第4話:とびっきりの飯を奢ってやるさ

 模範囚には恩赦と耕作地が与えられる──その噂から、捕虜たちが自主的に問題行動をひかえていた俺たちの収容所では、ある種の緩さが蔓延していたように思う。

 比べるべき他の収容所なんて知らないから、他と比べて、ではなく、以前と比べて、という相対的な判断でしかないが。


「ツェーン、お前、もし恩赦をもらったらどうするんだ?」

「分からねえ。放り込まれた土地で生きていくしかねえからな。ただ、飼い犬になるのだけは勘弁だ、いつか牙を剥いてやる」


 彼が言葉通りに牙をむき出しにしてみせると、大きくくわを振りかぶった。逆光の中で、赤銅色の髪から天に向かって突き出した、三角の耳のシルエット。ツェーンは犬属人ドーグリングと呼ばれる、犬の特徴をもった獣人なのだ。


 ざくっ


 ツェーンが手にするくわが、土を掘り起こす。

 俺ははいつくばって土の中から芋を掘り出し、かごに放り込んでいく。

 畑を見張る看守たちは、無表情で俺たちの作業を見守る。退屈なのだろう、あくびをしている奴もいるようだ。


「オレは火の扱いは得意だからな。肥えた土地ではないだろうが、国境なら森の中だろう。炭でも焼きながら、しばらくはちっぽけな畑を耕しながら、牙を研いでおくさ。国境なら、仲間の脱走の手伝いだってできるだろう。それよりお貴族さまよ、アンタこそどうするんだ」

「俺は貴族っていっても、片田舎のちっぽけな村長むらおさみたいな小領主の五男坊だからな。一発逆転で士官してみたが、こんな負け戦じゃどうしようもない」

「兄弟が多いと食いっぱぐれるのは、お貴族さまでも同じなのかよ」


 ツェーンの言葉に、俺は苦笑いを返す。


「ああ、その通りだよ。仮に家が潰れずに残っていたって、俺が継ぐものなんて残っちゃいないのさ。なんなら、お前の畑で働かせてくれよ」

「いいのか、それで」

「いいんだよ。そのうちお前と一緒に一発、何かをぶちあげてやるさ」

「何かってなんだよ。お貴族さまともあろう奴が、落ちぶれたもんだ」


 笑いながらくわを振り下ろすツェーンの隣で、俺は芋を掘り出す。

 しばらく無言で芋を集めていると、不意に甲高い声が聞こえた。


「わ、おっきな芋! ねえ、ボクもお手伝いするよ!」

「うわっ、急に声をかけるな!」


 ツェーンが驚くが、ふわふわの金髪チビは意に介さず芋を拾い上げた。

 いつの間にいたのだろう。隣で芋を拾っているのは、エルマードだった。芋を拾い集めていた俺を見下ろして、にこにこしている。


「……ここはいいから、あっちに行ってろ」

「だって、一番作業が遅れてるの、アインたちだよ?」


 言われて見回すと、確かに俺たちは、ほかの連中よりも少し遅れ気味のようだった。だが、大した差は感じられない。おせっかいな奴だ。


 俺は返事をする代わりに無言で作業を続ける。「なんにも言わないってことは、手伝ってもいいんだね!」と、エルマードは勝手な解釈を下して、一緒に芋を拾い始めた。うれしそうに頬を紅潮させている顔に、妙な気分になる。


「……ねえ、二人とも何の話、してたの?」


 芋を拾いながら、こちらをまっすぐに見上げてきたエルマード。

 透明感ある、澄んだ淡い青紫の瞳が、妙な艶めかしさを感じさせるほど美しい。


「……この収容所を、でる、た、め……に……」


 どん、と背中を突かれた。


「おい、アイン。手が動いてないぞ」

「……あ、ああ、ツェーン、すまない」


 ツェーンのぼそりとした声に、俺は芋の掘り出しを再開する。


「……まったく、そんな童顔でそんなでかい尻を振りやがって。好きモノどもにケツを掘られても知らねえぞ」


 ツェーンの言葉に、エルマードは尻を押さえるようにして、頬を真っ赤に染めて膨らませた。


「そ、そんなことさせないよ! だって初めてはボク──」

「エルマード、声が大きい」


 俺は、静かな声でたしなめたが、時すでに遅し、という奴だった。


「そこの犬ども! 作業中に私語とは、ナメやがって!」


 駆け寄ってきたのが一人、あとをゆっくり歩いてくるのが一人。

 俺たちは素早く並んでみせたが、この走ってきた奴は、思いのほか勤勉精神にあふれるクソ野郎だったようだ。


獣臭い野郎ベスティアールのクセに!」


 手にした法術ザウバー火槍バッフェ──歩槍ゲヴェア槍床ストックで、まずツェーンを殴り倒す。

 奴の言う獣臭い野郎ベスティアールとは、獣人族ベスティリングに対する典型的な蔑称だ。だが、ツェーンは殴られた頬をぬぐいもせず、黙って姿勢を正す。


 次は俺だ。容赦無い一撃に、歯を食いしばったとはいえ地面に倒れ伏す。覚えていろよ!


