第六十五話 傀儡師の執念

 ギルドは今日も探索者たちで賑わっている。俺とテレジアはほぼ顔パスで、ルイーザさんの後輩に案内されて、前にも入った一番奥の個室に通された。


 いくらも待たず、ルイーザさんが入ってきてお茶を出してくれる。そして、俺のライセンスに残された行動記録に、例のごとく片眼鏡モノクルを使って目を通した。


「この方々の名前は……『北極星』のメンバーですね。ギルドセイバーの方より先に救助してしまうなんて……」



 ◆今回の探索による成果◆

 ・『呼び声の森』1Fに侵入した 10ポイント

 ・『呼び声の森』2Fに侵入した 10ポイント

 ・『ミサキ』のレベルが4になった 40ポイント

 ・『フィアートレント』を2体討伐した 80ポイント

 ・『ダーティマッシュ』を5体討伐した 100ポイント

 ・『★蔓草の傀儡師』を討伐した 1200ポイント

 ・パーティメンバーの信頼度が上がった 300ポイント

 ・『ゲオルグ』を救助した 100ポイント

 ・『ソフィ』を救助した 100ポイント

 ・『ジェイク』を救助した 100ポイント

 ・『ミハイル』を救助した 100ポイント

 ・『タイラー』を救助した 100ポイント

 ・『黒い宝箱』を1つ持ち帰った 50ポイント


 探索者貢献度 ・・・ 2290ポイント

 八番区歴代貢献度ランキング 1

 七番区貢献度ランキング 294



「貢献度は文句なしです。おめでとうございます、アトベ様方のパーティに、七番区への通行許可が与えられました。ライセンスに『割符』を登録させていただきます」

「割符?」

「はい、ライセンスの画面でも確認できますが、どの区に移動できるかの通行許可証を『割符』と呼んでいます。割符がない場合、許可のない区に立ち入ると、強制的に排除されてしまいますので気をつけてください」


 その仕組みがあるから、壁を超える技能などで上位の区に潜入したりはできないと、そういうことだろう。


 抜け穴がないとは限らないが、現状では思いつかない。ルール違反をすればカルマが上がるだろうし、できれば拘束はされたくないものだ。


「ギルドセイバーには、ルイーザさんから連絡しておいてくれたんですよね。迷宮の中で、セラフィナさんに会いましたが」

「はい、本来なら八番区の迷宮には、なかなか派遣されないのですが……今回は特別です。彼女たちはスタンピードの際に出動して、八番区に滞在していたんです」


 いつもは上位の区で、探索者の救助にあたっているということだろうか。それほど多忙なら、顔を合わせる機会は少なそうだ。


「アトベ様方には救助報酬が支払われます。パーティ全員を救助していますので、ボーナス算定がされます……一人あたり金貨12枚で、60枚になりますね」

「ありがとうございます。それは、ゲオルグたちの治療費に当ててもらえますか」

「それは……よろしいのですか? 彼らも、治療のための蓄えはあると思いますが」

「短い期間ですが、同じ宿舎を使ったよしみです。少しでも、力になりたいので」


 ルイーザさんは少し戸惑っている様子だった。しかし俺は、例え偽善と言われようと、何かでゲオルグの力になれればいいと思った。


 もし俺が、『蔓草の傀儡師』にパーティメンバーを操られ、逃げるしかないなんていう境遇を味わっていたら、簡単に再起できるかはわからない。


 ただでさえゲオルグは怯え、憔悴しきっていた。元通りに探索者をするのは難しいだろうと、見ただけで分かるほどに。


「……アトベ様は、少しでも多くの探索者が、長く活動を続けられるように……とお考えなのですね」

「彼らが魔物に襲われたことで、俺たちが得たものというのもあります。漁夫の利じゃないですが……だから、何かがしたい。罪滅ぼしってわけでもないですけどね」

「『黒い箱』のことですね。確かに貴重な宝物ですが、それを持っている魔物は多くの探索者を襲っているのですから……それを討伐した方は、賞賛されるべきです。無念を味わった多くの探索者の方々の、敵を討ったということなのですから」


