第10話:昔、人体実験の対象を、隠語で

 目的地は定まった。だが、そこからが難関だった。

 ベイターインク防疫給水研究所──それがどこにあるのか、まったく情報が無かったのだ。


 おまけに、先日のアテラス駅爆破によってだろう、あちこちで警備に当たる兵がずいぶんと増えたように思う。あの狂言を口実に、連中が押さえている占領地の支配を強化しているのかもしれない。連中の思惑に乗ってしまったことも、腹立たしいことのひとつだった。


「……旦那、だめだ。『防疫給水研究所』ってなら衛生管理部の所轄だと思うんスけどね? これまた気味が悪いほど情報が無いんスよ」

「防疫部、給水部、という部署と建物自体はあるみたい。でも『防疫給水研究所』なんて施設、どこにあるか全然わかんない。ねえアイン、ホントにあるの?」


 ある日、ディップが疲れた顔で、そしてエルマードが困ったような笑顔で戻って来て、それぞれ言ったものだ。


 王国の連中に嗅ぎ付けられないよう、転々としながら、俺たちは情報を集め続けた。しかし、「ベイターインク防疫給水研究所」などという施設の情報には、たどり着けないでいた。


 再び、焦りばかりが募っていく。

 あの時、あの装甲馬車を追うことができていれば。

 ──そればかりが、頭をよぎる。


 実際、みんなはよくやってくれていた。

 しかし、雲をつかむような現状では、どうにも徒労感ばかりが蓄積していく。情報の切れ端はつかめるのに、いざ本腰を入れると、カスミのように消えてしまうのだ。


「……ロストリンクス、お前はどう思う?」


 俺はずっと、確信めいた思いを抱いていた。おそらく、ロストリンクスも同じだと信じて。

 彼はしばらく腕を組んで黙っていた。そして、ポツリと漏らす。


「……我々が瓦解がかいする覚悟を持たぬ限り、滅多なことは言わぬほうがいいでしょうな。誰かが先回りをして、情報を握りつぶして回っているかもしれないなど」

「……そうか、お前もそう思っているんだな」

「続いていやすからね、この不可解な状況が」


 ロストリンクスもため息をもらす。

 彼がそうしてみせる程度には、難しい局面だということだ。


 ロストリンクスは首を振ると、「では、失礼しやす」とそばを離れる。

 彼の背中を見ながら、その言葉が頭の中に繰り返された。


『我々が瓦解がかいする覚悟を持たぬ限り、滅多なことは言わぬほうがいいでしょうな』


 逆に言えば、それなりの覚悟を持ってことに当たらなければ、いつまでもこの状況が続くということだ。

 ──ならば、やはりここはあぶりだすよりほかないのか。獅子身中の虫を。


「そうだな。この状況を覆すためにも……」




「装甲馬車が頻繁に出入りしているのが、この城か?」

「ああ、そういう話だよ」


 その情報を持ってきたのは、フラウヘルトとエルマードの組だった。

 観光に供されていた城と違って、この朽ちた古城には、灯りは見られない。城といっても、規模としては少々大きめの砦といった風情だ。小高い丘の上にあり、岩の崖が天然の石垣のように機能している。


 ベイターインク防疫給水研究所、というから、てっきりそういう建物があるのだと思い込んでいた。だが、こうした既存の建物を流用していれば、確かに費用対効果は悪くなさそうだ。


 今もまた、装甲馬車が一台入って行き、入れ替わるように装甲馬車が一台、出ていく。何やら慌ただしそうだ。


「丈夫さを活かした弾薬庫という可能性は?」

「それもありやすが、こんな、前線から離れた場所に弾薬庫をわざわざ設けやすかね?」


 ロストリンクスの言葉に、俺はうなずかざるを得ない。


「やはり突入するしかないが、もし騒ぎになって、そしてここでなかったら、ミルティのいるところまで警備が強化されやしないか?」

「かもしれやせんが、『たられば』を言っていてもしょうがないですぜ?」

「……そう、だな。ここにいなければまた、探すだけだな」


 そこで、ドルク・エルマード・フラウヘルトの狙撃班を万が一の時の撤退支援に就け、ロストリンクス・ハンドベルク・ノーガン・ディップ──そして俺の潜入班に分かれての行動となった。


「どうして? ボクだって役に立つよ?」


 狙撃班として、置いてきぼりを喰らうことになったことが不満らしいエルマードを無視し、俺はロストリンクスに声をかける。


「ロストリンクス、頼りにしているが、無理はするなよ」

「一番無茶をしかねない隊長に言われるようでは、おしまいでさ」




 地元の住人によれば、この廃城は過去の戦争で落とされ、廃墟となって久しいという。ただ、丈夫なことは間違いなく、今も複雑な構造を残したままだそうだ。


『子供の頃は、よく遊んだもんです。王国軍の連中が出入りするようになってからは近寄ることもできんのですが、抜け穴がいくつかあって、そこから入れるかもしれません』


 その言葉通り、俺たちは兵の警備がなされておらず、潰されてもいない抜け穴をひとつ、見つけた。地元住人の情報提供には、感謝しかない。おまけに、聞き取ったことを元に略図を作成した俺たちは、ディップによる偵察を何度か実施。ある程度の情報もつかむことができた。


