第11話:ソレは解体中の豚みたいな何か
――おれっちの村は、王国の近くでさ。
かつて、共に王国軍と戦っていたとき、ディップが話してくれた。彼の半生を。
――隊長は、知ってますかい? 三十年戦争末期の、スウォンムの戦いを。
もちろん知っている。秘密裏に張り巡らされた地下坑道に仕掛けられた、無数の爆裂呪印を封じた大量の
それは恐るべき効果を発揮した。地面を、下から大きく吹き飛ばすその爆裂術の存在を、誰が予想し得ただろうか。
――おれっちの村は、軍に接収されてたんスよ。といっても、少しばかり主戦場から離れてて、村全体が怪我人の施療院みたいになってたんスよね。
そこでは、捕虜となった王国軍の将校や兵も一緒に治療を受けていた。とはいえ、なにせ長く続く戦争によって薬草の類は底を尽き、傷口を洗って寝かせておくことくらいしかできなかったという。
――それでも、おれっちの村の奴らは、一生懸命戦って傷ついた兵隊さんだからと、お国の兵隊はもちろん、王国軍の兵であっても、隔てなく、傷の手当はしてたんスよ。建物が足りないから、しまいには外に雨よけの布を張ったような場所であっても、それでも……。
もともと国境に近い村だったため、独特の空気感があったらしい。敵国を憎悪するというよりも、戦のたびに天災から逃れるように山に逃げ、戦争がおさまったら村に戻る──そんな暮らし方だったそうだ。敵を憎むというより、隣国の人間といえども普段からの付き合いの多い存在であり、過度の復讐心は互いを滅ぼすことになると、肌で分かっていた人たちだったという。
しかし、あの日──地面から火柱が立ち上ったあの日、王国軍の大攻勢が、地図を一気に塗り替えた。
ネーベルラント本国側に大きく後退した戦線は、ディップが育った村を王国側連合軍のものとしてしまった。
――隣村、隣国……それだけなら、お互い様って奴を「分かって」いた話だったんスけどね。連合軍となりゃ、話は別でしたよ。
――おれっちはね、ぜってぇに許さねえんでさ。王国軍はもちろん、自由を標榜するヴェスプッチ合衆国の連中も。
弾に消耗する
――信じられるっスか? 自軍の兵ごとっスよ? おまけに死んだ王国兵のぶんだけ、ネーベルラントの女どもに責任を取らせる……連中はそう言って、村の男を皆殺しにして、女たちを……!
まだ少年だったディップは姉に助けられて脱出することができたそうだが、その姉は逃げのびることができなかったそうだ。
そのまま彼の姉は、王国兵どもによって嬲り者にされたのだろう。半年後、ネーベルラントが唯一成功した反抗作戦によって王国軍が一時的に撤退した際、彼女の姉は、実にむごたらしい姿で見つかったらしい。
連中はよほど慌てていたのか、後始末もそこそこに逃げ出していた。その中で見つかったのが、彼の姉だ。大きくなったお腹を守ろうとしたのか、ベッドに縛り付けられ、大きく脚を開かされたまま、それでも身をよじるようにした姿で、腹を裂かれていたという。
――解体中の豚か何かに見えたんスよ、それを初めて見た時にはね。おれっちがドロボーになったのはそれ以来でさ。この世には神なんてものはない、王国の連中も人間じゃないって思って、その復讐のために……!
その経歴が「優秀な斥候」としての彼の立ち位置を作り上げているのだから、人生というものは本当にままならないものだ。そして俺が婚約者を救いたいというわがままは、彼の人生という犠牲の上に成り立っているところがまた、ヒトの運命の不条理って奴を感じさせる。
先ほどの巡回の兵から剥ぎ取った、王国軍の軍服を身にまとっているディップ。彼の人生を狂わせた者どもに擬態しているその背中を追いながら、かつて彼が語ってくれた話を思い返していると、彼がふと、足を止めた。
「旦那、何かおかしい。連中、ここを引き払うつもりじゃないスか?」
「引き払う? どういうことだ?」
「分からねえスけど、おれっちにはどうも、腑に落ちねえんです。あまりにも警備が雑なんスよ。さっきからずっと走り回る音がしてるってのも、研究施設としてはおかしくないスか?」
彼は、壁に耳をつけながら言った。
「走り回る、音?」
「そうなんスよ。ここに潜入したときからずっと、慌ただしい様子で……」
「……そういえば、潜入前も、この城に装甲馬車の出入りがいくらかありやしたね。こんな辺鄙な場所なのに」
ロストリンクスが、無精ひげだらけのあごをさする。
「……まさか、何か不都合があって、証拠隠滅を図っている?」
「防疫や給水でしょう? そんな隠滅すべき機密が、そうそうにありやすかね? それよりも、手狭になってきたか、前線から離れすぎたから研究施設が移動する……というところかもしれやせんぜ?」
「いや、防疫給水研究所っていうのは
そのとき、恐ろしいことに気が付いた。
──防疫。
防疫だ、おそらく兵たちを疫病から守るための研究施設。
俺の呟きに、ディップが、恐るべき仮説を立てる。
「疫病から兵を守るために、疫病の治し方を研究する施設っスよね……まさか!」
ロストリンクスも、同じ思いに至ったようだった。
「病を治そうとする研究をしていて、かえってこの施設内で疫病が広がった……ということですかい?」
ディップとロストリンクスの仮説が正しければ、慌てて研究施設を放棄する理由としては、実にもっともらしい。
「そういえば、さっきの見回りの兵隊も『今夜が最後』とか言うとったの。……つまり、施設内で疫病が広まっちまってどうしようもなくなったから、この施設を放棄して、ほかの新しいところに、というところじゃろうか?」
ハンドベルクの言葉に、全員がうなずく。
だが、俺はもっと恐ろしい仮説を立ててしまっていた。
ただ広がった、というだけではない。
誰が感染していたか、だけではない。
研究のためには、誰かが感染している必要がある。
そうでなければ、研究を継続することができない。
もちろん、研究者自身が感染しているなど論外だ。
つまり研究のために、誰に感染
ミルティは、無事なのだろうか。
それとも、すでに病気にさせられて……?
