第六十九話 秘神の警告と信仰値

「スズナ、俺がついてるから、『霊媒』を使ってみてくれるか」

「ありがとうございます。アリアドネさんはきっと、私たちに何かを伝えようとしてくれているんだと思います」


 スズナは律儀にも俺に頭を下げると、ベッドの上で正座をする。そして目を閉じて集中し始めると、彼女の身体を霊気とも言うべきものか、神秘的なオーラが包み込む。


「……この憑坐よりましの身に降りて、世に御声を聞こしめし給え……」

「っ……!」


 小さく呪文のようなものを唱えた、その瞬間――『月読』を発動させたときと同じように、スズナを包むように青い光の柱が立ちのぼる。


 しかし、『月読』と決定的に違うのは、スズナの後ろに、彼女ではない何者かの気配が生じていることだった。


「……そこにいるのは『後衛』か。まだ巫女の視界を借りることに慣れていないため、視認性に問題がある。正しければ返事をしてもらいたい」

「ああ、俺だ。アリヒトだ」


 スズナの髪の色が変わり、口調もアリアドネのものになっている。スズナは『霊媒』を使って、アリアドネの霊体のようなものを、自分の身体に降ろしたと考えられた。


 迷宮の底で眠っていたアリアドネの瞳には、感情の光が宿っていなかった。スズナに宿ってもそれは同じで、生気のない瞳に見つめられると、思わずぞくりとさせられる。


「念のために聞くが、君は本当にアリアドネなのか?」

「それを示す証は、巫女の容姿と、身体の一部に現れる。私の精神体は、契約した者たちの持つ『誓約の札』を目印として、このように干渉することが可能となる。『霊媒』という技能を用いた場合は、この位置に私の『神紋』が現れる」

「っ……ま、待て、見せなくていい! スズナの身体なんだ、彼女のことを尊重してくれ」


 スズナに宿ったアリアドネは、寝間着のボタンを外して胸を見せようとする――いきなり胸のところのボタンから外したので、二つの膨らみの間の部分が視界に入ってしまう。


 確かにそこには、光る印が浮かび上がっていた。これがアリアドネの『神紋』――左右対称な幾何学模様で、大きさは大人の親指の先程度だ。


「……人間は羞恥心を持つ。『霊媒』状態でも、巫女は状況を把握している。止めてくれてありがとう、と思っている」

「わ、分かった……それも内緒にしておいてくれた方がいいな」

「了解した。問題のある挙動は修正していく。私は学習機能を有しているが、それほど優秀なものではない。繰り返し学習することで、人間の脳における神経回路と同等の、情報回路ニューラルネットワークが形成される」


 アリアドネと話していると、迷宮国の中世的な風景に似つかわしくない、高度な機械文明が彼女を生み出したように思えてならない。


 スズナの身体を借りて淡々と話すので、違和感がかなり大きい。しかし最初は目に感情の光が無かったが、少し輝きが感じられるようになってきた。


 つい気になって瞳を注視してしまう――するとアリアドネがつい、と目をそらしてしまった。


「……これが、恥ずかしいという感情。スズナの感情はかなり強く、貞操観念が強い。しかし、アリヒトに対しては特例として……」


 アリアドネは言いかけて、途中でやめる。どうやらスズナの抗議が激しいようだ。それは当たり前だ、考えていることを全部言われてしまいかねないのだから。


「……今後も『霊媒』の要請に応じる代わりに、スズナが望んだ時以外は、彼女の代弁はしないという取り決めになった」

「ああ、それがいいな……それでアリアドネ、俺たちに何か伝えたいことでもあるのか?」

「そう。新しく入手した『黒い箱ブラックボックス』について、警告するために来た」


 ライセンスに取得したものが表示されるということは、アリアドネにも伝わるということだ。


 蔓草の傀儡師から取得した黒い箱。それは、俺が持ち歩いている革の荷物入れに入っている。取り出して見せると、アリアドネは頷いてみせた。


「これの、何が危険だって言うんだ? アリアドネの所に行くための鍵と、大量に宝というか、金貨と装備品なんかが入ってたが……」


 アリアドネは首を振る。そして、俺の手の上にある黒い箱を指差して言った。


「黒い箱には、『アーマメント』が入っていることがある」

「アーマメント……?」

「そう。正式名は、アーマード・アタッチメントという。私たち秘神には、パーツがあるという話をした。本来パーツは、ブラックボックスに入っている。私が使用するべきパーツは、ジャガーノートのブラックボックスには含まれておらず、代わりのものが入っていたはず。小さな結晶体」


