は必死に歯を食いしばると、脱出を決意した。


 この部屋に繋がる通路の向こうでは、時折廊下を走る足音が聞こえてくる。例の仕掛けは、いい感じに仕事を続けているらしい。こちらに来る兵がいないのも、この部屋の重要度がいかに低いかを物語るようなものだ。


 俺はハンドベルクが改造した弾薬を歩槍ゲヴェアに装填する。この作戦のために、彼が弾を分解してくり抜いて作った、特製の法術ザウバー実包ボルトだ。一つ一つに爆炎術式が彫り込まれた、簡単な焼夷弾となっている。


 詰められている魔煌レディアント銀の結晶が少ないから、着弾時に炎が炸裂して、しばらく燃え上がる程度の効果しか得られないだろうとのことだ。だが爆裂術式のように激しく爆発するわけではないから、狭い場所で発法しても、こちらに被害が及びにくいだろうという話だった。


 ロストリンクスが、地図を広げて指で位置を確認しながら、退路の提案をする。


「ここからなら、地元住人の話だと、この3番の抜け道が使えやす。たしか、出口に歩哨が立っていやしたが、ハンドベルクのこの弾なら、制圧も難しくないでしょう」

「いや、3番の出口だと外で待機しているフラウヘルトから見て死角だから、奴の撤退支援が得られない。確かに少し戻るだけでいいし、この部屋からも比較的近いが、人の流れから考えて発見される恐れもある。少し大回りだが、5番の道のほうがいいだろう」

「ですが、そちらは一階層、上らなきゃならねえですぜ。未知の通路を通るより、少しでも安全に脱出するなら──」

「女連れなら間違いなくそちらを選んだだろうが、今の俺たちには枷がない。だったら、脱出後、フラウヘルトから支援を得て速やかに合流できる方がいい」


 そのときだった。


 ズズン──城を揺るがす衝撃音に、さすがに俺たちも驚く。


「……ハンドベルク、遅発性の爆裂術式の陣でも用意していたか?」

「……そんなもの、あるわけないじゃろ。魔煌レディアント銀だって、そんな派手な術式を起動できるほど、なかったしの」

「じゃあ、今の爆発はなんだ?」

「あれは──」


 ハンドベルクが答えようとしたとき、もう一度、城が揺れてぱらぱらと砂埃が落ちてくる。


「……魔煌レディアント銀は、単純な火では着火しないよな?」

「するはずがなかろう。魔素マナ錬素オドを取り込む結晶じゃぞ?」

「じゃあ今の──」


 三度目の爆発。今度は毛色が違った。はっきりと城が大きく揺らぐ!


「……燃素フロギストンの炎なら、着火するよな?」

「当たり前じゃ。魔煌レディアント銀が燃素フロギストンの特性を取り込むからの。焼夷弾はそうやって──」

「ひょっとして、あの燃やした部屋の上か下が弾薬庫だった、なんて奇蹟は、あったりしないだろうか?」

燃素フロギストンが含む魔素マナが拡散して、弾薬中の魔煌レディアント銀を誘爆させたじゃと? そんな奇蹟、あるわけがない──」


 四度目、そして五度目の小爆発。ハンドベルクが苦笑いで沈黙し、廊下からはひどく混乱する様子が伝わってくる。


「……ない、と言いたいが、あるかもしれんのう」

「旦那。この混乱はいい機会だ、脱出するなら今っスよ!」


 ディップが、自分が着ている王国軍の軍服をつまんでみせる。

 この期に及んでためらう俺に、ロストリンクスが肩を叩いた。


「生きてりゃ、いつか機会は巡って来やす。ここはひとまず、脱出しやしょう」


 脱出──本当なら、ミルティを探したい。

 だが、もはやそんなことは言っていられなくなってしまった。

 俺は歯を食いしばる。

 ギリッ──自分でも分かるほどの、歯ぎしり。


「……作戦は中止だ。これより脱出を開始する。脱出経路は5番だ。行くぞ」




 俺たちが通ってきた道順とは違う道を走る。ディップによれば、5番出口への通路は、詰所の前のようなところを通るときだけは危険だが、あとはいくつかの部屋があるだけの、一本道のようなものだと聞いていた。隠し通路ではなく現用通路を使うが、裏門のようなものだから人通りは少なかったという。


『な、なんだ、お前ら──おぶっ⁉』


 ディップのナイフの柄が奴の鼻先にめり込み、流れるようにノーガンの掌底が、奴のあごの下に綺麗に決まる。階段を抜けた先の兵はその一撃で崩れ落ち、そのまま石造りの螺旋階段を転げ落ちていく。