 潜入に使った隠し通路は長年使われていなかったようだ。だが、何度かの偵察のおかげか、蜘蛛の巣ひとつなく、大した障害もなく、俺たちは素早く前進する。


 最後に、階段の先の天井となって行手を塞ぐ岩に耳を当てていたディップが、静かに指で待機を指示し、ノーガンがディップの指示通りに岩の板をゆっくりと押し上げていく。


 そこは、暗く、誰もいない部屋だった。削り出した岩そのままに積み上げたような、乱積みの石壁の部屋。おそらくは木の扉があったのだろうが、今は小部屋と廊下の間に遮るものはなく、廊下の向こうから、薄ぼんやりとした光が漏れてきているのがわかる。


 ディップが素早く外に出ると、石畳に耳をつけた。少しだけ様子を窺い、そして前進の指示を出す。


 俺たちも素早く階段から出ると、壁に張り付くようにして身を潜める。

 廊下の向こうから、微かに声が聞こえてくるのが分かる。だが、何を話しているのかまでは分からない。


 足音を一切立てないディップが先行し、それに俺たちが続く。廊下の曲がり角まで来たとき、ディップが俺たちに止まるように指示した。ナイフの先に小さな鏡を付け、そっと廊下の向こうに差し出す。


「……誰もいない。が、隠れる場所もない。ノーガン、おれっちに続け」

「おうよ」


 ノーガンは拳を固めると、ディップと共に素早く廊下を駆けて行く。足には靴ではなく革を巻きつけているため、足音はほとんどしない。


 ディップの手信号で、俺たちもそれに続く。

 ディップは鏡で確認をしてから、俺を呼びつけた。


「旦那、この先の階段なんスけど……普段は誰もいないんスけど、今日に限ってこの先からはかなり物音がするっスから、排除が必要かもしれないス」

「……まだ、この段階で法術ザウバー火槍バッフェを使う訳にはいかないだろうな」


 俺は、懐に忍ばせたエンフィールズ拳槍ピストールに手を伸ばした。


「そうスね。おれっちが先行するんで、ノーガンを借りるっス」

「ノーガンは格闘戦が得意だったな。……分かった。障害の排除を頼む」

「旦那は後詰をよろしくっス」

「いいのか?」

「おれっちがヘマをしてどうしようもなくなったら、隠れてる場合じゃないスからね。あとは火槍バッフェの出番っスよ。ロストリンクスのおやっさん、隊長もヘマをやらかしたときは、おやっさんの判断で暴れてくれっス。ハンドベルクの爺さんも」

「──心得た」

「やれやれ、年寄りは座らせておくもんじゃぞ」




 ディップがノーガンと共に、石の階段を登っていき、俺がその後に続く。手にずしりとくる、エンフィールズ拳槍ピストールの重み。

 基本的には鈍器として、無音の襲撃に利用するつもりだ。これをぶっ放すということは、隠密行動を放棄することに他ならないからだ。もちろんそれは、大抵の場合、作戦失敗を意味すると言っていい。


 しばらくいくと、ディップが手信号を示した。──「止まれ」。思わず息を呑む。


 話し声と共に複数の足音が迫ってきた。こちらは狭い階段。もう少しで黒々と口を開く通路への入り口があり、そこから足音が聞こえてくる。

 たわいもない会話だった。おまけになまり・・・が感じられる。王国でも、田舎の出身の者たちのようだ。どうも王国女と我が国の女の味比べ・・・という、下品な品評らしい。胸糞悪い思いを抑え、暗がりに身を潜めて奴らが通り過ぎるのを待つ。


『そういえば、穴といえば、この地下室って、何かあったっけか?』

『空っぽの小さな部屋があるだけだぞ』

『行ってみないか? どうせもう、今夜で終わりだ。何かお宝があったら……』

 

 ──馬鹿野郎! 余計な時に余計な好奇心を持つな!


『お前、配属されたばかりだから知らないみたいだが、こんな古ぼけた廃城に、お宝なんてある訳ないだろう』

『ははは、冗談だ』


 二人の足音が徐々に迫って来る。

 この時間がもどかしい。


 ──早くそのまま通り過ぎてくれ!


