第9話:いるなら連れ戻しに行くだけだ

「……見たことない天井だ……」


 ぽつりとつぶやいてみる。

 丸太小屋のような天井。

 どこなのだろう、ここは。


「……アイン? ──アイン、起きたの?」


 ガバっと突然、俺の上に掛けてあった薄っぺらな毛布──よく戦場で支給された、無いよりマシというペラペラな毛布──が跳ね上がった。同時に、少女と見まごうばかりに華奢な白い背中を晒したエルマードが、胸元を毛布で覆いながら振り返る。

 一瞬、驚いたような顔をした彼は、やがてじわりと顔を歪め、そして、飛びついてきた。


「アイン……! 二日間寝てたんだよ! ボク、もうダメかと思った……思っちゃったの! よかった、ホントによかった……!」


 すがりついてくるエルマードの金のふわふわの髪が、妙にくすぐったく感じられる。徐々に思い出してきた。俺は、あのアテラス駅で、赤い将校服の男にやられたんだ。

 生きていたのか、あれで。

 8発も弾を撃ち込まれ、それでもなお、生き延びてしまったのか。


 ──いや、違う。8発撃ち込んでなお、それまで殺す気がなかったのだ。奴は射撃が得意らしかった。つまり、わざと急所を外したのだ。なんという嗜虐しぎゃく趣味なのだろう!


 それで、俺はまた生き延びてしまった。

 ミルティが死んでしまったというのに。


 おまけに、こうして仲間に心配をかけてしまった。エルマードのような年下の者にまで。


 胸にかじりつくようにして泣きじゃくるエルマードの、ふわふわの金髪に、つい手が伸びる。


「悪かった……心配かけて」


 彼の、やや癖っ毛のふわふわな髪に指を滑らせる。ああ、柔らかい。


 ……柔らかい?


 最後の記憶を、必死で辿る。

 そういえば、俺はどうやって、あの場から脱出したんだ?

 至近距離から8発も弾を撃ち込まれ、動けなくなった俺が。


 確か、あのとき、最後に撃たれたと思った瞬間、何かに力強く抱き抱えられたような気がする。


 上等な毛布に包まれたような感触、しなやかな筋肉の躍動、そして小麦を練った生地のような、あたたかく柔らかな何かに包まれるような──


 気がついたら、俺は、エルマードと目が合っていた。

 彼の頭を、撫でながら。


 窓から差し込む日差しの中で、透き通るような美しい、淡い青紫の瞳が、きょとんと、俺を見つめている。


「……あ」


 どちらが先に声を漏らしたのか。

 だが、それが起爆剤になったみたいに、みるみるうちに白い肌──頬が、顔が、首筋が、真っ赤に染まっていく。


「あ、……アイン、さま・・……」

「……さま・・?」

「いえ、あの、ぼ、ボク……ボクは……っ!」


 弾かれたように体を起こしたエルマードは、けれどもすぐさま俺から毛布を剥ぎ取るようにして、それを胸元に抱き寄せた。俺に背を向けベッドから飛び出すと、何やら大慌てて服を着始める。


 男同士なのだから、そんなに神経質にならなくてもいいのにとも思うが、すぐに、彼が何を感じたのか思い至り、俺は頭を抱えたくなった。


 きっと彼は、俺が彼の頭に手を伸ばしたことで感じたのだろう、そういう・・・・危機を。

 ……いや、俺は男色に興味なんてないから!


「み、みんな起きて! アインが目を覚ましたよ! ねえ、みんな! アインが起きた! アインが起きたよ!」


 真っ赤に染まった顔のままに叫ぶエルマードに、俺はただ、苦笑いだ。よほどみんなを叩き起こさなければならないような危機感を覚えたらしい。


「アインが起きたよ! ねえ、どうすればいいかな!」

「……落ち着くんじゃ、エル坊。隊長はあちこち穴だらけなんじゃ、痛いところだらけに決まっとるじゃろう。どうするかなんぞ、本人に聞いたらどうじゃ」


 ハンドベルクにたしなめられたエルマードは、しかし取り乱した様子が収まる気配を見せない。


「そ、それはそうだけど、でもボク、ボク……!」

「旦那のことが心配なのは、てめぇだけじゃねえ。でもって、騒いだって傷が治るわけでもねえ。ちったぁ黙ってろ」


 ディップが、床に座って壁にもたれかかったまま、帽子のひさしを少しだけ持ち上げた。「ボクはナニかをされかけた」とでも言いたげなエルマードの言葉を遮ってくれて本当にありがとうディップ。俺の名誉がちょっとの間だけ守られたような気がしないでもない。時間の問題だろうけどな。


「……で、旦那。気分はどうっスか? ずいぶんうなされてたっスけど」


 うなされていた?

