第5話:なにかに幻惑されたかのような

「……これで全員だな!」


 俺が最後の一人を引っ張り上げた時点で、ロストリンクスが人数を数える。

 ドルク、ノーガン、ハンドベルク、ディップ、フラウヘルト。

 そしてロストリンクス、俺。

 ──よし、七人そろっている。

 駆け出そうとしたときだった。


「……待ってよ、ボクもいるよ!」


 収容所の壁を破壊し、いまだくすぶる炎を波に映す水の中から、甲高い抗議の声が聞こえてくる。


「……誰だ?」

「ボクだよ! エルマードだよっ!」


 その声に、皆がざわついた。


「エルマード……お前、いつから付いてきた?」

「ひどいなあ、君たちが脱走を始めてからだよ! ボクだって自由になりたいんだからさ!」


 俺たちは一斉にため息をついた。濡れた髭を逆立てる勢いで「ワシらはただの脱走とは……!」と言いかけたハンドベルクを制して、俺は手を差し伸べた。


「……お前が、そんなタマだとは思わなかった。捕虜生活を楽しんでいたと思っていたよ」

「ひどいなあ」


 堀から引っ張り上げると、ざばり、と大量の水を落とすようにしてしばらく咳き込んでいたエルマードは、にっこりと笑ってみせた。


「ボクだって、こう見えても少しは戦えるんだよ?」

「その細い体でか?」


 俺の言葉に、エルマードは何故か胸を腕で押さえるようにして頬をふくらませる。


「そ、そんなにじろじろ見ないでよ、えっち」


 ドルクは「なにがえっちだ、クソガキ」とあきれ顔だ。


「そんなこと言ってる奴が戦えるわけないだろ」


 すると、エルマードはドルクからプイとそっぽを向いてみせる。つまり、俺の方を見て言った。


「がんばるもん」

「がんばる、じゃねえよ……」


 ため息をつくドルク。

 小柄だとは思っていたが、あらためて見ると、頭が俺の肩より少し上程度の身長だった。本当に小さい。


「お前、いくつだ?」


 捕虜として捕らえられているのだから、当然、成人しているはずだ。だが、あまりにも小さくて、つい聞いてしまった。


「じゅうろ……って、あっと、えっと、18!」

「18歳だと? それなのに、こんなちびっこいのか」


 ノーガンもあきれ顔だ。


「そんなんじゃ敵に笑われるだろう、ネーベルラントの兵はモヤシだと。せめて体を鍛えろ」

「いいもん、ボク、十分強いから……いたっ! アイン、なにするのさ!」


 調子に乗った弟分を締めるのは兄貴分の仕事だろう。とりあえずその脳天に拳を振り下ろす。悲鳴を上げたエルマードの濡れた頭をくしゃくしゃっとなでてから、俺は方位磁針を確認する。


「十分に強いなら捕虜になどならないだろう。……お前が形だけでもとりあえず兵士だというのは分かった。時間が惜しい、行くぞ」

「ちょ、ちょっと! 形だけってなにさ! ボクだって戦えるよ!」


 両手で頭を押さえながら、エルマードが不満げに俺を見上げる。こういう仕草もどこか子犬っぽいと思ってしまうのは、こいつに毒され過ぎだろうか。


「分かった分かった。ボウズ、とりあえず黙って、ワシらの後ろをついてこい」


 ハンドベルクが頭をつかんでわしわしとなでる。彼にしてみたら、18歳なんて孫の世代に近いだろう。思うところがあるのかもしれない。


「ええ? ボク、本当に戦えるよ!」


 エルマードは頬を膨らませる。


「そうかそうか。偵察くらいには使ってやる」

「ほんとだってば! ボクの目を見てよ! この真剣な目!」


 なにが戦える、だ。こんなチビが。

 小さな体をめいっぱい大きくするように背伸びをしてくるエルマードに、俺は苦笑いを向ける。夜空の星の光を映す、綺麗な目だ。とても戦いに巻き込むわけには──


 ──そうだな、戦えるはずだ。なにせ捕虜になるくらいだから。


 なにか違和感を覚えるが、それが何なのか分からない──そんな不思議な感覚を覚えたが、結局、俺はエルマードの好きにさせることにした。本人がやる気に満ちているのは悪いことじゃない。チビだけに、負けず嫌いなのだろう。


