第六十二話 絶望と希望
「…………」
テレジアは短剣を持ったままでいる――何か、思い詰めてしまっているようにも見える。混乱していたとはいえ、仲間に斬りかかっていたことを覚えているのなら、自責の念を感じてしまうだろう。
「テレジア、私は気にしてないから、あなたもそうしなさい。こんなこともあるから、
「…………」
エリーティアに声をかけられても、テレジアはすぐに頷けずにいる。こんなとき、どんな風にケアすればいいのか――あまり甘いことを言っても、テレジアの性格だとますます自責が強くなるかもしれない。
そんな俺の心配をよそに、スズナがテレジアに近づき、水で濡れた身体を拭き始めた。
「すみません、お水をかけてしまって……冷たかったですか?」
「…………」
テレジアは首を振る。スズナは微笑み、そのままタオルをテレジアの肩にかけた。
「しばらくこうしていてください、濡れたままだと身体を冷やしてしまいますから」
「後部くん、珠洲菜ちゃんにはそういう力があるの? 水をかけて、色々治せるっていうか」
「はっきり表示されてないので、『混乱』に効くかはわからなかったんですが。正気に戻すというか、そういう効果はあると思います」
「スズちゃんが水たまりの水をすくったときは、何が起きるのかと思いましたよー。まるで魔法みたいでしたね。いいなー、私もそういう魔法っぽいの欲しいです」
ミサキも十分に、魔法のような効果を持つ技能を持っているのだが。やはり先ほどの神秘的な光景は、見ていて憧れるものがあるということか。
「エリーティア、今のキノコと戦うのは初めてか?」
「ええ……今まで会わなかったのは運が良かったのね。昇格するときも、この迷宮には潜らなかったけど……想像以上に癖がある魔物が多いわね」
この迷宮特有の魔物ということだろうか。キノコはどこにでも生えそうな気がするが――と、まずドロップ品を確認しなくては。
「あ……このトレントがつけてる実って、林檎によく似てる。後部くん、これはどうする?」
「鑑定してみますか。『初級鑑定の巻物』でやってみます」
俺は五十嵐さんから林檎を受け取り、鑑定してみる――すると。
◆機知の林檎◆
・一つ食べると魔力の最大値が少し上昇する。
・『フィアートレント』のレアドロップ品。
(おお……! わりとあっさり出たな、レアドロップ。ミサキがいるとやっぱり、こういうところで助けられてるのか)
レアドロップ品ならこれを狙って拾うことは難しそうだが、大きな収穫だといえる。魔法使い系の仲間がいれば、真っ先に食べさせたところだが――と考えていると、みんなが鑑定結果を聞きたそうに俺に注目していた。
「これを食べると、魔力の最大値が上がるそうだ。誰か食べたい人はいるか?」
「後部くんはパーティの人に魔力を分ける技能を持ってるから、優先して食べるといいと思うわ。今も疲れてるみたいだし……さっきのパチンコ、凄かったわね。アニメとかでよくビームって出てくるじゃない、あんな感じだったわよ」
「五十嵐さんにもそう見えましたか。俺もちょっと驚きました……でも消耗がでかいんで、乱発はできないですね」
「切り札として使えると思うわ。本当に、後ろにいてくれると頼もしい限りね」
エリーティアが俺を見る目には、自然に信頼が宿っている――彼女ほどの強者に頼られるというのは、恐れ多くもあるが、やはり誇らしい気持ちになるものだ。
「…………」
「……テレジア?」
まだ遠慮がちにしていたテレジアが、使っていない短刀を取り出すと、俺から林檎を受け取って皮を剥いてくれる。
「あれ? テレジアさん、林檎剥くのうまくないですか?」
「すごいです、私、そんなふうに皮をつなげて剥けないです」
ミサキとスズナだけでなく、俺も勿論驚いていた――短刀の刃を当ててクルクルと林檎を回転させ、シャリシャリとあっという間に剥いていき、手の上で割り、芯を取る。そして六つに割ると、一切れ俺に差し出してきた。
「…………」
「あ、ありがとう……テレジア、意外な特技があるんだな」
先程まで戦っていた魔物のつけた実ということで少々思うところはあるが、鑑定を信用できないというのは辛いので、ここは思い切って食べることにする。断面を見ると蜜が入っていて、俺の知っている林檎より黄色みが強く感じるが、果たして――。
「んっ……うわ、甘い。俺の知ってる林檎じゃないぞ、これは……!」
歯ごたえは懐かしい林檎に近いが、味がまるで違う。品種改良された林檎でなければ酸っぱいだろうと思ったが、その常識を覆すような味だった。
「アップルパイとか食べたくなりますね、見てると」
「ああ、いいわね……そ、それより、テレジアさん。だんだん赤くなってきてるけどどうしたの?」
「テレジアさん……見ている私の方が照れちゃいそうです」
スズナが言わんとするところに、俺はすぐ後に気がつく。テレジアは手づから、俺に林檎を差し出してくる――さっきより、上の方に。