 そう言ってもらえると気持ちが楽になる。ぼろぼろに壊滅し、めちゃくちゃにされたゲオルグのパーティを見て、思ったより気持ちが沈んでいたのかもしれない。


 仲間が魔物に操られ、襲ってきたら。助けられず、逃げることしかできなかったら。そんな思いは、決してしたくはない。


「『北極星』の見舞いに行ってきます。ルイーザさん、七番区に行く準備が出来たら、また俺たちと祝杯をあげてくれますか」

「はい。その時までに、アトベ様のお気持ちも、明るくなっているようにと祈っております」


   ◆◇◆


 ギルド近くの医療所に向かい、ゲオルグたちのいる病室に向かう。男性メンバー四人は相部屋で、ゲオルグ以外はまだ眠っていた。『蔓草の傀儡師』に体力を吸われ、極度の衰弱状態にあったとのことだ。


「……アリヒト。来てくれたのか」


 ゲオルグは頭に包帯を巻いており、まだ怪我は完治していないようだが――迷宮で会ったときの憔悴が嘘のように、その目はいくらか輝きを取り戻していた。


「大変だったな。もう少し早く、俺たちが……」


 救助に行けていれば。そう言う前に、ゲオルグはやんわりと片手を上げて制した。


「皆があの草の化け物にやられたあと、俺は二階層からしばらく動けなかった。笑っちまうだろ……怖くて足が動かなかったんだ。森の中からは、ずっと操られたソフィの声が聞こえてた。あなたも養分になりなさい、ってな」

「……なかなか凶悪な魔物だったな。あんなのがいる迷宮で試験を受けなくても、他のところにした方が良かったかもしれない」

「そうだな。だが、あの迷宮を避けて七番区に行ったところで、同じような魔物が出ないとは限らない。『苦手』を避ければ、いつか行き詰まる……俺たちには、まだ七番区に行く資格は無かったってことだ」


 ゲオルグは自嘲するわけでもなく、淡々としていた。その横顔には笑みすら浮かんでいる。


「実を言うと、俺たちのパーティはもう解散寸前だったんだ。ソフィの他にもう一人仲間がいたんだが……彼女は俺たちが序列1位になるとき、大怪我をして探索者を引退した。ミハイルとタイラーは、彼女に好意を持っていたんだ。笑っちまうだろう、二人の女性を四人の男で取り合って、それを探索のモチベーションにしていたんだ」

「……そういうことだったのか。だが、操られていたとはいえ、うちのメンバーに色目を使うのは良い気はしなかったな」

「そうか……ミハイルとタイラーは、それぞれ形は違えど女好きだからな。仲間が非礼を働いたなら、俺が謝る。すまなかった」


 冗談めかせて言うが、ゲオルグは我がことのように申し訳なさそうにする。


「……最初に操られたのは、ソフィだった。そうなれば俺たちは、どうしようもなかった。もしあいつを死なせたら、それで全てが終わりなんだから」

「でも、今回は無事だった。だったら、幾らでも再起できる。そう簡単に言うのは、やっぱり無責任かな」

「いや……そんなことはない。今の俺には、『諦めろ』っていう言葉は有難いけど、最も辛くもある。まだ励ましてもらった方が、救われるよ」


 引退した仲間のように、探索者を退き、支援者に回る。それも、一つの生き方だろう。


 必ずしも、そうするべきだとは思わない。しかし「頑張れ」と、中身のない励ましをすることもできない。それでも、彼らをこのままでは終わらせたくないという思いがある。


「あまり自分を追い詰めなくていいんじゃないか。あんな迷宮ばかりじゃ、行き詰まらない方がおかしい。俺も調子いいように見えるかもしれないが、戦いの中で生きた心地がしないことは沢山ある」

「……あの化け物を倒したお前でも、怖いなんて思うことがあるのか?」

「あるさ。仲間が見てる手前、怖いなんてことは言えないけどな」


 ゲオルグは俺の答えを聞いて、久しぶりに笑った。宿舎で会ったときと同じ、人懐っこい笑みだった。


「アリヒト、本当にありがとう。ここまでしておいてもらって、こんなことを言うのもなんだが……もう一つだけ、頼みたいことがある」


 ゲオルグは続きを言うことを躊躇していた。しかし意を決して、喉から声を絞り出す。


「ソフィの見舞いに行ってやってくれないか。俺から、治癒師の先生に話を通しておく」

「……彼女に何かあったのか?」


 助けることができた――そう思っていた。しかしゲオルグの表情を見れば、それが俺の楽観的な想像に過ぎなかったことを悟るほかはなかった。


「彼女を助けたアリヒトなら……あるいは、声が届くかもしれない。何でもいい……彼女が反応しそうな言葉を、何でもいいから……っ」

「……ゲオルグ」


 今はそれ以上、彼に言葉をかけることはできなかった。魔物に敗れるということが、どういうことなのか。俺はまだ、実感を持って理解することができていなかったのだ。


   ◆◇◆


 ゲオルグからの紹介があるとはいえ、簡単に面会できるものなのかと思ったが、医療所の治癒師は俺たちが『蔓草の傀儡師』を倒したパーティだと知ると、ソフィの病室に案内してくれた。


