第七十五話 攻略者と停滞者
想像していたよりも、八番区と七番区を隔てる壁は厚い――しかしある程度歩いたところで、急に視界が霞むような感覚があり、前方に急に光が見えた。
「……気がついた、っていう顔ですね。隠していてもいいんですが、あなたには不信感を抱かれたくないので、ここで説明しておきましょう」
「いや、何もそこまで……ちょっと違和感があったってだけですから」
「そうよね、ずっと真っ暗だったのに、急に光が見えたから。これって、転移してるんじゃないかしらって、エリーに聞いてたんだけど……えっ、な、なに……?」
案内人と言っていいのか、紫色の髪の女性は、先に言われたという悔しそうな顔をする。この茶化す方向に持って行きがちなノリは、ミサキに通じるものがある。
「はぁぁ、胸が大きい人ってどうして無神経なんでしょうね。大きい部分を維持するために、細やかな神経にまでエネルギーが回ってないんですね、きっと」
「なっ……ど、どうして私たちも後部くんと同じように案内してもらったのに、彼には優しくて、私たちには冷たいの……?」
「『たち』じゃなくてあなたに冷たいんです。私、あなたの転生前の経歴を知っているんですよ? アリヒトくんを会社でいじめていましたよね。そういうの私、許せないっていうか何というか。どうです、ちょっと私のこと好きになれそうですか?」
「あ、あのですね……いや。あのな、俺たちのパーティをかき乱すようなことは控えめにしてくれ。五十嵐さんはもう謝ってくれたんだ、俺は気にしてないよ」
敬語を使っていると全く言うことを聞いてくれなさそうなので、俺は普段あまりしないことだが、少し強めに意見を言った。
機嫌を損ねるかと思ったが、彼女は楽しそうにしたまま、俺の顔を覗きこむ――特に警戒していたわけではないが、急に距離を詰められると「やられた」という気分になる。
「アリヒトくんは優しいんですね。その優しさを、この迷宮国で失わないでほしいなと、案内した身としては切に願います」
「……それは、どういう……」
「そのままの意味ですよ。大事なものができたのなら、守らないといけないですよね。でも、この迷宮国に『絶対安全』はないんですよ。だから、この七番区には人が溢れているんです」
七番区からのものだろう、前方から感じられる気配――それは、八番区とは全く密度が異なるものだった。
「あまり事前に話しすぎても、新鮮さが薄れますからね。その受付嬢さんに案内してもらって、まずはそれからっていうことになりますか」
「あっ……は、はい……承りました」
「そんなに緊張しないで、ルイーザ。私は『他の人達』と比べたら、ずいぶんと探索者寄りでいられてるんだから」
彼女よりは年上に見えるルイーザさんを、呼び捨てにする――そしてルイーザさんも、彼女の前では口を開くことすら躊躇っているように見える。
「あ、あのー……出しゃばっちゃいけないと思うんですけど、やっぱり気になるので聞いちゃいますね」
「あなたは、いったい……私たちをここに案内して、今もこうして七番区まで付き添ってくれて。どうして、そんなことをしてくれるんですか?」
「……アリヒトのことを親しそうに呼ぶけど、彼のことを気に入ってるの?」
年下組のミサキ、スズナ、エリーティアが次々と尋ねると、案内人の彼女は、被っている帽子の位置をきゅっと直して言った。
「それは、あなたがたパーティ全員に言えることですよ。私たちは、頭角を現したパーティに最大の敬意を払います。これからも駆け上がってくださいね、ルーキーさんたち」
「……待ってくれ。名前は、聞かせてくれないのか?」
こちらの名前は知られているのに、俺たちは彼女の名前を知らない。それは、控えめに言ってもバランスが崩れた状態のように思えた。
「この次にも、六番区に行く時あたりに会えるんじゃないのか。それなら、名前くらい聞いておきたいな」
「ふふ……アリヒトくんは、女の人を口説くのは苦手みたいですね。そんな理詰めじゃ、私の心は動かせないですよ」
名前を聞き出すことすら難度が高い――しかしそう言われると、さらに気になってくるのが人情というものだ。
「では、『ユカリ』と呼んでもらうことにしましょうか。アリヒトくんは、私の紫色の髪を気にしていますよね」
紫という字は『紫(ゆかり)』とも読める。漢字を知っていることにはもう驚かないが、どうも偽名ではないのかという気がする。
