第六十一話 呼び声の森

 魔物牧場から戻ってきたあと、ウィリアム氏に礼を言って、俺は『呼び声の森』の入り口に向かった。


 迷宮の入り口の前には広場が設けられ、冒険者が待ち合わせをしたり、作戦を立てたりしているものだが、呼び声の森に通じているという、太いツタに覆われた大きな扉の周囲には、俺たちと見送りに来てくれたルイーザさん以外の姿はなかった。


「では、今回の探索で貢献度500以上を得ることができたら、その時点で七番区への通行許可を認定いたします。といっても、前回も申し上げましたが、試験の可否に関係なく、アトベ様のパーティはいつでも認定を受けられます。スタンピードの際の貢献度は迷宮の外での功績で、特殊な事例ですのでまだ計算が終わっていないのですが、それを入れれば累計貢献度は一万を超えてしまいますので」

「わかりました。文句なしの昇格ができるよう、無事に帰ってきます」

「お気をつけて……先に探索に入られました方々がいまして、彼らも試験の最中なのですが、もし見かけたらお声がけいただけますか。彼らの実力は相当なものですが、八番区の迷宮で、丸一日戻られないというのは少し心配ですので」


 やはりルイーザさんも、『北極星』のことを気にかけていた。俺は可能なら迷宮の中で探してみる旨を伝え、蔦に覆われた扉をくぐる。


 ――扉の向こうは霧に包まれていた。まっすぐ進めば霧が晴れるとルイーザさんに教えてもらったので、それに従って皆で歩いていく。


「……『森』っていうだけあって、視界が悪いわね。みんな、くれぐれも気をつけて」


 聴覚や嗅覚が優れているシオンを先頭に、その後ろにエリーティアと五十嵐さんが続き、ちょうど真ん中にテレジアがいて、スズナとミサキ、そして最後列の俺となっている。


 『鷹の眼』のおかげで、俺は自分たちの状況を俯瞰で把握することができる。一番後ろにいるからといって、先頭の状況が把握できないということはない。


「……アリヒトさん、この迷宮は……今までの迷宮より、不穏な気配がします」

「俺もなんとなく、そんな感じはしてるが……いつ魔物が出てきてもおかしくない雰囲気だな」

「ま、まあ、それは今までもそうでしたけど、おどかさないでくださいよー。スズちゃんの言い方だと、今までよりきつい迷宮みたいじゃないですか」

「う、うん……ごめんなさい、でも油断しちゃいけないと思って」


 試験で潜る迷宮はその都度変わるらしいので、この不気味な雰囲気の森に潜るのではなく、課題が変わるまで待つということも不可能ではない。しかし『北極星』の安否確認も目的なので、それは考えないことにする。


「きゃっ……!?」

「っ……五十嵐さん、どうしました?」


 二列目右側を歩いていた五十嵐さんが悲鳴を上げる。見ると、足元が草で覆われているので、水たまりがあることに気づかなくて踏んでしまったようだ。


「はぁ、びっくりした……ごめんなさい、大きな声出したりして」

「雰囲気が雰囲気だから、仕方ないわね。よく見たら、ところどころに水たまりができてる……泥はねに気をつけないと」


 エリーティアが五十嵐さんを気遣い、足にかかった水を拭く。優しいなと思いつつ、俺は思う――今のように不測の事態があると一時的ではあるが『恐怖』に陥り、危険に対して対処が乱れてしまうのではないかと。


「五十嵐さん、すみません。『ブレイブミスト』を取ってもらっていいですか? 気合で鼓舞するだけより、『恐怖』を解除する方法があったほうが安心できますし」

「え、ええ……分かったわ。そうね、探索者にとって恐ろしいのは魔物だけじゃなくて、精神状態にくるような環境でもあるわよね……」


 五十嵐さんがライセンスを操作する――その直後、シオンが『何か』に反応する。


「――バウッ!」

「きゃぁぁっ……で、でも大丈夫よ。これさえあれば……『ブレイブミスト』!」



◆現在の状況◆


 ・キョウカが『ブレイブミスト』を発動


 シオンが何もなく吠えるということはないので、五十嵐さんがすかさずブレイブミストを発動したのは別にいいのだが――技能の字面通りに、彼女の身体からものすごい勢いで蒸気のようなものが生じて、パーティを包み込む。


「……ヴァルキリーの汗を霧に変える技能……?」

「エ、エリーさんっ、そんな真面目な顔で言わないで! これは魔力が形を変えたものか何かだから!」

「五十嵐さん、そんなことより、敵が来ます!」

「……っ!」


 次に反応したのはテレジアだった――左方の鬱蒼とした森の中から出てきたものを見て、俺たちは言葉を失う。


 ◆遭遇した魔物◆


 フィアートレント:レベル4 戦闘中 ドロップ:???

 ダーティマッシュ:レベル2 戦闘中 ドロップ:???

 ダーティマッシュ:レベル2 戦闘中 ドロップ:???



