第六十八話 八人の宿舎

 俺が一足先に風呂から上がり、五十嵐さんたち三人にはゆっくりしてもらうつもりだったのだが、全員が長湯をせず、しかし真っ赤になって上がってきた。


「えっと……あの、キョウカお姉さん、何があったのか聞いてもいいです? 聞くまでもない気がするんですけど、エッチなことは間違いなくしましたよね」

「っ……な、何言ってるの。そんなことするわけないじゃない、私はただ、後部くんへの日頃の感謝を伝えるために……」


 ミサキの直球を受けきれずに、五十嵐さんは大いに動揺している。エリーティアは自分の部屋に逃げていきかけて、スズナにそっと袖を引かれて引き止められた。


「あ、あの。キョウカさんの言う通りなら、私は何も疑ったりはしませんから。エリーさんも、お水を飲んで休憩してください。お風呂上がりの水分補給は大切ですよ」

「え、ええ……で、でも……何というか、私たちの注意が足りなかったというか、アリヒトは何も悪くないけど、アリヒトがいると今は落ち着かないから、一晩休んでリセットさせてもらってもいい?」

「あ、もしかして服を着てれば大丈夫なんて思ってたら、だんだん恥ずかしくなったとかそういうことだったり? 三人共乙女ですねー、私も人のことは言えませんけど」

「…………」


 テレジアも乙女と言われて恥ずかしがっている。真っ赤になっている三人を、うちわでもあれば扇いであげたいくらいだ。


 やましいことは何もない、とはとても言えない。俺としてはとても申し訳ないと思っているが、服が透けた件については三人とも怒ってはいなくて、非常に気まずいものの、不可抗力ということで折り合いはつけていた。


 しかし俺の記憶には、さっき見たものが刻み込まれてしまっている。女性とパーティを組むなら聖人のような心を持たねばと思うのに、今の俺は全くなっていない。


「……ん? ど、どうしたスズナ、そんなにじっと見て」

「い、いえ。アリヒトさんも、水分補給をしっかり……」

「スズちゃんもアリヒトさんに感謝してるから、背中を流したいって言ってたんですよ。待ってる間、いっぱいため息もついてましたし」

「ち、ちがっ……もう、ミサキちゃんっ……!」

「赤信号もみんなで渡れば怖くないですよね。アリヒトお兄さん、そういうことでひとつお願いしまーすっ」

「お、おい、何のことを言ってるんだ……?」


 ミサキは説明せずに、自分の寝室に引っ込んでいってしまった。残されたスズナは、いつもは落ち着いているのに、俺の視線を受けてびくっと肩を震わせる。


「……その……私も、アリヒトさんに感謝しているのは、みなさんと同じなので……日頃の感謝を伝えたいなって、そう思ったんです。焼き餅とか、そういうことじゃ……」

「……スズナ、そんなに遠慮しなくても、アリヒトなら分かってくれているわ。私だって、そんなに付き合いが長いわけじゃないけど、背中を流させてくれたもの」

「ま、まあ……驚きはしたけど、あまりアタフタしてても大人としてどうかと思うしな」

「そんなに落ち着いちゃって……最初は後部くんの方が恥ずかしがってたくせに」


 五十嵐さんについては、一番服が濡れた件について恥ずかしがっているように見える。それは無理もない、彼女は胸が大きいので、濡れた布地の張り付き方もピッチリとしていて――と、想像すると顔に出そうだ。


「……カルマって、パーティを組むと上がらなくなるの?」

「い、五十嵐さん、勘弁してください。俺は捕まりたくないですよ」

「今のところ、両者合意しているから反応していないみたいだけど……ライセンスに見張られているみたいで、あまりいい気分はしないわね。気をつけないと」


 エリーティアはグラス一杯の水を少しずつ飲んで空にする。そろそろ今日は休んで、明日に備えた方が良さそうか。


「そういえば、メリッサとマドカは? 今日からここに泊まるのよね、私たちのパーティに入ってくれたんだから」

「あ……それもそうね。部屋割りを決めないと」


 エリーティアと五十嵐さんに言われて、俺もようやく気づく。彼女たちは今、どこにいるのか。


 そう思っていると、ドアがノックされた。そして、外から声が聞こえてくる。


「アリヒトお兄さん、只今戻りました。マドカです。メリッサさんも一緒です」

「ああ、よく来たな。今鍵を開けるよ」


 ドアを開けると、マドカとメリッサが入ってくる。どうやら解体作業をしていたので、メリッサは気を遣って外で風呂に入ってきたらしく、マドカもそれに付き合ったようで、いつも着けているターバンを外していた。ボブカットの黒髪が、少ししっとりしている。