「私の名前なんて、今は気にしなくてもいいんです。七番区も最速で通過してくれたら、期待に応えてくれたアリヒトくんにご褒美をあげますよ」
「そいつは楽しみだな……ってことにしておくよ。見送りには礼を言う」
「はい、どういたしまして。あなたのそういう律儀なところは好きです」
「なっ……」
最後まで思わせぶりなことばかり言って、『ユカリ』と自称する女性は、八番区へと戻っていく――やはり転移しているのか、気配が突然消えてしまった。
「…………」
テレジアはユカリのことが気になるのか、後ろを振り返って見ている。しかし俺が肩をそっと叩くと、ようやく前を向いた。
「何だったのかしら……後部くんが凄いっていうことを知ってて、迷宮国の公務員みたいな人たちが期待をかけてるっていうこと?」
「公務員……それは言い得て妙ですね。迷宮国のシステム側というか、管理する側の人たちがいる。ルイーザさん、ギルドとはまた違うんですか?」
「その、何と言いましょうか……この隔壁の監視をしている『管理部』は、ギルドを指導する上位組織なんです。ですので、あの方も、この迷宮国の管理を行っている一人ということになります」
そんな人物がなぜ、転生者の案内役などをやって、俺たちを気にかけるのか。
案内役が務まるのは、迷宮国の管理をしている人間くらいしかいないということだろうか。いずれにせよ、俺たちがまだ
「皆さん、これから七番区の上位ギルドにご案内します」
「上位……七番区には、複数のギルドがあるんですか?」
「はい。七番区は、他の区とくらべても特に人口が多い区ですから」
「一万人って話だけど、探索者が三倍なら、ギルドも三つあるってことになるのかしら」
五十嵐さんが言うと、ルイーザさんは首を振った。俺たちは全員、すぐに意味が分からずに疑問顔をする。
「一万人は、今も上位の区に上がるため、迷宮の探索を続けている方々の人数です。その他に、四万二千人の方々が、この七番区に留まっています……一定期間探索をしないと探索者の貢献度は下がりますが、少し貢献度を上げ、もう一度下がることの繰り返しになっている人が多くいるのです。彼らは迷宮国全体の人口としては数えられますが、『七番区の序列』には組み込まれていません」
つまりアクティブな探索者一万人の中で、俺たちは294位ということだ。しかし七番区には、序列が上がったり下がったりを繰り返している四万二千人がいて、彼らは序列から除外されてしまっている。
「四万二千……そんなに、六番区に上がることが難しいってことですか?」
「はい。七番区の迷宮では、魔物たちもさらに強力になります。場合によっては一つの迷宮も攻略できず、八番区と七番区を往復したり、探索以外のことで生計を立てる必要も出てきます。それを繰り返していれば、序列は停滞し、七番区で一位になって次の区に行くこともできなくなります」
そんな人が、あまりにも多い――俺たちも、最初の魔物との戦い次第で、この区が厳しい試練となるのかどうかが決まるだろう。
「アリヒト、私は一度五番区まで上がっているから、魔物の小手調べは任せて。そのうちにあなたが分析してくれれば、きっと行き詰まることはないわ」
「ありがとう、エリーティア。俺たちも、いずれレベルが追いつくようにしないとな」
◆◇◆
八番区でも、安全に暮らしていくことはできる。しかし、七番区で宿舎を借りると、八番区の宿舎は借りられなくなるらしい――家を購入すれば複数の区に拠点を持てるが、俺たちのように黒い箱を開けでもしなければ、一般的な七番区の探索者は家など買えない。
七番区の市街は、八番区と比べると集合住宅が高層化しており、密集して建てられていた。上位ギルドに向かうまでに通った通りは人でごった返しており、探索に関係なさそうな娯楽の店が山ほどあった――通り過ぎた細い路地の入り口を見やると、いかがわしそうな店の看板が出ていたが、俺はそれが何の店か分かっても、迂闊なことは言えなかった。
「えっと……あれって、エッチなことするお店ですよね? 看板、すごくいっぱいありませんでした……?」
「管理部が許可を出しているお店で、男性向けも、女性向けも、色々とあるみたいです。私も七番区には一度研修で来ただけなので、実情はわからないのですが」
ルイーザさんは少し顔を赤くしつつも、落ち着いて説明してくれる。歓楽街は市街の中心から離した方がいいと思うのだが、それすらできないほど人口密度が高いということか。