 敵は森の迷宮にふさわしい、樹木の魔物。そして、その根本に生えていたらしいキノコの魔物だった。


(レベル4……この迷宮、八番区の中じゃ、やっぱり難易度が高い方なのか)


 『フィアートレント』は根の部分を足のように動かし、ただの樹木の陰から出てくる――木にできたコブやうろが、まるで顔のようになっている。外国のお化け屋敷にいそうな、子供の恐怖を煽りそうな表情だ。


 しかし子供を怖がらせることはできても、うちのパーティに怖がるような人はいない――と思ったのだが。


「――オォォォォォン……」


 ◆現在の状況◆


 ・フィアートレントが『テラーボイス』を発動

 ・『エリーティア』『ミサキ』が恐怖

 ・キョウカの『ブレイブミスト』の効果によって恐怖状態に抵抗


「ひっ……!?」

「はえっ……!?」


 エリーティアとミサキが、前触れもなく樹木の魔物――トレントが発した異様な声に、『恐怖』に陥りかかるが、すぐに気を取り直す。


(事前に使っておいても、状態異常を防いでくれるのか……!)


 発動時に効果が出るだけなら、蒸気のようなものを発生させる必要はない。ブレイブミストは保険として使えるタイプの状態異常回復だったということだ。


「木のくせに、そんな声を出しておどかそうなんてっ……!」


 エリーティアが顔を赤くして怒っている――このレベルの敵の特殊攻撃で『恐怖』になったことが、高レベルの彼女としては恥ずかしいのだろう。


「ひぃぃ……ぞわぞわーって身体が……でも、キョウカお姉さんの汗のおかげで回復しました!」

「だから汗じゃないって言ってるのに……本当にもうっ!」


 ヴァルキリーという職には俺が思っていたよりも神秘がいっぱいなのかもしれないと思うが、その思考は封印することにする。イメージというのは積み重ねが大事で、一旦呆れられるとなかなか女性からの信用は取り戻せないものだからだ――というより、戦闘中に緊張感のないことを考えるなというのが一番だが。


「グルル……ッ、ガァッ!」

「五十嵐さん、テレジア! 二人はキノコみたいな奴を攻撃してくれ!」

「了解っ!」


 幹はそれほど太くないが、人間の背丈を軽々と上回る大きさを持つトレントに同じくらいの体格のシオンが飛びかかり、二体のマッシュルーム――菌糸が変化したものか、手と足のようなものが生えている――にはテレジアと五十嵐さんがそれぞれ攻撃を仕掛ける。


「――ッ!」

「せやぁっ!」

「二人とも、『支援』するっ! みんな、『気合いを入れるぞ』!」


 ◆現在の状況◆


 ・テレジアが『ダブルスロー』を発動 スモールダークを2本投擲

 ・『ダーティマッシュA』に1段目が命中 支援ダメージ11

 ・『ダーティマッシュA』に2段目が命中 支援ダメージ11

 ・キョウカが『ダブルアタック』を発動

 ・『ダーティマッシュB』に1段目が命中 支援ダメージ11

 ・『ダーティマッシュB』に2段目が命中 支援ダメージ11

 ・アリヒトが『支援高揚1』を発動 →パーティの士気が11向上


 顔も何もなく、白く太い軸と巨大な毒々しい傘を持つキノコ人間に、テレジアの放った短刀ダークが二本同時に突き立つ。五十嵐さんのクロススピアも見事に入った――だが。


「――ワォンッ!」


 トレントへの攻撃を中断し、シオンが警戒するような声を上げる。それを聞いた俺は考える前に、テレジアと五十嵐さんに警告した。


「――二人とも、引くんだっ!」


 ◆現在の状況◆


 ・『ダーティマッシュA』の物理カウンター → 『乱れ胞子』を発動

 ・『テレジア』が混乱


「っ……!?」


 攻撃に反応し、テレジアが攻撃した茸人間が胞子を撒き散らす。キノコの魔物という時点で、警戒しておくべきだった――胞子を使った特殊攻撃を持っていることを。


「みんな、胞子を吸うな! スズナ、何とか遠距離から落としてくれ!」

「はいっ……!」


 ◆現在の状況◆


 ・スズナが『皆中』を発動 →二本連続で必中

 ・スズナの攻撃 →『ダーティマッシュ』Aに命中 支援ダメージ11

 ・『ダーティマッシュ』を1体討伐


 二撃目には耐えきれず、ダーティマッシュが矢に貫かれ、傘が裂けて動かなくなる。しかしスズナが二本目をつがえる前に、テレジアが動く――彼女が混乱して攻撃を仕掛けたのは五十嵐さんだった。


「キョウカ、私に任せてっ!」

「エリーさんっ……!」



 ◆現在の状況◆


 ・アリヒトが『支援防御1』を発動 → 対象:エリーティア

 ・テレジアが『エリーティア』に攻撃 → ノーダメージ


「くっ……私が止めている間に……お願い、アリヒト!」


 エリーティアは剣でテレジアの短剣を弾く。『支援防御』をかけているのは両方にだった――テレジアは本気でエリーティアに攻撃しており、このまま打ち合い続ければどちらも負傷する可能性がある。


(どうする……状態異常回復の方法は……いや、その前に……!)