「旦那、こっちだ」


 ディップが先頭を切って走る。


「旦那、あの廊下の左の部屋。そこの窓の下は、いい感じに木が茂っていて死角になりやすいんで、そこから脱出。いいスね?」

「ディップの判断なら間違いない。行くぞ」


 すばやく部屋に飛び込んだ俺たちは、ロープを窓枠に固定する。こういう城の窓は小さく細長いのが定番だが、ここは比較的大きく、ロストリンクスの大柄な体も問題なく通りそうだった。

 ロープを固定し終わり、窓からロープを投げ下ろしたときだった。


『……残りの積み込みを急げ! おい! そこら辺りの箱はすべて私の私物だぞ、特に丁寧に扱えと言っただろう!』


 妙に聞き覚えのある声がした。


『収容所の騒乱以来、私のキャリアは泥を被ってばかりだ! おい! 丁寧に運べと言っただろう! 貴様の給料何年ぶんだと思っているんだ! 西方方面軍司令に献上する高級品なんだぞ! ……よりにもよって撤収の日に爆発事故など、私の経歴にさらに泥を塗りやがる。全くもってけしからん!』


 どうやらこの施設の上官らしい。

 今の言葉だと、この施設であのおそろしい実験みたいなことをやっていながら、私腹を肥やしていたようだ。

 まったくもって反吐が出る。どこでも人間の腐ったような奴はいるということか。脱出前に焼夷弾をぶち込んでやりたくなる。


「できやした」

「……よし、では先行して退路確保を頼む」

「お任せを。では隊長、お先に失礼しやす」


 ロストリンクスが、素早く窓の外に身を踊らせる。続いてノーガン、ハンドベルク。


 廊下の向こうからは、相変わらず甲高い罵声が響いてくる。こんな陰惨な実験をしていた施設の上官がアレでは、働いていた研究者たちや兵たちは、たまったものではなかっただろう。

 非人道的な実験をしていたであろう連中に同情するのも、おかしな話だが。


『おい、貴様! そこの貴様だグズめ! 私の高貴な私物に、万が一傷が付いたらどうする! 傾けぬように丁寧に運ばんか! どいつもこいつも、モノの価値が分からん田舎者どもめ!』


 その部屋からはヒステリックな声が続く。ドア越しに聞こえる兵士たちの、『そこの部屋の窓から放り捨ててやろうか』などという悪態も聞こえてくる。

 腐れ上官の私物ならぜひそうしてやれとも思うのだが、おそらく放り出せる窓といったらこの部屋の窓のことだろう。今、入ってこられては困る。残念だが勤勉に働いてくれ。


「旦那、お先に」

「ああ。……お前には世話になってばかりなのに、ここのところ、うまくいかないことばかりですまないな」

「ナニ言ってんスか。クソな上官に逆らったおれっちが、ロストリンクスの旦那と一緒に抗命罪で処分されそうになった時、自分の手柄をふいにしてまで庇って、自分の隊に拾ってくれたのが旦那じゃないスか」

「……そんなこともあったかな」


 ディップが、私物がどうのとかいう金切り声の方に向けて親指を向けて、ニヤリと笑ってみせる。


「だからここに、おれっちがいるんじゃないスか。おれっちこそ、旦那の世話になりっぱなしっスよ」


 そこで騒いでいるだけのクソ野郎と違ってね──そう言って、彼はロープを掴む。


「旦那。諦めなきゃ、機会は必ずあるっスから」

「……ああ、ありがとう」

「では、下で」

「ああ、下で」


 ディップが、窓の外に飛び出した、その瞬間だった。


『しかし、この田舎者の掃き溜めの中で、実にいい女だよお前は!』


 甲高い声が、やけに耳に響く。


『お前の残した成果だけで、私は中央に返り咲けるだろう! なあ、椿の君! 我が愛しき──』


 ドクン──全神経が、耳に集まった。


『──ミルティよ!』


 ぐらりと、世界が揺れたような、そんな気がした。


 今、なんと言った?