――しかし、序列争いから脱落した人々が暮らす地区を抜け、中位ギルドのある通りが近づくと、武具屋で話をする者、迷宮に持ち込む食料を買っている者、高価なポーションを薬売りから値切っている者と、熱心な探索者らしい人々の姿が見られるようになった。
「七番区には、13の迷宮があります。この迷宮の多さのおかげで、これだけの人口を支える食料などが、迷宮からの産物でまかなえています。やはり極端に人口が多いので、他の区から食料を買うこともあるのですが」
「13……迷宮が混むってことはないですか? さすがに迷宮の内部が広いと言っても、あまりに人が多すぎる」
「はい、そのために、下位ギルドでは迷宮の整理券を配っています。下位ギルドが13のうち6つの迷宮に入るための整理券を出していまして、一日千人までしか入ることができません」
つまり、下位ギルドの人々はヘタをすると、一週間に一度しか迷宮に潜れないということになる。それで探索に失敗したらレベルも上げられず、負のループに陥ってしまう。
いや――それでも死ぬ危険を冒すよりはいいということなのか。俺たちには目的があるが、どうしても達成したい目的がなければ、危険を冒してまで探索にこだわる理由がなくなってしまう。それは珍しいことではないのだろう。
「……『攻略者』と『停滞者』。探索者は、そんなふうに区別されているわ。八番区はまだ、攻略者の比率が多い方なのよ。でも七番区からは、ただ魔物と戦う覚悟があるというだけでは進めなくなる」
エリーティアの言葉に、俺はふと振り返り、下位ギルドを中心にして人がひしめいていた通りを見やった。
死んだ魚の目をしているとは言わないが、誰も溌剌としてはいなかった。強い関心を迷宮の攻略に向けることなく、違うものに向けていた。
彼らは彼らで、迷宮国での暮らしに価値を見つけた。俺もいつかどこかで折れて、生活を安定させることを考える日が来るのか――そう考えかけたとき。
「私たちは飛び級をしたから、上位のギルドから始められるんでしょう? それなら、その環境を最大限に活かして頑張らなきゃ。きっと上手くいくわよ」
「そうですね……諦めた人数が想像以上に多くて、驚きましたが。俺たちは、そうなるわけにはいかないですからね」
「アリヒトさん、不安なときは私たちに悩みを打ち明けてください。私はアリヒトさんにどんなことでもしてあげたいし、もし元気になるのなら、アリアドネさんの言っていたようなことも……」
「ス、スズちゃんらめぇ! お兄ちゃんがその気になったら、スズちゃんが大変なことに……っ、ああテレジアさんまで! おのれー!」
「おのれと言われてもな……俺がそんなことをすると思うか?」
その点においては信頼されていると思うので、自信を持って言ったのだが――なぜか、みんな複雑そうにしている。
「……その、パーティの方々とは、これから一生と言っていいほど、一つ屋根の下で暮らすことになると思うのですが。アトベ様は、男性として、その……お、お辛かったりはしないんでしょうか?」
「……辛くないと言えば嘘になりますが、俺は仮にもこのパーティのリーダーですから」
「男の人である以前に、リーダーなの……? 後部くん、凄い決意ね……わ、分かったわ。私も女性である以前に、ヴァルキリーとして頑張るわね」
ぐっと拳を握って励ましてくれる五十嵐さん。こうして俺たちパーティの間に、長く破られることがないはずの、鋼鉄の協定が結ばれたのだった。不純異性交遊禁止条約とでも言うのだろうか。
「…………」
「あっ、テレジアさんは特例で大丈夫よ。後部くんは一緒にお風呂に入っても変なことを考えない、無害な生き物だから」
「ええー……それ、キョウカお姉さんが言っちゃいます?」
「無害ではなくて、信頼できる男性だと言ったほうが良いですね。アトベ様の前でなら、お酒を過ごしてしまっても心配ありませんし」
ルイーザさんに訂正されるが、どのみち無害扱いであることは間違いない。これからも信頼度を落とさないよう、こまめに支援を――ではなくて、清廉潔白な言動を心がけたいものだ。
そんなことより、七番区をどのように攻略していくかだ。中位ギルドのある通りを抜け、七番区の東端にある上位ギルドが見えてきている。まずはここで、俺たちと序列の近い探索者たちの様子を見させてもらい、雰囲気を把握したいところだ。
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