 だが、奴の目がエルマードに向かったときは、さすがに黙っていられなかった。こんなチビがあの槍床ストックの一撃を食らっては──


「……自分の作業が遅れているのを、彼は手伝いに来ただけです。彼に非はありません」


 できるだけ素早く立ち上がってから、エルマードの前に立つようにして述べる。


「そんなことなど知ったことか。そこをどけ。でなければ、貴様にもう一発食らわすぞ」

「どうぞ。彼に非はありません」


 言った直後に腹への一撃!

 思わず身をかがめてしまったところに、さらに横っ面への一撃……!


「フン、臭い犬とつるむようなゴミ野郎め。お気に入りのチビのケツの穴でも守ったつもりか」


 俺が倒れたあと、クソ野郎がさらにエルマードに向けて歩槍ゲヴェアを振り上げたときだった。


「待て……! チビに手を……!」


 歯を食いしばって立ち上がり、その腕を掴む!


「いい度胸だ、貴様。まだ殴られ足りないようだな!」


 直後、顎への一撃!


『おい、見せしめだ! やっちまえ!』


 汚い王国語とともに、腹や背中をさらに槍床ストックで殴られる!

 木製とはいえ樫の木でできている歩槍ゲヴェア槍床ストックによる殴打を受けて、情けないことに、無様に倒れ込む。


 そのときだった。


 奴らに何があったのだろう。

 奴らは何を考えたのだろう。


 一瞬の間ののち、ため息をつくように脱力したクソ野郎どもは、歩槍ゲヴェアを下ろし、ゆっくりと、無言で去っていく。


 土の上で動けなかった俺に、「無茶しやがって。アイン、大丈夫か?」と、ツェーンが手を差し伸べてくる。


「……だい、じょう、ぶ……ちょっと、今日のメシが楽しめないだけだ……」


 うそぶきながら身を起こす俺に、エルマードが涙目になって頭を下げてきた。


「あ、アイン……! ごめんなさい、ボ、ボクのせいで……!」

「気にするな……お前はただ、俺たちを手伝いに来たってだけだろう……?」

「でも、でも、ボクのことかばって、それでアインは、こんな……!」

「だから気にするな……。ほら、さっさと作業を再開しないと、また連中が来るぞ」


 俺は立ち上がると、頬をぬぐって芋を拾い集める。


「アイン、ねえ、少し休んだら……!」

「そのぶん、作業が遅れる。遅れれば……また連中が来る。続けた方がいいのさ」


 俺はエルマードに、元の場に戻れと言ったが、結局エルマードは俺と一緒に芋の回収を続けた。ごめんなさい、ごめんなさいと、しゃくりあげながらつぶやき続けて。


「気にするな。連中の言いなりになるのが気に食わなかっただけだ」

「そんな、こと言って、……ボクのかわりに、あんな……」

「年長者は年少者を守るもんだ。守り切れていなかったのがカッコ悪かったがな」


 ぐずぐずとしゃくりあげるエルマードの頭をつかんで、わしわしとなでる。「や、やめてよぉ」と困惑気味の彼の反応が面白くて、さらにぐしゃぐしゃと掻き回してやった。


 そんなこんなで制約ばかりだったし、理不尽な暴力も多々あった。だが、決して逆らわず、理不尽にも耐えていた俺たちに、看守の奴らは、確かに脇が甘くなっていたようだった。


 俺たち捕虜への差し入れの品を堂々と横領するのは当然として、体罰を食らわせてくるにしても、理由付けがずいぶんと雑になった。先日、俺に希望の灯をともしてくれた文書を「回してくれた」大間抜け野郎も含めてだ。

 機会は巡ってくる。その時を逃さない──絶対にだ。




 夕食後の食堂で、片付けを終えるころだった。いつものように、食べ終わって席を立つと、隣から「待ってよ!」とよびかけられた。エルマードだ。


「分かっている。待っててやるから、お前こそもう少し早く食え」

「アインが早いんだよーっ」


 エルマードがパンを口に押し込み、一生懸命にもぐもぐやっているのを、俺は隣で待ってやりながら眺める。上目遣いで俺を見ながら頬を膨らませているエルマードは、やはりリスか何かのようだ。