 ……だめだ、記憶にない。


「……そ、そうだ! 作戦は……!」

「失敗です。……いや、駅の爆破には成功したんで、そっちはいいんですが……」


 ロストリンクスが、珍しく言葉を濁す。

 ……ああ、そうだな。主目的が達成できなかった。

 それも、奪還目標だった女性たちの全滅という形で。


 それも、連中に渡さなかった、という意味では、成功したと言えなくもない。

 だが、俺は婚約者を──ミルティを取り戻すために行動を起こしたのだ。指揮官が目指していた最大の目的が失敗となれば、言葉を濁したくなるかもしれない。


「……ちょっといいですかい?」


 ロストリンクスは、俺を引きずるように外まで連れ出した。

 普通、そこは建前でも、歩けるかどうか、確認しないか?




「先日も言いやしたが、計画が漏れていたのは明らかです。それも、あの場で決めたことが覆されていた──直前に漏れたんですよ、情報が」


 ロストリンクスの言葉に、改めて衝撃を受ける。

 情報が漏れていた──それ自体は仕方がない。脱走したことは明白なのだ。漏れていても仕方がない。だが、直前にとは?


「前にも言いやしたが、どこに仕掛けを作るかってのは、あのときにハンドベルクが決めました。具体的な場所を知っていたのは、ハンドベルクと自分、そして隊長だけです」


 ロストリンクスの、厳しい表情が胸に刺さる。


「あの時、自分は運よく、フラウヘルトと一緒に追い出されたハンドベルクに聞いたから、作戦と爆破点の設置場所を知りやした。脱出のためにどこに設置したかを説明したのは、潜伏のために厩舎きゅうしゃに移動してからです。つまり、それ以降に漏れたってことです」


 そんな……それでは、まるで、俺たちの中にスパイがいるようなものじゃないか!


「奴らの監視体制が、悔しいが優秀だったという可能性は?」

「その恐れもなきにしもあらずですが、自分たちもあの地にあっては多勢に無勢とはいえ、一応はその道の人間ですからね。何をどうすればどうなるのか、十分に理解した上で作業しやした。その上で、あの爆発です。全ての爆破点が筒抜けだっただけでなく、それ以上に、実に効果的に・・・・吹き飛んだことを考えれば、連中には、こちらから情報が渡っていたと考えるよりほか、ありやせん」


 効果的に吹き飛んだ──あの、檻の惨劇が鮮明に脳裏に蘇ってくる。


「……どうしやした? 顔が青いですぜ?」

「……なんでもない、なんでも……」


 戦場で、もっと凄惨な現場を目にしてきた。

 悲惨というだけなら、ずっと悲惨なありさまを。


 ──だが、ミルティ……!

 君を、俺は、ついに守ることができなかった……。


 ……いや、待て。

 効果的に吹き飛んだ・・・・・・・・・──つまりあれも、あの惨劇も、奴らが仕組んだということか?


『仕込んでみれば多少はモノになるかと思ったが、とんだ馬の骨よ』


 軍装騎鳥クリクシェンに乗った、あの赤い将校服の男の言葉。

 仕込んだ、と奴は言った。つまりあの惨劇は、連中の予想通りだったと?


 ……いや、そんな馬鹿な。そこまで計算できるものでも──


 ──していたとしたら、どうする?

 仮にあれほどの惨劇までは想定していなかったとしても、少なくともあの檻の中の女性たちを加害することができるだけの、明確な意思があったとしたら?


