第五十八話 剣士の涙
加工が終わったあと、セレスさんとシュタイナーさんに礼を言い、俺はテレジアと一緒にオレルス夫人亭へと帰ろうとする――だが、その途中。
「――おい、聞いたか? 『
「『呼び声の森』に『名前つき』が出るようになってから、なかなか昇格者が出てないって話じゃねえか。大丈夫なのかよ?」
「八番区の序列トップなんだ、いずれ試験を受けないわけにはいかねえだろうよ。俺らがトップになる日は来るのかねえ……」
北極星のゲオルグは、自分たちがトップから落ちたことをライセンスの表示で把握していたが、他の探索者はまだトップが俺たちに入れ替わったことを知らないようだ。
「もう転生して十年か。時間が経つのは早ぇなあ。昇格は諦めて、嫁さんでも本格的に探すとするかな」
「もうちょっと気張ってみてからにしようや。収入やら、生活やら、上の区に行くとまた一味違うだろうしな。八番区のトップですら、俺らとは天地の差だ」
短期間で各種の宿舎を体験してきたので、彼らの気持ちは良くわかる。最も、最初から十分に寝床としては恵まれた場所を提供してもらえたと思うが。
それよりも、今の話で一つ気になったことがある。『
ジャガーノートのように、突然変異のように場違いな強さの個体が現れることもある。だが彼らも、八番区の序列一位だったのだから、自分たちの実力には自信を持っているだろう。横槍を入れるのは、プライドに傷をつける行為だ。
「…………」
「ああ、ごめん……ちょっと、考えごとをしてたんだ」
気がつくと俺は立ち止まっていた。テレジアが心配そうにこちらを見ている。
魔物との戦いで命を落とせばそれまでで、助からないことの方が多い。亜人が傭兵斡旋所で役割を得ているのは、自分の意志で生き方を選ぶことができなくなったからだ。
生きてさえいれば問題ないというものではない。テレジアが一度命を落としたときのことを想像すると、過去のことはどうにもならないと分かっていても、憤りと無力感を覚えずにいられなかった。
全ての探索者を助けられるなんて傲慢な考えは、持ってはならない。ただ、自分の目に映るものくらいは助けたい。そうでなければ、どれだけ安全にやっていって成功したとしても、何かが違うという気がする。
『北極星』のゲオルグは、気のいいやつだった。この迷宮都市で、少しでも知己を得た人々には、ずっと生き残ってもらいたい――そう思わずにいられない。
「……よし。すまない、テレジア。明日の試験に備えて休みたかったが、予定は繰り上げだ。帰ったら、行けそうな人だけで潜る。俺の独断で、無理はさせられないからな」
「…………」
テレジアはこくりと頷く。そして少し考えてから、俺の手を取って握ってくれた。
その手は鱗の指ぬきグローブをしているようにも見えるが、装備品ではない――リザードマンとしての身体の一部。
だがその鱗の間に見える白い肌には、人間らしい血の温かさがめぐっている。
「……ああ、そうだ。帰ったら、マドカに投擲武器を調達してもらおう。せっかくの新しい技能を生かさないとな」
「…………」
「え、ええと……手はそのままでいいのか? 若干恥ずかしくないか」
「……っ!」
俺を心配して、安心させようと手を握ってくれたようだが、ずっと握ったままなので気恥ずかしくなってきた。
テレジアは慌てて手を放す。そして俺に背を向けて蜥蜴のマスクを押さえるが、後ろから見ても赤くなっているのがわかる。
彼女はおずおずとこちらを振り返る。今度は俺が安心させる番だと、自然体を心がけて笑ってみせると、少しではあるが目に見えて赤みが引いた。
(……元から赤面症だったのかもな。初めからそうだったが、何か純朴な感じがする)
実際のところ、人間だったころのテレジアがどんな人生を歩んだのかは分からないが。話すことができないだけで、人格の根本が変わっていないなら、亜人になっても性格自体は変わっていないのかもしれない。
だが人間に戻ったテレジアがそのままでも、大きく変わっても、どちらでも構わない。
「…………」
「ああ、もう落ち着いたか。じゃあ、行こうか」
テレジアは頷くと、足音を立てず、静々と横に並んで歩く。もう街を歩いても、俺たちと一緒にいる姿を何度も見ているからか、彼女の姿を見て驚く人は少なくなっていた。
◆◇◆