 そう言われて、すぐにピンと来た――マドカに詳細を調べてもらったが、結局正体不明のままだった『破軍晶』。


「これのことか? 何に使うのか、良くわからないんだが……」

「それは、『剣』に対応する『神器操晶』。アーマメントに装着することで、使役可能な状態となる」

「ジンギ、ソウショウ?」

「アーマメント・コントローラーと言ってもよい。アーマメントは、秘神の装備するパーツ……つまりは、神器だといえる。神器は意志を持ち、自律的に行動する意志を持っている。そして、自らが『取得されない』ように、基本的に自衛をする」


 新しい単語を連続で聞かされて、頭の中の整理に苦労する――一応、こんなこともあろうかと買っておいた手帳を物入れから取り出し、アリアドネから得た情報を書き留める。


「つまり、黒い箱を開けると、意志を持つ神器っていうのが出てくることがある……そいつは、自分を手に入れようとする存在を攻撃する。そういうことか」

「肯定する。その場に居合わせた者全てが、戦闘に巻き込まれる危険がある」


 ファルマさんには、箱を開けてもらったらすぐに外に出てもらった方がいいということだ。そしてミサキ、あるいはスズナも、戦闘には加わらない方がいいかもしれない。


「我が契約者、揺るぎなき『後衛』よ。私は貴方に加護を与える存在として、神器の攻撃を防ぐために有効な手段の一つを提案する」

「あの、機械の腕……ガードアームか。防ぐ自信はあるのか?」


 アリアドネは自分のことを、廃棄されたとか、はずれという言い方をした。秘神が装備する神器の攻撃を、彼女が防げるのか――俺は信じたいが、無理をして守ってくれとは言えない。


 彼女はしばらく考えている様子だった。ベッドの上で正座をしたまま、俺をじっと見ている――アリアドネにも、悩むということがあるのだ。


「信仰値が十分であれば、『ガードアーム』の軽減できるダメージをその分増やすことができる。そのために、協力を願いたい」

「信仰値……俺たちに加護をくれる秘神、つまりアリアドネを信仰してるってことを、何かで示せばいいのか?」

「そう。信仰とは、私が貴方がたに加護を与えることで、自然に得られるもの。それ以外にも、貴方がたとの『信頼関係』を強固にすることでも得ることができる。信仰は消費されるものではなく、高められるほどに私の加護は強くなる」


 リヴァルさんが『空から来る死』に攻撃されたとき、アリアドネの『ガードアーム』はそれを見事に防いでいた。俺の支援防御でも防ぎきれなかったと思われるので、かなり強力な防御手段だと考えていい。それをさらに強化できれば、防げるダメージの上限はさらに上がるだろう。


 しかし信頼関係を強固にするというと、どういう方法があるのだろう。会話をするだけで信頼が深まるというほど、俺の話術は巧みでもない。


「信仰値を上げれば、神器の攻撃を防げるようになると考えていいんだな」

「……そのための方法として、巫女に『霊媒』をしてもらった。私は貴方がたに感謝されるようなことをすれば、信仰は自ずと深まる。その一環として、私を宿した巫女が貴方と交わることにより……」