 なんと言った、そこの無能士官は。




 全身の血液が沸騰したような、そんな錯覚。

 気がついたら、俺はその部屋に駆け込んでいた。

 廊下では誰にも遭わなかった。奇蹟のようなタイミングだった。


『な、なんだ貴様──』


 それ以上しゃべらせる時間も無駄、歩槍ゲヴェアでぶん殴って沈黙させる。


 この無能士官、さっき確かに、『椿の君』『ミルティ』と呼んだ。

 まるで隣にいる存在に話しかけるように。


 椿──彼女は姫椿カメリエの香油を愛用し、俺が贈った姫椿カメリエを模した髪飾りを、いつも身につけていた。

 そして、ミルティの名。


「ミルティ! どこだ、俺だ! アインだ! 君を探しにきたんだ!」


 しかし、どこを見てもミルティの姿がない。床に伸びているそこのクソは、いかにも目の前にいるかのような口ぶりだったはずなのに。


「……おい、お前! ミルティはどこだ! どこにやった!」


 俺は、床に伸びていたクソ士官の胸元を掴むとその頬をぶん殴って叩き起こす。


『き、きき、貴様! ここ、こんなことをして、タダで済むと──』


 さらにぶん殴る。

 あびゃあ、と、豚の方が上品だと思われるような悲鳴を上げたクソ野郎の喉元を締め上げ、もう一度聞く。


「ミルティをどこにやった」

『み、ミルティ……だと? 貴様、なんの権限でそれを……』

「聞かれたことだけに答えろ。ミルティをどこにやった」


 さらに喉を締め上げると、クソ士官は顔を赤黒く染めながら、しかし、なぜか妙な笑みを浮かべた。頭の切り替えがようやくすんだのか、王国語なまりのネーベルラント語でしゃべり始める。


「ふ、フン。貴様、収容所で私の機密書類を焼いた無能だな? 覚えているぞ、あの反抗的な態度! こんなところまで来て、さらに私に反抗してみせるのか?」


 ……言われて思い出した。

 コイツ、あの時の無能士官だ。こんなところでこんな形で出会うとは、本当に運命というのはままならない。


「ミルティだと? どこで知ったか知らんが、アレはいい女だ。私の要求の全てに忠実に応える、最高のオンナだ! アレは──」


 ぶん殴っていた。

 ぶん殴っていた。

 ぶん殴っていた。


「きひだぁっ⁉︎ しゅがっ⁉︎ あべっ‼︎」

「最高の女だと? 最高なのは当然だ、彼女は俺の婚約者なんだからな」

「ぬぉだっ⁉︎ がんぅッ⁉」

「それで? ミルティは今、どこだ」


 拳がいい加減、奴の鼻血で血まみれになったあたりで、再び胸元を掴み上げる。この期に及んで、クズ士官はひきつった笑みを浮かべた。


「は、ははは! 貴様は、自分の女を前にしても分からんのか! あれは実に具合のいい──」


 もう一発。


 鼻を押さえて転げ回るクソ野郎の股間をさらに蹴り上げる。


「はどぅやまぁあっ⁉︎」

「宇宙人と話を続けても無駄だな」


 俺は股間を押さえて意味不明な呻き声を上げ続ける無能に向けて、拳槍ピストールを突きつける。


「ひ、ひぃぃいいっ⁉︎」

「どうだ、お前らの大好きなエンフィールズだぞ? 自分の無能さを恥じて自殺するようなものだ、光栄に思うがいい」

「ま、待て! き、貴様、自分の女を取り返しに来たんだろう? と、取引をしようじゃないか!」

「どうせお前がまともなことを言うとは思えん。クズが無言になるだけだ、ここの兵士たちもせいせいするだろう」

「し、信じてくれ私を!」

「信じる? 少なくとも俺には、その信じる要素が感じられないんだがな」

「わ、私たちは軍人だろう? 軍人同士、ゆ、友愛の精神で──」

「ひとの女を散々に具合がいいだの言っておいて、友愛だと?」

「わ、私には腹案がある! そ、そうだ、見逃してやるぞ! 捜索範囲の、最低でも圏外に……」


 その時、俺は気づいた。奴の目配せを。


「は、は、早く殺せ! そいつは私の・・ミルティを奪いに来た不届者だ、すぐに射殺す──」


 俺が体をひるがえすのと、発法はっぽう音が鳴るのとが、同時だったように思う。


「るぅぴィッ⁉︎」


 眉間に穴を開け、後頭部から脳と脳漿と血とを派手にぶちまけて、奴は最後まで意味不明な悲鳴と共に沈黙した。


「ふう……アイン、ダメだよ。収容所で知ってたでしょ? そいつがいかにダメなヤツだったか」


 そこに立っていた奴を見て、俺は信じられない思いだった。


「……エルマード」

「えへへ、来ちゃった」



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