「アイン、ボクも連れてってよ! きっと役に立ってみせるから!」

「分かったから、俺の後ろにつけ。俺から離れるなよ」

「うん!」


 キラキラした目で見上げてくる彼に、俺は変な笑いがこみ上げてくる。こいつにしっぽがあったら、間違いなくすごい勢いで振っていただろう。


「……いいんですかい?」


 ロストリンクスがあきれたように言う。俺も苦笑しながら答えるしかなかった。


「後ろでチョロチョロやられるよりは、目の届くところにおいておいたほうがマシだろう」




 月のない夜、わずかな星明かりを頼りに、俺たちは近くの農家に駆け込んだ。農家なら、農作業用、運搬用に、馬か騎鳥シェーンがいるだろうと思ったからだ。

 馬なら言うことなしだったが、騎鳥シェーンだってよかった。馬と違って揺れが大きく、馬ほど荷を運べるわけでもないが、そのぶん安価で、人にも良く慣れ、扱いやすい。少なくとも、自分の脚で走るより早くたどり着く──そう踏んでいたのだが。


「……いない。馬も、鳥も、牛すらも、か」

「くそっ、とっくに徴用されてしまったか」


 忍び込んだ家畜小屋は、もぬけの殻だったのだ。隅の方に、わずかな豚がいるばかり。騎乗用に使えるものはいなかった。予想してしかるべきだった。


「どうする? アテラス駅まで、かなりの距離があるぞ?」


「仕方がない、僕の・・女たちが待っている。走るしかないね」


 フラウヘルトの奴が、いつも通りに前髪を掻き上げながら笑ってみせた。それにつられて、皆も笑う。

 普段だと腹の立つキザな仕草だが、あえて今やってみせるところに、彼の信条のブレの無さを感じる。失望していたって時間の無駄だ。切り替えるしかない。

 

「……そうだな。走るしかない」

「走るしかないが……今、手に入るものはもらっておこうぜ」


 ディップが、革の鞘に納められた農作業用の短刀を二本、そして果樹の剪定用だろうか、ごついはさみを手にしている。


「……いつの間に」

「アンタは歩槍ソイツを手に入れたが、おれっちは丸腰なんスよ……ほらよ」


 そう言って、ディップがドルクに短刀を一本、投げ渡す。


「……なぜ、オレに?」

「アンタ、刃物、得意だろ? それから、ほら」


 つづいてハンドベルクにはさみを投げ渡す。


「おっと……! おい、刃物を投げるんじゃねえ!」

「丸腰よりマシってもんっスよね?」


 そう言って、ディップは笑った。


「おれっちたちは、アインの旦那にチップを預けた、命を捨てに来た大馬鹿野郎どもさ。刃物でジャグリングしているくらいが、ちょうどいいってもんなんスよ」

「ボクは命を捨てるつもりなんて、ないんだけど?」


 エルマードの言葉に、ディップは不快そうに口を歪める。


「なんだてめぇ……。だったら何が目的でついてきた?」

「え? みんな、脱走して家に帰るためじゃないの?」


 きょとんとするエルマードの胸倉を、ドルクがつかみ上げる!


「おい! オレたちは王国のクソ野郎どもに一泡吹かせるために、アインの──」

「ドルク、今はそんなことをしている場合じゃない。すでに俺たちの脱走が露呈していてもおかしくない。先を急ごう」


 俺の制止にドルクは顔をしかめると、突き飛ばすようにしてエルマードから手を離した。


「いいか、チビ。オレたちはな、ただ逃げるためじゃねえ。王国の連中に、あっと言わせるためにここにいるんだよ。邪魔するなら、てめぇから先に片付けるからな」




 集落のそばを抜けようとしたときだった。

 武装した王国兵と鉢合わせそうになり、慌てて身をひそめる。

 よく見ると、鉄線も張られていた。邪魔に思って切ると、おそらくそれを感知した法術師が警報を鳴らすものだろう。以前、敵の前線を突破する際に見たことがある。


「……非常線が、もう張られているのか」

「ワシらのことがもうバレてるってことか。まあ、当然と言えば当然じゃがな」


 ハンドベルクが舌打ちをする。


「人気者は辛いね。モテるのは女の子からだけにしてほしいものだよ」


 フラウヘルトの軽口に、笑う者はいない。


「警戒所に法術師が詰めていたら厄介だな。なんとか気をそらすことはできないか……」

「自分がひと暴れしてきましょうか?」

「ノーガン、射撃が下手な君が何を言ってるんだ。僕が殲滅してみせるよ。だからアイン、そのFG42を貸してくれるかな?」

「フラウヘルト。俺たちにとって連射が効く歩槍ゲヴェアは、この一ちょうだけだ。弾倉も、20発入りが一つきりだ。できれば今は消耗を避けたい」

「何を言っているのさ、アイン」


 フラウヘルトが、手にしている歩槍ゲヴェアを撫でながら微笑んだ。


「あいつらが持っているのは、僕のこれ・・と同じ、リエンフィールズ歩槍ゲヴェアだよ? 確かに連射できる歩槍ゲヴェアが使えなくなるのは惜しいけど、どうせこの先、もっとこっちの弾が必要なんだから。今のうちに、連中からいただいちゃおう」

「ここで騒動を起こしたら、警戒がさらに厳重になるじゃろう。ワシらがこちらの方向に移動しているということも露呈する。隊長の言うとおりじゃ、やめておいた方がよかろう」

「じゃあハンドベルク、なにかいい対案でもあるのかい?」


 こんなところで足止めを食らっていては、ミルティの元にたどり着くのも難しくなる。多少の危険は目をつぶるしかないか?