「先を急ぐんでしょう、アリヒト。思い切って食べてあげたら?」
「…………」
「……わ、分かった。そうだな、先を急ぐからな」
迷っている場合ではないので、テレジアに次々と口に林檎を放り込んでもらう。まるで餌付けでもされているような気分だ。
そして、全て食べ終えたところで――ライセンスに、能力上昇の旨が表示される。
◆現在の状況◆
・アリヒトは『機知の林檎』を食べた。
・アリヒトの魔力最大値が上昇した。
頭が冴え渡り、身体に力がみなぎる――そして、最大値が上昇した分だけ、俺の魔力は回復していた。状態を確認すると、魔力を示す青いバーが5分の1ほど戻っている。
「…………」
「あ、ありがとう……かなり美味かったよ」
「テレジアさん、りんごの果汁がついてしまってるので、手を洗いますか?」
スズナは再び水を浄化する――この技能は想像以上に便利すぎる。水たまりからすくったとは思えない、完全に透明な水ができてしまうのだから。
「シオンちゃんにも……水たまりから直接飲むよりは良いと思うので」
喉が渇いているシオンにも水を与える。五十嵐さんがうらやましそうにしていたが、こればかりは『手水』を使える『巫女』の特権というものだろう。
残るは『ダーティマッシュ』だが、胞子を破裂させなかったほうの『胞子袋』がそのまま採取できた。鑑定するとダーティマッシュが身を守るために破裂させるようだが、破裂させずに切り取ることができれば薬の材料になるらしい。危険が及んで破裂させるとき以外は、簡単には袋は破れないそうなので、持ち運んでも問題ないだろう。
あとはキノコ本体の傘と軸が食べられるようだが、今回は採取せずにおいた――手足が生えているキノコを食べるというのも、結構勇気が必要だ。
「よし、回収も終えたし、探索を続けよう」
再び隊列を組み直して進んでいく。トレントたちは数が少ないのか、それからしばらく敵に遭わなかった。
おそらくこの迷宮の調査が進んでいないのは、魔物が増えるペースが遅く、スタンピードの危険が少ないからなのだろう。
(実入りが少ないっていうのもありそうだが……いくら『機知の林檎』が出ると言っても、確率が低すぎたら時間を浪費することになる)
ライセンスには、ドロップしたものから魔物や出現場所を逆引きする機能もついている。能力上昇アイテムを落とす魔物については、念のために覚えておく必要はあるだろう。
「シオン、あまり先に行くと危ないわよ」
エリーティアの声に、シオンが先行していることに気づく。シオンは、少し先の道の脇にある茂みに入り、何かを口にくわえて出てきた。
戻ってきたシオンが、俺たちの前に持ってきたものは――ゴーグル。
(このゴーグル……ゲオルグの……!)
「これを落とした人が、近くにいるっていうこと?」
「これ……私達の宿舎のホールで、後部くんが話してた人の持ち物じゃない?」
「えっ……す、すごく傷ついてますけど……それに、こ、この赤いの……」
「エリーティア、ゴーグルには触れないほうがいい。これは多分、血だ」
「……そうね。これの持ち主は、出血している……それも、かなり前に」
考えられることは一つだ。ゲオルグは負傷し、この近くで魔物に襲われたか、何か不測の事態があり、ゴーグルを落とした。
「シオン、このゴーグルの持ち主の匂いを辿れるか?」
シオンは俺の言っていることを理解し、ゴーグルの匂いをクンクンと嗅いだあと、再び歩き始める――鼻を効かせ、方向を確かめ、シオンは道の脇の木々のあいだへと入っていく。
「気をつけて進もう。シオンの嗅覚なら、視界が悪くても敵に気づける」
「ええ、分かったわ……確かに、人が通ったあとがある……」
「それも、真新しいみたいですね……でも、あのゴーグルは……」
ゴーグルに付着した血は完全に固まっていた。つまりゲオルグは負傷してから、かなり時間が経ってからここを通ったということになる。
――そして、森の中。シオンが、周りと比べると際立って大きな大樹を見つけ、その裏側に回る。
ゲオルグは、そこにいた――全身に傷を負い、頭を抱えて座り込んで。
「ゲオルグッ……おい、しっかりしろ! すぐに手当てしてやるからな!」
「……あんたは……どこかで会った……そうか、オレルス夫人邸で……げ、元気にしてたか……?」
ゲオルグの目の焦点は合っておらず、声にも力がない。彼はこんな状態になるほどの窮地に追い込まれ、命からがらここまで逃げてきたのだ。
貴重なポーションではあるが、そんなことは言っていられない。俺はバックパックから赤い液体の入った瓶を取り出し、ゲオルグに飲ませる――だが、身体の傷はある程度癒え始めても、彼の焦燥は薄まらなかった。
スズナがパーティにいることで『お清め』の効果が働き、ゲオルグの精神状態がわずかに改善する。初めは目の焦点が合っていなかったゲオルグが、ようやく俺の姿をまともに捉え――そして、急に顔を覆った。