 ──血に塗れた、姫椿カメリエの香油の香りがする栗色の髪。


 ミルティ……俺は、君を助けることができなかった。

 この悲しみを、怒りを、俺は、どうにも処理できないのだ。


 心優しい君のことだ、俺が生きていたことを喜んでくれるだろう。

 復讐など、望まないかもしれない。


 だが、俺は許せそうにないんだ。

 あいつらを。


「……ロストリンクス、このことを、中の者は?」

「まだ言っておりやせん」

「ロストリンクスは、目星を付けているのか?」

「…………」


 彼は、意味ありげな目で俺を見る。


「今は言えない、ということか?」

「こう言っちゃあ何ですが、隊長はお人好しですからな。自分が考えを申すのは簡単ですが、そうすると、そいつをそういう目で見ることになりかねません」


 にやりと笑ってみせるところに、戦場でも頼りになった叩き上げの彼の茶目っ気を感じる。


「……そうか。すまない、頼りにならない上官で」

「なぁに、それで今回の戦いも生き残って来てるんです。自分は、隊長が、自分の隊長でよかったと思っておりやすよ」

「本当に、頼りにしている」


 俺の言葉に、ロストリンクスは小さく笑った。


「ともかく、今回も生き残りやした。ただ、今後です。自分たちは脱走こそできやしたが、残念ながらここはもう、敵国同然。脱出できたからといっても、祖国ネーベルラントとは思わない方がいいでしょう」

「なあに、もう俺の目的なんて、二度と果たせないんだ。あとは、力尽きるまで暴れるだけさ」


 笑ってみせる俺に、ロストリンクスも不敵に笑った。


「いいんですかい? そんなことを言っちまうと、自分も地獄の底までお供しちまいやすぜ?」

「ここまで生き延びてきたのに、俺みたいな無能上官に付き合う必要なんてないんだぞ? むしろさらに生き延びて、さらに暴れて、王国の連中を恐怖のどん底に叩き落としてくれた方が、祖国のためになるだろうに」

「確かに、隊長は、上には無能に見えるでしょうが、おかげで自分は、ずいぶんと楽しく暴れさせてもらいやしたからね。自分にとっても、都合がいいんでさ」


 馬鹿な奴だな、と俺が笑うと、無能上官の副官なんて、自分くらいのバカがちょうどいいんでさ、とロストリンクスも笑う。


 俺はロストリンクスと、手のひらを重ねる挨拶を交わす。最上級の、親愛の情を込めた挨拶。

 初めて彼の上官となってから、俺はずいぶん助けられた。人生の最期まで付き合ってくれるようないい部下に恵まれたと、俺は感慨深い思いを胸に、改めて部屋に戻る。


「……で、旦那。これからどうするんスか?」


 ディップが、帽子を傾けて片目で俺を見上げる。


「アインはまず、ちゃんと休むべきだよ! ほら、ベッド、整えておいたから!」


 エルマードが、俺の手を引っ張るようにしてベッドを指差す。いや、ありがたいけど、引っ張らないでくれるとうれしいんだが。


「……そういえば、俺の身体中の弾は、一体……?」

「わしが抜いておいた」


 ハンドベルクが器用なのは知っているが、工兵の彼に体を弄られたっていうのか、俺は。俺はぬいぐるみじゃないんだぞ?


「ぬいぐるみじゃと? 人体なんぞ、邪魔なモノさえ抜いちまえばあとは勝手に治るんじゃから、ぬいぐるみの修理よりよっぽど簡単じゃ」

「おい、俺はぬいぐるみよりも雑でいいっていうのか?」

「なんじゃ、それ以外にどう聞こえた?」


 周りから笑いが起きる。くそっ、お前ら。俺も笑いながら、なんとかベッドに体を横たえる。

 だが、不思議な感覚だった。


 痛みはある。間違いない。

 だが、撃たれた二日後に、いくら弾を抜かれたからといって、こんなに動けるものなのだろうか。

 そっと傷口を見る。


「……もう、肉が盛り上がってきている……?」


 いったい、どうなっているんだ? 法術でも使わなければ、こんなこと、あるはずがない。

 誰か、治癒呪印でも持っていたのだろうか?