「っ……い、いや、それ以外の方法で何とかならないか。スズナだって、そういうことをするためにアリアドネを『霊媒』したわけじゃないんだから」

「しかし、その方法が最も時間を必要としない。巫女と貴方の信頼関係も深まるし、もし子を成したとしたら結婚をすればよい」

「あ、あのなあ……」


 おそらくスズナは物凄く抵抗しているだろう――俺がアリアドネの言葉に従おうものなら、一生軽蔑されてしまうどころか、憎まれてもおかしくない。


 しかし巫女が教えを広めたりするために男性に抱かれたりするというのは、自分とは関わりのない時代の話だと思っていた。歩き巫女というのはまた違う話だし、スズナもそういう意識で巫女をしていたわけではないだろう。


「と、とにかくだ……俺はパーティのリーダーとして、例えパーティを強化することにつながっても、そういうことはできない」

「……同意は、得られて……何でもない。これ以上言うと、霊媒を解除されてしまう。巫女の許容する範囲のことで、信頼関係を築く」


(……待てよ。信頼関係って、アリアドネの信頼度を上げればいいってことか? それなら……)


「アリアドネ、こういう方法はどうだ? 俺に背中を向けて座ってみてくれ」

「了解した……この行為における論理的な意味を問いたい」

「もう少し待ってみてくれるか。定期的に発動するはずだから」


 ◆現在の状況◆

 ・『アリヒト』の『支援回復1』が発動 →『スズナ』の体力が全快


「……? 身体が温かくなり、代謝が増した。その回復行動に、何の意味が?」


 この表示を見た限りでは、スズナに『支援回復』を発動させても、アリアドネの信仰値が上がるわけではないようだ。


「今、俺の技能でスズナを回復させたんだ。回復は信頼を築く行為だからな。アリアドネの精神体は、魔力みたいなもので維持されてるのか?」

「肯定する。秘神の精神体は魔力で構成されている」

「そういうことか……じゃあ、時間はかかるが、これでどうだろう」


 俺はアリアドネの背中に手をかざして念じる――魔力を回復させる行動なら、アリアドネの信頼値を向上させられるかもしれない。


(アリアドネに魔力を分け与える……『アシストチャージ』)


 ◆現在の状況◆


 ・『アリヒト』が『アシストチャージ』を発動 → 『スズナ』の魔力が回復

 ・『スズナ』に憑依している『アリアドネ』の魔力が回復

 ・『アリアドネ』の信仰値が上昇


「んっ……」


 先程と違って、アリアドネの様子に変化が見られた――俺の方を省みるアリアドネは、わずかに頬を上気させている。


「……魔力を補助する技能。これほど直接的な、信頼関係を築く手段だとは思わなかった。私の精神体の一部は、現在貴方の魔力で構成されている」

「じゃあ、時間を置いて何度か続けてみようか……ライセンスにも、信仰値が上昇したって出てる。これはどれくらいなんだ?」

「……感覚としては、大きくはないが、確かに上昇している。『ガードアーム』の防御力を向上させるために、何度か続けることを推奨する」


 アリアドネは再び俺に背を向け、背中にかかった髪を前に流す――すると白いうなじが露わになって、思わず動揺してしまう。


(高校生に対してそんなこと考えるとか、俺は大人としてどうなんだ……しかし、やましいことをしてるわけじゃないからな。邪念を捨てて集中しよう)


「私の持つ技能に、魔力を供与するものがある。それを使い、アリヒトの魔力を回復させれば、『アシストチャージ』によって回復する量はもとより多くなる。そのため、ただ回復するだけならば、私とアリヒトの間で永久機関を構築できる」

「それは凄いな……回復した魔力をアリアドネが皆に与えれば、常に全回復した状態で敵と戦えるわけか」

「残念ながら、私の魔力供与は契約者である貴方にしか使えない……ん……」

「あっ……わ、悪い。チャージする前に断った方がいいか」

「……特に断る必要はない。巫女の身体は、とても感覚が鋭い。感度を落とす」



 アリアドネが『霊媒』を要求したのは、俺達に警告しようとしたため――俺たちに加護をくれる存在なので、そうすることは何もおかしくないし、感謝したい。


 しかしスズナの身体に憑依した状態で信仰値上げを行うとどうなるのか、俺はまだこの夜には気がついていなかったりするのだった。

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