「……いずれにしても、隊長にとっての愛しの姫さんを助け出すってことに変更は無い。それにこんなカビ臭い地下室じゃ、治る病も治るはずがない。先を急ぐぞ」
ロストリンクスの言葉に、俺たちはうなずいた。
ゴキッ──
ノーガンの鋼のような腕に力がこめられると、首の骨が外れる鈍い音と共に、王国兵の体からだらりと力が抜ける。
ディップが服を剥ぎ取ってノーガンに投げ渡すと、ノーガンも素早く着替える。
「……準備は上々、あとは仕掛けを
己のへその下──臍下丹田に力を籠める。
腹腔回路からの、
じわりと広がる腹部の熱が、体の中心、心の臓、そして腕に伝わり、
「……
正確に
法術を起動させるには足りなさすぎるが、
呪印が施された弾が、
そして着弾──古城を揺るがす爆発音!
『な、なんだ!』
『何が起きた!』
爆音を聞いてだろう、飛び出してきた兵や白衣の男たち。そこへ、いかにも奥から駆けてきたようなディップが、ひどく取り乱した様子で奥を指差して叫ぶ。
よく分からないが敵襲のようだ、警備の連中が応戦している、応援を頼む、と。
間抜けどもが走り抜けたあとで、俺たちがその奥に前進する。
「だんな、こっちでさ。入ったことはないスけど、拾い集めた連中の話の断片から判断するに、間違いなくこっちが女たちが収容されている部屋で──」
駆け込んだ部屋──それを見て、俺たちは絶句した。
それは、どう見ても、人が収容されるような部屋ではなかった。
脱走を防ぐような柵も、鍵すらもなかった。
それは、どう見ても、ただの倉庫でしかなかった。
そこは、妙な生臭さを感じる、壁に空っぽの棚が設置されている部屋だった。
壁に設置された仕切りは、木製の棚でしかなかった。少なくとも、これを多段ベッドと見なすには、無理がありすぎた。
たしかに人ひとり分、頭一つ分程度の幅、高さといった隙間は確保されているように思われるが、人がその隙間で寝るには狭すぎるように見えた。
しかも奥行きが足りない。仮に頭から入って寝たとしても、間違いなく、成人女性なら腰から膝あたりがはみ出すはずだ。膝から下を、棚の中からぶら下げて寝たとでもいうのだろうか。
「ディップ、ほんとうに、ここが──?」
「……旦那、間違いねえスよ。確かにここのはずなんスけど……」
言いかけて、ディップが部屋の奥に走る。そこには、なにやら鉄の鋲が打ち付けられた重たげな扉があった。今は、半開きになっている。
「……うっ」
さらに生臭いにおいが鼻を突く。むしろ腐臭、と言っていい。戦場でかぎなれたニオイだ。
「な、なんだ、この部屋は……」
ノーガンが、部屋を見回して言葉を失った。
だが、それは俺たち全員、同じだった。
部屋自体はそれほど広くもなく、部屋の中央には二つのテーブルが置かれている。天井まで伸びた棚には大小さまざまな瓶が置かれ、その中には、人の臓器のようなものが、薬液に漬けられて沈められている。
暗くてよく分からないが、濡れた石の床は独特のぬめりがあり、気を付けないと滑りそうだ。ところどころに、なにかの塊がへばりついている。無造作にかき集めたような、泥か何かのようなものの山も、部屋の隅に放置されていた。
そして、テーブルの上に転がっているモノ。ソレはまるで、肉屋が解体中の豚みたいな何かを放置していったかのようなモノだった。
ソレが、はらわたをぶちまけるようにしてそこにあった。
顔は革のようなもので鼻だけを残して覆われており、短く刈られた暗褐色の髪は血にまみれている。
すでに治って久しいと思われる、切断された四肢。大きく開かれた股の間には、垂れ流された尿と思われる液体。
なによりも、だ。
下腹を裂かれて腸を引きずり出され、
そこにあったはずの何かを抜かれたような、
理解を拒絶したくなる、
女のようなナニか──
しばらく、誰もが、息をするのも忘れたようだった。
「……ぶち殺してやる! ヤツら、またこんな……!」
「やめろ!」
肩をふるわせ、飛び出そうとしたディップと、それを羽交い絞めにして止めたロストリンクスとの衝突のおかげで、俺は現実に戻ってこれたようなものだった。
部屋の隅にいくつもある泥のような小山は、よく見れば臓物の山のようだった。
床にこびりついているのは、臓物や肉の破片だろう。
防疫給水研究所など、名ばかりでしかなかった。
間違いない。
「防疫給水研究所」という名称は、ここでやっていたことを隠蔽する偽装だ。
防疫などとは全く違う、もっと禍々しいナニかを、連中はしでかしている。
それが何かは分からないが、少なくとも、まともな精神でできることじゃないことだけは確かだ。
ミルティは、本当にここにいたのだろうか。
ぞわり、と背筋に冷たいものが走る。
考えるな。
俺は彼女が生きていることを信じるだけだ。
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