 ドアを開けると、ソフィはベッドにいる――上半身を起こしているが、その瞳は虚ろで、俺たちが入ってきても反応しない。


「魔物によって意識を乗っ取られた探索者は、時折完全に回復しないことがあります。それほど魔物の意識と接触するという行為は、人間にとって負担が大きいのです」


 治癒師は年配の女性で、ソフィとは母と娘ほど年齢が離れている。それも理由なのか、ソフィの姿を見てひどく心を痛めていることが見て取れた。


「……魔物を倒せば、それで解放されると思っていた。俺の考えが、甘かったです」


 胸がつかえるようで、うまく声が出せなかった。


 もっと早く助けることができていれば。しかしこんな悲惨な出来事が、おそらく俺が見てこなかっただけで、迷宮国のあちこちで起きているのだろう。


「俺に、何かできることはありますか?」

「……確証はありません。しかし、彼女の意識を操作した魔物を、あなたがたのパーティが討伐したのであれば、可能性はあります」

「可能性……それは、どういう……」

「まだ、彼女が魔物に操られている可能性があります。植物の魔物は、『種子』を残すことがある。恐るべきことに、その種子にも意識が残っていて、ただひとつの目的のために、宿主を利用して発芽のための養分を溜め込むことがあるのです」


 ただひとつの目的――そう言われて、想像はついた。


 自分を倒した探索者を、魔物がどう考えているか。倒されたなら仕方がない、などと思っているわけがない。


「そう……危険ではありますが。ソフィさんに、魔物が敵視している人物が近づくと、魔物の種子が反応する可能性があります」

「それは……発芽なんてしたら、ソフィは今度こそ……」

「身体の中に入った種子を安全に摘出できる技能の持ち主がいれば良かったのですが……医療技能に長けた人物は、今は探索者として上位の区にいます。そして、容易に私達の要請に応じてくれることはないでしょう」

「……ソフィは、このままだとどうなるんですか?」

「種子に『養分』を吸い取られてしまい、いつかは……早めに発芽させてしまえば、そのような事態は逃れられます。そして、種子を摘出できる可能性もある」


 それは賭けでしかないと、治癒師の女性もわかっている。それでも、俺をここに連れてきた――ソフィが生き残る可能性を少しでも残すために。


「分かりました。俺を残して、部屋を出てもらえますか。おそらく他の人がいると、『発芽』は起きないでしょう」

「……申し訳ありません。救助をしただけでも、あなたの行為は尊いものです。さらに危険を強いるなど、前途ある冒険者にしていいことではありません……」

「いや、気にしないでください。敵の本体を最初に叩いたのは俺なんです。たぶん、最も敵視されてるのは俺だと思いますから」


 『バックスタンド』を使い、スリングを『蔓草の傀儡師』の本体に撃ち込んだときの、凄まじい悲鳴。


 植物でも、魔物であれば知能がある。俺のことをしっかり覚えて、復讐のときを今かと待ち望んでいるはずだ。


(……リスクは可能な限り排除したいが。ここでソフィを見殺しにするのは、違うよな)


 治癒師の女性に外に出てもらう。しかし、テレジアは部屋に残った。


「テレジア、俺以外がいると魔物が反応しないかもしれない。一旦、外に出て……」


 彼女は首を振る。これから始まることが危険だと理解して、俺から離れるまいとしてくれているのだろう。


 敵の有利な条件に合わせてばかり居る必要もない。仲間が近くにいてくれるなら、そちらの方がいいに決まっている。


「……分かった。テレジア、そこに居てくれ。俺に何かあったら、すぐ外に助けを呼びに行ってくれるか」


 テレジアはこくりと頷く。俺はソフィに近づく――白い髪を揺らし、ソフィは顔を動かしてこちらを見た。


 生気のない瞳。彼女を本当に、元に戻してやれるのか。


 そう考えた瞬間。俺が知覚するより速く、ソフィの手が動き、俺の手を掴んでいた。


(……っ!?)