「……で、本当にこれからどうするおつもりで?」


 一人で何やら岩の塊のようなものを両手にそれぞれ持って上げ下げしながら、ノーガンが聞いてきた。ドルクが、ナイフを磨きながらノーガンに続ける。


「駅を吹っ飛ばすことはできたが、目標の奪還は失敗。脱走はできたが、ここは山の中の炭焼き小屋。いつ警備兵に見つかるとも限らない。同じように別の駅を襲おうにも、これからは厳しいだろう。アイン、どうするんだ?」

諫言かんげん、耳に痛いな。確かにその通りだ」


 ため息をついてみせてから、しかし笑ってみせる。


「その通りだが、だからやめる、という選択肢は、俺には無い。だがそれは、俺がもう、失うものが何もない人間だからだ。俺はこれからも戦い続けるが、お前たちにそれを求めることなどしない。ここで抜けるのも自由だ」

「……アイン、それはボクたちに、ここであきらめてって言いたいわけ?」


 エルマードが、いぶかし気に俺を見る。


「そうだな。そういうことだと思ってくれ」

「どうして? アインは、まだ取り戻してないんでしょ?」

「取り戻せなかったさ。……もう、二度と、永遠に、取り戻せないんだ」


 あの時の血まみれの檻の中。

 二度と、二度と還らぬ日々。


「なんで?」

「……おいガキ、何も知らねぇてめぇは黙ってろ」

「だっておかしいよ! アインはまだ、目的を達成してないんでしょ?」

「ガキは黙ってろって言っただろう!」


 ディップに怒鳴りつけられたエルマードだが、彼は全くひるむことなく、俺に向かって言ったのだ。


「だって、アインが取り返したかったものって、あの装甲馬車の中にあったんだから」

「……なに?」


 俺はエルマードを改めて見返した。


「どういう意味だ」

「そのままだよ。あの装甲馬車の中に、アインが欲しがってたのがあったのに」

「……嘘をつけ。あの中身は、どうせ新型の武器弾薬だったんだろう?」

「違うよ。箱に詰め込まれてるの、女の人だったもん」


 それを聞いた時、俺は耳を疑った。

 あの頑丈そうな箱の中身が、女の人……⁉


「……でたらめを言うんじゃねぇ、ガキ。どう見ても人間が入るには小さかっただろうが」

「人間を箱に詰め込むなんて簡単だよ。寝かせる以外にも、方法はあるんだから」


 ……その発想はなかった!

 言われてみれば、正体不明とはいえ「甲種」合格という、最上の資格を得たはずの女性たちを、あんな無防備な馬車で運ぶはずがないじゃないか!


「ガキ、なんでそう言える。証拠でもあるのか」

「だってボク、見たもん。箱の中身」

「なんだと⁉」


 いきり立つ皆に、エルマードは言い放つ。


「うん。女の人だった。一人は、栗色の長い髪で、……花の、ええと……」


 ──花⁉


「いま、花と言ったな⁉ どんな花だ、椿だったか⁉」

「……あ、うん。そう、それ」


 真顔で俺を見つめていたエルマードが、俺をまっすぐ見つめたまま、口元を緩めてゆく。


「椿だった。うん、間違いないと思う」

「その花がどうした、香油か? それとも髪飾りか⁉」

「香油は分からなかったけど、椿の髪飾りをしてた」


 椿の髪飾り……俺が贈った、姫椿カメリエの花を模した髪飾りに違いない!

 俺は歯噛みする。

 俺は、目の前にミルティがいたかもしれないというのに、勝手に絶望していたってことか⁉ 


「……一杯食わされたってことか? 俺はてっきり、新型歩槍ゲヴェアだと……!」


 だが、だとしたら希望はある!

 「ベイターインク防疫給水研究所」とやらへ行くだけだ!


「アイン、そんな体で何ができるっていうんだ?」

「止めるなら構わないさ、ドルク。俺はどうせ死んだようなものだ。たまたま生き延びてしまっただけだ。別に付き合ってくれなくていい、ドルクは……」


 言いかけた俺の頭を、ドルクが「今さらナニ言ってんだ。すでに乗ってる船だぜ?」とはたく。

 皆も、次々に同意を口にしてくれた。「暴れる機会がまた増えたってことですからね。自分も同意しやす」と、ロストリンクスも凶暴な笑みをうかべる。


 やることは決まった。

 酔狂な部下に恵まれたと思う。

 ベイターインク防疫給水研究所、そこにミルティが連れて行かれたというなら、そこにいるなら連れ戻しに行くだけだ。


「……ボクは、新型歩槍ゲヴェアだったほうが、よっぽどマシだと思うけどね?」


 盛り上がる俺たちをよそに、エルマードが、ぽつりと言った。


「アレはそんな、生易しいモノじゃ……」



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