第7話:今日こそ君をこの手に取り戻す
深夜6刻──軍刻18刻半を過ぎた。時刻はもう、真夜中を過ぎた。にもかかわらず、護送の馬車も来なければ、ミルティたちが連行されてくる様子もない。
「……まさか、日付が変更されたのか?」
「護送馬車が遅れているだけかもしれん。ここまできたら忍耐だぜ、アイン」
ナイフを磨きながら言うドルク。
「ハンドベルクもフラウヘルトも戻ってこないし、ロストリンクスのおっちゃんもまだ来てくれてないし……。ねえ、アイン。あきらめる?」
真顔で言うエルマードに、ドルクが磨いたナイフを突きつけるようにしながら、無表情に言う。
「おいガキ。前にも言ったが、オレたちは旦那の無茶に賭けた大馬鹿野郎の集まりなんだ。抜けてぇなら抜けていいんだぜ」
「そんなこと言ってないよ? ボクは計画がうまくいきそうにないなら、計画を見直すことも大事なことじゃないかなって、提案しているだけだよ?」
そう言って、その淡い青紫の瞳で、じっとドルクを見つめる。
「ガキが知ったような口をきくんじゃねえ」
ドルクがエルマードの顎の下にナイフを突きつける。
「おい、ドルク。やめろ、仲間割れをしているときじゃない」
「アイン、コイツは最初から仲間なんかじゃ……」
俺の制止の言葉にドルクは反論しかけたが、不意にだらりと腕を下ろした。力なく、ナイフを鞘に収める。
「……そう、かも、……しれねェ……が……」
「分かってくれてよかった。ボクも、仲間とけんかなんてしたくないし」
にっこりと笑うエルマード。だが、ドルクの言葉を借りるまでもなく、俺はあきらめる気などさらさら無かった。何かの手違いで遅れているだけなのかもしれない。あるいは──
その先を考えたくなくて、俺は慌てて浮かんだ答えを振り払う。
あってほしくなどない。
この情報そのものが、そもそも
とある伝説によると、ある剣豪はわざと決闘に遅れることで、苛立ちによって心を乱した相手をただ一太刀のもとに斬り伏せたという。
ここまで来たのだ、焦っても仕方がない。
ただ遅れているだけなのか、わざと遅らせているのか。
とにかく最善を尽くすべきなのだ。
自分に言い聞かせていると、エルマードが立ち上がり、俺の前までやって来てしゃがみこんだ。
「ねえ、アイン。ボクはね、この作戦が成功したらいいなあって思ってる。ボク、ずっとアインのこと、見てたの、知ってた?」
「……ずっと?」
「うん。ずっと」
そう言って、エルマードは俺の頬を両手で挟むようにして、俺の顔をのぞき込んだ。
「でも、あきらめた方がいいことだって、あると思うんだ」
薄暗い部屋の中で、なぜか、その吸い込まれそうに美しい、透明感のある、淡い青紫の瞳が、やけに輝いて見える。不思議な感覚だった。奴の言葉が、心の奥に沁みとおるような感覚。
あきらめる?
……そうだな、そうかもしれない。
……だが……!
「……アインは、やめる気は無いんだね。こんなにぶれないなんて、正直、すごいって思ってる。……正直、妬けちゃうな。婚約者さんのこと」
「……える、まあ、ど……俺は……」
「まだ、ボクじゃダメなんだね……いいよ、今は。でも、ボクだって──」
奴が何を言っているのか、その意味が、意図が、分からない。
頭の中に霞がかかったような、奇妙な感覚だった。
「おい、エルマード。アインの旦那から離れろ」
「ボク、アインのこと、信じてる。……うん、
ディップの言葉を無視して、エルマードは俺の目を見つめ続ける。
ぼうっと、胸の奥で、何かが揺れる感じがした。
「おい! エルマード、てめぇ、なにしてやがる!」
ディップの言葉がやけに遠く感じられたが、その瞬間、唇にふわりと何かを感じて、俺はハッと目が覚めたような気がした。
「お、おいクソガキ! てめぇ、そういう趣味があったのか!」
ディップが立ち上がってナイフを抜いている。いっぽう、まるで俺を押し倒すようにして馬乗りになっていたエルマードが、やたらと近い位置に顔を寄せたまま、にっこりとしてぺろりと唇を舐めてみせた。
……いつのまに、俺は、床に倒れていた?
「だいじょうぶ。ボクはアインを
そう言うエルマードを、俺はため息をつきながらその胸を手で押し返すようにして、俺は身を起こした。
ふわりと、柔らかい感触。妙な違和感を覚えて彼の顔を見ると、エルマードの奴はなぜか顔を妙に赤くして、慌てて立ち上がった。
「おい、エルマード! てめぇ、旦那に何をした!」
ディップが、エルマードの眼前にナイフを突き出す!