 患者が身につける簡素なシャツ。その袖口から現れた蔓草が、俺の手に絡みつく。


「……あなたも一緒に……私と一つになりましょう」


 青ざめた唇が言葉を紡ぐ。次の瞬間に視界が歪み、意識が持っていかれる――。




 気がつくと俺は、光の届かない真っ暗な空間で膝をつき、身動き一つ取れなくなっていた。


(っ……この、草は……ここは一体……精神世界ってやつか……?)


 全身に蔓草が絡みついて、身動きが取れない。そんな俺の眼前に、白いものが浮かび上がる――それは、俺と同じように蔓草に絡め取られ、はりつけにされたソフィの姿だった。


「ソフィ……!」


 呼びかけても反応はない。代わりに、辺り一帯に張り巡らされた蔦が生き物のように動き、絡まり合って、俺の前で一つの巨大な蕾のようなものを作り出す。


 蕾は俺の前で開く――『蔓草の傀儡師』の本体と同じ、白い花。その花の中から現れたのは、一人の少女だった。


 花の化身という表現にふさわしい姿。花弁のようなもので身体の一部だけを覆い、無感情な瞳でこちらを見ている――植物らしいといえばそうだ。


「おまえが……蔓草の傀儡師の正体……なのか?」

「……ソフィと意識を融合させたことで、私は『この私』を形成した。この場でおまえを従わせることで、私はおまえを支配下に置く」

「普通に話せるのか……魔物が喋るっていうのは、初めてだな」

「養分は黙って吸われていればいい。おまえの精気はなかなか吸い取りがいがあるから、しばらくは生かす。働きが良ければ、長く使ってやってもいい」


 随分と増長している――見た目は十歳前後の少女にしか見えないのだが、彼女は魔物だ。


「……さっきのは、痛かった。剣で切り刻まれるよりも、槍で貫かれるよりも、弓で撃たれるよりも、おまえの攻撃が最も痛かった」

「ぐっ……!」


 絡みつく草が、万力のような力で全身を締め上げる――まるで、巨大な蛇にでも締められているかのようだ。


「さあ……私の支配を受け入れろ。それとも、精神を砕かれる痛みを味わうか? それで壊れない生物などいない」


(やはり、今攻撃されているのは俺の精神……ソフィをここで解放しなければ、彼女は元に戻らない……!)


 装備もなく、『支援』できる仲間もいない。この状態で、何ができるのか――支配を受け入れて機会を窺うなんて甘いことを考えれば、それこそ一巻の終わりだ。


「……随分と……魔物ってのは、陰湿なやり方をするんだな……」

「手段を選ばないのは人間も同じ。我らを森ごと焼き払おうと考える者もいた。生きたまま焼かれる苦しみが、おまえにわかるか」

「……それは、想像するしかないが。俺は、そんなやり方は選ばない」

「……なぜ笑う。身体を砕かれればどうなるかは教えたはず。脅しではない」


 言われてみて気がつく――俺は笑っている。全身を締め上げられて激痛に喘ぎながら、それでも泣き言は頭に浮かばない。


「自分で言うのもなんだが……俺は、諦めが悪い上に……痩せ我慢が、得意なんだ」

「……ならばいい。片方の腕を砕く。後悔しても……」


 ――遅い。そう『蔓草の傀儡師』が口にする前に。


「――ッ!!」


 俺の眼前に割り込んできたもの――それは。


 一部が鱗に覆われ、蜥蜴の尻尾を持つ裸の女性。ここに来られるはずのないテレジアが、蔓草の傀儡師に向けて蹴りを繰り出していた。


「ぐっ……!」


 蔓草の傀儡師は精神世界とはいえ、その姿通りの膂力しか発揮できず、テレジアの蹴りを受けきれずによろめく。


「テレジア……どうやって、ここに……」

「……迷宮に侵蝕された魂……私たちと同じ……そうか。私の身体を自らに突き刺し、『印』のつながりを辿って……」


 俺のことを見守っていてくれたテレジアは、自ら『蔓草の傀儡師』の蔓を自分に突き刺して侵蝕させ、精神世界に入り込んだ。


 テレジアの首の後ろには、精神体の姿でも『隷属印』が刻まれている。それは俺との間に、確かな結びつきを形成している――彼女はこれを辿って、ここまで助けに来てくれたのだろう。