 そう考えて強襲案を立てていたときだった。


「ねえアイン。ボク、ちょっとお手洗い、行きたいんだけど……」


 エルマードだった。とりあえず、首をねじ切りたい衝動に駆られるのを、どうにかして抑える。


「……我慢しろ」

「む、無理だよ、ボク、漏れちゃう……!」

「……勝手にそこらでしてこい。音を立てるなよ」

「うん。……ボクを置いて、先に行かないでね?」


 静かに俺のそばを離れたエルマードに、俺は心底ため息をつく。まったく、このとてつもない緊張の中でお手洗い、だと? ふざけるにもほどがある。


「……ドルク、ノーガン。こうなったら、音を立てないように一人ずつ白兵で潰すしかないだろう。行くぞ」


 俺の指名に、ドルクが「ああ、いいぜ」と、先ほど手に入れた短刀を鞘から抜きながら答える。ノーガンは、やや戸惑うようにうなずいた。


「はい。……自分でよろしいんで?」

「ノーガン、白兵戦でお前の右に出る者はいないだろう? よろしく頼む」

「承知しました」

「ディップ、お前もだ。目端が効くお前が一緒にいてくれたら安心だからな。フラウヘルト、俺たちがヘマをしたら援護を頼む。ロストリンクス、もう失敗だと判断したらあとは頼む。俺は見捨てていいから、適当に逃げ散ってくれ」


 俺の言葉に、ロストリンクスは顔をしかめた。


「……なんともイヤな役を押し付けますな、隊長は」

「それだけ、副官としてのお前の経験と腕を信用しているってことでよろしく」

「……任されましょう」




 匍匐ほふく前進で、見張りの近くまでにじり寄る。雲が厚く垂れ込める夜で、まだマシというものだ。


『……まったく、こんな夜に脱走なんかしやがって』


 王国公用語の、吐き捨てるような言葉が聞こえてきた。


『そうぼやくな。こっちまで気が滅入ってくる』

『今夜こそ、あの家の娘とヤれるはずだったんだよ!』

『じゃあ適当に見といてやるから、行ってくるか? また営倉にぶち込まれても知らねえぞ?』

『お前だって同じだろ』

『……違いねえ。一緒に混ぜてくれよ。二人でヤろうぜ?』

『……営倉送りにされたいのか?』

『営倉送りが怖くて、女を食えるかってんだ』

『……はあ、チクショウ。まったく、こんな夜に脱走なんかしやがって』


 ……士気の低い奴らが見張りに立っているのが幸いだ。

 こういう連中なら、いなくなってもしばらくは発覚しにくいかもしれない。


 連中が一人になるのを待とうとしていたときだった。

 連中の背後に、何やら黒い影が立った──そう思った瞬間、一人が音もなく崩れ落ちる。


『……えっ?』


 もう一人が、一瞬、目を離した隙の出来事だった。残された奴の『えっ?』は、俺が言いたいくらいだった。

 そして、そいつが振り向こうとした瞬間、そいつもびくりと体をふるわせたかと思うと、力をなくしたように、その場に崩れ落ちる。


 ──何が起きた?

 二人とも都合よく、心臓発作でも起こした?

 そんなわけがない。


「……ドルク、ノーガン。……今の、見たか?」

「……ああ」

「見ました」


 二人の返事も、どこか信じられない様子だ。


「ディップ……?」

「……いや、なんでもねえっスよ。それより、いったん戻りましょうや」




 戻ったあとも、俺たちはなにかに幻惑されたかのような違和感ばかりがあった。

 少なくとも、この仲間たちの中で、誰かが何かをしたような形跡はなかった。

 では、あの歩哨二人が倒れたのは、何だったのだろう?


「お待たせしました! ああ、すっきりした。って、あれ? みんな、どうして頭を抱えてるの?」


 こちらの困惑ぶりなどまるで関係ないと言わんばかりに、能天気な様子で戻ってきたエルマードの脳天に、俺は今度こそ拳を振り下ろしたのだった。



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