「落ち着いてゆっくり食べろ。喉につまらせると、かえって遅くなる」

「もぐもぐ……アインってやさしいね」

「優しいわけじゃないだろ。ほら、食べ終わったなら行くぞ」

「うん」


 席を立ったエルマードが、妙にうれしそうに俺を見上げた。

 畑での一件以来、エルマードがやたらとそばにやってくるようになった。今だって、ニコニコして後ろをついてくる。まるで、ぶんぶんとしっぽを振る子犬か何かのように。


 年の離れた弟というのは、こんな感じなのだろうか。どこか放っておけない思いになる。

 その時、部屋の扉が開いて、見張りの交代に来た看守が入ってきた。


『念願の「FG42」を手に入れたぞ!』


 交代する相手の同僚に黒光りする法術ほうじゅつそうを見せびらかして自慢している。


『連中の空挺用の希少品だ! お前、見たことないだろう!』


 王国語でしゃべれば、俺たちには分からないとでも思っているのか、そいつはべらべらと自慢げにしゃべり続けた。


 そいつの話では、正式名称は降下ファルシュム猟兵用イエーガー歩槍ゲヴェァ42とのことだった。どうやら、我が国の最精鋭である降下猟兵のために開発された新型の法術ザウバー火槍バッフェらしい。鹵獲ろかく品を、前線から横流ししてもらった物のようだ。

 敵の雑談から我が国の最新情報を知ることになるとは。くそったれめ。


 だが、敵国の法術ザウバー火槍バッフェを持ち込んだあげく、勤務中に同僚にみせびらかすことができるあたり、この収容所もずいぶんと緩んできている証拠だ。天はまさに、俺たちに味方している!


「……アイン、今だ」


 ツェーンの合図にうなずいてみせる。

 ここが最前線に近い、緊張感ある収容所ならこんなことはうまくいかなかったかもしれない。だが、ここはすでに、恩赦と耕作地の支給を期待する、逃亡する気のない「模範囚」ばかりだ。だからこそ俺は、ほかの者たちに迷惑をかけるわけにはいかなかった。


「んだと、コラァ!」

「何度でも言ってやるぜ! 敵に土地を与えられて敵になりさがろうとする、玉無し腐れ野郎!」

「てめえ、ぶっ殺してやる!」


 いさかいはたちまち乱闘になった。


「てめえがネーベルラントに殉ずるのは勝手だがな、オレたちまで巻き込むんじゃねえッ!」

「俺たちの祖国をぶっ潰した連中にケツ差し出しやがって! そんなに王国野郎のイチモツが具合よかったかよ!」

「ぶっ殺す!」


 つかみかかられ、思わずぶん殴る。


「……やりやがったな!」


 再度つかみかかって来たノーガンの拳が腹にめり込む! さすがノーガン、演技でもいい拳だ……! 必死で吐き気をこらえながら、俺はもう一度、心の中で謝罪しつつノーガンの頬を殴り返す!


 その時だった。

 床に炸裂音が響く。

 この音──王国製のリエンフィールズ歩槍ゲヴェアだ。我が国のKarカラビナ98クルツ歩槍ゲヴェアより精度は劣るが、十発の魔素マナ実包ボルトを装填してぶっぱなすことができる、王国野郎どもの主力の法術ザウバー火槍バッフェ


『貴様ら、私闘をやめろ! オレの評価が下がるだろうが! 射殺するぞ!』


 見張り看守の一人が、構えている歩槍ゲヴェアの遊底をスライドさせる。排出されたから薬莢やっきょうが、石の床で澄んだ音を立てて跳ねる。その隣には、先ほど、我が国の兵を殺して奪ったであろうFG42を手に、同僚に自慢していたクソ野郎も一緒だ。


 普段のちょっとしたいさかいなら、それで済んでいた。

 実際、俺たちはすぐさまおとなしくなってみせる。

 つかつかと、歩槍ゲヴェアを無造作に構えながらやって来る看守ども。


 ──ふん。貴様の評価が下がるだと?


「そう……関係ないね!」


 俺の声を合図に、俺たちは一斉に看守どもに襲い掛かる!

 目当てはその歩槍ゲヴェア! 婚約者ミルティを助け出すためだ、殺してでも奪い取る!


『な、なにをする、きさまらー!』


 「おとなしい模範囚」を相手に緩み切っていた連中など、多勢に無勢だ。だが、収容所の大半は、本当に模範囚として、恩赦と耕作地を望んでいる。そいつらまで巻き込むわけにはいかなかった。


 真っ先に縛り上げた間抜けな看守に加えて、俺たちの脱走に加わらなくとも賛同してくれた仲間たちも縛り上げる。

 彼らはあくまでも「被害者」だ。申し訳ないと思いつつ、銃床でぶん殴っておく。俺たちの協力者と疑われないように。


 殴られて顔を歪めながらも、笑顔で派手に悲鳴を上げてみせる収容者たちの絶叫に、目隠しをされた看守どもは「殺さないでくれ!」などと泣き喚く。


 本当は殺してしまいたかったところだが、それも辞さぬ覚悟で襲っただけだ。本当に殺してしまうと、他の看守どもの復讐心を駆り立てて、居残る仲間たちへの当たりも、そして俺たちの捜索も、一層厳しいものになるだろう。多少痛めつける程度が関の山だ。