「……っ!」

「呪縛に抗い、人間を助けるか。魔物にもなりきれぬおまえに何ができる」


 テレジアは後ろ姿を俺に向けている。精神だけの姿となった彼女は、特徴的な蜥蜴のマスクを被っていなかった。


 ――首元にかかるほどの長さの黒髪。彼女に守ってもらっているのに、そんな場合でないと知りながら、その姿に意識を奪われそうになる。


「『武器を持たぬ者』に、私を倒すことはできない。ここに引き込まれたところで、おまえたちの負けは決まっていたのだ」


 蔓草が何本も立ち上がる。闇に淀んだこの空間の中で、逃げ場は一つもない――それでもテレジアは両腕を広げ、一歩も引かなかった。


「――これ以上、私の邪魔をするなっ!」


 蔓草の鞭がテレジアを襲う。打ち据えられればただでは済まない――だが。


 それは、『テレジアを守るもの』が何もなければの話だった。


「テレジア、『支援する』っ!」

「っ……!!」


 俺はテレジアの後ろにいる。例え精神体であろうと、位置関係が後ろであるならば、それは『後衛』だ。


 見えない壁が、蔓草の『攻撃』を弾く。もし、テレジアを拘束しようとしていたら、俺の支援防御は働かなかっただろう。


 そこまで狙っていたのかはわからないが、テレジアは見事に蔓草の傀儡師の行動を誘導し、『攻撃』をさせた。それゆえに生まれた、絶好にして唯一の機会だった。


「――頼むっ、テレジア!」

「……ふっ……!!」


 久しぶりに、テレジアの呼吸を聞いた。繰り出された蹴りが、俺の『支援攻撃』によって強化され、精神体による体術に『支援ダメージ11』が加算される。


「くぅっ……!!」


 蹴りを受けた蔓草の傀儡師が、吹き飛ばされる。


 たったの11ダメージのはずだ――しかしダメージを受けるはずがないと思っていただろう敵にとって、それが勝負を決する一撃となった。


 俺とソフィを絡め取っていた蔓草が枯れ落ちる。残された蔓草の傀儡師――白い髪の少女に、テレジアは静かに近づいていく。


「…………」


 蔓草の傀儡師は、ぴくりとも動かなかった。彼女の本体である花がそうだったように、打撃には極端に脆いようだ。


 蔓草の傀儡師がソフィの意識に触れて作り出した、人間の姿。それは、ソフィをそのまま一回り幼くしたような姿にも見えた。


 支援攻撃がここまで有効に働くとは思わなかった。魔法攻撃には支援がかからなくても、『精神体による直接攻撃』には働く――こんな情報を得ても、今後役に立つかは分からないが。


 テレジアが来てくれたおかげで、俺は窮地を逃れた。腕から侵蝕していた蔓草も消えて、多少の痛みはあるが問題はない。


 ソフィと蔓草の傀儡師の身体が光り始め、薄くなっていく――そして、消える。後は、ソフィが無事に目覚めることを祈るしかない。俺たちの精神体も薄れ始めている。


「……テレジア。助けに来てくれて、本当に……」


 感謝の言葉を伝えようとする。テレジアは、少し躊躇ってからこちらを振り返ろうとする。


「…………」


 薄れていく視界の中で、確かにテレジアが何かを言うように唇を動かした。


 しかしその素顔が見える前に、俺の意識は現実に引き戻されて――気がつくと、ソフィの病室に戻っていた。


 ソフィに掴まれた手に、後ろから身を乗り出したテレジアの手が重ねられている。ソフィはベッドの上で伏せている――意識を失っているようで、まだ彼女が元に戻ったのかは確かめられない。


「……ありがとう。心配かけて、済まない」


 謝ると、テレジアは手を引き――そのまま、後ろから抱きついてきた。


 俺は驚いていたが、けれど不思議と落ち着いていて、胸のところの服を掴んでしがみついてくるテレジアの手に、今度は自分の手を重ねた。


 無事で良かった。言葉はなくとも、彼女はそう伝えてくれているのだと思った。


(……ん?)


 ふと、視界に何か、精神世界に引き込まれるまでには無かったものが映って、そちらに注意を向ける――すると。


 ベッドの上に、種のようなものが落ちている。精神世界で気絶しただけで、『蔓草の傀儡師』はまだ生きているということだ。


 これの処遇は、俺が決める。それくらいのことは自由にしていいだろう。手のひらに乗るくらいの大きさになった強敵をどうするか、俺は幾つかの案を考えていた。

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