宿舎に戻り、マドカに投げナイフが欲しいと相談すると、『スモールダーク』という種類の、小型のナイフが良いのではないかと教えてもらえた。盗賊系の職が用いる武器として需要が高いので、数を揃えるのが難しいそうだが、六本組を銀貨十枚で購入できた。『ダブルスロー』の際に使いたいので、ニの倍数にしておいた。
ゲームか何かだと投げナイフの重量を気にすることはないが、矢弾と同じく、金属製のナイフも重量としてはばかにならない。ナイフを収めるホルダーのついたベルトも購入し、テレジアは早速身につけて、装着感を確かめていた。
ミサキとスズナの強化した鎧も届けてもらったので、早速二人はマドカに着付けを手伝ってもらいつつ着替えている。
メイドのミレイさんが、俺たちが帰ってきたところを見てお茶を淹れてくれたので、エリーティア、テレジアと共に一息つく。五十嵐さんは寝ているそうだが、もうすぐ起きてきそうだということだった。
メリッサはシオンが気に入ったらしく、解体所には戻らずに庭でシオンと遊んでいるらしい。魔物の解体に執着するあたりはエキセントリックにも見えるが、動物好きに悪い人間はいないと思う。俺の思い込みかもしれないが。
「そろそろ八番区で慎重に探索を進めるよりは、七番区で探索した方が効率が良くなるし、ちょうどいいタイミングで昇格できそうね」
「エリーティアの仲間のことを考えると、最短で上がりたいところだが……まだ、時間がかかりそうだな」
「……私たちのパーティを襲った『
「猿侯……サルの魔物か」
人を従属させるという行為は、高い知性がなくてはしないことだろう。これまで戦ってきた魔物は、オークのように二足歩行の魔物でも、知性は感じなかった。だが、今後敵にも策略を使う者が出てくる可能性がある。
デミハーピィも、型にはまれば探索者を全滅させる力を持っていた。そう考えて思い出すが、捕らえた三体のハーピィは魔物牧場に送ったままだ。『眠りの歌』を戦術に取り入れるためには、一度牧場に足を運ぶ必要があるだろう。
「……だが、従属させるってことは……倒した人間に利用価値を見出して、生かしてるってことにはなる。エリーティアの仲間は、まだ生きているかもしれない」
だからこそエリーティアも、もう一度仲間を奪われた場所に戻ろうとしている。
しかし生きているということが、安易に救いを意味するわけもない。エリーティアは顔を伏せ、自身の金色の髪束ごと、胸元を掴みしめる。
「……絶対に許さない……絶対に……殺してやる……あんな酷いことを、よくも……っ」
「エリーティア……!」
戦いに臨むとき、エリーティアが人格を変貌させる理由は、呪いの剣を持っているからだけではなかった。
それは、純粋な怒りだった。魔物への憎しみ――仲間に対するそれほどの暴虐を、エリーティアはその目で見たのだ。
しかし鬼のような形相に変わりかけたエリーティアを、部屋から出てきていたスズナが、何も言わずに後ろから抱きしめていた。
「……辛い思いをしたんですね。でも、大丈夫です。大丈夫ですから……」
「……あ……」
きつく髪を握りしめた手を、スズナは一本ずつ指をほどいて外していく。それを横で、沈痛な面持ちで見ていたミサキは、エリーティアの髪を手で整えて、元のように真っ直ぐにしようとする。
「……こんなことしてたら、おさげにパーマかかっちゃうよ? それも可愛いかもしれないけど、エリーさんはサラサラストレートの方がいいと思いますよー。ね、お兄ちゃんもそう思いますよね?」
「ああ、そうだな。こんな言い方もなんだが……怒りに身を任せると、何か無茶をしそうで心配になる。まず、自分を守ることを考えるんだ。身体も、心も、全部をな」
「エリーさんは自分を傷つけようとしています。それは駄目です……辛いときは、私の髪をくしゃくしゃにしてください」
そう言って黒髪を差し出すスズナ。エリーティアはその手に自分の手を重ねると、肩を震わせて泣き始める。
「ふぅっ……うぅ……あり……がと……私、子供で……弱くて……助けられなくてっ……、自分も、逃げたのに……何もしてあげられなかったのに……っ」
「……それでも、助けに行くって決めたのなら、やれることをやろう。上位の探索者すら厄介がって近づかなくても、必ずもう一度行くんだ。俺たちはエリーティアがいたから、これまで勝ってこられた。そのサルに、人間の強さってやつを見せてやろうじゃないか」