「外でお風呂に入ってきたのか? 遠慮しないで、ここの風呂を使ってくれてかまわないぞ」

「は、はい……ありがとうございます、お兄さん。でも、今日はメリッサさんが家でお風呂に入りたいというので、一緒にお邪魔してきたんです。私も、外に出る用事がありましたから。シオンちゃんにもついてきてもらいました」

「そうか。シオンは外の小屋に戻ったのか?」

「……すごくいい子。強いのに、よく言うことを聞いてくれる」


 メリッサも犬好きなようで、わずかながら笑顔が見られる。いつものツナギではなく、私服のワンピースタイプの服を着ていて、いつもぼさぼさ気味の髪にもしっかり櫛が通されている――マドカが風呂上がりに世話をしたのだろうか。


「これが、薬師さんにお願いしていたものです。強壮剤ですね」

「っ……そ、そうか。意外にすぐ作れるんだな。ありがとう、手間をかけたな」

「いえ、これが私のお仕事ですから、お役に立てて嬉しいです」


 礼を言って、今のところは流そうとするが、五十嵐さんが聞き逃すわけもなかった。


「強壮剤って、滋養強壮に効くとかそういうこと? ドリンク剤みたいなものが、迷宮国にもあるのね」

「キノコ系の魔物から作れるっていうけど、ダーティマッシュからでも作れたっていうこと? ミサキがいるから、希少な素材が取れたみたいね」

「キノコは毒が含まれているものもありますが、健康にいいものもありますし、その成分を抽出したものっていうことですね」


 五十嵐さんは仕事の時にたまに栄養ドリンクを飲んでいたが、同じようなものだと思って興味を持っているらしい。


 メリッサは特に何も言わない――さっきは強壮剤だと言いにくそうにしていたので、てっきりそっち方面に使うものだと思っていたが、そうでもないのかもしれない。


「じゃあ、疲れが溜まってる人がいたら、飲んでもいいですよ」

「えっ……いいの? でも、貴重なものなんじゃ……」

「ダーティマッシュなら狩ろうと思えば狩れるので、二度と手に入らないほど貴重でもないですからね。すごい味かもしれないので、誰かに味見してほしいっていうのもあります」

「アリヒトったら……でも、確かにそうね。味がひどかったら、使うべきときに使えないかもしれないし」


 連日の探索で疲れている仲間がいたら、回復の役に立つといいのだが。後生大事に持っているよりはその方がいいだろう。


 じゃあ俺が味見をしろという話なのだが――迷宮での収穫は共有財産なので、みんなが最初の一口を体験する資格を持っているのである。決して腰が引けているわけではない。


「琥珀色をしてて、見た目は美味しそうだけど……香りはどうなのかしら」

「なかなか踏ん切りがつかないものはあるわね……」

「ミサキちゃんたちも飲みたいかもしれませんから、後で聞いてみましょうか。テレジアさんは……興味があるみたい……ですか?」

「…………」


 テレジアは頷かない。気が進まなければ飲ませるつもりはないのだが、こうなるとみんな身構えてしまって、誰も手をつけようとはしなかった。


   ◆◇◆


 その後、居間からみんなが出ていった後に、初級鑑定の巻物を使ってどんな効果なのか見てみると、こんな結果が出た。


 ◆ダーティスピリット◆

 ・飲むと一定時間の間、『強壮』状態になる

 ・使用時に副作用が生じることがある


(飲まなくてよかった……リスクが大きすぎる。副作用って、一体何が起こるんだ)


 ダーティマッシュなのでダーティというのはわかるが、『スピリット』で飲み物というと、これは酒なんじゃないだろうか。


 ダーティマッシュの芯の色づいた部分を、酒に浸して浸出させたとか、そういう飲み物だとしたら未成年に飲ませるのは良くない。迷宮国に未成年という概念があるのかは、確かめていないが。


 『強壮』自体はスタミナがつくとかそういうことだと思うが、副作用があるものを試しに飲んでみるのは、さすがに蛮勇というやつだ。俺はダーティスピリットの瓶を居間の戸棚に置いて、自分の寝室に戻った。