止める間もなかったが、今さっき恥じらうような表情だったエルマードが、突き出したナイフを避けようともせず、まっすぐディップの方を見つめる。
そして、こちらに流し目をして、微笑んでみせた。
「ね、アイン。作戦、だいじょうぶだよね?」
今この場で仲間割れをするような馬鹿な真似をする奴はここにはいない──そんな、絶対的な自信でもあったのだろうか。だとしたら空恐ろしいほどのクソ度胸だ。「ボク、戦えるよ」と言っていた彼の本性を垣間見た思いだ。ディップが舌打ちしながら、ナイフをしまう。
俺は、唇に残る柔らかな感触がなんだったのか、どうにもはっきりしないまま、その感触を振り払うように頭を振り払ってから、改めて皆に向かった。
「……俺たちは情報を信じて待つだけだ。ハンドベルクが戻ってきていないのは痛いが、手順は分かっているな?」
「……あの爺さんが戻ってこなくても、もう仕掛けは完成してるんスから」
ディップが、釈然としない表情のまま、しかし笑ってみせる。さすが斥候、気持ちの切り替えが早い。
「なんなら、おれっちが代わりに動いてみせるっスよ? 連中が派手に吹っ飛ぶ様子を、みんなで笑って見てやろうじゃないスか」
ディップの言葉に、ノーガンも、俺の手にある、弾倉が残り5発となった
「やっぱりあの夜、FG42をぶっ放しておかなくてよかったな。フラウヘルトには悪いが」
あの夜とは、非常線を突破した夜のことだろう。
FG42
これは、射撃直前の弾丸に法術をかけることで、射撃後、着弾した瞬間に法術をその場で展開できるというものだ。降下猟兵という、少人数で侵攻しなければならない兵の装備品だ。やはり特別製ということなんだろう。
工兵であるハンドベルクは、手元の弾丸の多くと、FG42の弾を分解し、取り出した
工兵のハンドベルクは、破壊工作に役立ついくつかの
ハンドベルクが起爆呪印を刻むことで、幾らかの「爆発事故」を演出することができる程度の細工ができたのだ。
女性が詰め込まれた馬車が出発し始めた時点で、駅のあちこち、そして馬車が進む道を、先導する護衛ごと爆破。馬車を立ち往生させ混乱に陥れたところで、
もちろん、上手く行く保証など無い。だが、ほかに方法など思いつかなかったし、やらなければ目の前で再び婚約者を奪われるだけだ。
できる、できないではない。ここまで来たのだ。やるしかない。
「シッ……見ろ!」
ディップがジェスチャーをしてみせた先。
そこには、簡易的に装甲された丈夫そうな馬車がやってきた。装甲馬車の車体は、いくつかの損傷を受けているように見える。
そして、周りには十は下らない兵が
「あれを見ろ。あれはなんだ?」
ノーガンが、さらに装甲馬車の後ろを指で差し示した。
見ると、四頭立ての馬車がもう一つ、駅にやって来る。
それは後ろに、木製の檻のような荷馬車を
「……檻だ。ひょっとして、あれじゃないか?」
ノーガンの言うとおり、暗くてよく見えないが、中には人がいるように見える。
二台の馬車が駅構内に入ると、反対側から、もう一台の馬車がやって来た。
「馬車が二台……どっちだ? どっちにミルティがいる?」
見定めているうちに、馬車は動きを止めた。もう、迷ってなどいられない。
装甲馬車の扉が開き、反対側から入ってきた馬車から、丈夫そうな木箱が運び込まれ始めた。棺桶──というには二回りほど小さな箱だ。だが、ひどく重そうに、二人がかりで運び込んでいる。
檻荷馬車のほうは、中で、薄汚れたローブを着ている集団がいた。男か女か、それは分からない。だが、ヒトであるのは確実だろう。
今は、どちらの馬車も馬を交換中だ。十分に休ませた馬に交換することで、これから休憩もなしにすぐに出発できる──これが、駅のチカラ。駅を整備した国は、より素早く、たくさんの荷を運ぶことができる。それを整備したのは我が国だが、いまは王国のものになってしまってる。
それ自体は腹立たしいが、これからその重要な荷であるミルティたちを奪い返し、ついでに駅を吹っ飛ばして、しばらくは使い物にならなくしてやるのだ。考えるだけで痛快だ。だからこそ、確実にやり遂げなくてはならない。
狙撃手であるフラウヘルトと、仕掛け人であるハンドベルクが離脱中なのが痛いが、できないことはないはずだ。
──ガタン!
大きな音で、俺はハッと現実に戻った。
どうやら、木箱の一つを落としたらしい。上官らしき男からの叱責が飛ぶ。
『馬鹿者! ゲベアーが傷ついたらどうするのだ!』
『も、申しわけございません!』
平謝りの兵士は、急いで木箱を拾うと、装甲馬車に積み込んだ。
「
ドルクが、そっと身を乗り出す。「……って、アイン! 連中、動き出すぞ」
──しまった! もう少し時間がかかるかと思ったが、こんなに早く作業を完了させるなんて!
「行くぞ! 爆発に巻き込まれないように位置につけ!」
おそらく、あの2台目の檻荷馬車の中だ。
全員が同じようなフード付きのローブに身を包んでいて誰が誰だかわからないが、この時間に来たなら間違いなく、あの中にいる!
もうすぐだ! ミルティ、もうすぐ君に会える……!
「散会!」
俺はスコープで爆破点をのぞきながら、破壊予定の
弾は
失敗は許されない!
だが、もとより失敗などしない!
ミルティ、俺は今日こそ君をこの手に取り戻す!
FG42のスコープを覗きながら、俺は引き金に指をかけた。
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