「シオン、待てっ!」

「――バウッ!」


 ダーティマッシュは物理攻撃を受けると、カウンターとして胞子を出す可能性がある――シオンが残り一体を攻撃しようとしたところを制して、俺は入手したばかりの『物理以外の攻撃手段』を実行に移した。


「お兄さんっ……!?」


 サイコロを投げようとしていたミサキが俺を見やり、驚きの声を上げる。だが、今は応えている余裕がない。


 ――身体から溢れ出した魔力を、親指と人差し指の間に収束させる。スリングの弾と同じ大きさに凝集された、魔力弾。それを俺は、剣を交えるテレジアとエリーティアを横から襲おうとしているキノコ人間に向けて撃ち出した。


「――行けぇっ!」


 ◆現在の状況◆


 ・アリヒトが『フォースシュート』を発動

 ・『ダーティマッシュB』に命中

 ・『ダーティマッシュ』を1体討伐


(お、おいおい……魔力弾って、まるでレーザーみたいじゃないか……?)


 狙い通りに『乱れ胞子』の発動を防いで倒し切る。スズナは二本目の矢の標的をトレントに切り替え、シオンと五十嵐さんが敵の標的を取ろうとする。


「……オォォ……!!」


 攻撃の前兆――トレントはマッシュたちに時間を稼がせている間に、遠距離攻撃を放つ準備をしていたのだ。


 ガサガサとトレントの枝が揺れ、大量につけている実が膨らむ。爆発でもさせて、何か飛ばして来ようというのだろう。


 俺は『黒き魔弾を放つもの』に魔力弾を番え、『スタン』の追加効果を発動させる白黒の魔石に念じながら、トレントに向けて撃ち放つ。


「くっ……!」

「アリヒトさんっ……!」


 魔力の消耗がこれほどの疲労感を伴うとは――だが、二発撃てるなら上等だ。今からでも、魔弾の速度ならトレントが攻撃する前に割り込める……!


(――間に合えっ!)


 ◆現在の状況◆


 ・アリヒトが『フォースシュート・スタン』を発動

 ・『フィアートレント』に命中

 ・『フィアートレント』がスタン

 ・『フィアートレント』の行動が中断


「オォォッ……!!」


 うめくような声と共に、魔力弾を顔面に受けたトレントがよろめく。好機と見た五十嵐さんとシオンが動く間に、俺はスズナに指示を出す。


 打ち合い続けているテレジアとエリーティア――彼女たちは足元の水たまりに時々踏み込み、飛沫が上がっている。それを見た時に思いついていたことがあった。


「――スズナ、『手水』と『水垢離』だ! 水たまりを浄化して、テレジアにかけてやってくれ!」

「は、はいっ……!」

 

 『混乱』の状態異常を回復できるとしたら、今のパーティが取れる手段はそれしかない。


「シオンちゃん、行くわよっ……やぁっ!」

「――ワォォンッ!!」

「わ、私もっ……役に立たなくはないんですからーーっ!」


 ◆現在の状況◆


 ・シオンが『パワーラッシュ』を発動 

 ・『フィアートレント』に命中 支援ダメージ11

 ・キョウカが『ダブルアタック』を発動

 ・『フィアートレント』に1段目が命中 支援ダメージ11

 ・『フィアートレント』に2段目が命中 支援ダメージ11

 ・ミサキが『フィアートレント』に攻撃 支援ダメージ11


「ウォォ……ォォ……!!」


 シオンの体当たりで幹がメキメキときしみ、五十嵐さんのスピアが、ミサキのサイコロが命中する。


 しかし物理攻撃に対して耐性があるのか、ここまでの集中砲火を浴びせても沈まない。


「――取れましたっ……テレジアさんっ、正気に戻ってくださいっ……!」


 スズナが足元の水をすくう――濁っていた水が光り輝いて透明に変わり、それをそのままテレジアに向けて浴びせる。


「……っ」


 ◆現在の状況◆


 ・スズナが『手水』を発動

 ・スズナが『水垢離』を使用 → テレジアの『混乱』が解除

 ・フィアートレントが『シード・エクスプロード』のチャージを開始


(名前からして、種を撒き散らして撃ち出してくる攻撃か……だが、これなら間に合う……!)


 我に返ったテレジアの横を、エリーティアが『ソニックレイド』を発動させて駆け抜ける――そして。


「――朽ち果てろっ!」


 ◆現在の状況◆


 ・エリーティアの『ダブルスラッシュ』が発動

 ・『フィアートレント』に1段目が命中 支援ダメージ11

 ・『フィアートレント』に2段目が命中 支援ダメージ11

 ・『フィアートレント』を1体討伐


 二連の斬撃を浴びて、フィアートレントの腕のような枝が切り落とされる――そして、恐怖を煽るような顔が消え、ただの木に戻るようにして動きを止める。


「何とか、無傷で乗り切れたわね……」


 樹液のついた剣を拭き取り、エリーティアは『緋の帝剣』を鞘に収める。五十嵐さんは胸を撫で下ろし、シオンはトレントが動かないか様子を見ていたが、確認を終えるとこちらを向いてバウ、と控えめに吠えた。

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