「あ……アリヒトさん、鑑定の結果はどうでしたか?」

「どうも酒っぽい名前だから、未成年は飲まない方がいいかもな」

「そうだったんですか……迷宮国のお薬は、お酒も材料に使ったりするんですね」


 今夜もスズナと同室で、彼女はベッドに座って何事かを考えていたようだった。毎日クジで部屋を決めて移動するのも大変なので、部屋替えはまた明日だ。


「スズナ、同じ部屋で大丈夫か?」

「はい、良く休めていますし、その……私の方こそ、アリヒトさんは同室でいいのかなって……ミサキちゃんなら、いっぱい盛り上がるようなお話もできますし」

「寝る前くらいはさすがに静かな方がいいな。盛り上がるっていっても、ミサキの話題は俺を茶化すことが多いし」

「ふふっ……ミサキちゃん、気に入った人にはいつもそうするんです」


 気を引きたくてからかうとか、子供の頃にはよくある話だ。ミサキにとって俺がその対象というのは、喜んでいいのかどうか分からないが。


「俺は寝てる時静かにしてるか? って、スズナも寝てるなら分からないか」

「とても静かです。私の方が、息がうるさかったりしないか心配なくらいで……」

「大丈夫、何も聞こえないぞ。まあ少しくらいはいいんじゃないかと思うしな。寝相が悪くて、布団を跳ね飛ばしたりするのは困るけど」

「ふふっ……ミサキちゃんはそういうことがあるので、一緒の部屋になったら、お腹を出さないように言ってあげてくださいね。ミサキちゃん、アリヒトさんの言うことなら素直に聞いてくれますから」


 同室になった仲間がお腹を出して寝ていたとして、俺に何ができるだろう――そっと毛布をかけるくらいか。まあ、俺も一度寝ると眠りが深いほうなので、夜中にふと目が覚めることもそうないが。


「……あっ、す、すみません。私、ミサキちゃんがいないところで、こんなこと……噂話してるみたいで、いけませんよね」

「悪いことを言ってるわけじゃないから、いいんじゃないか。あいつの寝相が悪いって言われても、それは日頃のイメージ通りだしな」

「アリヒトさんには、あまり恥ずかしいところは見せたくないと思いますから。ミサキちゃん、本当にアリヒトさんのことを尊敬してるので……」

「ほ、本当か……? ミサキはいつも調子がいいからな、話半分で聞いておくのがいいかと思ってるんだが」

「ふふっ……今は、そうしてもらった方がミサキちゃんも居心地がいいと思います」


 こうして話していると、本当にミサキと同い年なのだろうかと思う。俺が高校生のときは、スズナほど落ち着いてはいなかった。


「アリヒトさんの、人の心にいたずらに入り込まない距離感が、皆さん心地いいんだと思います……私も、そうですから」

「俺は、そこまで気が回る方じゃないけどな。単に鈍いだけかもしれない」

「あ……そ、それは、自覚があるんですね……」

「ん? スズナ、今なんて?」

「っ……な、何でもありません。こういう男性って、お話の中だけなのかと思っていましたけど、本当に……すごい……」


 そんなふうに頬を赤らめて見つめられると、勘違いしそうになる――しかし今のスズナは、あまりプラスの意味で『すごい』と言っているようには見えない。


「……あっ。す、すみません、私、何かまた失礼なことを……」

「いや、気にしてはないけど。何にせよ、色々話せるようになってきて良かったよ。スズナも思うところがあったら、いつでも……ん?」


 スズナのベッドサイドに置かれたチェストが、淡いネオンブルーに輝いている。


 それは、スズナのライセンスだった。何かを知らせるように、光は周期的に強まったり、弱まったりすることを繰り返している。


「これは……アリヒトさん、見てもらえますか?」

「あ、ああ……」


 ベッドから出て、スズナのライセンスを見せてもらう。そこには、こんな表示が出ていた。


 ◆通知◆

 ・『アリアドネ』が『スズナ』に『霊媒』の使用を要求


「これは……アリアドネからの連絡? こんなところで『霊媒』を使えって……」

「……ライセンスには全てが表示されるわけではありませんが、今のところ間違った表示がされたことはないので、これはアリアドネさんからのお願いで間違いないと思います」


 『曙の野原』の第四層にいるアリアドネと、ライセンスを通じて連絡できる――とまではいかないが、向こうが『霊媒』を求めてきているのは、何か理由がありそうだ。


 ライセンスの表示を疑うつもりは俺にもないし、何か緊急の要件があるのだとしたら、このままスルーするのは得策ではない。

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