 俺の願いを、神はどうとらえたのだろう。

 通り過ぎようとした二人組のうちの一人が、階段側の通路に目を向けたようだった。


『どうした? やっぱりお宝探しに行くのか?』

『今、息をするような音が聞こえなかったか?』


 ────⁉

 戦慄が走る。見つかっただと⁉


『息をする音? ……おい、まさか幽霊でも出るってのか?』

『そんなわけがないだろう。ただ、前もゲベアー・・・・を持ち出して、この地下室の奥でこっそり味見・・をしていた馬鹿がいてな』

味見・・って……え? アレ・・勃てて・・・、しかもヤる・・奴がいるのか?』

『なんでも締まり・・・はいいらしいぞ』


 ゲベアー!

 前にも聞いたぞ、あの箱の中身を指して、連中は言っていた。

 エルマードはあの箱の中身は女性だったと言っていた。ミルティも見かけたと。

 勃てる・・・とか締まり・・・がいいとか、下品な表現からも間違いないだろう。ゲベアーとは、捕虜となった女性たちを指す隠語に間違いない!


『すげぇな。アレでヤれるだなんて、世の中は広いぜ』

『もちろん、持ち出した奴は機密保持のために呪殺じゅうさつだ』


 ため息をついた一人が、歩槍ゲヴェアを肩から下ろすような聞こえた。


『しかたがない。もしゲベアー・・・・抜く・・変態・・を見逃したら、当直が処分される。最後の当直で貧乏くじを引くのは勘弁だ。行くぞ』

『クソッ……。感性が未来にイッてる変態野郎のせいで、面倒くさいことが増えちまった。恨むぜ』

『ついさっき、どうせ今夜で終わりだからと地下室でお宝を探そうって言っていたくせに、よく言う。さあ、さっさと確認しに行くぞ』

『もしも変態野郎がいたら?』

『捕まえて縛り上げるだけだ』

『……だれもいなかったら?』

『オレの空耳だ。……行くぞ』


 ──嘘だろう⁉

 くそっ、よりによって俺たちが侵入したときに、ちょうどクソ真面目野郎が巡回だなんて!


 ディップが一瞬、こちらを向く。やるしかない。うなずくと、彼はすぐに向き直った。ディップのすぐ後ろのノーガンも、こぶしを握り締める。


 コツ、コツ──


 やけにゆっくり迫って来るように聞こえる、二つの足音。

 自分の心音がやけに大きく打ち鳴らされているように感じられて、俺はつばを飲み込むことすらためらわれた。


 相手は二人。こちらは五人。

 単純な力比べなら、相手の歩槍ゲヴェアを抑えることができれば、すぐ制圧できる人数だ。


 だが、二人を同時に無力化できなければ、どちらかが必ず大声を上げる。

 ここで取り押さえに失敗したら、大きな声を出されたら、万が一逃げられたら。

 むしろ拳槍ピストールで確実に射殺してしまった方がマシなのではないか。


 そんな考えが浮かんできてしまうほど、焦りが募る。

 先頭のディップは、凍ったように息をひそめて動かない。


 頼む、こっちに気づくな。

 せめて、せめてこちらが先制できるまで……!


『ん? なんだ、こんな──』


 先を歩いていた男が、立ち止まって何かを言おうとした。


 その瞬間、しなやかに立ち上がったディップの短剣が、胸の中央やや右下・・から滑り込ませるように、男の胸に吸い込まれていく。

 ノーガンがもう一人の隣の男の喉を握りつぶすと、素早く後ろに回って丸太のような腕で首をかき抱き、へし折る。


 ──それはまさに一瞬の出来事だった。


 びくん、びくんと痙攣する男たちを階段に引きずり込むと、ディップは素早く二人が身に着けているものをあさった。

 エンフィールズ拳槍ピストールとリエンフィールズ歩槍ゲヴェアを各一ちょうずつ、予備の歩槍ゲヴェア用の魔素マナ実包ボルトの五発挿弾子クリップを合計三つ手に入れると、ディップはそれらを俺たちに手渡す。


 残念ながら拳槍ピストールの予備弾倉は手に入らなかったが、ないものねだりをしても仕方がない。こうして敵の装備を鹵獲ろかくして活用するというのは非正規兵のやりくちだが、今の俺たちはまさにそれなのだから、手に入るだけマシというものだ。


「それにしても、ゲベアーねえ……。歩槍ゲヴェアと聞き間違えるほど紛らわしいが、本来はどういう意味じゃろうな」


 首をひねるハンドベルクに、俺も同意する。


「分からない。だが、少なくとも捕虜にした女性を指す隠語なのは確実だな」

「昔、人体実験の対象を、隠語で『丸太』と呼称していた集団がいたということを、聞いたことがある。ゲベアーとやらの由来も、ろくなものではないのじゃろうなあ……」


 ──人体実験……!

 想像もしたくない言葉だ。

 人体実験の対象者が「ゲベアー」と呼ばれるのだとしたら?


 背筋に冷たいものが走る。

 早く、早くミルティを助け出さなければ!



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