 今は縛られている仲間たちの協力に、感謝の敬礼をする。目隠しをされていても、足音で俺たちの敬礼が分かったのだろう。彼らも背筋を伸ばしてくれた。

 すぐに俺たちは、夜陰に紛れて脱出を開始する。この時間の脱出経路の警備は、事前に他の奴が差し入れの酒を使って買収済みのはずだ。


「じゃあな、アイン」


 別れ際に、ツェーンが声をかけてきた。


獣人族ベスティリングのオレに、ヒトと隔てなく声をかける、貴族らしくないアンタの振る舞い。短い付き合いだったが、嫌いじゃなかったぜ。そっちも上手くいくことを祈ってやるよ」

「……ツェーン。お前こそ、死ぬなよ?」


 俺の言葉に、ツェーンは赤銅色の髪の中から生える三角の耳を動かし、牙を見せて笑った。


「オレはこれでも発破はっぱ法術士官だったんだぜ? このエンフィールズ拳槍ピストールが一ちょうあれば、魔素マナ実包ボルトを使って大隊の一つくらいは焼き払ってみせるさ」

「言ってくれるじゃないか。……またいずれ、どこかで会おう」

「ああ、アイン。また会おうぜ。その時には貴族の飯を奢ってくれよ?」

「とびっきりの飯を奢ってやるさ」


 看守から奪い取った中折れ式の拳槍ピストールを手にしたツェーンを先頭に、五名が先行して駆けてゆく。彼らが行く先には将校用の馬房があり、うまく馬を盗めば、空に向かって発砲することになっている。


 彼らは脱走者であるのと同時に、陽動だ。アテラス駅に向かう俺たちのための。

 彼らが五人。

 そして俺たちは、俺を含め、ドルク、ノーガン、ロストリンクスほか三名の、合計七名。

 この十二名が、今夜の作戦の決行者たちだ。


 ──頼むぞ、ツェーン。どうか上手くやってくれ!


「……発砲音確認! あいつら上手く馬を盗んだみたいですぜ!」

「よし、行くぞ!」




 塀を乗り越え、もうすぐ全員が堀を泳ぎ渡り終えるころ──先に対岸に泳ぎ着いた俺が、次に泳ぎ着いたロストリンクスと共に、仲間に手を貸して水中から引っ張り上げようとしていた時だった。

 一瞬、昼間にでもなったかのような閃光と、大気を揺るがす派手な爆発音。


「な、なんだ⁉」


 全員がそちらを向く。

 見ると、収容所の塀の一部が崩れ落ちていた。

 相当な高威力の爆発だったのだろう。だが、あんな爆発、射撃先で法術を発動させるための特別の弾丸──法術ザウバー実包ボルトを同時にいくつも使うような重爆裂術でもなければ、起こし得ないはず……!


「──振り返るな! まずは泳ぎ切れ!」

「そ、そうだ。おい、てめえら! 急げ!」


 俺の言葉に、ロストリンクスが続く。振り返っていた面々は、後ろを気にしながらも再び泳ぎ出す。


『オレはこれでも発破法術士官だったんだぜ?』


 別れ際の、ツェーンの言葉。

 だが、あの規模の重爆裂術を発動させるためには、魔素マナを十分に蓄えた魔煌 レディアント 銀が、それなりに、その場・・・に必要だ。


 エンフィールズ拳槍ピストール魔素マナ実包ボルトは、弾の内部にまで魔煌 レディアント 銀を蓄えた遠隔術式用の弾ではない。弾自体は、ただの鉛の塊だ。魔素マナ実包ボルトに使われている魔煌 レディアント 銀は、鉛の弾を飛ばすための、最小限の炸薬でしかない。


『このエンフィールズ拳槍ピストールが一ちょうあれば、魔素マナ実包ボルトを使って大隊の一つくらいは焼き払ってみせるさ』


 拳槍ピストール用の魔素マナ実包ボルト程度であの規模の爆発を起こすためには、ありったけの実包をかき集めて、爆発の中心で術式を発動させるしか──


『また会おうぜ。その時には貴族の飯を奢ってくれよ?』


「……ツェーン……!」


 彼が稼いでくれた時間を、機会を、無駄にするわけにはいかない。


「……いずれ、俺もそっち・・・に行ったら、とびっきりの飯を奢ってやるさ」


 俺は歯を食いしばると、いまだ水の中にいる仲間たちに手を差し伸べた。



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