「……何があったんだ。話してくれ、力になれるかもしれない」
「何が……何がだって……? そんなの、俺にだって分からない……!!」
ゲオルグは恐慌に陥っている。彼自身の傷も相当なものだ――ゴーグルを弾き飛ばされた時に受けた打撃によるものか、額に傷も負っていた。
「落ち着くんだ。『北極星』の仲間は、まだこの迷宮の中にいるんだな。魔物に捕まったのか、それとも……」
俺はゲオルグが落ち着くのを待つ。彼は顔を覆った腕を下ろす――震えながら、ゲオルグは唇を震わせ、何度も何かを言おうとするが、言葉にならない。
「……大丈夫だ。俺たちも、試験を受けに来た。『北極星』のメンバーを助けるのは、その道すがらだ。だから、遠慮しないでくれ」
ゲオルグが簡単に助けを求めないのは、喉から声が出なくなるほどに葛藤しているのは、探索者としての矜持があるからだ。
だがここまで追い詰められた彼を置いて、試験をクリアするだけで帰ることはできない。助けられるものなら助けたい、そう思う。
「……仲間は……この迷宮の、二階で……森の中の……っ、あ、足元から……化物みたいな草が、仲間を……力を、吸って……」
「分かった……迷宮の、二階だな。ゲオルグ、お前はこのまま脱出するんだ。この迷宮の一階には、幸いにも魔物が少ない。脱出だけ考えれば無事に出られる」
「……俺は……俺だけが、逃げる、わけには……」
「怪我人はそんなことを考える必要はないわ。脱出して、私達を信じて待っていて。安心はできないかもしれないけど、ここで震えているよりはずっといいでしょう」
「っ……く……ぁぁ……あぁぁぁぁぁっ……!!」
エリーティアが説得すると、ゲオルグはうずくまって声を上げる。その悲痛さに、ミサキとスズナが口元を覆った。
ゲオルグが、どのようにして仲間と離されたのか――想像するだけで胸が痛む。
迷宮が探索者に牙を剥くものだということ、情け容赦のない場所だということは、分かっているつもりだった。だが、凄惨としか言いようのないゲオルグの姿を見て、逆に湧いてきた感情がある。
怒りにも近く、燃えるように身体を熱くする衝動。
(……必ず助ける。だから頼む、生きていてくれ……!)
「ゲオルグさん、後部くんと私たちに任せておいて。今は生き延びることだけ考えるの、分かった?」
「……はい……俺の、仲間を……どうか……」
一度感情を声に出したことで、ゲオルグの瞳に理性の輝きが戻っていた。これなら、自棄を起こしたりすることはないだろう。
ゴーグルを渡すと、ゲオルグはそれを握りしめ、出口に向かって歩き出した。ポーションが効果を現していて、足取りは確かだ――これなら問題ない。
「話を聞く限りだと、草かなにかの魔物に襲われたのね。足元から突然姿を現して、彼らのパーティを……」
「……ああ。おそらく、今も捕まってる。ゲオルグは辛うじて難を逃れたが、迷宮を出ることができずにいたんだ」
遭遇したのは二階。そこに、おそらく『名前つき』がいる。
情報の少ない、謎の怪物――『北極星』を一網打尽にした化け物。全く油断のできない相手だが、一刻も早く見つけて討伐しなければならない。
「……みんな、俺に……」
「ついてきてくれるか、はナシですよ、アリヒトお兄さん」
「私は、アリヒトさんについていきます。隊列は前を歩かせてもらっていますけど、いつもそういう気持ちでいます」
「私も同じよ。もし、すごく強い魔物が出てきて傷つくことがあっても、後部くんは何も気にしないで。パーティって、誰かが一方的に守ったり、守られたりするものじゃないでしょう?」
――そう言われて気づく。俺はみんなに守られているのに、逆に後衛の技能で守っているという意識の方が強くなってきていた。
今もそうだ。『北極星』を助けるために皆を巻き込んでいいのかなんて、独りよがりなことを考えそうになった。
「……すみません、自分に酔ってました。助けるのは、俺がそうしたいからってだけです。だから、みんなも付き合ってほしい」
「ええ、勿論。もう私たちは、アリヒトの方針に『従わされる』なんてことは考えないわ。だって私は……」
「エリー、話は後だ。シオンが魔物を見つけた、応戦するぞ!」
「っ……わ、分かったわ! キョウカ、テレジア、行くわよ!」
シオンが進んできた道に飛び出していく――するとゲオルグが行った方向とは逆、二階へ通じているとおぼしき道の途上を、フィアートレントとダーティマッシュの集団が塞いでいた。
「キョウカお姉さん、汗……じゃなくて、いい匂いのするやつお願いします!」
「『ブレイブミスト』って言うのよ、覚えておきなさいっ!」
一度相手にした敵なら、対策は打てている。ダーティマッシュを魔法攻撃で落とし、フィアートレントの『恐怖』攻撃を『ブレイブミスト』で防げば、あとはレベル相応の魔物として簡単に撃破することができた。
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