「……あいつ、すごく強い……男の人は、負けたら食べられて……女の人は……」
「今まで戦ってきた奴らも、負ければ喰われるような凶悪なのばかりだったよ。だけど、慎重にやれば勝てる。安全に、したたかに立ち回って、可能な限り無傷でやっていく。それが、俺にとっての『最短』だ……って、先輩のエリーティアに偉そうに言うことでもないけどな」
エリーティアは真っ赤になった目を拭いながら、俺を見る。責めるでもない、縋りつくような瞳――助けてほしい、そう全身で言っている。
レベル9の剣士。修羅場をいくつも潜り抜けた彼女だからこそ、一人では勝てず、助けも得られない難敵を目の当たりにして、絶望は深くならざるを得なかった。
今の俺たちでは、まだ勝てない。全員のレベルが10になって、あるいは――それでも、一つのパーティだけで挑むのは無謀かもしれない。
やはり仲間は多い方がいい。八番区から同じように上を目指す仲間、上の区で戦っている人々――ボス討伐のために人を集めることは、ルール違反でも何でもないはずだ。
「スズちゃんに抱っこしてもらっても落ち着きますけど、ここは大人の包容力が欲しいですよねー。お兄ちゃん、そんなところでふんぞり返ってないで、ほらほらー」
「い、いや……俺よりはその、なんだ。五十嵐さんの方が包容力に溢れているぞ」
「えっ……な、なに? 包容力……? 話が見えないんだけど」
ちょうど起きてきた五十嵐さんが困惑している。エリーティアが振り返り、目が真っ赤であることに気づくと、五十嵐さんは俺の方を見る。俺が泣かせたと疑っているわけじゃなく、『どういうこと?』と疑問に思っているようだ。
「……ええと……何となくしか分からないんだけど。エリーさん、自分を責めたりすることないわ。辛いことがあったら、お姉さんに話してちょうだい。レベルはずっと下だけど、人生は先輩だから」
「……そうする。ありがとう」
「えっ……な、なに? 急にどうしちゃったのよ……私もこんな時どうしたらいいのか……」
「抱っこしてあげてください、今のエリーさんにはそれが一番なんです。お兄ちゃんもそう言ってますし」
「そ、そう……? 私なんかでいいのかしら……」
そう言いつつも五十嵐さんはミサキの言うことを聞き、座っているエリーティアにハグをする。
部屋着として愛用している縦セーターの、前方へ突き出すような膨らみが、惜しみなくエリーティアの身体に押し付けられている。もし五十嵐さんが歯科衛生士だったのならば、特に他意はないが治療に通いつめてしまっていただろう。
「……あ、ありがとう……でも、暑いから離れて」
「そ、そう? ああ、でも良かった、いつものエリーさんに戻ったわね」
エリーティアは席を立つ。少し休んだ方がいいかと思ったが、彼女はそのままこちらにやってきた。
そして、ライセンスを操作して俺に渡してくる。そこには彼女の技能が表示されていた。
「……いいのか?」
「レベルも、これまでの経験も関係ないわ。私のこともパーティの一員として、みんなと同じように扱って」
「そうか……分かった。技能に関しては、これを取って欲しいと頼むことはあるが、基本は自分の希望を優先してくれ」
「うん……分かった。でも、できるだけアリヒトの意見を参考にさせて」
そう言うエリーティアの表情は、自分のライセンスの表示を見ることを恐れているようにも見える――『カースブレード』の技能が、それほど特異なものだということだ。
◆習得した技能◆
ダブルスラッシュ スラッシュリッパー ライジングザッパー
ブレードロンド ブロッサムブレード
アーマーブレイク パリィ 切り払い1 切り返し1
エアレイド ソニックレイド 剣の極意2
▼ベルセルク
◆取得可能な技能◆
スキルレベル3
▼ブラッディロア:取得、使用後に情報開示
レッドアイ:取得、使用後に情報開示
スキルレベル2
×クロススラッシュ:左右の手に装備した武器を使用して強力な攻撃を繰り出す。必要技能:ダブルウェポン
×ダブルウェポン:利き腕以外で剣を装備しても、攻撃力が減少しなくなる。
×ヒットアンドアウェイ:攻撃後、反撃を受けるときに回避率が上昇する。敵に対する間接攻撃の命中率が上がる。
スキルレベル1
×ピアース1:刺突剣を装備しているとき、攻撃が後ろまで貫通する。
×ウェポンブレイク:特定の剣を装備しているとき、相手の武器を狙って耐久度を下げる。
×メンテナンス:装備が壊れるときに前兆がわかり、必要な道具があれば応急修理を行える。
×武勲の名乗り:敵のリーダーを倒したときに取得経験値、ドロップ率が上昇する。
残りスキルポイント:3
彼女が見せていた技能と、そしてまだ見ていない技能。すでに取得済みの技能の性能を見ることもできるが、まずこの表示から得られる情報を、俺なりに整理しようと試みる。
×がついている技能は、『剣士』の技能だろう。カースブレードになった今は、取得することができなくなってしまっている。
(カースブレードの技能……ベルセルクについてる『▼』は、リスクのある技能だっていうことか。ブラッディロア……取らないと効果が分からないなんて)
貴重なスキルポイントを振ってみないと、効果が分からない。それでもエリーティアは、▼のついている『ベルセルク』を取得した――それはなぜなのか。
「……『剣の極意2』は、隠れた性能を秘めている剣の力を解放する技能で……私は、この剣の力を引き出させられた。そのときに、『ベルセルク』は自動的に取得されてしまっていたわ」
ベルセルクは、『緋の帝剣』が強制的に与える技能。装備者は、その呪縛から逃れることができなくなる。
しかし、『レッドアイ』もカースブレードの固有技能だと思うのだが、『▼』がついていない。
「ブロッサムブレードは、カースブレードになってから得られた技能なのか?」
「そう。スキルポイントを4使ったけど、それは自分の意志で取ったわ。旅団の人達は、呪いの剣の力だと言って褒めていたけど……『ベルセルク』のことには目を瞑っていた」
「……仲間としてやっていくには、リスクになると知っていてもか」
「ええ……私は『研究過程』だったのよ。旅団の人たちは呪いの武器をリスクなしに扱えれば、迷宮国の頂点に立つことができると思っている。『ベルセルク』に負けるのは私の精神的な弱さが問題で、成長すれば克服できるかもしれないと言っていた……でも……」
『かもしれない』を待つ間に、エリーティアの精神は摩耗していく。彼女は仲間を傷つける可能性があること自体に苦しんでいるのだから。
「……レッドアイはおそらく、呪いのリスクがない技能だ。ブロッサムブレードにも印がついてないから、そう考えていいと思う。だが、他にも魅力的な技能が多いな。剣士に戻ったときのために、スキルポイントを残しておくか」
「……いえ。『レッドアイ』を取っておくわ。いざというときに、少しでもパーティの力になりたいから」
「そうか……分かった」
「最初に発動するときだけは、念のために離れていて……お願い」
皆が頷く。そしてエリーティアは、自分の意志で『レッドアイ』を取得した。
「……本当は呪われる前に、この技能……『ヒットアンドアウェイ』を取っておくべきだった。そうしたら、スズナに効率よく経験値をあげられていたから」
ヒットアンドアウェイ――これを取っていたら、エリーティアが攻撃したあと、スズナの弓の命中率が上がり、とどめを刺しやすくなる。二人組でも、スズナの育成は効率よく進んだだろう。
一つ収穫だったのは、職が変化しても、エリーティアが剣士時代に取得した技能を使えているということだ。つまりカースブレードから剣士に戻っても、ブロッサムブレードを使えなくなったりはしないと考えられる。
「さてさて、エリーさんの技能相談が終わったので、私とスズちゃんの番ですよ~」
「私もまだだったわね。三人で一緒にしてもらいましょうか」
「じゃあ、これから早速……それとみんな、一つ相談があるんだ。今日は休養日と決めてたから、どうするかはみんなで自由に決めてほしい」
これから『呼び声の森』に潜入する。その理由を説明すると、誰も留守番をするとは言わなかった。
休息を終えて、『支援高揚』が効くようになっているかどうか。それをしっかり確認したあと、俺たちは新たな技能を携え、新しい迷宮に挑むこととなった。
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